第4話 狐火・四

 ――数日の後。

 卜部季武うらべすえたけ碓井貞光うすいさだみつの二名が都に戻ったと聞いた綱は、使いを走らせて四天王を自邸に呼び集めた。晴明の卜占の結果については、主君頼光へはすでに報せてある。


「晴明様より受け賜った、ありがたい御高話を申し述べるぞ」


 綱は遠くない内に下るであろう酒呑童子討伐の勅命、そして自分たち四天王の身がこれまで以上に危険に晒される旨を、三者に伝える。


「面白い。退屈せぬな」

 

 洞を通る風のような低くよく通る声で、卜部季武が短くそう呟いた。

 そのするどい眼が水に濡れた刃のように光る。引き締まった長身の体躯。鷹か鷲を思わせる容貌の、鋭利な雰囲気をまとう男である。


「鬼どもから出向いて来るとは、これはよきしお。来る片端から返り討ちにしてくれましょうぞ」


 坂田公時さかたのきんときが、そう季武に言葉に同意する。

 ぎょろりと目を剥くと身を乗り出し、公時はそう語気強く言い放つ。日に焼けた浅黒い筋骨逞しい男で、竹を割ったような気性がその面に瞭然とあらわれている。四天王ではもっとも齢若い。


「俺はちょっと故郷さと帰りで疲れていてなぁ。おまえらにまかせてよいか?」


 円座わろうだにすわらず、床にだらしなくごろ寝をして腕枕をしている碓井貞光が、眠たそうなくたびれた声を出した。かれの直垂の袖から覗く腕や顔には、なにやら痛々しく無数の切り傷や痣が見えた。


「こら、貞光、なんだその懈怠けたいさまは。そもそもどうした、その怪我は」


「うむ、郷里さとの碓氷峠に怪異多しと耳にして帰ってみれば、なにやらずいぶん大きなくちなわの化物が峠に棲みついておってな。これがなかなかの難物。さんざん手を焼かされたが、最後は真っ二つに断ち斬ってくれたわ。しかしまぁ、骨の折れる仕業だった……」


 疲れきっているのか、貞光はそのままの姿勢で大欠伸をする。この腕の立つ男をてこずらせるとは余程の物怪もののけだったのだろう。

 もしや晴明の予言した災いは、自分たちの身にはやくも降りかかっているのではなかろうか。と、綱は内心で危惧を覚えた。

 そんな綱の内心を見透かすように、貞光がごろ寝のままでいたずらっぽくにやりと笑う。この碓井貞光は綱と齢はほとんど変わらないが、若年の頃より変わらぬ涼しげな眉目秀麗の美男で、いかなるときも柳に風といった飄々とした男である。


「そういうわけでな、綱よ。俺はくたびれておるので骨休めがしたい。ひとつ皆で紫野むらさきの物見ものみかぬか?」 


「物見?」


「ほどなく賀茂祭かものまつりよ。都人みやこびと皆こぞって見にゆく。我われも行こうではないか。なに、悪鬼羅刹も大勢の人と日の下にはあらわれはせぬ。安んじて物見とゆこう」

 

 季武と公時のふたりが、貞光の提案に一も二もなく賛同する。


「ほう、それはよいな」


「おお、よいですな。賀茂祭の公卿殿上人の行列、さぞかし華やかでしょうな。是非とも参りましょうぞ」


 その悪鬼どもの標的にされているのだぞと、いましがた口を酸っぱく言い聞かせたのだが、尋常でなく腕が立ち豪胆なこの男たちは、鬼に狙われるなど寸毫も意に介した風がない。

 有り体にいってしまえば綱自身もそうなのだが、これではせっかくの晴明の厚情が、老婆心めいたぞんざいな扱いを受けるようで申し訳ない気もしてくる。


「まぁ、おまえたちのことだからこんなものだろうとは思ったがな。物見の前に、まず晴明様に謝意をだな……」


 と、綱の言葉に卜部季武の不遜な表情がめずらしく曇る。ふだんの猛禽のような鋭い目つきもやや弱弱しく陰りを見せた。


「おお、それよ。今度ばかりは俺も晴明様にすこし悪いことをした気がする。せっかく我らの身を慮って下さったのだからな……詫びにゆかねばならん。しかし、一人でゆくのはちと気まずい……」


 ふしを曲げぬ強情な硬骨漢ではあるが、実のところは律儀で義理堅い男である。自らの行いに疵瑕しかあれと思えば、このように己を省みる一面がある。

 そう反省の弁を呟いた季武は、隣に座っていた公時をじろりとめつけた。


「ゆくぞ、公時」


「へ? え? 俺?」

 

 立ち上がった季武は坂田公時の首根っこを引っ摑むと、見かけからは到底量れぬような剛力でずるずると引きずって室から出て行った。


「ちょっと? ちょっとちょっと!? 季武殿!?」


 なにやら公時も大声で文句を垂れていたが、次第にその声も遠ざかってゆく。


「やれやれ、相変わらず思い立ったら即座に動く男だな」


「おまえも似たようなものだと思うがね……」


 貞光がまた生欠伸をしつつ、綱の後ろで眠そうな声をあげた。


「さて、綱よ。物見に行くのはよいが、なにせ賀茂のやしろの祭礼よ。殿上人てんじょうびと貴人あてびとらが大勢すがたを見せる。大勢で粛々と列をなしてのう……。そんなところに我ら武士が馬に乗って物見にゆくとなれば、これは無作法のそしりは免れん」


「ふむ、そういうものか。では徒歩かちにて」


「それはいかん」


 寝ころがってゆるみきっていた貞光が、ふいに張りある声を出して頭をもたげた。かれは肱を立てて頬杖を突くと、なにやら面白がっているような、楽しそうな顔付きで言葉を続ける。


「いかんぞ。おまえは風流というものがわかっておらん。貴族というのは寝ても醒めても風流韻事ふうりゅういんじに生きる、夢と現のはざまの胡蝶よ。身も心もつねに敷島の道にたなびく花時雨。そんな現世うつしよに遊ぶ貴人には、武人が徒歩かちで祭礼の物見にゆくなどゆるしがたい無粋。風流を解さぬ田夫野人の揶揄嘲笑を受けることになるぞ」


「風流というよりもはや難癖だな……貴人の考えることはさっぱりわからん」


 やや辟易した綱が顔をしかめると、貞光がその細面に、また腹に一物ある笑みを浮かべた。


「そこで俺にひとつ妙案がある。俺はいま体のあちこちが痛いので公時に手伝ってもらうとして――それでも用意に幾日はかかるな」


「何をたくらんでおるのか知らんが、ほどほどにな」


「ははは、聞けば頭の固いお前は反対するだろうからな。まぁ、祭りの日を楽しみにしておれ」



                  ◇


 

 貴族は外出するときは牛車ぎっしゃに乗り、武士たるもの必ず馬に乗らねばならぬ。

 平安の世にはそういう不文律がある。あるにはあったが、そうとはいっても誰もが四角四面に遵守していた訳でもなく、実は徒歩かちで通りをゆく武士などめずらしくもない。


 渡辺綱もまた、徒歩を好んでいた。

 むしろ事件とあればすぐさま詰所から現場へ、あるいは現場から詰所へと急行せねばならない下級武士の検非違使けびいしたちのほうが、乗馬していることが多いくらいである。

 貴族の身でありながら武芸に秀でた俊才の誉れ高い藤原保昌ふじわらのやすまさなどは、笛を吹きつつ夜の都大路をひとり往くのを好むと聞く。


(風流、か……)


 そんなことを考えつつ、綱は鴨川のつつみ懐手ふところでしてひとり歩いていた。

 晴明邸で卜文うらぶみを告げられた時は蕾だった山桜もひとしきり咲いたのち、いまは青い芽を吹くころになっていた。

 春から夏へと移ろいゆく清和な時節。賀茂祭かものまつりは明後日の酉の日。家々の軒には葵の花が飾られ、都は花やいだ雰囲気につつまれていた。


(さて、鬼どもの動いた気配、いまのところはなし……)


 左手に伏見の稲荷山をながめ、その遠く向こうには山滴る木幡こわたの森が見える。川面はおだやかな陽を受けて、白銀しろがねの粒を散らしたかのように静かに光っている。初夏を思わせるうららかに晴れた日で、四辺あたりの景色がよく見渡せた。

 いつの間にか、綱のうしろにちいさなわらわがつきしたがって歩いていた。


「ほう、来たか」


 綱が振り返ると、女の童はすこし驚いたようにまるく目を見開く。

 あえかな娘は大柄な綱を暫く見上げたのち、急に含羞はにかんだのか顔をすこし赤らめた。


「久しいな。達者にしていたか」


 綱がそう言うと、彼女はのびた黒髪をすいと垂らしてこうべを下げる。軽く握られたちいさな指先が、どことなく所在なさげにもじもじとしていた。

 女の童は数年前に綱が七条堀川で鬼の手から救った、狐の娘だった。

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