第27話 女神エンジン⑤
第五話 【江戸時代】
女神は手を合わせ、瞳を閉じている。
まるでどこかに祈りを捧げているように。
地下に降りて行くなんて普通はゾッとするんだけど。
光の柱に包まれているから平気なのだ。
しかも無数の光の泡から香りのいい成分が溶け出すように鼻をくすぐる。
とてもいい匂いなんだ。
ふかふかの布団に掛けた洗い立てのタオルケット状のシーツ。
横たわると肌触りと匂いの良さに、幾度となく手のひらで撫でたくなる。
その懐かしい爽やかさをいま実感しているように思う。
衣類など身に付けている意味がないほどに心地良いんだ。
くすぐったくて、いい気持ち。
ベルトをすこしゆるめていたのを忘れていた。
飲食をするので、そのままにしていたんだ。
死んでしまったせいか急に痩せたのだろうか。
お腹周りがやけにスカスカしている。
死人に服なしとか言わなかったっけ。
いけない、衣服がスルスルと勝手に脱げ落ちていく。
江戸に行けば、こんな服はおかしいから要らないのかもしれないけど。
神のそばで不謹慎だと、咎められるだろうか。
なにもこんな時に。
両手は女神につかまれていて、自由にならない。
汗ばんでいたTシャツ、首から輪をくぐるようにすり抜けて脱げて行った。
上空にむかって飛んで行く。
綿のズボンもするりとさよなら。
思い残すものがないようにしたい。ズボンも上空に置いてけぼり。
パンツ一枚だけの俺。
目の前は女人といっても神様だ。
もちろん申し訳ない気持ちでいっぱいです。
光の柱が清らかすぎて、この身を浄化させてくれる気がして。
いま風呂上がりの冷房部屋のように、快適な気分だ。
きっと向こうへ着いたら、着替えは必至だし。
どうせなら。
生まれたときと同じ姿で逝きたい。
◇
足元にひんやりとした感触が。
どこかの床の上に着地したようだ。
体にほんのりと重力が戻る。
光に包まれていたが、スッと天井が現れた。
光の柱は細くなって女神の周囲だけを照らしていた。
壁も現れて、ちいさな部屋にいるのがわかった。
聞いていた祠の中に到着したのだな。
女神は瞳を閉じて、手を合わせたままだ。
祠の出入り口と思われる方向に光源があった。
女神が扉に背を向けて立っている。
全裸でいるのは少し後ろめたい気持ちもある。
ほんの少しは抵抗があったから、そっと後ろを向いてしゃがんだ。
床は冷たいが痛くは感じない。
やたらとそわそわしてしまう。
『どうやら無事に到着したようだ。いまは祠の中で異空間になる。外の世界とは切り離されている状況だ。ここで準備を整えねばな──』
背後に佇む女神の声が聴こえた。
俺は沈黙し、人間としての最後の身体に未練がましく触れていた。
『まず、お前は現代人のままではいかん』
そりゃそうだろうね。
『この時代に合わせたジョブを選ぶのだ。お前は何に成りたいのだ?』
元の中学生に戻りたいよ。
叶わぬ夢をいつまでも見ていたかった。
幸運を呼ぶ青い鳥になりたいな。
『殿様と侍以外なら、大抵大丈夫だ。さあ振り向いて希望を聞かせてみろ……うん? よほど暑かったようだなシャツを脱ぎ捨てるとは──』
ギクつ!
とした発言に冷汗が滴り落ちる。
暑さのせいじゃありません。
『まあいい、ジョブチェンジすれば服装もついてくる。──これ、時間を無駄にするでない。いったいなにをモゾモゾとしておるのだ? まだ飴をなめ終わってなかったのか』
女神が俺の背後から説明を入れてくれている。
いまちょっと振り向けそうにないから。
そのまま始めてくれないかな。
「ちょっと待ってくれ……」
俺にも募る思いがあって、俺なりのさよならの儀式を始めたのだ。
迷い、迷い生きてきた俺だが、親からもらった体に罪はないはずだ。
卑しいことがあるとするならそれは魂のほうだから。
清めたいだけなんだ。
うあ、いけない。
背後にいる女神の影が床に写り込んで、近づいて来るのが分かる。
時間をくれ!
ほんの少しでいい。
だれにも愛されなかった体が可愛そうで、慰めてやりたいだけなんだ。
そんな気持ちも知らずに、女神は。
今にも前方に回り込んでくる気配だった。
◇
来るな、来るな、たのむ来るな!
ばか女神、デリカシーの欠片もないのか。
待ってくれ、もう少しだけ。
「もうダメっ……」
『どうした、なにがダメなのだ?』
『腹でも壊したか。こっちを向くのだ、手当くらいはしてやろう』
「え、うわっ! そんなとこ掴んじゃダメ……」
呼びかけに応じない俺を心配して、女神が俺の片膝を掴んで自分の方へと向けた。
祠の出口になる扉からは幾重にも陽の光が差し込んでいた。
逆光により──女神は、ほぼシルエットで佇んでいた。
「ほんとに女神さま? まるで後光が差しているようだ」
外の陽光ではなく、自分のためだけに優しく接する君が眩しくて。
一瞬で我を忘れてしまっていた。
俺はまたぐらを開脚させれ、あられもない状態で、くるりと女神と対面した。
その刹那──呆けるように彼女に見惚れてしまっていた。
貧乏暮らしだったので毎日肌着を着替える習慣がなかった。
汚れた衣類のまま逝きたくない。
だから脱ぎ捨てたけど。
この世の者とは思えぬ美しいものを見て、全身の力が一気に抜けた。
「だから待ってと──」
言いかけて止めた。
もう──思い残すことはないよ。
これで生への未練は断ち切れただろうから。
抜けた力はすぐには戻らない。
背筋に恐怖が走るも、なにもできない自分がいる。
女神の両手で俺の両足はがっつりと開脚させられている。
思わず想像したら、恥ずかしくて死にたくなってきた。
穴があったら入りたいけど、いまタイムトンネルを抜けてきたところだ。
すでに死んでいると言われた身だけど。
アホらしいぐらいに惨めな気持ちでならない。
裸でいたから鼻がムズムズして、くしゃみが出てしまった。
震えながら、もう一度死にたいとつぶやいた。
『おい、なにか飛んできたぞ。やけにドロドロしておる……』
飛沫を浴びせてしまったのだ。神様に。サルモネラ菌などを。
まさか、こんな事態になるとは予想もできなくて。
「ごめんなさい、鼻水です」こっそり謝罪をしました。
「この暑さで喉まわりの調子が。鼻水なんか巻き散らしてごめんなさい」
俺は生みの母に甘える様に泣いた。
女神のシルエットは、降りかかった俺の鼻水を光の泡で浄化しているように見えた。
「あの、やっぱりそれってお清めが出来るのですね?」
『そうだ、それが女神である私の基本スキルだからな』
女神の基本スキルは浄化なのか。清廉潔白なイメージにピッタリじゃないか。
『どれ、お前の身体の汚れも拭い去ってやろう。泡では時間がかかる。立てるか?』
え?
このまま直立しろってゆーのか。
ええいっ!
もう、なるようになればいいさ。
◇
そうじゃないな。
女神が俺の手を引き、身体を起こそうとしてくれている。
このまま直立させられたら、いくら逆光で部屋が暗いといっても。
あらわになってしまう。
おそるおそる腰を上げていくが、前屈姿勢を脳が要求するのだ。
一時の気の迷いで服を脱ぎ捨てたが、いまは早く着る服が欲しい。
『まだ喉の具合が悪そうだな。手を当てて行くだけで終わるから、そのままじっとしていろ』
「え」
いまなんと仰いましたか!
直接、手を当てて汚れを取っていくと聞こえたんだが。
腰を引き、くの字の姿勢を崩せないでいる。
そのため女神の手は、俺の股ぐらの奥へと延びてきた。
その状況を体は決して嫌がらないし、むしろ極楽な気持ちでいる。
どこまで汚れた魂なのだろうか。
こんなクズ野郎にだれが女神様などを差し向けてくれたのか。
あのまま生きているより、百倍の幸せを味わって居るのかもしれない。
浄化というスキル持ちのため、そうすることは彼女にとっては日常的なことなのかもしれない。
だが俺にとっては……。
『おい、お前っ!?』
「ひいいぃっ! ごめんなさい。やっぱそうですよね? ぜ、ぜ、全裸でごめんなさい。とってもわるいことしていました……人にあるまじき行為を……うぐっ」
身体を強い力で押さえられていた。
思わず心がたじろぐ。
『動くな、じっとしていろ!』
ひいぃ。全裸でごめんなさい。
「ひいっ! ちょん切らなくても大して変わりないから…」
口を開くと言い訳ばかりだな俺は。
最後ぐらいは潔く、男らしくできないのかよ。
つくづく情けない。
だから「おし」はなにも言わないのか。
言えばボロがでるから。
『──ところでお前、まだ名前を聞いていなかったな』
体には直に触れていないのだが、ズズズと吸引される感触がある。
心地良い振動が加わって、さらなる快楽物質を誘発するかのようだ。
もう修行とかは明朝にしてもらって、このまま時の経過を忘れてしまいたい。
全身からさらに力が抜けていくようだ。
そんなこちらの気持ちも知らないで、女神は名前など所望している。
そういえば、名乗りはまだだった。
「
『バツシオ、グン……シオグン、ショーグンか。まあ、グンでいいかな』
「はい。女神さんは、お名前がないのですか?」
話題が名前のほうに行った。
いいぞ、誤魔化せるぞ。
ぶっちゃけ、あんたの名前なんか聞けなくても、どうでもいいが。
『無くもないが、おいそれと名乗るものでもない。女神でよいだろ』
案の定。聞くくせに答えてはくれないんだな。
「はい、もちろんです……」
これで清めの儀式も終えて、自己満足だがすっきりした。
江戸時代、晴れた心で挑めそうだ。
『おい、グン。いつまでもその格好じゃ、みっともないだろ。
早速、ジョブチェンジに移ろう。
話を早めたいので、ジョブチェンジのことは【女神エンジン】で見てくれるか』
みっともないという認識はあるのだな。
ということは、子供扱いされているわけか。
恋愛の対象外なんだなと、つくづく思ったよ。
女神は話を進めて行きたいようだ。
「あ、はい。ジョブ……チェンジ、ですね? わかりました」
こっちに来れば、身支度のための着替えをすると分かっていた。
そろそろ服を着ろ、ということなのだな。
汗と鼻水でベトベトの身体は余すところなくキレイにしてもらえた。
死んで幽体になったはずなのに、ちゃんと感触は残っている。
こうして気持ちよくなれるのが嘘みたいだ。
だから、ふと思ったんだ。
俺の死体はこれなのかと。
そういえば、死の告知を受けてから自分の姿をまだ確認していない。
とくに首から上のことだが。
ブサ顔だった俺が江戸時代などに来ても本当に良かったのかと内心ハラハラドキドキだ。
とにかく今は。
ジョブチェンジ──【女神エンジン】。
ピピッ!
検索完了──。
「お、また検索結果が出て来たぞ」
◇
ピピッ!
検索完了──。
ジョブチェンジとは。
ゲームの場合。転職、演じる役を変える。職種や立場を変えること。
例1、旅人の大人、子供。
①旅人の大人。
②旅人の子供。腕力なし。(要注意)
ゲームでは他所からきた者となる。
例2、③忍者。
抜け忍か里忍を選べ。
抜け忍の難所は、追い忍に見つかるとアウト。(要注意)
里忍はお使いクエストが発生しなければ、里からの外出不能。(要注意)
3日間の生き残りは、宿場町とその界隈でなければならない。
忍者は人の3倍速く走れる。
屋根を飛び越え、木の上も渡れる。
火薬、爆弾、煙幕。(入手後)
戦うことに長けている。
ただ条件付きである。
人助けを1日1回こなすこと。
あまり身分の高い者を選ぶとゲームの難易度がさがるため。
スキル獲得時にしょぼいものに降格する。
しょぼいスキル例、【回避スキル・うんこを踏まなくなる】
追記。
ジョブ =職業。役職または立場。
スキル =能力。能力は減らず、なにも消費しない。
◎女神エンジン=文章、言葉、映像、感情、記憶等の検索が可能。
時間軸を問わず、道具、人物等の情報取得可能。
時空を超えた物資の調達、保管が可能。
◎(体験からグンの記憶に収まったもの、もしくは関連のもの)
クエスト=任務、お使い。頼まれごと。あるいは戦いを含めた課題。
「うん? スキルは能力とある。その例がひとつ出て来たな。
【うんこを踏まなくなる】
踏まないで済むってことだろ。すごい能力じゃん。この時代はまだ不衛生だ。ゴミ処理場がないはず。水洗便所もない。だったら超便利じゃないか、風呂代浮くじゃん。なんでしょぼい部類なんだ? これよりもっとスゴイのがあるっていうのか?」
生き残りに失敗「アウト」。
アウトの場合、この祠に時間ごと戻される。無論なにも得られない。
ゲームの趣旨:スキルの取得。
条件:ゲーム空間に設定された制限時間の滞在。
人を殺めてはならない。(役人出動、要注意)
◇
(文字列がモニターにつらつらと並び出てきた。ゲームがどの様なものか飲み込めて来た)
「うおお、忍者とUFOは買いだもん! 俺、忍者でいきます!」
手短な説明でなんとなく理解にいたると、即答したくなった。
まさか忍者に成れるなんて。
忍者なら楽勝だろう。人助けなんかお茶の子さいさいだ。
クウ。なんていうか、人助けとか一度やってみたかったし、最高じゃん。
女神さん、
マジ、江戸時代を分かってないねぇ。
忍びがどれほど最強かを。
『なんでも構わぬが、お前が現時点でチェンジできるのは、その3職だけだ。そして3日をやり過ごせ。私に出会うチャレンジもある、スキルをさらに与える。私に出会うには出会い系クエストをこなすこと。私が出題してやるので欲しくなったら申し出よ。──では今回のゲームルールの確認を【女神エンジン】で早飲みしておけ』
ルールのおさらいを促された。
「は、はい。それでは早速──」
今回のゲームのルールおさらい──【女神エンジン】。
ピピピッ──!
『……グンよ。 (ジョブは誰しも強き者を選ぶ。それは自由だ、咎めはせぬ。だが、スキル例をひとつ公開してみせた。そこで疑問符をつけて一喜一憂しておったな。生まれてはじめて身に付けられるスキルに感情をまる出しにして、浮かれてしまうのも無理はないし、咎めはせぬ。
だが──グンよ。
【うんこを踏まなくなる】を手に入れたぐらいで魔王を倒せるのなら、私もおまえを異世界に配置したりしないで済むのだ。グンよ。おまえにはもっともっと異世界の知識を身に付けてもらわねばな)』
「うん?」
いま女神さん、俺を呼んだ?
気のせいかな、それとも木の精かな。
このゴーグルは、こちら側からはモニターも見られる。が、外の景色に注視すれば透過され、女神さんの表情も見えています。どうやら外からは見えない仕組みのようだ。
視線を合わせてみたが、俺を見ている風ではないようだ。
なにか考え込んでいるみたいだ。
女神がエンジンからの情報を閲覧、取得するときはその手をかざすのは確認済みだ。
それに神様はなんでも見通せるわけでもないと言っていた。
だから、そんな顔をするのですか。
俺を早く強くして、早く連れ帰りたい気持ちがお顔ににじみ出ていますよ。
焦らないで、ゆっくり行こう。
そのための修行はこの扉の向こうでしょ。
貴女を求めてさまようクエストで、手っ取り早く俺を強化したいのですか。
やはり、直接スキルを授けられないのですね。
ゲームというやつをこなさなければ。
扉の向こうは、夢見ていた江戸の町。
俺は知らないうちに交通事故かなんかで死んだようだけど、こんな素敵な冒険をさせてくれることは感謝の極みである。
ご期待に添えるように頑張るつもりだよ。
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