第8話 狐火・八
娘の死骸のかたわらに膝をつき、綱はしばらく悄然と
世人から豪勇無双と謳われる渡辺綱ではあるが、女子供には優しい男であるのを、ながい付き合いの晴明はよく知っている。
「……この娘を弔ってやらねばならんな」
「は……」
憔悴したとはいえ手練れの武人。心痛に惑うことはあっても、取り乱すような不様は見せなかった。綱はゆっくりと立つと晴明に短刀を返した。
「綱よ、そなたは穢れを落とすため
「……承知しました」
「鬼と化すことなく逝けた。娘も恨みはすまい」
死んだ娘の
白い髪の端は
綱はわれ知らずうつむいて首を振った。
「……この狐の娘が
「それには……及ばぬようじゃ。そこな狐火」
晴明が庭の
「わしがこの宅の
晴明の招く声に応じて、ひときわ白く輝く狐火がすうと中空へと上がり、庭へと降りてきる。
豊艶なる雲なす髪、桜桃雪花の白き
「播磨守安倍晴明様とお見受けいたします。無作法の御寛恕、どうか平に願いまする……」
「わが従者をむかえにまいりました……」
その甘美な声が耳朶をくすぐると同時に、身の内に滞った血が途端に流れはじめた。引き絞った
女性は綱と向かい合うかたちで狐の娘のかたわらに跪くと、裳を脱いで死骸にそっと掛けた。娘の死に顔を見つめるうちに、彼女の瞳から幾すじかの涙がこぼれる。
「さぞつらかったでしょうに……痛かったでしょうに……。それでも狐の身を見せることなく逝くとは……立派な姿です。わたしはおまえには遠くおよびませぬ」
「この
綱の言葉に女性は
「渡辺綱様。この者はわたしの言いつけを守っただけにございます……。どうか、あっぱれと褒めてやってくださいませ。さすればこの者も本望」
「……いや、俺は」
何か言おうと思ったがうまく言葉が出ない。尋常でない疲れで眩暈がする。
「守れなかったのではない……違う。俺が守られたのだ……だから……俺はその恩に報いねば、償いをせねばならん」
「かたじけのうございます……。そのお言葉がいただければ、この者もなにより重畳」
「いやちがう……俺は……必ずと言った。約束は……果たさねば……ならん」
「綱、しっかりせい」
晴明の
数瞬の間を置いて綱は喪神した。首ががくりと下がり、彼は意識のないままに両の手を地面をつく。
「やれやれ、
晴明が屈んで、疲弊で倒れた綱の身体をささえた。女性は裳で娘の
「この娘の弔いはそなたらに託してよいのじゃな?」
「はい……無論にございまする」
「
「はい。……晴明様」
「む?」
「渡辺綱様のお言葉……心よりありがたく存じます」
「かならずや恩を返す、か。この男は武士よ。二言はなく言うたことは守る。命婦殿、
「……」
「約定の証はなにも残せぬがな。ま、そのほうが都合がよい。この男が目を覚ましていたら片腕でも斬り落として、そなたに託していたかもしれん」
「晴明様」
「むかし、わしがまだ若輩のころ、とある
「…………」
「その奥方は
「では綱様とこの子も……いつか」
「
裳で包んだ娘を抱き上げると、
その身からは金砂銀砂のきらめく粒がこぼれ落ちて、後光のような
娘を抱いた女性は皓皓たる狐火へ変化すると、赫々と
その夜、都の東に住むものたちは、点々と灯る狐火が列をなして、伏見の稲荷山までつらなる
◇
そののち――。
晴明の邸で一夜を明かした翌日、綱は自邸へ帰ると家の門へ
渡辺綱の物忌とともに羅城門で見つかった鬼の骸。すなわちあれは頼光四天王の渡辺綱が仕業。
こうして綱は
碓井貞光、卜部季武、坂田公時の三者は僧から借りた牛車で勢い込んで物見に行き、散々な目にあうのだが、これはまた別のお話。
祭りが終わると新緑はその濃さを増し、初夏の薫りが都にただよう。
薄紅色の春尽きて、季節は夏へと移ろっていった。
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