第一章 当事者になった日
第一話 招隊状…前編 赤い慟哭
ーー大陸暦二一年四月一日ーー
アーデルハイトは今、ラスヴェート共和国と直接対峙する《西方軍管区州》へと向かう列車に揺られていた。
昨日までは、ゆらゆらと燃える焚き火のような夕陽を幻想的だと感じていた。だけど、今となっては、そう感じていた自分を嘲笑われているようにしか感じない。
ーーこんな筈じゃ、なかったのに。
なぜか大事に抱え持っている真っ赤な招隊状に目を落とし、深いため息をつく。
ーー本当はこんな物今すぐにでも投げ捨ててしまいたいのに。
しかし、心とは正反対に体は招隊状を手放そうとはしなかった。
アーデルハイトは再び、言葉に出来ない思いをそのまま視線に乗せて、窓の外を見やった。夕陽はまだ、西の空を赤く染めていた。
客室には、小さな寝息が三つ、穏やかに響いていた。静かに走る列車の音だけが、それに重なる。
そのときだった。
『帝国臣民の皆さま、こんにちは』
突然、女性の声が響く。壊れたと思っていたラジオからだった。
『西方軍管区州広報部より本日午後一六時までの西部戦線の戦況をお届けいたします』
アーデルハイトは少し驚きつつもラジオ放送に耳だけを傾ける。これから行く場所がどんな所なのかということもあるが、何よりすることが無かったからだ。
『三日前より続いていたヴェークステン地方での戦闘は帝国陸軍第二装甲軍団の完全勝利により幕を閉じ、愚かにもヴェークステン地方の占領を計った共和国軍第八打撃軍はーー』
開戦以来テレビでも新聞でもラジオでも、帝国軍の華々しい勝利が報じられ続けている。
ーーやれ、帝国軍が共和国軍に対して圧勝していると。
ーーやれ、もう直ぐ彗星の厄災を打ち破れると。
それなら。
なぜ、思い描いていた暮らしを奪われ軍に召集されて、最前線へ向かっているのだろうか。どうして私の中の彼女は、あの日のまま止まっているのだろうか。
「どうして……」
ラジオはアーデルハイトの疑問に答えることはなく鳴り続ける。
『我等が祖国が彗星の厄災を打ち破るという人類初となる偉業を成し遂げる日も遠くないことでしょう。以上、西方軍管区州広報部より本日午後一六時までの戦況報告でした。帝国万歳。皇帝陛下万歳。帝剣に集いし七諸侯に栄光あれ』
ラジオ放送はいつもの文言を言って放送を締め括った。
アーデルハイトは見つめる。
遠く離れていく夕陽に染まった帝都を。
近づいてくる夕陽の落ちる向こう側を。
◇ ◆ ◇ ◆
ーー前日ーー
男女どちらとも取れる無機質な自動音声のアナウンスが鳴る。それと同時に列車の自動扉がゆっくりと閉まっていく。
『まもなく、三番線各駅停車グシェフト区中央駅発、アイグマイン区中央駅行きが発車致します。ドアが閉まります。ご注意下さい』
アナウンスが霞んで聞こえるほどの喧騒に包まれた車内には、笑みの絶えない子連れの家族や和やかな雰囲気を醸し出す老夫婦、淡い青春を感じさせる学生カップルに仲の良さそうな友人たちの姿があった。休日ということもあって、車内は肩と肩が触れ合うほど混み合っている。
アナウンスが終わると列車が段々と加速していき、背もたれに押し付けられような感覚がアーデルハイトの体に伝わる。
ーー人が多くて窮屈ね。
アーデルハイトは車内の窮屈さに飽々し、気を紛らわすために窓外の景色を見つめた。これから見慣れる景色を。
その景色を見つめる姿はどこか儚さを感じられた。
窓外から降り注ぐ紅く燃え盛るような夕日を反射し、眩い光を宿らせる銀色の長髪。そして、流れる景色を見つめる双眸は広く高く何処までも晴れ渡る蒼天を想起させる澄んだ蒼。その整った容姿はとても十八の少女とは思わせないものだった。
アーデルハイトが、ふと向かいの席に目をやると赤毛の少女が頬を膨らませて腕を組んでいた。目を背けようよすると赤毛の少女は口を開く。
「全く、ハイジったら私を置いてぱっぱとどっか行っちゃってさ!まぁ、今日はご飯奢って貰ったから別に良いけど!」
拗ねて口を開かなかった幼馴染のイルゼだった。
イルゼとは小学校に入る前からの付き合いで私の親友の一人でもある。明日から大学生だと言うのに相かわらず変わらない。
ーーそう、私の中の彼女ように。
「もう!黙っていないでよ!」
「あ、ごめんごめん……ん?だけど、その時イルゼに行ってくるって言わなかった?」
思い当たるところがあったのだろうか、イルゼは目線を一瞬ずらして話題を変える。
「あっ、あーそういえば、食事中の私を置いてまでどこ行ってたのさ?」
「……まぁ、いいわ。この本を探しに書店へ行ってたのよ」
そう言いアーデルハイトは紙袋から一冊の本を出す。
本の表紙には【旧ノイエルヴァル王国初期王朝時代の謎】と書かれていた。
「相変わらずハイジは好きだね〜そういうの。なんて言うか、"ほん"っと、ハイジは"本"が好きだね〜」
クスクスと笑うイルゼとは対照的にアーデルハイトを含む周辺の乗客達の空気が凍り付く。特に友人達と団欒していたであろう中高生程度の少女が振り向いて、蔑むような目でイルゼを見つめていた。
気がついていないのだろう。イルゼはそのまま話しを続ける。
「それにしても今日はいつもより、人が多い気がするんだけど何かあった?」
それを聞きアーデルハイトが呆れて溜め息を吐く。
「何かって……あなた本当にこの国で生まれ育ったの? 全く、今日は帝都制定記念日でしょう」
「あ〜そう言えばそんな日もあった気がしなくもないかも……」
何故か急にイルゼが黙り込んだと思うと何か閃いたと言わんばかりに捲し立てる。
余りにも急だったので周囲の乗客が驚く。特にあの少女はイルゼを怪訝そうな面持ちで見つめていた。
「それじゃ今日は色々露店とかお店の割引とか沢山やってたってことじゃん!もう!最初に言ってよ!くぅぅ、これは人生……いや世界レベルでの大損だよ!どうしてくれるの!私の十八年間の人生最大の失敗だよ!一生涯の恥だよ!責任取ってよぉぉぉぉ!」
よく分からないが、乱心したイルゼが暴走を始めて、意味不明なことを言いながら肩を掴んで激しく揺らしてくる。
痛いし、うるさいし、酔いそうでアーデルハイトがイルゼの鎮火を試みる。
「イ、イルゼ……ちょっと良いかしら?」
「なに!? まだ何かあるの!?」
「ご乱心の所悪いのだけれど、そもそもそういうのは今日やってないわよ……ただの記念日ってだけよ」
イルゼの表情がまるでこの世の終わりでも来たのかと思わせる程のものに変わり、急に力が抜けて客席へよろよろと墜落するように座る。
「……え?」
「毎回そうだったでしょう……全く。だけど、今回もパレードはあったわね。兵士だけでも数万人は参加していたらしいわよ。戦争中なのに呑気なものね。って……」
どうやら鎮火の時に受けた衝撃が大きすぎたようで、イルゼの心は燃え尽きて灰の様に粉微塵となってしまったみたいだ。発する声に全く、生気を感じられない。
「ヘーソウナンダ。オイシソウダネ。ゴハンゴハンゴハンゴハンゴハン………」
あーイルゼこの程度壊れてしまうとは情け無い。と心で唱えて、灰となってしまった親友を横目に、再び窓外の流れる景色を見つめる。
◇ ◆ ◇ ◆
駅への到着を同じ声のアナウンスが知らせる。
『間も無くアイグマイン区中央駅です。お出口は右側です。お忘れ物にご注意して、お降り下さい』
どうやら、いつの間にかに寝てしまっていたようで、目の前を見ると未だにイルゼが死んだ魚の様な目でブツブツと呪詛の如く何かを唱え続けていた。
「……」
「ゴハン、ロテン、ワリビキ、ゴハン、ロテン、ワリビキ……」
「イルゼ着いたわよ〜!動いて〜!」
肩を揺らして着いた事を知らせても、三角座りのまま、ブツブツと言い続けていて、どうやら完全に心が壊れてしまったようで、定期的にこうなってしまうのだから困ったものだ。
「ゴハン、ロテン、マツリ、ゴハン、ロテン、マツリ……」
イルゼの眼の前で手を振って見せたり、色々してみるが、ずっとブツブツと言っているだけで中々動いてくれない。
「おーいイルゼさーん、生きてますか〜。戻ってこーい」
既に何度か使っている手だが、なるべく使いたくはない……しかし、このまま列車が発車して追加で運賃を払うのはもう懲り懲りだから仕方ない。まぁ、懐が犠牲になるのは変わらないけど。
「あーあー、せっかく今度の休日に、イルゼの入学祝いにと思って、ご飯奢って上げようと思っていたのにな〜」
「……!?」
イルゼ・フォーゲルという生物は実に単純だ。彼女の行動原理は"食"だ。これが全てで、食の為ならどの様な努力も危険も惜しまない。だが、欠点として、このように食に関する事を引き合いに出せば後は、思い通りになってしまうことだ。
「ホントウデスカ!? アーデルハイトサン!?」
片言のような、棒読みのような喋り方をして、イルゼが床に両膝を着き、しがみ付く様に両手でアーデルハイトの体を掴む。くすぐったかったのか、アーデルハイトが驚いて声を出す。
「ひゃっ! ちょっと、もう…くすぐったいじゃない!…… せっかく新しく出来たプレッツェルのお店に連れてって上げようと思っていたのだけど、このまま降り過ごしたらお金が無くなっちゃうな~」
「ア、アノオミセニツレテッテイタダケルウエニ! オゴッテモラエルノデスカ!?」
何故かイルゼの言葉遣いが変わって違和感しかないが、この際、気にしてはいられない。
「えぇもちろんよ…だって私達”親友”でしょ?」
「ありがとうございますハイジさん! さぁさぁ早く降りましょう! 列車が出てしまいますよ!」
さっきまでの意固地とは打って変わって、立ち上がって自ら先導するほどだ。人とは食一つでここまで変わる物らしい。まぁ…これは特別な例だろうけれど。
変わり様に少々引きながらもアーデルハイトはそのまま、イルゼと駅構内に降りて改札を抜け、二人は吸い込まれる様に構内のベンチに背をもたれる。
「それにしても疲れたわね……」
「今日は人が多過ぎて私も疲れたよ〜もう」
流石のイルゼも今日の混み具合には参った様子であった。
アーデルハイトも時々体を伸ばして凝り固まった体を解しながら話していた。
「これじゃ明日の入学式は居眠りするか最悪遅刻するかの二択ね」
「ハイジはそう言うけど結局間に合うじゃーん。私は割と洒落にならないよ〜」
「…ごめんねイルゼ。急に呼んだのに今日は来てくれてありがとね」
恥ずかしいのか、イルゼは目線を逸らす。
「まぁ、良いってことよ…。今までも色々奢って貰ったし……」
「ふふ。いつもの食いしん坊さんとは違って、イルゼも中々可愛い所あるじゃない」
馬鹿にしたなと言わんばかりに顔を赤くしてイルゼが恥ずかしさを身振り手振りで誤魔化そうする。
「あぁ! もうやめてよ! 恥ずかしいな! 今度ハイジの財布空っぽになるまでプレッツェル食べてやるんだから! 」
「それはちょっと……いや、結構困るわね」
「冗談だよ。私だって乙女だよ? そんな何個も食べれないよ……多分」
「……え?」
からかおう思い、少し大げさにリアクションをしてみると何故か、イルゼが勢い良く逃げセリフを言って帰ってしまう。
「プレッツェル楽しみにしてるよ! じゃ、じゃあまた明日ね! バーイバーイ! 」
東口へと向かう階段を駆け降りて行く、イルゼの背中を見つつ、一瞬の出来事にアーデルハイトは戸惑う。
「行っちゃった……」
少しからかおうと思っただけだったんだけど……。イルゼも帰っちゃったし、もう、暗いから私も帰ろう。どうぜ明日の入学式で会えるだろうし。
アーデルハイトは西口から駅を出て、まだ肌寒さの残る夜風を感じながら、帰路へと着く。
中央駅から続く、様々な彫刻が施された古風な石造りのアパートが列を成すメインストリートの一角。そこにアーデルハイトの住むアパートは建っている。一階には、パン屋があり、その前を通る者達を焼き立てパンの良い匂いが包み込む。
古惚けた電球の照明が薄暗く照らす、螺旋階段の雰囲気を楽しみながら登る。
全体的に古さを感じるが、決して小汚いといった部類の物では無く、オーナーの管理が行き届いている為、何処かノスタルジックな気分になる。味のある古さだ。こういう歴史を感じられる部分が好きで、この物件を選んだと言っても過言では無い。
しかし、一つ問題もある。螺旋階段の中央に設置されているエレベーターだ。このアパートは”比較的”新しい建物で、珍しくエレベーターが設置しているのだが、見た目からして、不安を掻き立てる様な物の為、余程疲れていなければ、なるべく乗りたくはないという点だ。
そのまま登り続け、自室のある四階へと到達する。各部屋まで続く廊下は、装飾の施された緑色のカーペットと暖色系の照明が艶のある木材と良く馴染んでいる。自室は階段側から三部屋目に当たる四〇三号室だ。そのまま流れるように鍵を刺し、扉を開ける。
部屋は古風な外見とは打って変わって、現代的に改装されてはいるが、何処となく歴史を感じる内装となっている。
アーデルハイトはスリッパに履き替え、バックを椅子に放り投げてると、吸い込まれる様にベットへ顔を埋める。
そして、今までの事、これからの事を考える。
歴史の勉強をする為に帝都の歴史学部が有名な大学に親友と一緒に頑張って合格して、初めての物件探し、一人暮らし、帝都での生活。明日からは遂に大学生活が始まり、好きな歴史を学んで、新しい友人が出来たり、友人達と集まって遊んだり、長期休暇は外国に旅行したり、色んな事を学んで、経験して、掛替えのない物を得るだろう。卒業をしたら就職をして、いつかは誰かと……。
アーデルハイトが枕に顔を疼くめて足をバタバタさせながら明日から始まる新しい生活を妄想して胸を躍らせる。
突然と少女の妄想に割り込む呼び鈴。
疲れ果てていた帰宅直後の足取りは何処へ行ったのやら、スキップをするように軽い足取りで玄関へと向かう。
この時、アーデルハイトにとって、この呼び鈴が終焉の知らせになるとは、彼女は思いもしなかっただろう。
溢れんばかりの幸福感と共にドアスコープを覗くと三十代程の小太りの男性が立っており、呼び鈴を押して名乗る。
「すみませーん! ネルトリンさんはいらっしゃいますか!? 区役所の者です!」
何か書類の出し忘れでもあったのだろうか。だけど、こんな時間に来るなんて、相当大事のようだ。
アーデルハイトは不思議に思いつつ扉を開ける。
「はい。何のご用でしょうか?」
「アーデルハイト・ネルトリンさんでお間違いありませんね?」
「えぇ……そうですが」
「書類の方を持って参りました」
アーデルハイトは身に覚えが無く、首を傾げる。
「何か書類の出し忘れでも、ありましたか?」
「いえいえ。私が訪ねたのは別件です」
男の声が低くなり、真面目な表情となる。肩に掛けた鞄から赤い封筒を取り出す。
赤い封筒を見たアーデルハイトは背筋が凍る様な感覚に襲われる。
「おめでとうございます。召集令状です」
ーーうそ。
区役所員が差し出す赤い紙。アーデルハイトは目の前の光景を何かの間違い?誰かの悪戯?兎にも角にもそれが現実だと信じられなかった。信じたくなかった。
「えっ…?! 待っ、待って下さい! 何かの間違えでは!? 私明日から大学なんです!?」
取り乱す目の前の少女に区役所員が憐れむ様な顔になる。
「貴女もご存知無かったのですね。まぁ、色々忙しい時期ですからね、知らなかった人も多いんですよ。何せ先日、徴兵対象が十八歳以上の文系学生まで下がられたばかりですからね……」
桜が咲く前に、アーデルハイトの春は終わった。理想の未来は、あっけなく現実の波にさらわれていった。
哀愁漂わせる顔をして、男がこちらを見つめる。
「……申し訳ない」
男は、ただ一言、そう言って重い足取りで階段を降りて行った。
◇ ◆ ◇ ◆
アーデルハイトは大きな溜め息をつく。
ーー今まで何だったんだろう。
「どうしたのハイジ。そんな大きな溜め息ついちゃって、せっかくの美人が台無しだよ?」
聞こえてきたのは、寝ていたはずのイルゼだった。
「ん……」
振り返らず、景色を見つめたままアーデルハイトは小さく頷い アーデルハイトは大きな溜め息をつく。
ーー今まで何だったんだろう。
「どうしたのハイジ。そんな大きな溜め息ついちゃって、せっかくの美人が台無しだよ?」
聞こえてきた声は寝ていたはずのイルゼだった。
「ん……」
振り返らず、景色を見つめたままアーデルハイトは小さく頷いた。
「ハイジは……ずばり!薄幸な美人を目指してるんだね?!」
「ばか……そんなわけないでしょ」
こんな時でもイルゼは、やっぱり普段となんら変わらない。思い返してみれば小さい頃から悲しい時、嬉しい時、怒っている時、困っている時もどんな時でも笑わせてくれた。
そうだ。
ーーいつもイルゼは分かってたんだ。
不意に窓を見ると、そこには雫を一滴、また一滴と流す笑顔の少女が写っていた。
「イルゼ、ありがとうーー」
振り返るとイルゼは、静かな寝息を立てながらカバンを抱いていた。
――やっぱり、昔と変わらないな。
列車は進む。
帝都と故郷をあとにして。
夕陽は沈む。
荒れた戦野の血溜まりへと。
少女は行く。
親しき友人たちと共に。
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