第3話 狐火・三

 ほどなくして、晴明がひとつしわぶきを払う。

 空は澄んで高くあおく広がり、どこからか風が芳しい花の香をはこんで来る。庭に植わった薄紅の桜の蕾が四月うづきの陽光を受けて、ささやかにほどけてゆくのが感ぜられた。


 時は浩蕩こうとうなる三仲さんちゅうの春、春る萬里のそら


「ところでつなよ、わしはそなたのほかにも碓井貞光うすいさだみつ卜部季武うらべすえたけ坂田公時さかたのきんときの三名も呼び立てた。同じ話を幾度もするのは億劫でな。四天王の四名揃ってから話をしたいのじゃが、かの者たちは?」


「申し遅れました。坂田は頼光よりみつ様の御出仕に従っておりますゆえ、本日は来ること叶わずと本人から言付ことづかっております」


「ふむ、頼光殿の御供か。ならばしかたあるまい。して、碓井は?」


故郷くにへ帰っております。東国の上野こうずけでしたか信濃でしたか……。 ともかく郷里でなにやら怪きこと多く、物怪もののけが仕業ということで、奴が頼光様より暇を頂いて討伐に参じました」


「ふむ……。郷里の災難となれば大事じゃ、やむを得ん。して、卜部は?」


「は、奴は近つ淡海おうみへ釣りに……」


「ふむ、釣りとな?」


「はい、釣りに」


「……」


「……」


「釣り?」


「釣りにございまする」


 暫しの間をおいて晴明が目を剥くと、右手を挙げてばしりと膝を叩いた。


「……いかなる事にか有らむ! 糸奇異いとあさましき事也!」


「晴明様、お気をお鎮めになって。文語になっておられますぞ」


白物しれもの、気を鎮められるか。わしが本日この邸に来るように云うたのは十日も以前、それを承知で釣りになど……!」


「晴明様もご存知でございましょうが……奴は一度決めたことは曲げない男でして。あらかじめ四月うづきは近江へ釣りに行くと決めていた様子」


「わしよりも釣りが大事か、呆れた奴よ」


 怒りの面を解くと、晴明は言葉通りの呆れ顔になって、溜め息をひとつ洩らす。


「晴明様がのたまうことは、お前が聞いてそれを俺に聞かせればいい、それで事足りると申しておりました」


「ううむ……。ぬう、そなたらに初めてうてからおよそ二十年。用がない時はわが邸にやって来て銘々勝手にしよる。さりとて用がある時は呼べどもきたらず。まったく困ったものよ」


「いやぁ……ははは」


「そなたら四人、一人ひとりならば文武両道、礼節もわきまえた、どこへ出しても申し分ない一廉ひとかど武士もののふよ。しかし一人が二人、二人が三人、三人が四人そろえば途端に悪たれの和郎わろへと逆戻りじゃ。もうおのおの妻子もある身、すこしは落ち着かぬか、まったく」


「いやぁ……面目ございませぬ」


「これも頼光殿が好きにまかせて放任されておるのがいかん。あの御仁も明朗闊達なお人ではあるが、すこしばかり豪快がゆき過ぎておるぞ」


 晴明が渋面をつくって腕を組む。綱は苦笑した。

 こうは言っても晴明が決して本気で立腹している訳ではないのを承知している。三十数歳年長の晴明と彼ら四天王の間柄は、ながい付き合いのうちに恐縮することのない関係が築かれていた。


 卜部季武の非礼も晴明ならばどうこう言いつつも腹は立てない、そう見越してのことである。綱は季武が『晴明様に召されるなど、どうせ由無よしなし小言に相違ない。おまえに任せた』などと言って、さっさと京を離れていったのを思い出す。


 実をいえば碓井、坂田の両名も同じようなことを口にしていたのだが、これはさすがに綱の胸の内にめておくことにした。


「今日ばかりは大切な話があったのじゃがな。来ない者にいつまでも小言をいうても仕方あるまい。綱、そなただけでもしかとわしの話を聞けい。いつもの大層な御託と侮るでないぞ。この晴明が申すこと、一言半句も聞き漏らすでない」


「心得ました。瀧口内舎人たきぐちうちとねり渡辺源次綱わたなべのげんじつな、謹んで晴明様の御高話たまわりまする」


 綱は土器かわらけを膳に置いて居住まいを正した。


「うむ、わしもよわい七十を過ぎた。老い先短い人間よ。死ぬ前の気がかりを、どうにかしておこうと思うてな。ひとまず、この先々の占兆うらかたを行った」 


「は、それでいったいどのような……?」


「うむ、ではよいか? 心して聞くのじゃぞ」


「は、しかと」


 晴明は背すじを立てると腕を組み、そして重々しく口をひらいた。


占文うらぶみの示すところ、そう遠くない内に、大江山の酒呑童子討伐の勅命が下るであろう。そして鬼どももそれを予見しておる。先手を打たんが為そなたら四天王を、鬼どもが付け狙っておる」


 晴明の言葉を聞いた途端に、綱の眼がらんと光る。向かい合った綱の大柄なからだが、ひとつまた大きくなったかのように晴明には映った。


「大江山の鬼王、酒呑童子しゅてんどうじでございますか。これは……大事ですな」


 綱は土器を手にすると、一息に酒を干す。平生の穏かな雰囲気がすうと消え、豪気なつわもののたたずまいがおもてにあらわれる。


「頼光殿とその郎等の四天王。鬼や物怪もののけを斬った数は知れず。鬼王の討伐となれば召さるるは必定。鬼どももそれは心得ておろう。そなたらはこれから真っ先に悪鬼どもに一命を狙われようぞ。心せい」


「成る程。これはたしかに火急の用。碓井、卜部、坂田らにも聞かせねばなりませぬな。うむ、首に縄を巻いてでも連れてくるべきでございました」


「もうそれは詮なきことよ。かれらにはそなたから伝えておくのじゃ。とにかく、今までとはちがい手強い物怪に襲われることも増えよう。努々ゆめゆめ、用心しやれ」


「うけたまわりし晴明様が御厚情、身にあまる恩倖でございます。それにしても晴明様、そう遠くない内と仰いましたが、その鬼王討伐の勅命とはいつの頃に下されましょうか……?」


ぐという訳ではなかろう。まだしばらくは先じゃろうな」


 晴明はため息をつくと思案するように目をふせる。そして言葉を続けた。

 

「なにせみかどはまだお若い御身。あやかしども跋扈して都に妖異怪事よういかいじ多し、大江山の鬼王が仕業ゆえに早急に追討の命を、と訴えてはいるが……。公卿殿上人くぎょうてんじょうびとはまつりごとに夢中じゃ。関白殿はまるで聞く耳をもたぬ」


 五年前に出家した花山帝の次に践祚せんそした一条帝はまだ数え十二歳。昨年、関白藤原道隆ふじわらのみちたかおのが権勢を強めんが為に、強引な手段で娘の定子を中宮にしたことには、宮廷外のあちこちからもその横暴さへの不平が聞こえてくる。


「殿上のことはよくわかりませんなぁ、私には。ただ、関白様の娘御の定子様は、年若くしてずいぶんな才女と聞きましたが?」


「文も歌もくする。口達者な清原のむすめと仲睦まじいなどともきこえてくるな……。だが所詮は年端もゆかぬ貴人あてびとの娘よ。世故には疎い」


「伏魔殿の内とも知らず、女房たちと蝶よ花よと……」


 綱が苦笑まじりに皮肉をぽつりと洩らした。晴明は無言でうなずき、また瓶子へいし土器かわらけにかたむける。


 庭に散った辛夷の白い花びらが、風でさらさらと音を立てて流れた。

 関白藤原道隆と権勢をあらそう弟の藤原道兼ふじわらのみちかね、その兄ふたりの隙をうかが藤原道長ふじわらのみちながらの顔が晴明の脳裏に浮かぶ。

 時の殿上は衣冠禽獣のやからが蠢く魔窟である。そして古来から欲と妄執うずまくところに鬼はあらわれる。


(いまの内裏の情勢、まさに鬼のつけこむにはうってつけよ……)


 それにしても、と晴明は思う。晴明の前に座るのこの豪勇をもって知られる武士もののふは、さかのぼれば河原左大臣源融の子孫。つまりは嵯峨天皇にいたる由緒ある血統である。



 晴明は綱のおもてをあらためてながめ見た。

 怪力乱神を幾たびも退けてきた手練の猛者。屠ってきた鬼は数知れぬ偉丈夫。しかしながら綱のその面貌かおは、それらの文言が連想させる容貌魁偉とはほど遠い。剛にして毅でありながら、あくまで嶺をわたる晴雲のような風雅さがただよっていた。


 ――これも血筋の為せるわざか、と晴明は思う。

 いまでこそよわいを重ねてすこしばかり苦みばしったものの、若き日の綱は美男で洛中につとに知られていた。


 殿上のことはわからない、と綱はいうが、京からみれば辺鄙の地である東国生まれの武士にしては、かれの出生はいささか高貴なものである。


 それでいて頼光四天王の筆頭と呼ばれ、日夜、怪異から都を守るために懸命に戦っている。天皇をおのが権力の手駒としている藤原氏を、同じ皇胤の子孫が守っている。それもこうも毛色の違う東国武士が守っているとは、これはたしかに皮肉なものだと晴明は思った。


「そなたには嫌味のひとつも言う資格はあるのう。ふふ」


「……お聞き流しを」


 晴明の含み笑いにつられ、綱はまた微苦笑を浮かべた。 

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