第9話 碧空・一

西神庭にししんていの……高之森たかのもり2丁目の……どこだっけ?」


「1の11。坂道上がったとこ」


「車停めるとこあったかぁ? あそこらへん」


「ちっちゃい神社があんだよ。そこに空き地があって三台くらい駐車できたはず。参詣者用の駐車場って看板あったから停めても何も言われないだろ」


いてるかなあ」


「たぶん大丈夫、あのへん車はめったに来ないからな。しっかし狭いな!」


 道路を往くミニバンの後部には、ダンボール箱や脚を折り畳んだ座卓、小さなラックやカラーボックスなどが隙間なく置かれている。いくつかの荷物は後部座席まではみ出していた。

 その後部座席に大柄な青年が荷物が一杯に入った大きな収納バッグを膝の上に抱え、身を縮めて窮屈そうに座っている。彼はなんとか前方に身を乗り出して、目的地への道順を運転席に伝えていた。


「神社っと、どこだ? あ、あれか」


 大柄な青年と会話していた運転席でハンドルを握る若者が、前方を見ながら眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げて呟く。

 一戸建て住宅が建ち並ぶ坂道を上る車のフロントガラスの向こう。ならくぬぎが疎らに茂る林が見えてきた。


「思ったより駅から近ぇな。坂の上っつーから不便なとこだと思ってたけどよ」


 助手席に座った長髪のもうひとりの青年が、ぶっきらぼうな口調でそう呟く。そのうち若者三人を乗せた車は、坂の頂上付近にある神社脇の空き地の一劃いっかくに停車した。


「一応はまぁ、駐禁とられるとは思えないな。よっし、文句言われる前にちゃっちゃとやろうぜ」


 運転していた若者がそう言って車から出る。黒フレームのスクエア型眼鏡に、落ち着いた色合いの洒落た服装。180cm台半ばはあろうかという長身で、なにより細面のとびきりの美男だった。


「だな、そんなに荷物ねぇしな。すぐ終わんだろ」


 もうひとりの長髪の若者も助手席から出てくる。

 彼は腕や指に着けたシルバーのアクセサリを外してダッシュボードに置くと、肩近くまである長髪をヘアゴムで括る。そして上着を脱ぐと座席に放ってドアを閉めた。

 運転していた青年と背丈はほぼ一緒の、長身の逞しい身体である。ただ、その眼つきはとても鋭く、まるで鷹か鷲のようだった。


「よっしゃ、やるか」


 最後に後部座席から、荷物の詰まったキャンプ用の大きな収納バッグを抱えた若い男が出てきた。

 先の二人よりもさらに高い身長。190cmは優に超えている巨漢である。がっしりとした逞しい身体に合うサイズの服があまりないのか、Tシャツにカーゴパンツという洒落っ気のない格好をしていた。


「にしても悪いな碓井うすい、車まで出してもらってよ」


「なーに、いいってことよ。それよりお前の新居はどこなの?」


「ああ、あれだ、あれ」


 大柄な青年が指差した先には神社の鳥居が見える。その鳥居の向かいに、昭和の昔から風雪に耐えて残ったと思しき、古めかしい、有り体にいえばボロっちい安アパートがでんと建っていた。


「こ、これは……! ボロいな、いったい築何年だよ? これ?」


 すとんとずり下がった眼鏡を両手で直し、碓井と呼ばれた若者が驚いた声を洩らす。


「なんか全体的に傾いてねーか? 地震が来たらペシャンコになんじゃねーか、コレはよ?」 


 眼つきの鋭い長髪の若者も腕を組んで建物を見上げ、胡乱げにそう言う。


「おい卜部うらべ、そこまでひどかねーよ。これでも内装はリフォーム済みでな……」


「どうせ住んでんのは生活保護受けてるすこし頭のおかしい奴か、どうやってその齢まで生きてきたのかもわかんねー素性不明の年寄りばかりだろ? そんで風呂なしの共同便所だろ? ロクでもねぇことになる前にさっさと引越しだ」


「今日がその引越し当日だっつうの! お前、いくらボロいからってちょっと言い過ぎだぞ。ここはこう見えて築57年、風呂トイレ付きの家賃2万6千円の優良お買い得品よ」


 それを聞いた碓井と卜部が、揃って驚きの声をあげる。


「安っ! 訳ありワゴンセールのポンコツ叩き売りの間違いだろ。虫とかネズミがうじゃうじゃ出んじゃないの?」


「いや、出るならナメクジじゃねえか? このボロさならよ」


「古今亭志ん生の長屋みたいに? ありえるな」


「あと幽霊だな。いかにも一家心中とか殺人事件とかありそうなボロアパートだしよ。二人くらい死んでるぜ、きっと」


「ありえる。いざという時の脱出用に江頭 2:50が住んでたアパートみたいに床に穴開けてトンネル掘ろうぜ、ナベ」


「借金取りとオウム真理教の勧誘が押し掛けてくんのかよ。座禅したままジャンプして追い返さねーとな」


 碓井と卜部のふたりが好き放題にあれこれと言い出した。大柄な青年は無視して車のトランクを開けると荷物を降ろし始める。


「お前らな、そのへんにしとけよ。俺は部屋の鍵開けてくるから荷物運べって」


「おうよ。んじゃやるか、卜部」


「おう」


 その声にふたりとも軽口をやめて、引越し作業が始まった。



                  ◇



「これで全部かな?」


「おう、これで全部済んだ。ありがとよ、昼飯奢るぜ」


 部屋は二階の角部屋で、風通しのいい快適な部屋だった。初秋を迎えて残暑もやわらいだ九月の正午。窓からは明るい陽が射し込んでいる。

 アパートの部屋は玄関入ってすぐ右が台所で、その右手奥が風呂場になっている。玄関左脇はトイレになっているが、すこし奥まった所に扉があるので、入って正面からはトイレの入り口は見えない。


 台所正面に畳敷きの間が二部屋あって、台所との間仕切りはガラス障子だった。

 今はガラス障子も二間のあいだの襖も開け放たれて、窓から心地良い風が吹き込んでいる。部屋の畳の上にはダンボール箱がいくつか積まれ、玄関向かって左の間の真ん中には、運んだばかりの座卓が置かれていた。

 その座卓を挟んで、大柄な青年と碓井が座る。


「結構広いんだな、このアパート」


「俺の背丈に合う部屋はまずないから、せめて広さはってな。さてと、お茶の一つでも出したいけどガスコンロがまだ無いんだよ。悪ぃな」


「このあと買いにいくんだろ? ガスコンロと蛍光灯。長いこと駐車してると誰かから文句言われそうだし、行くんなら早くしよう」


「わりーな碓井、恩に着るぜ」


「おう、着ろ着ろ」


 青年と碓井が談笑していると、水の流れる音がトイレから響いてくる。すこししてから卜部が部屋へと戻ってくると、彼は開口一番感心した口ぶりで言った。


「昭和の遺物汲み取り式便所かと思ったら、案外普通じゃねーか」


「だから内装はリフォームしてあるって言ったろ」


「外から見たらボロアパートなのに中は意外とマシだな。なのに家賃が安いってのはどーいうワケだ?」


「さぁ……? 坂道上るからとか? 不動産屋の人は何も言わなかったなぁ。あ、入居者がいつまで経っても決まらないって言ってたな。それで家賃を下げたってよ」


 それを聞いて碓井がぽんと手を叩く。


「なるほどね、だから2万6千円か。家賃2万5千円にはしたくない、でも不動産屋の言う通りにするのは悔しい。だから千円だけ足したと」

 

「なるほど、大家の意地とプライドの千円か。にしても、この広さで風呂トイレ付きの家賃2万6千って、ちょっと信じられねー値段だな。やっぱ何かあんじゃねーのか?」


 卜部が顎に手をやって、首を傾げつつそう呟く。


「まぁ、細かいことは別にいいだろ。もう引越したんだしよ。そうそう、大家で思い出した。大家さんに挨拶に行かねーと」


 大柄な青年はその疑惑を打ち消すように卜部に向かって言った。青年のその言葉に、碓井が軽い調子で反応する。


「後でいーんじゃね。先に昼飯食べようや。ところでナベ、さっき階段の下の郵便受け見たんだけどさ」


「ん? うん。それがどうかした?」


「このアパート一階が三部屋。二階が三部屋の計六部屋だろ。一階にワタナベさんが二人いるぞ」


「マジか!」


「お前で三人目だ。ちなみに一階の残りの一人は渡りに部で渡部さんだ」


「それってワタベともワタナベとも読むよなぁ。うわぁー、まぎらわしい」


「ワタナベって本当に多いよな。日本の名字で五番目だっけ?」


「んー、五番目か六番目のどっちかだったな。 ところで二人のワタナベさんは俺と同じワタナベさん?」


「いや、101号室が渡邊さんで102号室が渡邉さん」


「聞いただけじゃ何がどうなのか全然わかんねーけど……なぜかわかる気がする。ワタナベ特有の勘で」


「限定的すぎて何の役にも立たないな、その当て勘」


 碓井とナベと呼ばれている若者の会話を聞いていた卜部が、立ったまま小さく笑った。彼は近くに積まれたダンボール箱に手を伸ばすと、そこからごそごそと荷物を取り出す。


「ほらナベ、表札書いとけよ。フルネームでな」


 百円均一で買ったメモ用紙に油性ペン。それに幅広のセロハンテープ。先ほどからナベという渾名で呼ばれている大柄な青年はそれを受け取って、メモ用紙を一枚ちぎる。

 彼は座卓に向かって居住まいを正すと、紙の上に「渡辺武綱わたなべたけつな」とペンを走らせた。


「ベッタリ貼って大丈夫かな、これ。テープ剥がす時に郵便受けの色が変になるんだよな」


「いちいち気にするこたねーだろ。それよりそろそろ飯食いに行こうぜ」


「そうか。ま、そうだよな」


 卜部の言葉に彼――渡辺武綱は頷き、大柄な身体を起こすと立ち上がった。

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