第15話 悔いのない選択を
「────ウィル。とにかく今は俺達も最優先するべきことを決めた方が良い」
シェロは再度アカシアやカイムの方に視線を向け、ウィルペアトへ戻す。「ああ」と反射的に返すウィルペアトへ再度問いかけるが、珍しく彼の眉間に寄った皺が緩むことは無かった。
「それは分かっている。本来であればここの調査を行うこと、次回以降の調査でまた来れるように対策を練るべきだが……、……」
「そうだね。でも次回も今みたいな事が起きるとは考えにくい。いや、これをきっかけにすることも可能性としてはあるけど……」
「多分それは無いよ。……今回限りだ」
「何か確信があるの?」
「……ああ」
次回を作ってはいけない。ここで終わらせないと───もしくは儀式を完成させなければいけない。その為に自分は仕上げられてきたのだから。
班員達の反応から考えても爆薬は見つかっていないのだろう。自分を殺した後、ラビが逃げる為の言い訳に使っても構わないと伝えてはいたものの真の目的は言い訳では無く塔の破壊である。彼には「皆が出た後に起爆スイッチを押してくれ」とスイッチを渡してはいたが、あれはフェイクだ。
きっと彼は破壊することなんて出来ない。仮に共に手を添えたとしても震える自身の手を隠すようにそれを握り、そして自分の手を払うだろう。そんな拒絶が目に見えているからこそウィルペアトはその点においてラビを頼らないまま計画を進めていた。
爆発するためのスイッチは1つの爆薬にだけ付けており、それ以外は時間が来れば自動的に爆発するような仕組みとなっている。国の最先端技術すらもディートリヒの名前を使えば簡単に利用できてしまう。技術者から爆薬を受け取った時、その名前の価値を改めて理解させられた。
(『かえりたい』、か)
ロドニーが先程アカシアへ告げていた言葉を反芻する。ツァイガーとなった彼らにも待つ人達が居ることは誰よりも理解している。帰ってこないことに絶望して、遺体すら無く布1枚に縋れということの残酷さを理解しているつもりではいた。
その度に自分の置かれた状況をぼんやりと考えてしまう。死ぬ為に生きていた自分が帰ったところで待つのは絶望の未来だ。妹達を除く家族にとって自分は今日で死ぬべき人間だとされており、二度と帰ってこない人だと思われている。最後に掛けられた言葉すら無く、それが自分に求められている全てだと悟った。
帰るべき場所があって、それを待つ人がいる。その為にも彼らのことは帰さなければいけない。
成功しても失敗しても、自分に帰る場所はきっと無いのだ。
周囲の状況を改めて見回し、再度シェロの瞳を見つめる。
「退路を確保することも必要だ。ツァイガーの体液摂取だってこれまでの調査の比にならないほど済んでいる。だが屋上に関して……というより、アマンダがあの場所に居た理由が分からない。」
「俺はもう少しここの調査をしたい。シェロの方で退路までの確認を、」
そこまで言いかけた瞬間、グラりと足元が大きく揺れる。それは先程の戦闘前に起きた地震と良く似ていたが、更に大きい地鳴りと揺れが襲いかかる。
(ッ、よりによってこの場所で……!!)
「皆、伏せて!」
素早くその場にしゃがみ、シェロは全体へ注意を促す。カイム、アカシア、ロドニー、ナイトは玉座のある円柱の壁や扉部分に手を添えるようにしゃがみ、アルフィオとノヴァ、ラビも1拍遅れてその場にしゃがみ込んだ。
「わッ、と、……!」
咄嗟に扉部分へロドニーは左手をかける。分断前にも起きたこの地震や先程の鐘の意味もまだ分からず、儀式のことについても未だ分からないままだ。……幼馴染に、未だ犠牲になって欲しいと切り出せずにいる。
(でも……アカシアさんに自分で言ったのに……)
あれだけの発言をしたものの、自分は彼の帰る場所を奪おうとしている。結局は自分の目的を優先しようとしているのだ。
心の内に残った暗さに視線を落とせば、それを察したようにロドニーの左手へそっと何かが乗せられる。僅かな重みは人の手に近い形をしており、安堵した瞬間に1つの疑問が浮かぶ。
先程自分が左手を着いたのは扉部分である。自分の右側にはナイト達が空を背景にして視界に映るが、左側にあるのは玉座以外何も無い。
(なら、この手は……誰の、ッ)
横を見るよりも先に目の前へぬっ…と白い手が現れる。それは1本ではなく2本、3本…と増えていき視界を埋めつくした。
「へっ」
「ッロディさん!!?」
ナイトが声を掛けたと当時にそれは勢いよくロドニーの顎や頭、ゴーグルや髪へ当てられる。そのままグイッと玉座のあった暗闇へロドニーを呑み込もうとする寸前で伸ばした手をナイトが掴んだ。
「っ2人とも、何、が……」
ナイトの焦る声を聞き、近くで見ていた者達や少し離れた場所にいた5人も慌ててロドニーの方へと向かう。未だに地震は治まらず、不安定な足場でも何とか扉部分の前まで行けば闇に呑まれかけたロドニーをナイトやアカシア、カイムが引っ張りあげようとしていた。
「ッロディ!!」
飛び出すようにウィルペアトもそちらへ駆け寄り、急いでロドニーの腕を引く。彼の顔へまとわりつく手をカイムやアカシアが剥がそうとしたが、粘着性のあるものだけでは無く何本かは棘のようにロドニーの顔面へと刺さり、特に右側はダラダラと絶え間なく赤黒い血が流れており、ロドニーは痛みに呻くことしか出来ずにいた。
「い゛ッた゛……ッいた゛い゛っ、ッたす、け」
「ロディ、すまない今すぐ助けるから……!」
「なんで、……ここにはツァイガーは居なかったはずじゃ」
ナイトが声を零した瞬間。耳鳴りにもよく似た甲高い音が全員の耳を貫く。……否、それは歓喜の声だった。何かを喜ぶようなその声は男女どちらも含まれており、「やった、やった」と嬉しさを全面に出していた。
『やっと私たちを理解してくれた』
『やっと俺達の帰りたい場所に気づいてくれた』
『ありがとう、ありがとう。でもアタシ達、もう戻れないの。帰れないの』
『どこに行ったの?ねぇ、みんなはどこ?』
『ありがとう、理解してくれて。君だけでも理解してくれて嬉しかった』
『でももう遅い。戻らない、何もかも。全部奪われた、無くなっちゃった』
『やさしい、やさしいね。おにいちゃん。だからね、はなれないで』
それは善意では無い。だが悪意に満ちたものでも無かった。
かつて生贄として理不尽に捧げられてきた者達にとって、自分たちの……ツァイガーの言葉を理解してくれるロドニーは希望のような存在だったのだ。何も残せずに死んだ隊員達にとっても、正しい出来事を伝える為にロドニーは必要な存在だったのだ。
だが前任リーダーの告げた通り、自分たちがツァイガーになった瞬間から負の感情が増幅する。長年蓄積され続けていた憎悪に当てられ、正気を保てなくなるのだ。人の恨みとは恐ろしいものであり、忘れない限り一生続く呪いである。そしてその連鎖は途切れること無く続き、今に至る。
そんなツァイガーになった自分達にとって正しく理解し、貶すこと無く寄り添い……理解を示してくれたロドニーに好感を抱くことは必然的な事であった。
手放したくない。このチャンスを逃せばまた地獄のような日々が続く。生贄になって生きながら死んでいく地獄を選ぶか、倒すべき対象であったツァイガーと成って死に怯えるか……どちらも耐え難いことだった。
今の彼らにとってロドニー以外はどうでも良い存在であった。むしろ自分たちが手を伸ばしたにも関わらずそれを剥がそうとしてくる……このままでは奪われてしまう。自分たちの希望が、───────私たちの理解者が。
人として狂うことも出来ず、人外として理性を失うことも出来ない生贄として亡くなった彼らが願うことはただ1つだった。
理解者を帰したくない。正しい出来事を伝えたとしても自分達が死んだことには変わらないのだから。
『だから、ちょうだい』
『ここに居て。そして共に死のう』
『君が生まれた時から、ずっと願い続けていたんだよ』
『約束を守ってくれてありがとう』
『ここまで来てくれてありがとう。ロドニー・ヴィンシュタイン』
パンッと何かの弾けるような音がして全員の意識が引き戻される。地震は治まっており、同時に半分程が呑み込まれていたロドニーの身体はズルりと抜け、顔を覆っていた腕もどこかに消えてしまった。ただ彼が手を着いた床には赤黒い血がボタリボタリと面積を広げ、「……ぁ゛」「ぅ゛」と痛みに小さく喘ぐロドニーの声だけがあった。
「い、……た、ぃ゛…………ぼくの、……ど、なっ゛…………」
「……ロディ、さん」
ナイトの声にゆっくりとロドニーは顔を上げる。いつもの小さな緑色の瞳は忙しなく揺れていたが、それよりも目を引いたのは彼の顔半分の状態だった。
「ッ、ロディさん!!それ……!!」
「ナイ、ト……?僕の、目……どうなっ…………て、る?……熱くて、……くらい、んだ。なにも、見えなくて」
────彼の瞳がギョロリとナイトを見やる。否、それは瞳“だった”ものだ。歪な形をした紫色のガラスは星空を反射させ、彼の顔半分は真っ白な仮面のようなもので覆われてる。それが顔に深く刺さっているのか赤黒い血が流れ落ちることを止めず、更に侵食を広げようと血管にも似た赤い何かが顔面の1部に存在していた。
「……ね、ねぇナイト…………どう、なってるの……?僕、僕……今……」
「っ、……その、……」
「…………どうしてそんな顔するの?……み、みんな!…………あ、あれ……ね、ねぇ」
言葉を迷わせるナイトの反応から嫌な予感を察知したものの、縋るようにロドニーは他の隊員の顔を順に見る。驚き、絶句、困惑……それぞれの反応はあれど、全員が眉間に皺を寄せた状態である事は変わらなかった。
(…………なんで、そんな……あの時みたいな顔を、みんなしてるの?)
それはかつて自分を罵った彼らとは異なるが、拒絶にも近い顔だと感じた。理解出来ない、相容れない存在だと決めつけられて自分は1人になった。1人になっても自分の正しさを証明したくて、……イカれているんだと自暴自棄になったあの時と同じ。
恐る恐る顔の片側へ手を伸ばす。肌の柔らかさでは無く陶器のようにツルりとしたそれをゆっくりとなぞり、目元に触れる。そこにあったのは瞼では無く更に表面に丸みを帯びた何かだった。その形で察しが着いてしまう。
「……これ、って…………ツァイガーのコア、じゃ」
冷や汗がぐっしょりと背を濡らす。誰よりも資料を漁り、研究してきたのだ。これで察することが出来ないほどロドニーは鈍くなかった。何かを吸われるような感覚は激痛を伴い、ギチギチと音を立てて仮面は顔を覆っていく。
ああ、きっとバチが当たったのだ。自分の正しさを優先しようとしたことのバチだ。そんなことを考えた時点でやはりあの日から自分は何も変わっていない……イカれた奴だったのか。
背後からミシ…と何かが膨張するような音が響く。瞬間玉座の納まっていたその空間を突き破るようにして無数の腕が現れる。それは先程とは異なり確かな敵意をロドニー以外の隊員へ向けており、応戦するように武器を全員が向ければ床を砕く勢いで振り下ろされていく。
「ッ、クソ、数が多すぎる。元を叩いた方が早いか」
「かもナ。けどそこにロドニーもいる……策も無いままに突っ込んでも意味は無いダロ」
自身の武器でアカシアごと守るようにしつつ、カイムは小さく舌打ちをする。アカシアもそれをカバーするようにナイフを振るいつつ、冷静に周囲を見渡す。久しぶりに戻った口調に小さな違和感を覚えるが、もうアマンダの口調には戻れない。それは「アカシアと向き合いたい」と言ってくれたカイムのためでもあった。そして“アカシア”を説得してくれた彼に対し、“アマンダ”としてまた接するのは……きっと誰も望んでいない。
別の方へ視線を向ければアルフィオやウィルペアトは自身のバディを守るように動いており、ナイトはノヴァを支援するようにしつつ中心部にいるロドニーへ呼びかけ続けていた。
(でも……ああ、やっぱりナ)
治療サポート班として活動した才能のおかげとでも言うべきか。恐らくこの中でも戦える程の魔力が残っているのはノヴァとナイトだけだろう。自身の傷の回復と武器による魔力消費が大きすぎるウィルペアトの動きには無駄が増え、武器による消費が少ないアルフィオも下の階でのツァイガーとの戦いが響いているのだろう。何度か肩で息をしてはそのダガーナイフを構え直していた。
(ラビの魔力……いや、それよりもさっきの地震で脚の方に影響か?シェロさんもアルフィオだけじゃなく他の回復も担っていたことを考えれば余裕がある程は無いナ)
ノヴァが戦えない子では無いこともアカシアは理解している。だがこの場において新人である彼が置かれた状況はあまりにも最悪であり、戸惑うのも無理は無い。
冷静に分析しつつ、「ノヴァ・ファウラー!!」と声を掛ければ「ッはい!」という声と共に夕陽に溶けてしまいそうなオレンジ色がこちらを向く。瞳孔の中心部を彩る鮮やかな空色が確かにアカシアを捉え、1度瞬いた。
「アンタはそのまま周囲のソレをぶった斬って、ナイトが中心に行けるようにしてやってくれ。ウザったいコレがある限り、彼が進めない」
「中心部ッ、って、先輩の居る方っすか?!」
飛んでくる攻撃をレイピアで突き流しつつ、ノヴァはもう一度ロドニーの方を見やる。彼もこちらへ必死に呼びかけてはいるものの、それごと隠すように手の壁が覆っている。
「ああ。少しでも彼……あとはリーダー達の負担を減らす。私達とアンタだけが今は充分戦える状態なんダ」
「ここの数、もうちょい減らせば行けるかもしんない、っすけど……」
もちろん先輩である彼女の言葉を疑っている訳では無い。だが“先輩”が傷つく度に自分の目の前で亡くなった出来事が一瞬頭にチラつくのだ。アーシュラとヘルハウンド、ロドニーを“先輩”という括りで同一視はしていたものの、異なることを理解してしまった。そして片側だけがコアになった今の彼の状況がソラエルの魔力を吸い取り、こちらに笑いかけてきた“あれ”を彷彿させる。
『え?じゃあなんで助けなかったの?……ああ!間に合わなかったのか!』
『強い人間は、誰を守るべきか分かるだろう?』
間に合わなかった。憧れだけに目を向けた結果がこれだと鼻で笑う“あれ”に共感を示すべきでは無いことを理解している。だがそれはどうしようも無い程に覆らない事実だった。
何度も後悔した。大切な人は皆、ノヴァが掴んだ手をするりと離して遠くに行ってしまう。自分がもっと、もっと先輩に迷惑をかけないような人間だったら。今頃2人は生きていたのだろうか。
ぐ、と1度唇を噛み締めていつものように続けようとした先輩への言葉を呑み込む。失ったものばかりに目を向けて居られない。自分の人生を変えたここの組織に対する……先輩への盲信にも近い憧れは、ソラエルという存在がノヴァの中に生まれた時点で複雑なものになってしまった。だがその存在こそがノヴァが誰よりも優しい“人間”で在り続ける理由となっていた。
(ツァイガーから言われて図星って、ほんっと……笑えねぇ)
ナイトの方へ伸びる腕を払い落とし、アカシアの方へ視線を向ける。
「……分かりました。もうちょい、減らしてみるっす」
「感謝する、ノヴァ・ファウラー」
再度レイピアを構え直すノヴァへアカシアは僅かに口角を上げ、自身も武器を振るう。大切な人をこの腕の中で亡くすことの悲しみを知ってしまった。自分に対するやるせなさをどこにぶつけていいのかも分からず、足を止めたくなってしまった。
だが自分たちは戦い、進まなければならない。もう二度と誰かが……自分が後悔することの無いように。
「!今なら行けるっす、先輩!」
「ありがとう、ノヴァさん!」
ノヴァが眼前の腕を払った瞬間、礼を伝えてナイトは中心部へ駆け出した。一瞬でも迷いを見せれば、きっとこの道は閉ざされる。ロドニーを救う為の道が消えてしまう。
「ロディさん!!」
「ッダメ、ナイト!!来ないで!!」
ズルりと現れる鋭い爪のような触手がナイトの頬を掠め、柔い肌に1本の線が切り込まれる。そこから溢れ出る赤い血にロドニーの顔はサッと青ざめていく。
「だ、だめ、ダメダメダメダメッ!!これ以上近づいたらナイトが傷ついちゃう、皆のこと、傷つけちゃう……!!」
「それでも構わない。傷ついているのはロディさんだって同じだよ」
「〜〜ッ、お願い、お願いだよナイト…………僕から離れて。僕のこと置いて、皆で逃げて……!!」
今の塔にとっての目的はロドニーだけだ。自分を救い出そうとしてこれ以上全員が傷つく様子を目の前で見せられ続けることはロドニーの精神をじわりじわりと何かが蝕むには十分すぎる出来事であった。
「置いていかないよ。僕は君のことを諦めて、置いて行くなんてことしたくないんだ」
更に襲い掛かる攻撃へ自身の武器で応戦しつつ、その意志を伝える為に真っ直ぐロドニーを見つめるが彼は片側の瞳に大粒の涙を浮かべ、ブンブンと勢いよく首を横に振った。
無数の腕のせいで隠されてはいるものの、今のロドニーには下半身の感覚が無かった。ゴキッと鈍い音が鳴り響くと同時に、骨が無理やり作り替えられていくような痛みに襲われていた。怖くてその状態を確認することすら出来ずにいたが、片足を動かしているはずなのにビタンッと床を打つような音が足の方から聞こえた瞬間嫌な予感だけが頭を巡っていた。
「…………どう、して……」
「ロディさんも守りたいっていう僕のワガママだよ。……1番近くに居たのに、……僕は、守れなかった……!」
グッ…と唇を噛み締めるナイトの表情はこれまでロドニーが隣で見てきた表情の中で1番後悔に満ちており、苦痛に歪められていた。
(ああ、そうだ)
君はそういう人だった。決して僕のせいにしないで、自分を責める優しい人。似ているはずなのに君と僕の自分の責め方は全く異なっていて、君はその後悔の先に希望を見ている。前を向くことを諦めずに、そして出来なかったと癇癪を起こす自分なんかとは全く違う……優しすぎる人。
そんな貴方に、まだ生きて欲しいと願うことは何も間違っていないはずだ。
溢れかけた弱い自分を全て奥歯で噛み殺し、無理やり笑顔を作ってナイトへ向ける。そして開いた隙間から無理やり腕を出し、“それ”をナイトへ投げつける。困惑しつつもキャッチしたナイトの手元にあったのはいつもロドニーが大切にしていたノートだ。彼はいつもこれを肌身離さず身につけており、内容の全てを見せてもらったことは無かった。
「ロディさん、これ」
「それっ、裏まで読んで!全部書いてあるからっ!」
パチリと瞬きをするナイトへニッ、と無理やり口角を上げてみせる。本当は泣き出してしまいたいほどに怖く、助けてと駄々を捏ねたかった。だが足の感覚が、吸い取られていくような魔力消費の感覚が、もう助からないのだと冷静に判断する材料となる。
これ以上弱い自分を悟られないように「君のせいじゃないから」と告げればその眉は困ったように八の字に寄せられた。
「結局、助けられてばっかりだったね」
「っそんなことないよ!僕だってロディさんに助けられて貰ったことはかりだ。ロディさんが居なかったら、……僕一人じゃ出来ないことだって、沢山あった。君と一緒だから、……」
「……やっぱり、優しいね。ナイト」
へにゃりと眉を下げればナイトの腰にぐるりと細い触手が巻き付き、グンッとロドニーから無理やり離していく。
「ッロディさん!!」
どれだけ手を伸ばしてもそれは空を掻き、何も届かない。
「……今度は、みんなを守ってあげて。僕にずっとそうしてくれたみたいに」
その言葉と笑顔を最後に、ナイトはその場から無理やり押し出された。
「ッ!!」
「わッ、っ、ナイト!?大丈夫か!?」
「ウィ、ルさ……っ、ごめ、僕ぶつかって!!」
そのまま勢い良く触手の拘束から離され、ナイトがぶつかった先に居たのはウィルペアトであった。勢いよくぶつかってきたナイトの肩を掴みつつ、飛ばしてきた細い触手を切り落とす。「立てるか?」と短く返される問いに「ありがとう、大丈夫だよ」と返せば安心したように眉が下げられる。
「中心部に行けたか?」
「うん。ノヴァさんが道を開けてくれたおかげで何とか行けたんだけど……僕の武器じゃ、ロディさんを助けられなかった」
握りしめたままのピストルと先程彼から預かったノートに視線を落とす。きっと切り落とすためには討伐調査班の用いる武器でなくてはならない。……自分にはその力が足りなかった。
ぐ…と唇を1度噛み締め、ナイトはウィルペアトへ再度顔を向ける。色の異なる双眼はハッキリとナイトを映しており、そこに映る自分は酷く臆病に見えてしまった。
「……ウィルさん、その」
「……」
ナイトが自分に何を頼みたいのか、薄々察しは出来る。だが自分がこの場を離れても良いのか?ラビのことをナイトに一時的に任せたとしても彼らが襲われる可能性は充分ある。ロドニーを見捨てて撤退すべきか?それとも中心部へ行き、無理やりにでも儀式を完成させるべきか。
全てが同じくらい大切だと感情を無理やり押さえつけていたことの皺寄せが今になって訪れる。リーダーとして、守らなければならない。そこに私情を挟んではいけない。そうしなければ、……そうしなければ、全てを失ってしまう。
はくはくと何度か口を動かせばドン、と後ろから背を押される。そちらに視線を向ければふい…と顔を逸らしたラビの後ろ姿があった。
「迷ってんだろ?……さっさと行ってくれ」
「……ラビ……」
それは決してラビの優しさでは無い。ウィルペアトの行動を縛る理由の一つに『戦えない足手まといの自分』が居て、それを今以上に自覚したくなかっただけだ。
ふん、とすれば少し視線を迷わせた後に「直ぐに戻る。近くにシェロ達もいる、2人のことを頼ってくれ」という返事と駆け出す音が耳に届いた。
(……ほらな)
いつまで経っても自分が正義を縛る。守って欲しいと頼んだ記憶は無くとも、何も出来ない自分を見殺しに出来るような人間がこの組織に居ない。その優しさが何よりも苦しかった。
こんな状況になっても自己嫌悪が先に顔を出す事実が嫌になり、八つ当たりのように襲い掛かる触手へ一撃を与えた。
「ロディ!!」
「…………ウィル」
その声に堪えていたはずの涙が溢れ出る。ツン、と刺すような鼻の痛みにぐすぐすと鼻頭を擦っていれば、自分を守るようにしていた腕は勢い良く切り落とされ、ハッキリと全貌を目にすることが出来る。
ハァ…と1度息を零し、パッと顔を上げたウィルペアトの瞳に映ったのは変わり果てた幼馴染の姿であった。
顔面の半分と上半身こそ普段の彼と変わらなかったが、顔面の半分は相変わらず仮面で覆われて血が溢れ続けており、下半身はまるで白い節足動物のように変わり果てていた。背中から伸びるそれは背骨が延長したようだと例えるのが1番近いが、そのうちの幾つかはコアとなっており、ギラギラと輝きを隠さずに顔を覗かせた。
(コアが2つ以上……?!なんで、……いや、ここに残っていた魔力の残骸を全てロディが受けたのか?……何故?血族であることは関係なかったのか?)
ぐるぐると思考が渦巻いていれば、「ごめん、ごめんね」と呟く声に意識が引き戻される。
「ごめんなさ、……僕のせいで、こんな、迷惑をかけて」
「ロディ……」
「やだ……やだよぉ…………ごめんなさい、ごめんなさい」
それは弱い自分を長く知っている幼馴染であるからこそ吐けた最後の弱音であった。バディであるナイトや想いを寄せていたアカシアにこんな自分を見せるわけにはいかない。だがそれを完全に耐え切れるほどロドニーは強くなかった。
縋るようにウィルペアトに近づいた時、自分の足元から床を引っ掻くような音がした瞬間に自分は人に戻れないのだと悟ってしまった。助かったとしても、彼らの隣を歩けない。人間ともツァイガーとも言えない半端な化け物に自分は変わってしまった。
それ以上近づくことを躊躇えば、タッ…とウィルペアトがその分距離を詰める。昔から変わらない優しさに思わず彼の隊服の裾を握り締めれば、静かに抱き寄せられる。それが自分の泣いている顔を見ないようにしてくれる優しさであることを理解していた。……だからこそ、涙はダムが壊れるように溢れて止まらなかった。
「ごめん、ごめん……こんなこと言っちゃダメだけど……でもこわい。こわいよウィル、しにたくない」
「…………死が怖くない人なんて、居ないよ。……すまない、俺がもっと早く……終わらせていたら」
その言葉にブンブンと勢い良く頭を横に振る。彼の抱えている事情や言葉の意味は分からなかったが、それでも彼のせいでは無いような気がしていた。
「あのね、……僕、子どもの頃からずっと、ウィルみたになりたかった。ウィルみたいにかっこよくなりたかった」
優しく誰にでも手を差し伸べることが出来るような、そんな君のように。自分の力で誰かを救いたかった。保身に走ることなく、ありのままの自分で誰かを救う。君のように全てを救いたいと願うヒーローにはなれなくとも、大切な人だけでも守りたかった。ただそれだけだった。
(……なのに、僕は……)
「……でも、今の僕には無理だったんだ。」
「未来に何か残したくて色々やったけど……僕がやってきた事ってほんとに意味があったのかな……?本当は、皆の足を引っ張ってたんじゃないのかな、って……」
「…………僕の残したかったものは、いつか誰かに見つけて貰えるのかな……?」
研究者の端くれとしてでも、未来に貢献出来たのだろうか。その結果が今実になることはない、だからずっと恐ろしかったのだ。自分の一生を賭けた研究が無意味だった時、出来たのは人に迷惑をかけたことだけである。『無意味だ』と言われることが何よりも恐ろしかった。
ぎゅう…とウィルペアトの隊服を握り締めれば、優しく背中に手が回される。そしてそれは一定のリズムでトントンと優しく叩き、「大丈夫だよ」と昔と変わらない落ち着いた声が掛けられる。
「ロディの残したかったものや、君の言葉はちゃんと届いている。君の優しさに俺だけじゃなく、ナイトやアカシアも救われた。」
「君の中で俺が憧れだったように、俺にとってもロディが昔から救いだったんだ。君が居てくれたから、俺は迷わずにいれたんだよ」
この言葉に嘘は無い。ロドニーの幸せを願い、その憧れのために身を尽くす覚悟を決めた。ただ恐怖から目を背けるだけではきっと何も出来ずに蹲ることしか出来なかった。
言えるわけが無い。君たちのおかげで死ぬ決意が出来たなんて、優しい君に言えるわけがなかった。自由に生きてはいけない世界で、優しい人達が唯一自分の指針だった。
だが今はその決意が揺らいでしまった。死を誰よりも恐れていることを自覚して、誰かから忘れられることを恐れてしまった。……そんな中途半端な自分が彼に掛けれる言葉は、何があるのだろう。
「ウィル……」
「君が残したかったものは、必ず後世に正しい歴史として残す。大丈夫だ。……俺が必ず、皆を帰すから」
一緒に帰ろう、なんて言えなかった。ロドニーの状態からしてもここから離れる頃にはどうなっているか想像が出来ない。そしてウィルペアト自身もこの場所から離れていいのか……未だに迷い続けていた。
「でも……いま、ここはいいけど……皆が逃げるためには、……」
「……まだ策は浮かばないが、……そうだな、夜明けまでには仮拠点に行けるようには……」
「せめて、……っせめてさ!僕だけが悪いみたいな……“ツァイガー”になった僕のせい、なら……皆……逃げてくれないかなぁ……」
その言葉に背を撫でていたウィルペアトの動きが止まる。その瞳は大きく見開かれ、「何を……」と小さく呟いていた。
「僕のこと、嫌いだって…………見捨てて、くれるかなぁ……ここからさ、逃げてくれるかな……?」
「そんなこと……!」
「だって、そしたらさ…………皆のこと、傷つけなくて済むのかなぁ……?」
“ツァイガーになったばかりなら、精神的にも不安定で負の感情が増幅される”…そう教えてくれたあの人の言葉を反芻する。未だにパキパキ…と音を鳴らしつつ身体の変化は止まらない。思考にもぼんやりと靄がかかったような状態になり、ふつふつと破壊衝動にも似た何かが自分の中に込み上げてくるのがロドニーには分かった。
「お願い、ウィル」
君のようにカッコいいヒーローになんてなれなかったけど。
「これが、僕なりの戦い方なんだ……!!こんなカッコ悪いとこ。皆にも……2人にも見せれないよ。だから……」
「リーダー……どうか、ご決断を」
そう告げる彼の瞳に迷いは無かった。大切な人達を守る為にヒーローにだって悪役にだってなってみせる。……これが今の自分に残された唯一の戦い方だった。
バキリ、と一際大きな音を立てて激痛が走る。ロドニーの足元は既に完全に変化しており、細長い無数の腕は彼の長い肢体を支えるために存在しているようなものだった。
呼吸が乱れる。何が最適で正しいのか、ウィルペアトにはもう分からなかった。果たすべき責務も果たせず、大切な幼馴染は守りきれなかった。……自分に残されたのは、残る隊員達を国に生きて帰すことだけだった。
ギリ、と唇を噛み締めて長く息を吐き出す。そしてゆっくりとロドニーから手を離し、武器を握ったままの手で魔力任せに近くに存在していた1番太い腕を切り落とす。ボタボタと赤黒い血がそれから流れ落ち、周囲の腕や触手も一斉にダラりと力を無くすように落ちる。恐らくはこれが1番魔力を有していた個体だったのだろう。
薄くなった腕による壁の向こうから困惑と安堵の混じった声が響く。その誰かの声を掻き消すようにウィルペアトは声を上げる。
「……全員、……今すぐゼクンデより撤退。」
「これよりクラインへの、帰還を、……ッ最優先してくれ」
ぐ、と息を呑む。これが君の憧れたリーダーとして出来る最適解であり、君のことを知る者として出来る最大限の優しさだった。
「……ありがとう、ございます」
へにゃりと笑うその顔は幼い時から変わらないというのに、ロドニーの身体は次第に呑まれていく。上半身もバキバキと音を立てて侵食され、顔を覆っていた仮面も広がり顔面のほとんどを覆い尽くしてしまった。その姿に後ろ髪を引かれるようにしつつ、ウィルペアトはその場を去っていく。その姿をロドニーは優しく見守っていた。
「っ、リーダー!ロドニーは……!!」
腕の牢と化していたその場所から出てきたウィルペアトへ即座に駆け寄ってきたのはアカシアだ。それに返す言葉を迷っていれば、何かを壊すような音と共に風が勢い良く隊員達の間を抜けていく。
「…………なん、で………………」
音の正体へ視線を向ければ、そこに居たのは3メートルを優に超える程の巨体の“ツァイガー”であった。それは過去にロドニーとナイトが倒した蜈蚣タイプに酷似しており、カチカチと不愉快な音を立てながら無数の足…否、爪を動かしていた。
「どうなっている?……まさか、アレがヴィンシュタインか?」
「…………そん、な……」
更に眉間へ皺を寄せるカイムと大きく目を見開くナイトに対してそのツァイガーから声が返ってくることは無い。
『みんな早くここから逃げて』
最早人では理解を超えた叫び声を上げながら、それは長い肢体で攻撃を仕掛けてくる。それは決して誰も傷つけないように、それでいて下の階へ降りる為の階段以外の道を塞ぐように。
「……っこれはリーダー命令だ。……目の前の“ツァイガー”は討伐せず、今すぐこの場から全員撤退してくれ!!」
今までウィルペアトの口から『命令』が告げられることは無かった。何があっても『お願い』や『頼み事』として班員へ指示を出していた彼の下す初めての命令だった。言葉の強制力を理解していたからこそ彼らの意志を尊重するように選んでいたが、今この場に置いて自分が1つの指針を示さなければ、磁気の狂った時計のようにこの組織は乱れてしまう。それだけはしたくなかった。
「……っ!!」
それに反発するようにアカシアはウィルペアトを睨みつける。これまで全員を騙し、開き直っているわけでは無い。ただよりにもよってこのお人好し見極めたようなリーダーが誰かを残して行くことも、ロドニーを置いて行くことも嫌だった。理解が出来なかった。
だがその近くをツァイガーの腕が掠める。床は大きくめり込み、直撃していれば即死は確定だろう。
「一先ず下の階へ急ぐ。負傷している者は基本バディがカバーすること。ノヴァはシェロ達と一緒に先頭へ、ナイトはカイム達と一緒に動いてくれ。俺達は最後尾で着いていく」
「おい、きみまた……!」
「悪い。今回は君の不満を聞いている暇は無いんだ」
説明しながらヒョイ、とウィルペアトはラビを背中に担ぐ。彼の怪我が治っていないことは理解しており、いつも以上に足を引き摺って歩いている時点である程度察しは着いていた。
だがラビとしては不満はそれだけでは無い。最後尾、ということは彼はまだ自分が生贄になる可能性を捨てていないのだ。
「こっちへ!」
シェロの声に導かれるように全員が階段の方へと戻っていく。全員が9階へ下がったと同時、ツァイガーはまた悲鳴にも似た叫び声を上げながら攻撃を繰り出す。その衝撃によって屋上へ続く階段は完全に破壊され、上へ向かう為の手段は奪われてしまった。
「……!」
バッとアカシアは屋上へ続いていた穴を見上げる。そこからは紫と青の混ざった空と、白い蜈蚣タイプのツァイガーがこちらを覗いており、紫色のコアと目が合ったような気がした。
「っ、待ッ」
アカシアがそちらへ再度手を伸ばそうとすれば、鋭い爪がまた攻撃を繰り出す。小さな穴からはもう何も見えず、これ以上近寄って来ることを避けているようだった。
「っ、ふざけるな……ッ!!アンタが、〜ッなんでアンタが傷つかなきゃいけないんダヨ!!!!そんなのおかしいダロ!!」
アカシアの叫びに思わず唇を噛み締める。彼女が怒るのも無理は無い。それほどまでにこの世界は理不尽に満ちており、ただ無慈悲に時計の針を進めていく。
カイム達に手を強く引かれるようにしてその場を離れていく彼女達の姿を見届け、そのツァイガーはようやく攻撃を止めて空を見上げた。
今の自分なら、空に浮かぶ星にだって手が届くような気がした。ぐっ…とその体躯を空に向かって伸ばせば、遠かったはずの星がグンっと近くで見えるような気がした。
(ああ、よかった。……貴女を傷つけてしまう前で)
1つの星が流れ落ちる。溢れるはずの無い眼窩から流れ落ちた体液の正体すら確認できず、ゴシゴシと無数の腕でコア部分を擦る。
(きっと、これが僕にとってマシな選択だったんだ)
────それはある日の昼下がり。
幼馴染と共に外食に訪れており、彼は目の前でその所作の美しさを保ったままコーヒーをひとくち口に含んでいた。自分もそれに釣られるようにふー…と何度かカフェオレに息を吹きかけ、少しずつ飲み進めていく。
しばらく他愛もない話を咲かせた後に、意を決して「ウィルって好きな人、いないの?」と問かければ彼は1度瞬きをした後にゆっくりとカップをソーサーの上に戻した。
「秘密、かな。……まぁ仮に居たとしても、俺は諦めるよ。俺じゃ幸せにするどころか傷つけることしか出来ないからなぁ」
そうして微笑んだ彼の表情から「ああ、きっと恋をしているんだ」と察する。少しだけ拗ねるように、カップに口を付けたままポツポツと自分もそれに返した。
「……ウィルは自分が思ってるよりもずっと素敵な人だよ。少なくとも僕はそう思う。ここにいる誰よりもウィルを見てきた僕はね。」
「……でもウィルの気持ちも分かるんだ。いつ何が起こるか分からないからね。きっと好きになればなるほどその気持ちは強くなる……どう転んでも後悔するだろうし、相手を傷つけるんだろうけど」
伺うように彼へ視線を向ければ、優しい微笑みが返される。
「……はは、ありがとうなロディ。……そうだな。…出来れば相手のことは傷つけたくないし、幸せになって欲しい。そうなるなら俺以外の誰でも良い。……と言えたら良いんだけどなぁ。実際、その場面を見たら苦しくなるかもしれない」
きっと彼は自分が知るよりももっと欲深く、優しいのだろう。そこで迷わず自分の欲を取らないのが彼らしかった。
「……1番マシな選択が出来たらいいよね、お互い」
「そうだな。……お互い、その時は1番マシな選択が出来るように明日もまた、生きような」
あの日話したことを彼は覚えているだろうか。
(……あ、流れ星)
靄が掛かった視界の中に唯一煌めく星が流れる。何も出来ない自分の最期は星に看取ってもらうことしか出来ないのだ。
僕なんかよりずっとカッコよくて素敵な人に愛されて、幸せになりますように。
どうか、貴女がこれ以上涙を流すことがありませんように。
段々と瞼が落ちていく。ああ、無性に眠くて仕方がない。こんな冷たい床で、結局自分はひとりぼっちなのだ。
(…………おやすみなさい)
もう二度と覚めることの無い誰かの願いは、星だけが見届けていた。
────8階 階段入り口にて。
「っ、……これ、は……」
「なん、すか……この量……!」
先頭を行くシェロとノヴァは思わず息を呑む。アルフィオもその光景に対して深く眉間に皺を寄せていた。
……その場所を例えるのなら、“地獄”が相応しいのだろう。来る時は何も居なかったその階にはZからAクラスに至るまでのツァイガーが溢れかえるようにして存在し、ある一方では共食いが、ある一方では不協和音のような叫びが上がっていた。
「……今までZクラスのツァイガーが大量に居ることはあっても、こんなにクラス幅があったことは無い。皆、注意して進んで!」
後方へ控える残りのメンバーへ聞こえるように声を上げつつ、アルフィオとノヴァが道を切り開くように進み、シェロはその支援に徹していた。
(……おかしい、でも俺たちに攻撃してくるのは一部のツァイガーだけだ……彼らの目的はなんだ……?)
「……アルフィオ、ノヴァ。回避出来そうなら討伐は回避して、逃げることに集中しよう。彼らの目的は分からないけど……攻撃してこない個体がほとんどだ」
「確かに……言われてみればそうっすね。全部が襲ってくる訳じゃ……」
「……多分、……上の階が彼らにとって目的なのかもしれない」
ポツリと呟くアルフィオへ2人からの視線が向く。一瞬言葉を迷わせつつ、アルフィオは先程の戦いを思い返していた。
「ランクが上がった……今回は変動かな。その直後は本来想定されるクラスの強さよりもかなり弱くなっているんだ」
「そう、だね。SSクラスを捕食したとしても、すぐにはクラスが上がらない。でも体内にはSSクラス分の魔力も貯蓄される。……恐らく彼らの目的は……アルフィオの考える通りだと思う」
ツァイガーとなったロドニーの肢体には無数のコアが存在していた。ツァイガーにとっての栄養がコアだとすれば、今ツァイガーになったばかりのロドニーは彼らにとって狙い目とも言える。
その言葉の意味をようやく理解したノヴァが眉を寄せれば、「僕達は今、僕達の出来る最善をしよう」とアルフィオとシェロから声を掛けられる。
「……そう、っすよね。……了解っす」
力強く頷きを返し、3人は更に足を進めて行った。
────7階 通路にて。
息を切らす音がツァイガーの叫びによって掻き消される。「なぁ」と小さく呼びかけるバディの声に対しても何も返せない程に余裕は無かった。
「……降ろしてくれ。1人で歩けるから」
「……」
「……き、きみもこのままだと戦いにくいだろ……!明らかに距離が他の2組より離されている。これじゃあ差が開くだけだせ?」
「…………」
「〜〜っ!おい!!聞いてるのか!!」
背後の声がガンガンと頭に響く。だが今のウィルペアトにはその音を言葉として理解し、頭の中で処理をする程の余裕が無かった。
ここに来るまでの魔力消費が多く、加えて補助具も全て破壊されてしまった。大きく欠けた穴を埋めるように残った血の魔力は欠けた眼球の方へ集中しており、ソラエルの声を模したツァイガーから受けた腹部の傷は未だに完治していない。じゅくじゅくとした瘡蓋にもなれず、腹の傷は段々と開いていく。隊服の前部分には開いた傷による血の染みが広がっており、魔力消費の処理に追いつけなくなったのか先程から鼻血や頭痛が止まらない。彼を背負う形を選んだのはそれを悟られたくないという理由もあった。
「……聞い、てるさ」
息を切らすことしか出来ない。それに対して違和感を覚えたのか「……大丈夫じゃないだろ、きみ」と小さな声が背後から聞こえる。
「………は、は…………大丈夫、大丈夫だから」
「何が……っ、おい!」
その声に反射的に顔を上げれば、目の前には細長い腕をこちらに振り上げているツァイガーが居た。
「ッ、!」
急いで武器を構えて応戦するが、それよりも速く攻撃が来ることを悟り思わずラビを抱えていた手を離す。そうして彼が尻もちを着いた瞬間、攻撃が届く。僅かに傷口を掠めたその攻撃に顔を歪めつつ、無理やりコアへ武器を突き立てようとすればそれは表面を掠めてカラン…と床へ落ちてしまった。
(っ、しまっ……!!)
タンッと背後からツァイガーに当てられた攻撃に何とか救われたが、目の前のツァイガーは未だ叫びを上げており、自分の足元には愛用していたシャムシールが転がっている。
「ッ、は……」
ガクりと膝から力が抜け落ち、地面に手を着く。ラビからの心配の声が掛けられたような気もしたが、グワングワンと響く頭の中ではそれを理解することが出来なかった。
腹部から流れる血は止まらず、肉が空気に触れる度に激痛が走る。普段通り治の魔力を回そうとしても傷口が塞がることは無く、赤い染みだけがインクを零したように隊服へ広がっていく。
(ああ、そうか)
ようやく皆と同じになれた。人間に戻ってしまった。
理解した瞬間、絶望に襲われる。この状態では武器も満足に振るえず、そして生贄として塔の動きを止める計画も遂行出来ない。
(…………何、も……)
「っおい!!ウィル!!」
勢い良く掴まれた肩にようやく意識が引き戻される。視界に広がる月と海の色がどこか夢のようだと錯覚させたが、腹部の痛みが現実だと呼び戻す。
「っ、きみ……!その傷……」
「……はは…………ごめん、ラビ」
「…………は?……というか、なんで治っ……」
「…………」
「……まさか」
彼の無言と治らない傷からラビもようやく事態を察する。目の前のツァイガーは再度こちらへ攻撃を繰り出しており、それを躱す為にウィルペアトはラビを突き飛ばした。その攻撃はちょうどラビの居た所へと当たり、地面を凹ませていた。
「ラビ、このまま進んでくれ。……アカシア達にも連絡を入れるから」
「……?……おい、じゃあきみはどうするんだよ」
「……すまない」
「ッ謝罪しろって言いたいんじゃない!!それくらい分かるだろ!!」
思わず声を荒らげるが、目の前の男はただ静かにこちらを見て微笑んでいた。……それはあの日死にたく無いと本音を吐露した顔とは違い、全てを諦めたようだと
ラビは感じる。
「もう、どうしようもないんだ。だったらせめて、君だけでも先に行ってくれ」
「うるさい!!きみが、……ッきみが俺に死ぬことを諦めさせたくせに!!なのに簡単に諦めるなよ!!」
最後まで偽善者ぶったその顔で微笑みかけないで欲しかった。その顔が世界一苦手だと伝えているのに、よりにもよってこの瞬間に微笑まれている。
目の前には先程僅かにコアに擦り傷はついたものの、未だ充分に戦えるツァイガー。そしてラビの足元にはウィルペアトの落とした武器が転がっていた。
(どうする、どうすればいい?)
頭の中を占めるのは出来ない時の言い訳だった。可能性はあっても、それに期待したくない。期待して出来なかった時、誰のせいにも出来なくなってしまう。……それが未だに脚の枷となっていた。
ぐる…と一層低い唸り声を上げ、ツァイガーはウィルペアトへと襲い掛かる。一瞬そちらへ視線を向けた後、彼はすぐにラビへ視線を戻した。
「ごめん、ラビ」
「〜〜ッ!!」
幾度となく聞いた謝罪の声。血にまみれた顔面で微笑む彼の瞳には涙の一つも浮かんでいなかった。
そのすました顔が憎かったのか、自分の中に残った僅かな正義感がそうさせたのかは分からない。だが気づいた時には武器を手に取り、走り出してツァイガーへ構えていた。ブチ、と薄い皮が裂ける音を聞きつつ目の前のツァイガーからガクッとバランスを崩した瞬間に勢い良くそれを振ってコアに当てればガラスの砕ける音と共にそのツァイガーは大きく仰け反った。
「…………は、……」
後ろから零れる彼の声は今まで聞いた事のないような気の抜けた声であり、きっとその表情は困惑している事は容易く想像できた。
「人に散々説教してたくせに、勝手に諦めないでくれ」
再度武器を構える。自分の才能に賭けれるほど自信は無かった。……だが、これがある意味での一世一代での大勝負となったが。
「こっちはまだきみに言い足りない程の文句があるんだから」
誰よりも傍で見てきたからこそ、この武器の振り方を理解している。元治療サポート班のリーダーだと言うツァイガーが討伐調査班の武器を使えたのだから、使用出来ない訳が無い。…ましてや力と治の魔力の両方を持ち合わせているラビにとって、出来ない理由があるとすれば自分以外の理由は無かったが。
ソラエルを模したツァイガーからの攻撃やそれ以外の細かい怪我やバディの怪我の治療で魔力消費をしたラビはとっくに走れる程までに魔力は戻っていた。正しくはシェロがラビに使用していた活性剤分を使用し切ったと言う方が正しい表現ではあるものの、ラビがその理由を知っているはずが無かった。
再度武器を大きく振れば、ツァイガーはその場に項垂れるように倒れ込んだ。
「……はは、…………今になって、ようやくかよ」
誰に呟くでもなくポツリと言葉を零せば、「大丈夫か?」と心配そうに眉を寄せて彼はこちらに近寄って来る。
「……」
「だッ、……無言で額を打つのは無しだろ……」
「うるさい、加減してやったんだから文句を言うな。あときみなぁ……!!これ、魔力消費多すぎるだろ!!いくら義眼があるって言っても限度ってもんがなあ?」
グチグチと文句を言いつつも「怪我してることを隠したどこぞのリーダー様だからなあ」と腹部にも治の魔力を当てられる。
「……ありがとう。だが止血程度でいい、君の魔力が」
「じゃあ勝手に死ぬようなことをしないでくれって言ってるのが分かるか?」
「……」
「ほらな、ぐうの音も出ないくらい正論だろ」
パッと手を離してさっさとラビは歩みを進める。恐らく魔力の限度的にもまだこの武器を自分が使用しても問題は無いだろう。
「悪かったって……」
そう小さくぼやきつつウィルペアトもラビの後ろ姿を追うように歩を進めた。
────6階 階段にて。
パタパタと駆けていたカイム・アカシア・ナイトの3人であったが、ピタりとナイトの足が止まる。
「どうした?」とアカシアが振り返れば、彼は思い詰めたように顔を顰めていた。
「…………ッ、ごめん、2人とも!!僕やっぱりロディさんのこと、見捨てるなんて出来ない……!」
90度になるほど腰を曲げて謝罪するナイトに対し、「……いつか、アンタなら言いかねないとは思ってた」とアカシアからの静かな声が響く。
「アンタのそのワガママが通るなら、私も戻る。彼を残してなんて行きたくない」
ギッ、と勢い良くナイトを睨みつけた瞬間。どこかの階からドンと勢い良く爆発するような音と揺れが響く。
爆発する武器に親しみがない3人はもちろんこの音が爆発によるものなのか地震の衝撃によるものなのか判断は出来なかった。音の正体はウィルペアトが隠していた時限式の爆薬をツァイガーが呑み込み、それが体内で爆発したものだった。本来よりも爆発の威力が落ちてしまったため破壊に直接繋がることは無かったが、塔が揺れるには充分過ぎるほどの威力ではあった。
「っ、なんダ、今の音……!」
「恐らく……今の地震の衝撃かもしれない」
警戒するようにアカシアとカイムは周囲を確認するが、階段部分にはツァイガーが居ないのだろう。一息吐いてナイトを改めて見れば、一筋の汗が彼の頬を伝っていた。
「ワガママなことは誰よりも僕自身が分かってる。……でも、諦めたくないんだ。彼のことを。……こんな僕のワガママにアカシアさんやカイムさんを付き合わせる訳にも行かない。後方にいるウィルさん達と合流するから、僕のことは」
「嫌だ」
珍しく言葉を被せるように遮ったのはカイムだ。その表情は固く、確かな拒絶の意思があった。
「後方で合流出来ると言って、アナタを置いて行く理由にはならない。……通信が先程から影響を受けているのか正常に機能していない。その状態で置いていくことの危険性が分からないと言うならまた話は変わるが」
「分かってるよ。……でも、彼のバディは僕だ。……大切な友人を置いてなんて、いけない」
彼の最後の顔が忘れられない。カイムの事も大切に思っている。だがバディとして隣に居たロドニーも同じくらい大切なのだ。
アカシアの中で先程6階の空き部屋で彼から言われた内容が何度も頭の中を巡る。
『──ロディさんに何かがあった時、僕はきっと助けに向かう。でもそれは決して自己犠牲とかそういうのじゃなくて、彼“も”助けたいと言う僕の願いです。』
『その時は……カイムさんのことを、守ってください』
ギリ…と奥歯を噛み締める。誰も彼もこんな状況になるなんて予想出来ていなかったのに、あの時の彼の願いが……約束が。頭を過ぎる。
ナイトの真っ直ぐとした視線を受け、カイムは一瞬言葉を詰まらせる。そして迷いの末、呟いたのは「なら、ボクも共に向かう」という言葉であった。
「ダメだよカイムさん、いくら何でも君を危険な目に合わせるなんて……!!」
「……それくらい、……この組織に来ると決めた時から、……わかってる。わかっているんだ」
アナタのように優しい人はいつも誰かを庇って傷つこうとする。そうしていつも自分目の前で優しさが消えていくのだ。
「……ドライバー。すまない、少しだけ2人で話をさせてくれ」
「……カイムちゃん……」
「ボクの私情だ。……あまり聞かれたくない、な。……大丈夫だ。すぐに済むから」
「……」
カイムのその言葉を信じ、アカシアはタンタン…と何段か階段を下がって行く。それが今の自分に出来る唯一の気遣いであった。
その背を見送り、カイムはもう一度ナイトを見上げる。彼の視線に迷いは無かった。
「きっと、これはボクが散々言ってきたバカな考えかもしれない。……だが、……ああ、そうだな。アナタを置いて行きたくないんだ」
「それは……ッ、それは、僕も同じだよ。……でも……」
「……アナタを愛しているからというのは、理由にはならないか?」
「ッ……!!」
ぎゅう、と強く抱き締められる。離さないように、なんて理由じゃないことは分かっている。優しいアナタを引き止めたい自分と、愚かな自分が彼の背へ腕を回す。
離さないで。傍に居て。このまま時が止まってしまえばいい。1分でも1秒でも、アナタの温もりが伝わるこの時間のままで。
引き止める為の言葉は泡のように浮かぶ。だがパチンと弾けることもなく上に溜まり、言葉として溢れる前にぬるい温度となって頬を滑る。
これがどれだけ愚かな選択か誰よりも自分が理解しているのだ。自分が残ったとして、彼と共に命を散らすだけだろう。
それでも良い。アナタと共にいれるなら、このままで。
でもアナタが誰よりも優しい人であることをボクが1番知っている。春の陽のように暖かな眼差しのまま、アナタは全てを救う為にその手を伸ばせる。その優しさに自分の身が焦げたとしてもアナタは変わらず微笑むのだ。
そんなアナタも、どうしようもなく愛おしく思っているのだから。惚れた弱味ということにさせて欲しい。
「…………アナタ1人で、いかないでくれ」
その温もりも声も優しさも、何も残してくれないというのなら。共にこの手を引いて欲しい。
だがナイトはするりとその手を離し、最後にカイムの前髪を少しだけ分けて額に口付けを落とす。ぎゅ、と寄った眉間の皺へ頬を緩め、ゆっくりと離れて行く。
「……これ、……お願いしてもいいかな」
「……これは……」
「……きっと。ウィルさん達に渡したら理解してくれると思う」
そう言ってナイトは1冊のノートを手渡してくる。
(待って、行かないで)
溢れ出る言葉が詰まって涙が止まらない。それでもアナタは誰かを救おうと動ける人であることを、自分が何よりも知っている。
ああ、結局自分はまた何も出来ない無力だったのだ。愛おしい人は皆、自分の前から去って行く。
数歩階段を上がり、ナイトはカイムへ振り返る。その笑顔は、何度も自分が見てきたものだ。愛おしい人へ向ける笑みであることをカイムが誰よりも理解していた。
「カイムさん。あのね、」
「愛してる。世界中の誰よりも」
君に呪いのような言葉と想いしか、遺せなくてごめん。
続く言葉を呑み込み、ナイトは再び背を向ける。
「……ボクも、……愛してる。この世界の、誰よりも」
その言葉に思わず足が止まりそうになるが、無理やり足を進める。自分はこんなにも幸せだった。大切な人が居て、大切に想ってくれる人がいる。
こんな世界の中でも、確かな幸せがあったのだ。
6階に戻り、ナイトは足を進める。6階はカイムの復讐相手であるツァイガーが居た場所であり、ここには他のツァイガーの姿は一切見られなかった。一瞬迷い、ナイトは来た方向に足を進める。だが他の班よりも遅れて着いて来ているウィルペアト達は逆方向から既に進行しており、ナイトとすれ違うことは無かった。……むしろ、その方がナイトにとっては都合が良い結果となったが。彼らもきっと自分の行動を止める。その時、きっと自分は進むことを止め……後悔する日々が続いただろう。
ただひたすらに足を進める。屋上に1人残された友人のために、がむしゃらに。
例え貴方がどんな姿になったとしても、バディであって、親友として傍に居たのは他の誰でもない僕だ。
君が教えてくれないと、一際輝く星がどこで光っているのかまだ分からない。だから廻る星を指で辿って、回る未来の先を夢見よう。
決して希望を絶やさないように。もう二度と何かを諦めることの無いように。何度だってその手を掴む。
そうしてまた、貴方と共に笑い合うために。
『─────後悔だけは、するんじゃないよ』
(大丈夫だよ、母さん)
願うばかりでは、明日が来ないと知れたから。
大切な人を守りたいという僕の選択に悔いは無いから。
────2階 階段前にて。
パタパタと先を走るシェロ達は既に2階に到達していた。通信が不調のため、全員の位置把握は出来ず、時折起きる爆発音に眉を顰めることしか出来ずに居た。
「とりあえず、ここを下がれば1階だ。ツァイガー達の量も減っているから、皆が揃うまでは階段を降りてすぐの所で待機しよう」
「了解っす!」
シェロからの指示を聞き、階段へとノヴァが足を進めようとした時だった。
「 ノヴァちゃん 」
「───────……」
もう二度と聞くことの無いと思っていたその声に思わず足が止まる。知っている、この声を。自分の隣で話していたこの声を忘れる訳が無い。
油をさし忘れたロボットのようにぎこちない動きで振り返れば、そこには1羽の鳥の形に似たツァイガーが居た。随分ふっくらとした鳥の種類までは分からなかったが、ギョロリとこちらを見る瞳はオレンジ色だった。
(……ッ、オレンジのコア、ってことは……違う。大丈夫、これは違う……!)
「ノヴァちゃん、ノヴァちゃん」と首を忙しなく動かしながらもその鳥はばさばさと勢い良くこちらへと飛びかかる。その足先には異常な程鋭い爪があり、触れるだけでもどうなるかは容易く想像出来た。
「ノヴァ!気をつけて!!」
「っ、!」
レイピアの刃先に止まるようにし、そのツァイガーは動きを止める。時折意味不明な声や違う人の言葉を交えつつも、こちらが何に対して大きく反応を見せるのかを伺っているようだった。
「 ノヴァちゃんのことは信頼しているわ。信頼している。 」
「 安心して前線を任せれるから、から、私も動くことが出来るの 」
「 特殊な空間が出ることがあるの。だから、だから 」
「 ノヴァちゃんのせいじゃないわ 」
「……」
「 正解? 」
大きく目を見開いた事に反応したのか。それは嘴を割くようにニッタリと尖った歯を見せて笑う。ケラケラと嗤うツァイガーを振り払うようにすれば落ち着かない心臓がバクバクと鳴り響く。
何も遺さないノヴァに対して、塔で生まれた未練が呪縛のようにまとわりつく。きっとあの時の自分だったら何も出来なかっただろう。その声に動揺し、動けなくなっていた。
「 置いてかないで。ないで。 」
「 ここに居て 」
……変わらなければ、動けなくなっていた。
だが、今はもう違う。
動揺を隠すように無理やり口角を上げれば、鳥はぐるりと首を傾げる。
「……っ、はは。残念っすね。……もーちょい早かったらその精神攻撃も効いたけど」
「 精神攻撃。攻撃? 」
『……今から話すこと、聞いて…………覚えて。…………伝えてね』
あの時、先輩が遺した言葉は違う。“先輩が死んだ”というショックだけが頭を占め、最低な行為をした。それで組織の人に迷惑をかけた。
再度武器を構える。その太刀筋にもう迷いは無かった。
『…………ノヴァちゃん。……貴方にしか、頼めないの。』
『だから………………お願い、ね』
「分かんないなら、いいっ、すけど……ッ!」
きっと、先輩に対する期待でノヴァは何度も先輩達を殺してしまったのだろう。期待や憧れを押し付けるということは、現状を否定することである。その行為は悪意あるものでは無かったし、ノヴァ自身も傷つけた自覚は無かった。
そもそもこの組織に真実を追い求めて加入した訳でもない。真実を追い求めて、自分や仲間を犠牲にしたくないと思っている程には彼は“普通”だったのだ。この組織に命を救ってもらい、そうしてもらったように他人の命や生活、平和を守りたいという至極普通で……優しい彼を。バディであるアーシュラは誰よりも評価し、その願いに応えたいと思っていた。
もう一度ギュン、と距離を詰めるツァイガーへ冷静に応戦する。レイピアの切っ先がコアへと突き立てられ、深いヒビと共にそのツァイガーは動きを止めた。
ふー……、と長く息を吐き出せば「大丈夫?」とアルフィオとシェロがこちらを見つめていた。この戦いに手を出さなかったことが彼らなりの気遣いであり、ノヴァの成長に繋がると判断してのことだった。
「……はい。……もう、大丈夫っす」
へら、といつものように笑って返す。
今はただ、生きて帰ることだけを目標にしなければ。そうして繋ぐ想いを、自分が伝えなければならない。
パタパタと慌ててノヴァは背を追いかけるように階段へと戻って行った。
────1階 階段前にて。
ようやく全員が集合する。ナイトが居ないことに気づき、シェロが最初にそれを問いかけたがカイムの赤く腫れた目元やフードを深く被ったままのアカシアの様子から全てを察知した。
そしてそれは後から合流したウィルペアトとラビにも伝わり、彼らは予想通り言葉を失っていた。
「ここから屋上に戻るのも危険だ。……それに」
シェロがチラりと先へと視線を向ける。何かを引きずったような赤い跡が続き、端には何かに怯えるように震えるZクラスツァイガーが居た。
「……ここは明らかに様子がおかしい。……俺としては、もう戻ることしか出来ないと思う……けど」
チラりと視線を向ければくぐもった声で「……ああ」とカイムは返す。
「……戻ろう。……すまない、……大丈夫だ」
溢れ出る涙を再度袖で擦るがそれが止むことは無い。アカシアが優しく背を撫で、少し落ち着いてから出口へ向かうことで方針は固まった。
「……もう、これが最後だ。……決して振り返らず、出口まで走ってくれ」
真っ直ぐとこちらを見るウィルペアトへ静かに全員が頷きを返す。
ちらりと様子を確認し、何も無いことを確認してからその場から駆け出していく。
ただ人数分の荒い呼吸だけがそこには響き、誰1人として後ろを振り返ることは無かった。
……そう。“振り返る”ことは、無かった。
「…………」
「ッ!!アンタ……!!」
出口の近く。そこに居た存在にアカシアは眉間の皺を深くする。
真っ白な石像は赤黒い血に塗れており、あの時捕食した血は未だに口元に輝いていた。
何も言わずにジッとこちらを見つめる石像のツァイガーへ思わず拳銃を向ける。だがその存在は断固として口を開こうとせず、攻撃してくることも無かった。
「……今更無害アピール?ハッ……意味無いダロ」
「はやく、行って」
「───────……なん、で」
その声に酷く動揺を見せたのはアルフィオだ。忘れるはずがないあの声を、凛と響く変わらない声を。……自分が殺してしまった元バディを、忘れるはずが無かった。
ふい…と視線を逸らすツァイガーへ「ねぇ、」と近寄るアルフィオの肩をアカシアが掴む。
「危ないダロ!!」
「違う、違うんです。っ、彼女は、あの人は……!」
「何も違くない。ここを突っ切って行けば出口ダ。……コレは、討伐しなきゃいけない」
「待って、やめてください。……お願い、します。……ほんの少しで構いません。……あの人と、話す時間をください」
いつも以上に背を丸くして「お願いします」と呟くアルフィオにアカシアは戸惑う。アカシアは既に“彼女”の声を忘れかけている為気づかなかったが、アルフィオの記憶に残る彼女の声と石像の声は確かに合致した。
困ったように背後へ視線を向ければ、シェロとウィルペアトも互いに見合わせていた。
「……俺からもお願い。アルフィオに……少し、話す時間を作ってあげて欲しい」
「……構わないよ。ただ敵意が見られた瞬間、俺たちが動くことは許してくれるか」
「ありがとう、ございます」
ウィルペアトやシェロ、アカシア達へ深々とお辞儀をし、アルフィオはゆっくりと石像ツァイガーのもとへ距離を詰めていく。
「 」
久しく呼ばなくなってしまったその名を呼べば、ギギ…と音を立てて彼女が動く。久しぶり、だとか旧友との再会を懐かしむ訳では無い。彼女には謝るべきことがあって、自分は許されるべきでは無いと信じてきた。
「、ごめ、んなさい。あの時……僕が、軽率な判断をしたから……君を」
「……」
「……その、……」
言いたい言葉が全て謝罪で埋め尽くされる。『帰ろう』という言葉の正しさすらも分からず、その度にあの日あった彼女の婚約者の言葉が過ぎる。
確かに前を向いて、進もうとする彼の優しさを知っている。アルフィオの噂を知っても尚、彼はアルフィオのことを責めなかった。真相は彼しか知らないのに、噂だけで責めることは違うと理解している人だった。
「良かったらまた来てよ」と言われた言葉に迷っている時、彼は優しく微笑んだ。それでも、自分が彼女を忘れないのであればまた来てと言ってくれた。……そんな2人のことを知る自分が、「帰ろう」というのは違う。
言葉を詰まらせていれば「相変わらずね」と呟く声に思わず顔を上げる。石像である彼女の表情が変わる訳もなく、ただじっとベールの向こうからこちらを見下ろしていた。
背後から伸ばされた石の手はゆっくりとアルフィオの背を押し、それは出口の方へと向けられていた。
「あなたたちも、ほら」
そう言って背後にいるシェロ達にも声を掛ける。未だに困惑していれば、「押されないと外に出ないの?子どもじゃないんだから」と残る手でグイグイと押される。
「…………」
「あの時はごめんなさいね、アカシア」
「……なんで私だって……」
「あら。女の勘って案外当たるのよ」
ニコ、と微笑んだような錯覚を見せる彼女に背を向け、アカシアも押されるがままに出口へと向かって行く。
未だに出口と石像を交互に見つめるアルフィオの元へゆっくりと近寄り、低い音を鳴らして石像のツァイガーは屈んで距離を詰める。
「強くなったと思ってたわ。少なくとも、今の方が少しだけ背筋が伸びているから」
「それは……きっと、彼のおかげだよ。でも……君と、……ううん。君たちに救われたのも本当なんだ」
「…………」
ぐい、と一際強く背をされる。「わ、」と声を上げれば「強くなれたのなら、良かった」と告げられる。
「過去に囚われてばかりでは、あなたの世界が狭いままだったもの。」
「良かった」
「っ、……うん。……うん、ありがとう」
「今、あなたにとって守るべきものがあるのなら。進みなさい。あなたの守りたい、世界のために」
ぐ、と唇を噛み締めて1歩前へと進む。また1歩、1歩と進めていけば「ああ、言い忘れ」と小さく呟く声が響く。
「似合わないって言ったけど、案外似合ってるじゃない。」
「でもあたしの、じゃなくて今度は自分自身で、自分のものを付けなさい」
「……そう、だね」
何色にでも染まりやすい自分を、彼女は誰よりも心配していた。それはツァイガーとしてこの塔に縛られてからも変わらない。ツン、とした鼻の痛みを逃すようにスンッとすすればあの日のようにはらはらと涙が落ちて行く。
別れの時間が近い。日が沈んでしまえば……いや。きっと彼女とはもう二度と会えないのかもしれない。漠然とした予感だけがそれを告げていた。
だがそれで良い。本来、生者と死者はどれだけ文明が発展しても交わるべきものでは無いのだから。
全員が出口から外へと出ていく。アルフィオもそれに続くようにし、出口でくるりと背後を振り返る。彼女はまだじっとこちらを見つめていた。
「さようなら」
僕の最初のバディが、貴女で良かった。
そう心の中で続ければ何かを察したように緩く腕が振り返される。
「ええ、さようなら」
ぐい、と涙を拭い先へと足を進める。振り返らず、ただひたすらに前へと。
そうしてしばらく歩みを進めて行き、ウィルペアトは自身の手元を見つめる。そこにあるのは塔に残してきた爆薬のスイッチであり、これが最も大きい爆発に繋がる。
背後を振り返れば未だにどこかで爆発が続いているのか、ボロボロと崩れ落ちる時計塔だったものがそこにはあった。
終わらせなければならない。これがある限り、また誰かが不必要に傷つく。
未練をいつしか断つと決めてここまで歩いてきた。物語はいつかエンディングを迎えなければならない。
長い時代の中、続いてきた文明に終わりを与えなければ。……何かを失って壊して、人は新しい時代を築いていく。そうして時計は回っていく。時代は進んで行く。
長く息を吐き出し、震える手を抑えるようにそのスイッチを押す。背後から低い音が響き、全員が振り返れば塔はガラガラと音を立てて崩れて行った。
残された隊員達の間をその風が吹き抜けていく。夜風が頬を撫でて、頭上では月が光り輝いていた。
それ以上誰も口を開くことは無く、ただひたすらに足を進めて行った。
誰も彼も願う未来だただ一つだけだった。この組織に身を置きながら、願うことの傲慢さを知っている。
……それでも。
ただいま、と。貴方と共に言える日常が続いて欲しかっただけだ。
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