彗星の落ちる場所

土下無月

オールトの冬

序章 戦野に輝く紅蒼の邂逅

 プロローグ

 大陸歴一五年十二月八日。その夜、青く光輝く彗星によって大陸に新たな混乱と終末の始まりが告げられる。

 その夜、ある者は主に救いを求めた。

 その夜、ある者は自ら命を絶った。

 その夜、ある者は罪を犯した。

 その夜、ある者は家族を守らんとした。

 その夜、子供達は空を見上げ、彗星の訪れを無邪気に喜んだ。

 その夜、人々はとある言葉を思い出した。

 

「彗星落ちる時厄災あり」と。


 ◇ ◆ ◇ ◆


 彗星——それは厄災を引き熾し、終末を齎す者。今までも、これからも。

 ある時は、地が裂け、山々が火を噴き、黒い荒波が陸地へと攻め立てる。

 ある時は、肌は黒くなり、体は煮詰まり、痛みが全身を駆け巡る。

 ある時は、戦火が熾こり、人が死に、国家が倒れる。


 現在、大陸暦二一年八月八日。六つ目の彗星が大陸の人類に用意した六度目の終末。それは、推定四度目となる彗星が引き熾す厄災の一つ《彗星戦争》だった。

 そして、それが始まったのは、彗星が落ちてから五年後。私達が当事者になる四ヶ月前の事だった。

 四ヶ月前、私の……いや、私達の送る筈だった人生は大きく変わった。

 四ヶ月前のその日、大陸北方に位置するノイエモント帝国は彗星の落ちた西方の隣国ラスヴェート共和国による侵攻を受けた。彗星の撒いた厄災の種が遂に芽を出し、六度目の厄災である《第四次彗星戦争》が始まったのであった。

 そして、開戦してから九ヶ月が経った現在も帝国軍と共和国軍の両軍が激しく衝突し合う西部戦線は今日もさながら地獄だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 銀髪の少女が所属する連隊は、先日に共和国軍の攻撃によって味方が失陥した陣地を奪還する為、共和国軍へ対して夜襲を仕掛けたが、早々に気づかれるという失態を犯し、迎撃に来た共和国軍と未だ、霧が立ち込めて陽の差さない薄暗く泥濘と化した戦野で敵味方入り乱れる血塗の乱戦を行っていた。

 薄暗い戦場の中、両軍の兵士が持つ懐中電灯の細々とした光が戦野を駆ける一匹の獣の靡かせる銀色の髪と敵を突き刺すように鋭く蒼い双眸を鈍く輝かせる。

 銀髪の少女は刺突の直後で硬直している敵兵へ向けて、屈んで低い姿勢のまま、間合いを詰めてから銃剣で心臓を目掛けて上へ突き上げる様に刺突して敵兵を仕留める。そのまま刺突した勢いを保って覆い被さる様に倒れる死体の股を潜り抜ける。

 開けた場所に抜け出したが、薄暗くて鮮明には見えない。しかし、走って十数歩程度の場所に男女の敵兵が背を向けて立っていた。

 女と思しき敵兵が離れた所を見て、銀髪の少女は男と思われる背の大きい方へ向けて姿勢を低くして、なるべく音を立てないよう周囲に注意しながら走る。

 背後からそのまま不意を突き、左脇腹から心臓を狙って角度を付けた銃剣を突き刺す。一撃ではやり切れ無かったようで、敵兵は痛みに顔を歪ませながらも、落としかけた小銃を片手でこちらに向けて、声にならない呻き声を出して狙いを付けようとして来る。が、すかさず敵兵の腹を銃床で突いて地面へと押し倒し、倒れこんだ所を銃剣で心臓を一突きにして止めを刺す。

 心臓を貫く感触を感じたとほぼ同時に女の叫び声と共に後頭部へ強い衝撃を受ける。

「やめろおぉぉぉぉぉぉ!!! 」

 幸い鉄帽に当たり、致命傷は避けられたが、強い衝撃を受けたことで鈍い痛みが銀髪の少女を襲う。鉄帽を投げ外し、頭を押さえ込んでその場で転がり、両手で抑えて悶える。

「うぐっ、頭が……」

 痛みに悶え苦しむ中、涙と痛みで歪むその眼には黒髪の少女が先程の男の亡骸を今にも泣きそうな声を出して抱き着く姿が写っていた。

「イヴァンしっかりして! 早く目を覚まして! ねぇイヴァン! 嘘よ! 目を覚ましてよ! ねぇ! イヴァン!」

 敵味方入り乱れる戦場の中、泥と血に塗れた亡骸を抱き抱え、少女はその瞳を潤わせる。

 同情心と罪悪感に駆られるが、それを掻き消す様に銀髪の少女の脳裏には、とある会話が再生される。

「だから…… 」

 未だ頭痛で覚束ない足で立ち上がり、銀髪の少女は亡骸を大事に抱き抱える黒髪の少女に銃を向ける。

「悪いが…私はまだ死ねない」

 銀髪の少女はそう言い、引き金を引いた。

 その直後、黒髪の少女が右へと飛び出すかのように走り出し、発射された銃弾は黒髪の少女の脚をかすり、置いていかれた亡骸へと着弾する。

 飛び出した勢いのまま、銀髪の少女へ向けて血の滲んだ泥濘を蹴り上げ、黒髪の少女が走る。小銃を下に向けて、まるで大剣を振るうような構えで黒髪の少女へ銃床を振り落とす。

 銀髪の少女は反射的に受け止めるため、小銃を横に持ち替える。それと同時に金属の折れる甲高い音と共に真二つとなった銃剣が宙を舞う。

 銀髪の少女は銃剣の破壊に一瞬、動揺するが、すかさず黒髪の少女に折れた剣先を向け、差し込む陽光の如く一直線に突っ込み、十歩と離れていない所で、隙を作るために泥を蹴り上げる。

 銀髪の少女が蹴り上げた泥に気づく頃には、黒髪の少女の体は泥濘へと叩きつけられていた。

 泥濘へと叩き付けられた黒髪の少女の胸に折れた銃剣を突き立てようと銀髪の少女が小銃を突き落とす……しかし、既所で黒髪の少女が小銃を、頬を叩く様に押しのけ、狙いを狂わす。

 刺突を外した銀髪の少女は距離を取って小銃で撃とうとするが、彼女の持つ小銃は泥がつまり、ただの鈍器となっていた。

 銀髪の少女は慌てず、誤魔化す事は出来るだろうと、手に持つその鈍器を向ける。威力が弱かったのだろうか、黒髪の少女は既に立ち上がり、小銃を此方に向けようとしていた。しかし、予想外にも直ぐに撃とうとはせず、こちらに"同じ言語"で問いを投げる。

「何故、直ぐに撃たなかったの?」

 何処かで聞いたことのある声に銀髪の少女は一度首を傾げるが、銀髪の少女は構わず先程の男の亡骸を指差し、嘲笑い、言い放つ。自らへの呪いを。

「アハハ、アハハハハハ!……折れていたって刺さるのだから、なるべく"あれ"と同じ方があなたも嬉しいでしょう!? 」

 黒髪の少女の声色は徐々に赤黒く、怒りと憎悪の色へと染まっていく。

「こ、これだから帝国の人間は…私達を差別して、イヴァンを殺して、挙げ句の果てには遺体を侮辱する……殺してやる。殺してやる! イヴァンの仇を! 今! ここで!! 」

 冷静を装っていた感情を顕にし、黒髪の少女は、銃剣を銀髪の少女へ向けて怒りと憎悪の勢いのまま、いざ刺し違えんと荒ぶる角獣の如く突進する。

 銀髪の少女もここぞと言わんばかりに銃剣を向けて、走り出す。互いに刺し違えるまで数歩という所で突然、銀髪の少女が小銃の銃身部分に持ち手を変え、泥濘とかした大地を利用して右足を前に出し、屈んだまま滑走する。

 突然のことに黒髪の少女は唖然とした表情をする。

 すれ違い様に滑走する勢いのまま、薙ぎ払う様に黒髪の少女の腹部へと思い切り銃床を食い込ませる。声にもならない声を出して黒髪の少女は衝撃で体を浮き上がらせ、再び泥濘へと打ち付けられる。

 泥と血に塗れた銀髪の少女は黒髪の少女の前に立ち、折れた剣先を向けて構える。

「キミの敗因はただ一つ。あの時、頭を殴るのではなく、撃たなかったことだ」

「フッ、確かにそうかもね」

 黒髪の少女が鼻で笑い、服の内側のホルダーより拳銃を取り出し、それを向けて立ち上がる。

「これでも、そんなこと言っていられる余裕はある?」

「殺す前にキミのご尊顔を拝見しておきたいからね。キミもそうだろう?」

 痛みに顔を歪ませながらも、黒髪の少女は薄暗く良く見えないが、そこに確かに存在する誰かへ、憎しみの籠った紅の双眸を向ける。

「えぇ、私もあなたの顔を見て見たいわね。イヴァンにも教えて上げなきゃだし」

 二人の少女が痛みと疲れ、高ぶる感情に息を荒くしながら互いに目の前の暗がりに隠れた顔へ銃口を向け合う。

 銀髪の少女が日の出の方角に一度目配りをする。息を整えた後、口角を上げてこの状況を楽しんでいるかの様な面持ちで言い放つ。

「さぁ……ご尊顔の拝見と洒落込もうじゃないか」

 その言葉の後、地平線より溢れんばかりの燃えるような陽光が、彼女等の高ぶる感情に歪んだ顔を隠す暗夜のヴェールを焼き払う。

 その瞬間、二人の少女の時は止まり、彼女達だけを静寂が包み込む。

 黒髪の少女は怒り、動揺する——眼前の仇敵に

 銀髪の少女は嘆き、後悔する——眼前の親友に


 黒髪の少女の怒りと動揺に満ちた声で二人の静寂を破壊する。

 先んじて黒髪が「……アーデルハイト!? 本当にあなたなの……」

 遅れて銀髪が「嘘…どうしてエレナがここに……」

 時間の止まる二人の少女を嘲笑うかのように戦場は真の姿を見せつける。

 生き抜こうと誓い合った同期だった物。

 帰ったら式を上げようと言う彼だった物。

 一時前まで笑い話をする戦友だった物。

 尻を蹴って威張っていた上官だった物。

 英雄になると豪語する青年だった物。

 皆死んでいた。

 ある者は野砲の砲撃で肉片と血飛沫に。

 ある者は機関銃の銃撃で蜂の巣のように。

 ある者は銃剣の剣撃で串刺しに。

 ある者は鉄帽の殴撃で圧延された鉄のうよに。

 硝煙と血に腐臭が混じった度し難い臭いと敵と味方、双方の断末魔が再び情景と共に彼女等に戦場が何たるかを認識させた。

 骸となった両者の戦友達が折り重なり、砲撃痕に血溜まりを作る。

 朝日に包み込まれた戦場は夕日のように紅く輝いた。

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