唯咲甘音(ゆいさきあまね)

 小学生時代の俺はいつも一人ぼっちで、とにかく人見知りが激しい奴だった。


 クラスメイトに名前を忘れ去られるのは当たり前。

 体育で「二人組になって〜」と言われたら、俺だけ余るのが日常。

 友達を作れなかった俺がいつも送っていたのは、教室で寝たフリをする毎日。

 もちろん当時は、学校が何より嫌いだった。


 しかしそんな小学生時代のある日から、俺は学校に行くのが楽しくて仕方なくなった。


 運命的な出会いをしたから。

 小学四年生の春頃、静かな図書室に舞い降りた天使と──。


「……でもあの時は確か、一言も話せず終わったんだっけな」


 幾年ぶりかの小学校。その静かな図書室で。

 俺は今、本棚を背に隠れながら一人の少女を眺めていた。

 えっ、成人童貞(中身)が女子小学生を観察しててキモい? ロリコン? 通報案件? やめてマジで。


「まさか、目が覚めたら小学四年生になっていたとは……」


 重ねて言うが、この時代は今からちょうど15年前。

 25歳の俺が10歳──唯咲さんと初めて出会った時代だ。

 つまり俺が眺めている少女こそ『初恋の女の子』こと、唯咲甘音ゆいさきあまねさんであり、


「……やべぇ。あの子、あんなに可愛かったっけ」


 初めて出会った時と同様、俺の目は彼女に釘付けになっていた。


 肩甲骨まで伸びたツヤツヤな髪と、その一部を結ってできたお団子。

 薄いピンクのワンピースが良く似合う、色白美肌で柔らかな雰囲気。

 そして将来必ず美人になることが約束された、非常に整った顔立ち。

 そんな天使が一人で楽しそうに本を読む姿に、俺の心は久しぶりに跳ねていた。


(よしっ! 決めた!)


 この瞬間、俺は両方の拳をグッと握る。

 二度目の人生こそ、絶対に唯咲さんと仲良くなる!

 そして願わくば、彼女との最高の結婚ハッピーエンドを!!


 ──一生一緒だよ? ソラくん♡


 あぁそうだ。キミの隣に立つのは俺だ!!

 無論、あのDV夫には渡さない!!

 ウェディングドレス姿で微笑む彼女を脳に携え、俺は一歩を踏み出そうとした。


「あっ……、あっ……」


 しかし、俺は動けなかった。

 いや、動かなかったのだ。足が、口が。


(……くそっ、心臓がバクバクしててうるせぇ)


 言われてみれば、前世の俺はコミュ障の陰キャ。そして好きな人に話しかけることを恐れ続けた『チキン野郎』だ。

 そんな俺が、タイムリープしたところで簡単に変われるわけが……。


(……って、そうじゃねぇだろ。チキン野郎)


 そうだ、動け。

 せっかく与えられた二度目のチャンスを『人見知りだからできません』で済ませていいものか。

 それに決めただろ? 彼女に近付いてみせるって。

 だったら本気出せよ。

 じゃないとまた彼女がDV夫と結婚する未来が来るぞ!! ……たぶん!!


「あっ、あのっ!!」


 勇気を振り絞り、俺はついに彼女に声をかけた。

 小さな一歩。だけどそれが無ければ始まらない。


「ほっ、本、……好きなの?」


 やった、話しかけたぞ俺! ……だけど安心はできなかった。

 答えが返ってくるまでの一瞬は、まさに合格発表を待つ受験生のような気持ちで。


「ひっ!? あっ、あのっ、……うん」


 しかし彼女は驚き、そして目を逸らして小さく頷いた。


 てか「ひっ!?」って言わせちゃった!?

 そりゃまぁ怖いよな? 成人童貞(中身)の男がいきなり話しかけてきたら……、じゃなくて!!


「おっ、俺も好きだよ読書!! あっ、でも俺最近読み始めたばかりだからあんまり詳しくないというか……」


 気付けば俺は、早口でまくし立てていた。頭はもちろん回っていない。


「それで……」


 だけど一息置いて、はやる気持ちにブレーキを踏むことができた。

 そして踏み出すもう一歩。

 息をすぅと吸い込み、今度は目を見て言葉にした。


「おっ、面白い本があれば、教えてくれないかな!?」


 言えた……。

 だけど不安が拭えない。

 怖がられてないかな? 気持ち悪がられてないかな?

 相変わらず返答にドキドキしていた、次の瞬間だった。


「うん!!」


 笑ってくれたのだ。パァと咲く大輪の花のように。

 その笑顔だけで一面に花畑が広がったかのように。

 その表情から、俺の目は離せなくなっていた。

 胸の鼓動が俺に強く訴える──彼女こそ、理想のヒロインだと。


「ついてきてっ!!」


 そして彼女は俺の手を引っ張り、本棚の前まで連れて行った。


「どんな本が好き?」

「えっ? えっと、ファンタジーとか?」

「それなら──」


 本を紹介するのに夢中な、俺の初恋美少女。


「すげぇ、めっちゃ面白そうじゃん!!」

「ほんと!?」

「あぁ、今日借りて読んでみるよ!」


 そんな彼女の笑顔が眩しくなるにつれて、俺の気持ちも高まっていった。

 最初に踏み出した小さな一歩。

 だけどそれから先の一歩は、どんどんどんどん大きくなっていた。


「他には!?」

「他? それなら、これとかどう? 魔法学校を舞台にした海外の小説で、私たちにはちょっと難しいかもだけど……」

「あーそれ知ってる! うわぁ、めっちゃ懐かしい~」

「……懐かしい?」

「あぁ、いや! ほっ、保育園ぶり? だなーと思って!!」

「うそっ!? 保育園の時から読んでたの!! すごいね!!」

「えっ? あぁ、まぁね〜。あははは……。て事で久しぶりに読んでみようかな〜」

「あっ! そういえばこれもオススメなの!!」

「おっ? どれどれ〜??」


 それから俺たちは、時間を忘れて話していた。

 さっきまでのドキドキも不安も忘れて。

 ただ、一緒に話してて楽しいという気持ちだけが俺の心を一色に染めていた。


 しかしそんな時間の終わりを、懐かしい音色が告げる。


「チャイム、鳴っちゃったね……」


 残念そうな顔を見せる彼女。

 その表情は悲愴感ひそうかんに満ちていて、……って、泣いてる!?


「……ぐすっ、同じクラスだったら、よかったのに……」


 そう、当時の彼女は俺と別のクラスだった。

 だから図書室でしか話せる機会が無くて、チキンな俺は少ない機会を何度も逃したんだっけ。


「大丈夫、また明日も来るから」


 だから、今度こそは逃さない。

 その誓いを胸に、俺はまっすぐ彼女の目を見た。

 

「……ほんと?」

「あぁ、絶対」

「……じゃあ、指切り、しよ?」


 差し出された小さな小指。

 俺も同じく小指を出し、二人の指を交わらせる。


「俺、好村想等よしむらそら。キミは?」

「……あまね。唯咲甘音ゆいさきあまね


 名前を教えてくれた瞬間、泣き止んでいた彼女。

 再び見せてくれた笑顔に、俺は安堵した。

 

「それじゃあね」

「うん、またね! !!」


 そしてお互い手を振って教室へ。

 俺の青春リトライは、上々じょうじょうの滑り出しで幕を開けた。


(……えっ! 今『ソラくん』って呼ばなかった!?)


 いや、上々過ぎない!?

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