第14話 真実

​─────3年前 11月16日、グローセ本部前にて。

「本ッ当に!!無理だって思ったらすぐ戻ってきていいからな!?」

「ジェイムスさん!?お、落ち着いてください……!!」

既に涙ぐんでいるジェイムスをエミリアがあわあわと宥める。彼のことをよく知るシェロのバディは「相変わらずだな」と呆れたように息を吐いていた。

「……去年もそうだったが……恒例行事なのか?」

おず…とウィルペアトが自身のバディとヘルハウンドに問えば、彼らは顔を合わせて苦笑いを浮かべた。その表情が答えだと気づき、もう一度視線を戻す。入ったばかりのアルフィオとナイトの肩をジェイムスは勢い良く叩き、2人とも困ったように眉を下げていた。

「ちょっと。そのくらいにしてあげて」

凛とした声がその場に響く。もう…と小さく呟いているのはアルフィオのバディであり、彼女の一声でようやくジェイムスの捕縛からは解放されたようだった。

「わ、悪ぃ……」

「心配なのは充分伝わったわ。でも心配し過ぎても良くないんじゃない?」

「そうよ!教官は心配しすぎ」

「アーシュラにそこまで言われるってよっぽどだかんなァ?」

ぷん!と子どものように頬を膨らませるアーシュラの後ろから相槌をするように彼女のバディも茶々を入れる。今度は女性3人に囲まれるようになったジェイムスはたじたじとした様子で1歩下がった。

「……教官って奥さんに弱いって聞くケド本当みたいダナ」

「だって女医だって言うじゃナイ?怖そうってよりは奥さんが強い方だと思うケド」

ヒソヒソと内緒話をするように囁くドライバー姉妹へ「そうなんですか?」とアルフィオが問えば「本人から聞いた話ヨ」とウィンクと共にアマンダから返答が来る。

「あとすっごい美人さんナノ。1度見に……って言うと怪我とか風邪を引いてることが前提になっちゃうカラ、タイミングが合った時に写真見せて貰いまショ」

「そうですね、そうしてみます。今は……だいぶ難しいと思いますし」

目線だけを向ければその場をヘルハウンドとシェロのバディがなだめており、ようやく落ち着いたようだった。

「と、とにかく!そろそろ出発の時間だな」

「そうだね。今日は少し天気も悪いし……もしかしたら途中で雨が降るかも」

仕切り直すように呼びかけるウィルペアトに続いてシェロが思い出したように告げる。調査の際は余程悪天候でない限りは向かうように指示が出ている。移動中に風邪を引いたという事例も過去に何度かあり、その点に関しても改善すべきだと長年の議題に上がってはいるようだが一向に改善の気配を見せない。

ふむ、と考えつつ「明日も続くようなら1度様子を見てもいいかもしれないな」と呟き再度エミリアとジェイムスの方へ視線を向ける。勢い良く目を擦ったため彼の目元は赤くなっており、エミリアは全く…と呟いてハンカチを差し出していた。

「それじゃあ俺達はもう行くよ。ありがとう、2人とも」

「いえ。私たちに出来るのは微々たるものですので」

ニコリと微笑みを浮かべつつ、「あ!」とエミリアは1つ声を上げる。続く言葉を皆で待てば「出発前にお伝えしたくて」と返される。


「行ってらっしゃいませ、皆様」

「ああ!行ってきます」

そう告げて見送る彼らへ手を振り返しつつ、何度目かのゼクンデへの調査が始まろうとしていた。




​───────仮拠点 調理スペースにて。

「……ウィル。包丁を武器と同じ握り方で持ったら危ないから1度それを置こうか」

「そ、そうか……すまない」

「刃物は全部同じだと思ってんのか?うちの坊ちゃんは」

ヘルハウンドとウィルペアトのバディに心配の視線を向けられ、手にしていた包丁を置く。そこにひょこっと顔を出したのはナイトであり、「大丈夫そうですか?」と3人を見つめている。

「すまない、ナイト……俺では戦力になれなかったみたいだ」

「そんな事ないよ。ありがとう、ウィルさん。手伝ってくれて。……もし良かったらアーシュラさんを呼んでもらうことって出来るかな?明日のことで色々参考にしたくて」

「了解だ。少し待っててくれ」

実際ウィルペアトが行ったことは文字通り包丁を握っただけであり、目の前には切られていない野菜が並べているだけだったがその事実からナイトは目を逸らした。

ボタンを押して扉を開ければすぐそこにアルフィオと彼のバディがおり、「ウィルさん」と声を掛けられる。

「あら、夜ご飯の準備終わったの?」

「いや、まだだよ。俺はアーシュラを探しに行くことになったんだが……見なかったか?」

「アーシュラさんですか?さっきアカシアさんのお部屋に行くのは見かけましたが」

2人とも待機時間を持て余していたのだろう。会話の流れのまま3人でドライバー姉妹の居る部屋へ向かえば扉の向こうからアーシュラと彼女のバディの笑い声が響く。恐らく4人で居るのだろうと思いつつノックをすれば「どうぞ」と笑いを堪えたような声が返される。


「失礼し……!?アマンダ!?何してるんだ!」

空気の音を吐き出しつつ真っ白な扉が開けば、そこにはアカシアの脚を肩に担いだアマンダが頬を膨らませていた。だらんと逆さまにぶら下がった状態のアカシアは何も悪くないと言わんばかりに口を真一文字にしており、隊服が捲れて彼女の鍛えられた腹筋が見えているのも気にとめていないようだった。

「聞いてヨ隊長さん!シアったらまた1人で無理をしたのヨ!?」

「別に無理はしてないダロ。ネエサンにそこまで怒られるコトは……」

「そういう事じゃないノ!んもぅ!!」

恐らくアマンダの心配に触れたのだろう。ふわふわとした柔らかいポニーテールをブンッ!と勢い良く揺らしながらアカシアを離さない。困ったように言葉を選ぶウィルペアトとはぁ…と息を吐く自身のバディの間からひょこっと顔を出すように「あの、」とアルフィオは言葉をかけた。

「アカシアさんにも何か理由があるんじゃないかって思って……」

「でも口をキュッってして言ってくれないノ」

「それはアマンダさんに言いたくない、というより心配させたくなかったの意味合いの方が強いんじゃないかなって思ったんです。……姉妹を心配させたくない気持ちは、何となく分かるので」

アルフィオの脳裏には自身の弟妹のことが浮かんでいた。年の離れた双子の弟妹である彼らも片割れのことを心配させたくないと子どもらしい意地を張り、それが何度か言い争いに繋がる場面を近くで見て来た。今のアカシアからはそれに近い雰囲気を感じており、実際に言葉が図星だったのかふい…とアカシアは顔を逸らしてしまった。

「そうなの?シア」

「……だから、無理はしてないって言ったのに」

背後の返事を聞き、アマンダも渋々納得したようにアカシアを下ろす。「そういえば何の用事だったノ?」と来たばかりの3人問い返せば「アーシュラに用事があって」とウィルペアトから告げられる。

「?私に?」

「ああ、ナイトが探していた」

「んー……あの事かしら。分かったわ!すぐ行くわね」

恐らくは明日のドライバー姉妹のバースデーに関することだろうと察し、パタパタとアーシュラは部屋を後にする。残された彼女のバディも「アタシも一旦戻るとするかァ……」と呟き、その場を後にした。

「俺たちも戻るか……2人とも、悪かったな急にお邪魔して」

「構わないワ!むしろ私たちの方が騒がしくしてごめんなさいネ」

「それは構わないが……危ないことはしないように」

「はぁい」と2人の揃った声を聞き、3人も部屋を後にする。2人きりになった部屋で「隊長さんの言う通りヨ?」とアマンダが再度問いかければ、ふい…と気まずそうにアカシアは顔を逸らした。

「だから言ったダロ、そんなことはしてないって」

「私が怖いのヨ。2人きりの家族を失うかもしれない可能性が、ずっとずっと怖いノ」

「…………」

ぎゅっと優しく抱きしめられてしまえばそれ以上続く言葉が見つからない。肩に掛かっているふわふわとした髪が顔に当たり少しだけくすぐったかったが、視界いっぱいの陽に埋もれるように顔をうずめて抱き締め返す。本当に分かっているのだ。自分たちは2人だけの家族になってしまったあの日から手を取り合って生きていこうと決めた。双子の間で明確に存在する差があり、それで極端に優劣が出たとしてもこの手を離さないと決めたのだ。

「ン」と子どもをあやす様にトントンと一定のリズムでアマンダは背を軽く叩いた後、「お説教はおしまい。」とパッと離れた。

「でも心配させたことは怒ってるワ!だから……思いきり甘やかしハグの刑ヨ!」

「わっ、ちょっ、ネエサン!?あぶなッ」

今度は勢い良く抱きついてきたアマンダに耐えきれず、2人でベッドに倒れ込む。カナリヤのような声が楽しげに響き、真白なシーツに沢山のシワを作って抱き寄せる。

幸せだった。月も太陽も無くなったとしても、隣に在る片割れさえ居れば世界が成立すると錯覚する程には。眩しすぎるほどの貴女の色に埋もれてその光が消えないように生きていこう。だって、太陽も月も欠けてはいけないのだから。

その後夕飯を皆で食べ、各々自由な時間を過ごした後眠りについた。全員が笑っていた大切な日のまま閉じ込めるように、幸せが1つも欠けることが無いように祈りながら。



​───────そして11月17日。旧時計塔前にて。

「お城みたいだなっては思ってたけど……近くで見ると一層大きさに圧倒されるな……」

「本当にそう、だね……すごいな……」

初めて塔を間近で見たナイトとアルフィオは息を零しながら上を見上げる。圧倒されるようにしていれば「大丈夫?」とシェロがこちらを覗き込んでいた。

「大丈夫。ただ……わはは……初めて近くで見るから驚きしか出なくて」

「皆同じ反応をするから安心して。俺達も初年度はただ塔の大きさと中の広さに驚いてバディに着いていくことが精一杯だったからさ」

懐かしむようにシェロは視線を落としつつ、「2人ともウィルからの諸連絡は聞いたよね?」とすぐに顔を上げる。

「二手に別れて扉を探すってお話ですよね?」

「そう。2人は俺と一緒に探して貰うことになるからこっち側から行くことになる」

シェロの指さす方へ3人が進んで行けば、途中でドライバー姉妹と合流する。ヒラヒラと手を振りながら「緊張してる?」とアルフィオに問い掛けたのはアマンダの方であった。

「少し。でも大丈夫です、ありがとうございます」

「そう?なら良かったワ!緊張でカチコチになってたら大変だものネ」

ポンポンと軽く両肩を叩くアマンダへ少し驚きつつも「そういえば」と小さく声を零す。


「お誕生日なんですよね。おめでとうございます」


2人は顔を見合わせ、「ありがとう」とアルフィオへ花のような笑みを見せた。向日葵のように明るく咲いたその表情は全く同じにも見えるが、注意深く見れば異なる部分は多く存在する。だが心の底からの笑顔であることは理解出来ていた。

シェロとナイトもそれぞれ彼女たちを祝う言葉を添えつつ、それぞれのバディと合流する為に再度足を進ませる。

ポツ、と水滴のようなものが当たったような気がしてアルフィオは鼻を擦る。だがそれ以上水滴が落ちてくることは無く、空を見上げれば分厚い雲が太陽を覆い隠していた。

(……雨、かな)

「アルフィオ?行くわよ」

「う、うん。分かった」

バディからの呼び掛けにハッと意識を戻され、その場から駆け出す。

……そうして初めての塔調査は始まったのだ。




​───────11時28分 1階廊下にて。

「シア!そっちに!」

「ああ、分かってる」

こちらに細い腕を伸ばしてくるツァイガーへ自身の武器を振り下ろす。叫び声を上げながらその場に倒れ附したツァイガーへ視線を送りつつ、パチンとハイタッチを交わす。

シェロ達と離れてから30分は経過しただろうか。今回の塔は特に複雑な作りになっており、入って早々にバディ毎での活動を余儀なくされていた。

「それにしても随分複雑ネ……迷っちゃいそう」

「目印程度に壁に傷はつけて来たが……心もとないナ」

「そうネ……」

むむ…と唸るアマンダから視線を逸らし、窓から見える空へと移す。分厚い雲に覆われて太陽は隠れ、ポツポツと細かな雨粒を零していた。再度視線を戻せば彼女は自身のカバンから空きの注射容器を取り出し、「あ」と声を零していた。

「これが最後の1本だったワ。シェロリーダーに貰いに行かないと」

「そんなに採取してたんだナ。なら今の1体分だけ採って、連絡してから行こう。向こうが今どこに居るのか不明だからナ」

「そうネ!ちょっと待っててネ、すぐ終わらせてくるワ」

そう告げてパタパタと動く姉に対し息を吐けば強い風が流れ込んでくる。もう一度窓へ目を向けるが空の色は変わらず、アマンダへ視線を戻した時。


「█████、████」


アマンダの背後に居たのは2mを超える白い化け物だ。仮面を付け、ゆらゆらと浮遊する身体からは人間の腕の太さと大差が無いほどの触手が伸びていた。発された声ですらない音のような何かが脳内に響く。いつから居た?少なくとも先程まではおらず、その巨体であれば見落とすはずが無い。

武器を手にするよりも速く、アマンダの名前を呼ぼうとした。だがそれよりも速く化け物……ツァイガーの触手が此方へ伸びる。

「ッ゛!!」

「………………ネ、エサ…………」

視界が黄色で埋めつくされる。痛すぎる程に抱きしめられたことに気づき、顔を恐る恐るあげれば痛みに顔を歪めるアマンダがそこには居た。

ズルり…と体勢が崩れ落ちた瞬間、彼女の背にある抉るような傷が現実だと気づいた。ボタボタと落ちる血が足元を汚し、小さな血溜りを形成していた。頭の中でうるさい程の警笛が鳴り響く。思考する猶予も無く、ただ目の前の映像を頭の中に直接流し込まれているような感覚に見舞われる。

ハッとツァイガーの方へ視線を向ければ、その巨体を揺らしながらどこかへ向かおうとしていた。

「ッ!!待て!!」

後から追いついてきた怒りの感情のままに立ち上がろうとすれば、「……まっ………シ、ア……」と呟くアマンダの声に足が止まる。

「ネエサン、頼む今は自分の怪我の治療を優先してくれ。血がまだ止まってない、私も治療に魔力を回すから……!」

アカシアは元々治の魔力も力の魔力も同じくらい有する──所謂10%の人間であった。双子であるがその適性があったのはアカシアだけであり、人数不足という点で討伐調査班に所属しているのだ。

治の魔力を回せるように意識を集中させるが、「…………ダメ」とそれを拒まれる。

「……今、私に使わないで…………シアの魔力が無くなっちゃうワ」

「そんなのどうだっていい。それよりネエサンの怪我を治す方が最優先ダロ!?」

「…………ダメ、ヨ。…………あのツァイガーのこと、皆に伝えなきゃ…………」

そのために自分だけ生きて戻れと言いたいのか、という言葉を何とか呑み込む。治療しようにも彼女は頑なにそれを拒み、足元の血溜まりは広がり続ける。なのに姉は言葉を紡ぐことを止めなかった。

「…………ごめ、んなさ…………皆に、迷惑かけちゃ……」

「そんな事ない。これが迷惑になるなんて誰も思わないって、アンタがよく分かってるダロ」

「………………でも、……ああ…………どう、しま……ョ……」

ケホッと吐き出した咳と共に血の塊がゴボリと吐き出される。ブヨブヨとした弾力のあるそれはアマンダの胸元に落ち、隊服をさらに汚していく。サングラス越しに見える瞳は徐々に閉じて行き、長い睫毛に縁取られた瞼が何度もゆっくり瞬きを繰り返す。それが命の終わりが近いことを示しているようにも見え、恐ろしくなってしまった。

「………………シア、…………どう、しまショ…………」

「…………」

「………………怖い、ノ…………分かっ、てる…………ケド…………死にたく、な…………」

「…………死ぬなヨ、ネエサン。頼むから、なぁ、ネエサン」

「ゲホッ…………あ、ハハ…………でも、もう…………ダメなの、も、分かっ……る、から」

縋るように空いた手を頬に擦り寄せてもそれを撫でてくれない。焦点の合わない瞳がこちらを向いて居ないことも分かっているのに、未だ奇跡に縋ってしまう。

「ッアンタはいつもそうだ!!自分のことを二の次にも考えないで、人の事を庇って……!!」

何かが壊れるように言葉の雨が止まない。ボロボロと零れ落ちる涙が血の中に落ちては服の赤い染みを滲ませていく。ぎゅっと握り返された弱い力が今抱える現実だと突きつけてくる。頼む、死なないで。置いていかないで。1人にしないでくれ。

「今だって、……っ、今だって!!回復を受けてくれない!!……なぁ頼むヨ。まだ間に合うって、言ってくれ。死ぬ話が怖いならしないで、治療を受けてくれヨ……! 」

緩く首を横に振る姿を見て、(ああ、もう聞いてくれないのか)と恐ろしく冷静に現実を受け入れてしまった。

同じ日に産まれたのに、同じ日に貴方は死んでくれなかった。死ぬ日が選べないことくらい分かっていたのに、貴女とこれから先の未来も共に歩んでいけるのだと幻想を見ていた。

太陽が沈む。月が欠けていく。なのに私だけが取り残されてしまった。

太陽になれなくとも、月になれなくとも。貴女の傍に居るならなんだって良かった。星屑にだって雨雲にだってなんだってなれる。幼少期から劣等生だと言われ続けた自分でも、貴女の傍には居ても良いと信じていたかったのに。



「……ネェ、どうか……聞いて欲しいノ」

頬を伝う温もりが冷める前に。アナタの手を握る力が失われる前に。

嫌な予感だけはあった。いつだって、幸せが壊される前は当たり前に平和があるのだから。いつも警戒していたのに。


ああ、消えてしまう。無くなってしまう。アンタが大切だと言ったこの世界の全てを捨てて、今すぐ共にこの命を終わらせてしまおう。アンタのために終わる命なら、正しいハズなんだ。


「だいすきヨ。この世界の、誰よりも」


だって、今までも2人で息をしていたんだから。息絶える時も共に連れて行ってくれ。

ぎゅっと唇を噛み締めればまた皮膚が避ける。姉に気をつけろと言われた癖は未だに直らず、唇を優しく指の腹で拭われてしまう。

「…………こんなことに、なっちゃった……けど…………私、シアと姉妹でいれて…………良かったワ」

「っ、…………同じ、ダヨ。私も、そう思ってる」

「………………ね、シア。…………最後のワガママ、聞いてくれる……?」


「​────……私の代わりに、大切な人を……この国を。守って欲しいの」


手を握っていた力が抜け落ちたように落ちる。「ネエサン?」と問い掛けても返って来ることは無く、それ以上何かを発することはなかった。

(…………大切な、人)

その言葉だけが何度も頭の中で反芻される。姉にとっての大切な人はグローセに所属する全員だ。彼女が誰よりもこの組織の全員を大切に思っていることを、誰よりも近い場所から見続けてきたから理解していた。

……なら、皆にとっては?

大切な人だと言った彼らにとっても、姉は大切な人だろう。私よりもずっとずっと好きで、姉の方が大切に決まっている。穏やかで楽しくて、皆の救いになってくれる太陽のような人。

今になって過去に言われた言葉が何度も頭を巡る。「全て劣っている」「同じ双子なのに姉の方がずっと優れている」「1人じゃ何も出来ない」。ああそうだ、私は1人じゃ何も出来ない愚図だ。だって私たちは2人で何かを成し遂げてきた。そうして支え合って生きてきたのに、1人として見ないでくれ。期待なんてしないでくれ。私1人でその期待に応えれる気がしないんだ。隣に居るネエサンに命を半分預けてようやく息をしているのに、……いや。最初から私なんかに期待する人なんて居ないのに。なのに姉は最期私に希望を託した。これが姉の願いであり、皆の救いになるのなら叶えなければ。

姉の頼みであれば自然に身体はそれに向けて動く。頭と感情が追いつかなくても、身に染み付いた行動を起こすことは簡単だった。

皆の為にも姉の姿で帰って安心させる側に回ろう。姉の愛したこの組織の皆を守るために自分を殺してみせる。……ネエサンが居なくなったなんて、私が1番信じたくない。

もう一度姉の亡骸を抱きかかえる。返ってこないことを理解していても、最後に貴女を覚えていたかった。


「……大好きダ。ネエサン」



……少ししてシェロのインカムに1通の連絡が届く。応答すればそれはドライバー姉妹からのようで「どうしたの?」と問えば1拍置いた後に聞きなれた声で言葉が紡がれた。

「……討伐調査班のアカシア・ドライバーが、しんだ、ワ。」

「治療サポート班のアマンダ・ドライバーは生存。現在より帰還します」

「​────……アカシア、が」

ぽつりと聞き返した言葉に前を歩くバディも足を止め、此方へ視線を向ける。先程遭遇したツァイガーの特徴を告げられたがそれ以上アマンダから言葉を続けられることは無く、無音が続いた。

「……了解。そっちの方にヘルハウンド達がいるから、合流して欲しい。アーシュラが事故に巻き込まれたのか連絡がつかなくて……彼女のバディが単身で行動している。どちらかとの合流を急いで欲しい」

「……わかった、……ワ。すぐに合流して、どちらかに向かうワネ」

いつもより言葉数が少なくなってしまったのはバディを失ったことによる焦燥感からだろうと判断し、シェロも通信を切る。空は未だに分厚い雲が覆っており、太陽が射し込む余地すら与えていなかった。

瞬間、耳元で再度連絡の音が鳴る。急いで応答すれば「シェロ、聞こえるか!?」と焦るようなウィルペアトの声が響いた。

「ウィル?どうしたの?」

焦る彼の内容をよくよく聞けば、それはアーシュラだけではなく彼女のバディとも音信不通になったとの情報だった。そしてウィルペアト達の調査している側から大きな音が響き、今はそちらに向かっているのだと。

「分かった。俺たちの方でも捜索を急ぐ。……あと報告。アカシアが亡くなった。ツァイガーの特徴からして……最上級クラスだと判断していい。とにかくそちらの対処も頭に入れておいて」

「最上級クラス……!?……わか、……。俺達も途中……で……けた……」

ノイズのような音が言葉を遮り、それ以上の言葉は聞こえなくなる。……“最上級クラス”が居るのなら、今すぐこの場から撤退しなければならない。急ぐようにシェロは自身のバディと共にその場から駆け出した。






​───────11時20分 1階廊下にて。

「よっ、と……!」

自身の武器であるハンマーを振り下ろせばぐしゃりと空き缶が潰れるように目の前のツァイガーはぐちゃぐちゃな肉塊へと変わる。ピッと飛んできた赤い体液を拭えば「ナイス!」と明るく告げるバディの声が響いた。

「とりあえずここら辺は一掃出来たかしら?めぼしいものも無いけど……」

「まぁ見える分は全部壊せたかな〜……アーシュラがぶっ潰しまくるから体液採取が大変だけど」

「あら、ご不満?」

「べっつに〜?」

やれやれとわざとらしく息を吐いているものの、彼女自身もかなり血の気が多い部類である。治療サポート班の中では珍しくゾンビ戦法にも積極的であり、かなり好戦的な性格であった。それに当てられるようにアーシュラも血の気が多い戦い方をするようになったが、それが出来るのも彼女のサポートがあってのことだろう。

「とりあえずアタシ達ももうちょい進むか!今回こそ階段が見つけられたらいいんだけどな〜……」

グッと背伸びをする彼女に着いていくように足を1歩踏み出した瞬間。ガコンっと何かが落ちるような音が響き、アーシュラの足元はガクリと下がる。下を見ればそこにあったはずの床は消え落ち、先の見えない深淵だけがあった。

「えっ、」

叫びを上げるよりも速く、ハンマーの重みに引き摺られるように地下へと身体が落ちていく。バディの呟いた「アーシュラ?」という声すら届かず、アーシュラは地下へと落ちて行った。



「った……何なの、ここ……」

咄嗟の判断で武器を手放し、受身を取ったため怪我こそ無かったが周囲の薄暗さに思わず眉を顰める。近くに落とした武器をヒョイと拾い上げて周囲を見渡せば、埃まみれの棚や何が入っていたのか分からないくらいに濁った試験管があった。……だがそれよりも目を引いたのは白い壁を埋め尽くすように書かれた赤黒い文字の羅列であった。

息を呑みつつ、部屋の奥へと足を進ませる。端から端まで埋め尽くすように書かれた文字の1つ1つを読み進めれば、一筋の汗が背を伝ったような気がした。

「……これ……」

そこに書かれていたのは自分たちの使用する魔力についての仕組みであった。日常的に使用している魔力は生まれながらに持ち合わせたものでは無く、この塔があるからこそ成り立っているものだと記載されていた。そして塔が魔力を作り出す影響で自分たちの討伐する対象であるツァイガーは生まれる、と。

(どういうこと?ここに書かれていることが事実なら、ツァイガーが滅ぶということは自分たちの魔力源が途絶えるということ……?でもその仮説が成り立つなら、食事によって補われる魔力の仕組みは?なんで武器に使用される魔力とツァイガーの攻撃魔力が同じなの?)

残されたそれを頭に叩き込むように記憶する。見落としが無いように……と暫く読み込んでから落ちた場所の近くまで戻れば、「アーシュラ」と叫ぶ声が上から響いた。

「……?ヘルちゃん?」

「アーシュラ、聞こえるなら返事か……何か音を鳴らして欲しい」

その声にハッと意識が戻され、「ここよ!」と叫べば少しの間を開けてヘルハウンドが顔を見せた。傍に居るのはアマンダだろうか?色を隠してしまうほどの血に塗れており、「どうしたの?」と恐る恐る問えば何も言わずに口を噤む。

「えっと、アカシアは?……居る、のよね?」

「…………」

「……アーシュラ、一先ずここから出よう。……何より最上級クラスのツァイガーの出現が報告された。撤退を最優先すべきだ」

「…………え」

その言葉に思考が鈍る。頑なにアカシアに関して言葉を濁す意図と最上級クラスツァイガーの出現……これが何を意味するのかなんて分かりきっている事だった。

1度背後を振り返る。今ここを出れば、二度と戻って来ることは出来ない。だが何よりも危険な状況の中、自分の好奇心だけを優先出来ないことも理解していた。

「…………分かった。すぐに戻るわね」

そう返してヘルハウンドの準備した縄梯子に足を掛け、アーシュラは地下の部屋から脱出した。何を考えるにしても状況が最悪だ。直ぐにバディと合流すべきだ……そう考えるアーシュラへバディの訃報が届いたのは10分も経たないうちであったが。






​───────11時16分 1階資料室前廊下にて。

カツンと何かを蹴り飛ばしてしまったのか軽い音が周囲に響く。慌ててアルフィオが足元を確認すれば、そこにはヒビの入った正方形状の白い欠片が落ちていた。

「?どうしたの」

「何か蹴ったらしくて……なんだろう、これ」

しゃがみこんで手に取ればそれは異常に軽い物質であった。人工的に削られたようなそれは壁ともまた異なる物質のように思えたが、これが何に近いのか想像すら出来ずに居た。覗くようにする彼女にもよく見えるようにすれば「妙ね……」という呟きと共に手中の欠片は彼女の手に納まっていた。

「あたしも初めて見るけど……なんだか人骨に近いわね」

「人骨……?わざわざ削っているってこと?」

「そうにも見えるけど……んん……?」

1度頭を傾げる彼女につられるように頭を傾げれば、「返すわ」と欠片はアルフィオの手へ戻ってきた。

「それ、何かに嵌るかもしれないわね。近くの調査を続けましょうか」

「そうだね、分かった」

急いで腕のポケットを開き、無くさないように先程の欠片を仕舞う。そうして先を行く彼女を追うようにしてパタパタと足を速めるのだった。



そうして足を進めた時。何部屋目かの扉を開いた瞬間にそれが目に飛び込んできたのだ。

明らかに異質な置物はポツンと1つだけ存在しており、つるりとした真っ白な面に仮面のような物を付けていた。彼女に視線を向ければ「可能性は高いわ」と一言返される。警戒しつつ足を踏み入れ、置物をゆっくり観察すれば背面に正方形状の窪みが見えた。

何故その瞬間だけ彼女に聞かなかったのか、今でも理解は出来ない。ただ何かに吸い寄せられるようにそれに視線は固定され、流れるように先程仕舞った欠片を取り出してカチ、とそれを背面に嵌めたのだ。


………………バキり、と。何かが割れるような音が静寂の中によく響く。生涯忘れることの無いその音は、鳥の雛が殻を破るようにして地獄の顔を見せた。

音が響いた方を見れば、2m以上はあると思われる大きさの真っ白な化け物がこちらを見ていた。仮面のようなものを付け、ゆらゆらと浮遊するそれは未だかつて見た事の無い存在。

「っ!? 」

倒さないと、と考えるよりも速く。隣に居たはずのバディへとその攻撃は向けられた。

真正面から斬撃を受け、血を流す。彼女も咄嗟の事で武器を取り出すのが遅れたのか、右肩から左腰部分にかけて大きく切り裂かれて赤黒い血が舞い散る。花が散るよりも勢い良く、赤い実が弾けるように色が散る。その赤が白い塔の中ではよく目を引き、アルフィオの視線もそちらへ向いた。


「……なん、………………で」


一瞬横目で確認し、視線を戻せば先程のツァイガーは既にその場に居なかった。ダガーナイフを握る手がカタカタと小さく揺れると同時、隣に居た彼女はその場に倒れ込んだ。血は彼女を彩るように広がっていき、花が咲くようにゆっくりと広がるその赤はウェディングドレスを広げているようにも見えた。縋るように彼女を抱きかかえても返事が返って来ることは無い。いつものように凛とした声が応えることは無く、赤い血肉の中から覗く白が何を意味するのか……考えたくもなかった。

考えたくない、でも考えなければいけない。今彼女が動かない理由は何を意味しているのか……自分のせいだということは100も承知だった。

「ねぇ、…………起きて。…………」

「………………」

「…………ごめ、……なさ、………………僕の、……僕、が……君を」

赤、白、赤。彼女の隊員カラーであるマゼンタは赤黒い血の染みに侵されており、元の色が見えなくなっていた。渦巻く後悔の中、視界に入った銀色に意識が向く。それに気づいた瞬間、手が伸びるのはほぼ本能的な行動に近かった。慣れない手つきで彼女のピアスを外し、その針を自身の軟骨へ当てる。

だがピアスの針は耳を裂くことが出来ず、ぐにぐにと肌を突いていた。爪の先端が突いているだけのような感覚に痺れを切らし、力の魔力を指先へ巡るように集中すればブチ、と針が軟骨を貫く。ピアッサーなんて貴重な物を持ち合わせているはずもなく、自身の持つダガーナイフで1部を刺すか魔力を用いて無理やり刺すという選択肢しかなかった。痛いはずなのに何も感じない。ただぬるりとした血だけが耳を汚し、何とか人差し指の腹でピアスを拭えば手袋は鮮血で染まっていた。だが自分の僅かな血など先程彼女を抱きかかえた時に着いた血の量に比べれば微々たるものであった。


「…………君は……僕にピアスなんて似合わないって言っていたね。」

「体に穴をあけなそう、って」


彼女が恋人から受けた愛を置いていけない、なんて感情よりも本能が先に行動を起こした。

空いた心の穴からこれ以上何かが零れてしまうことが怖くて、それを止めるための何かが欲しくて。君を忘れないための言い訳が欲しかった。

彼女から抜け落ちていく体温と血を止める方法を知らない。治療サポート班のリーダーである彼なら?自分の所属する班のリーダーでも知っているのだろうか。この組織で長く息をしている彼らなら知っているのか。……新人である自分だから、彼女を救う術を知らないのか。伸ばされたその手を掴む方法を知らないほど、自分は弱いのか。

分からない。数え切れないくらい自分のせいにしてしまえば、思考の糸は焼き切れてしまう。これ以上何を考えればいい?結局全ては自分が弱いせい、自分が軽率な行動をしたせい。



『僕は君の役に立てれば、明日奴隷になったって構わないよ』

『馬鹿ね。貴方はもっと世界を見るべきだわ』

過去に彼女にそう伝えたことがある。呆れたように息を吐く彼女へ「本心だよ」と告げれば「そこが馬鹿だって言っているの」とスパッと言葉を切られる。

『あたしを貴方の世界にしたらずっと狭いままよ。何よりそんな趣味は無いもの』

『……』

『他人本意を責めてる訳じゃないわ。でももっと広い世界を知れば、もっと先へ進める。その先にどうしようも無い苦しみがあったとしても、世界が貴方を強くする理由になるの』

ある日の帰り道。はい、と手渡されたのは花の種だった。それは彼女の恋人が経営している花屋へ赴いた帰りのことだった。

『他人本意なあなたのことだから、きっと綺麗に咲かせられるわよ』

そうして渡された幸福の種を大切に育ててきた。彼女から贈られた幸福を枯らすことのないように知識を身につけていくうちに、ガーデニングの趣味が生まれる程には。


それ程までに彼女は自分の世界であり、信頼があった。何があったとしてもバディにだけは尽くそうと決めていたのに、世界は終焉を迎えてしまった。地獄を迎え入れてしまった。その扉を開けてしまったのは、紛れもない自分の過失であることなんて分かりきっていた。


「っ、アルフィオさん!?」

どのくらいの間そうしていたのだろう。ふと呼ぶ声に顔を上げればそこに居たのはナイトであった。抱えた彼女の亡骸に思わず息を呑んでいたが、「一体何が!?」と言う言葉に対して「……僕、が……」と呟くことしか出来ずに居た。

「……ツァイガー……を、……呼んじゃって……たぶん、大きさで考えても……最上級クラス、の」

「っ……そのツァイガーについては、……さっきウィルさんから連絡を貰ったんだ。……恐らく、そのツァイガーによってアカシアさんが殺された」

「……え」

ナイトも言葉を選びつつ、先程告げられた報告を何とか彼にも伝えようとする。その事実はアルフィオの心に深く刺さり、世界から徐々に音が消えていくような感覚に襲われる。だがナイトに彼を傷つけたい意図は無く、調査報告の共有の仕方を知らない新人である彼は事実を伝えることしか出来ずにいた。

「僕も詳しくは分からない。ただ『最上級クラスツァイガーが出てアカシアさんが殺された』『アーシュラさんが行方不明になっている』って……」

大きくアルフィオは目を見開くがそれにナイトは気づいていないのか、静かに目を伏せた。

「最初はアーシュラさんだけだったけど……さっきの連絡でバディと2人揃って行方不明になってることが分かった。僕はアマンダさん達と合流するために来たんだけど……アルフィオさん、見たりした?」

「…………」

何とか首を横に振る。言葉を出そうにも先程の存在が仲間を殺したという事実だけが何度も頭を巡る。その度に荒く息が出来る自分に嫌気が差してしまった。


(…………ああ、)

自分だけが生きてしまった。彼女たちから奪ってしまった、自分だけが。

ごめんなさい、ごめんなさい。何も守れなかった。守りたかったはずのものを壊してしまった。

『────下を向いてはダメ、ちゃんと前を向かないと』

母の魔法が消えてしまう。前を向けば何も無い真白な世界が自分の感覚を惑わせる。下を向いて取りこぼした命を見て、なのに自分は地に足をつけて生きているのを確認して。浅ましくも息をする自分が嫌だった。償うように死を手繰り寄せることも出来ない弱い自分が、ここに居ることが許せなかった。


どうしたらいい?ミルクパズルを1人で完成させる方法を知っているのに、あと1ピースを嵌めることが怖くなってしまった。自分で何かを決めて誰かに被害が及ぶことが怖くなってしまった。それならいっそ、自分の行く末の全てを誰かに決めて貰いたい。間違えたその時は、出来なかった自分のせいだろうか。


自分が行動して誰かを救ったとしても、いつかは不幸が巡ってくる。それが世界の仕組みであって自分の運命なのだろう。

ごめんなさい。ごめんなさい。

僕が未だ生きていることが、一生背負うべき罪なんだ。

それからどう動いたかは朧気だ。ただナイトと彼のバディの後ろをついて行き、途中でアーシュラのバディが無惨な姿で発見された報告を聞いた。



そこからはもう、何も考えたくなかった。






……これが3年前に起こった事故の全てである。

この真相を全て知る者は神以外存在せず、報告書には新人であるアルフィオ・ブルーノの過失であるという言葉以外全て省かれていた。


何が正しかったのだろう。あの時何をしたとしても何も正しくはなかった。

今ではすっかり慣れてしまった手つきでアカシアは髪を1つに束ねる。彼女も自身の罪以外の詳細を知らず、この罪の終着点すら見つけられずにいた。

3年経てば環境も変わり、新人が5人も増えた。その中にはかつて大切にしていたソラの姿もあり、声を掛けたが彼女は何も覚えていなかった。後頭部を強く殴られた衝撃を受け、同時にこれが自分の罪だと理解させられた気がした。

ああ、でも確かにその反応は正しい。私ですら“私”が何なのか分からなくなってしまった。劣等を隠すように血のにじむ努力をして、誰にも気づかれないようにアカシア・ドライバーを消していく。だが腕を鈍らせたくないという欲が顔を出し、定期的にリーダーから訓練を着けて貰うようになった。戦い方に癖が出るとはよく言うが、アカシアの癖は何も残せなかった。彼にだけは双子としてあった“アカシア・ドライバー”の何かを残すことだけは徹底的に避けた。

旧隊服時代から戦線を共にする仲間に罪悪感は抱いていたが、特にヘルハウンドやシェロ、アルフィオに対しては安心や感謝の念を抱いていることも多かった。

だが新人は警戒しか出来ずに居た。“アマンダ・ドライバー”を知らない彼らにとって、私が正解を出し続け無ければいけない。その中でもノヴァに対しては強い警戒意識を持っており、アーシュラやソラの近くに居る時もアカシアの警戒が解けることは無かった。

決まり文句のように言う「先輩なら出来る」という言葉の真意が読めない。何故ずっとその言葉を言い続けるのか、劣等生だと評価され続けたアカシアには少しも理解出来ないことである。それ以外にも彼に対しては胸騒ぎが止まず、自ら関わることを避けているくらいであった。……だが、彼が何かをした時。いつでも武器を向ける覚悟だけは持ち続けていた。組織を裏切っている自分が出来ることでは無いが、ならば汚れ役の全てを背負う覚悟はあった。

……ずっと笑顔で隠すつもりだった。「先生」と初めて彼から呼ばれた時、劣等生だと言われ続けた自分が師となるべきか迷った。憧れるべきは“アマンダ・ドライバー”であって、私ではない。ただ彼には同情出来る部分が多く、それを受け入れない理由が無かったのだ。

本心を笑って濁す彼にとって……1度で構わない。一生に一度のワガママだとアンタのバディにごねたって構わないから。討伐調査班に居たいと願った夢を諦めないで欲しいと今でも願っている。私のように諦めてしまえば何も無いが、彼にはまだ希望が残っている。何だかんだで優しいアンタだ、優しい人の希望を願うくらいは裏切り者でも許されるだろ?



いつまでも誤魔化せると思っていた。何も知らないまま欺くことに罪悪感があった訳では無いが、いつか消えてしまえば良いと思っていた。

……アンタから好意を寄せられるまでは。


ふわふわとした髪を触りたいと思ったのは、姉の揺れる髪の毛に近いと思ったからだ。バイクのヘルメットを着ける際に触れたが、姉とは違う柔い髪の毛の感覚に思わず頬が緩んでしまった。

「……このバイクってプライベート用なんですか……?カイムさんやグローセの人と使っている所とか見たことないし……なんで2人乗りなのか、ちょっと気になって……」

おずおずと切り込んでくる彼に正直に姉妹で共用で使っていたのだと素直に告げた。何も知らない彼の好奇心を煽るにはそれが充分過ぎたのか、グイッと素直に心の奥へと踏み込まれる。

「……でもごめんなさい、僕……すごく気になります。アマンダさんのこと、もっとよく知りたいので」

そう告げて彼の目に映る私の表情は、……どちらのものだったのだろう。


それはアマンダ・ドライバーではない。

どちらかと言うなら甘えたがりだと言われた。でもこれは姉では無い。

冷静さを示すサングラスを掛けていた。でもこれは彼女では無い。

リボンの髪留めをしていた。でもこれは貴女では無い。

口を一文字に閉ざしていた。でもこれは私では無い。

ロドニー・ヴィンシュタインに惹かれた。……これは、誰の感情だ?

違う。違う違う違う。アマンダ・ドライバーはロドニー・ヴィンシュタインを知らない。彼を知っているのは私なんだ。彼の姿を無意識に追いかけるようになってしまったのも私。アマンダ・ドライバーは彼を知らない。貴女が彼に惹かれるかも分からない。なのに、ああ、どうして。


好きになってしまった。貴女の命なのに、この鼓動が鳴り止まない。彼が好きなのは私ではなく、『私が演じるアマンダ・ドライバー』だ。この世のどこにも存在しない本物ですらない“誰か”。分かってる、誰よりも自分が分かっている。彼が頬を染めるのは自分が演じるアマンダの姿だ。きっと、彼が自分に踏み込んでくるのだって。『アマンダ・ドライバー』を知りたいからだ。それに答えた内容は誰のものだ?彼がこちらへ1歩踏み込む毎にあの日殺した自分が今更顔を覗かせる。

人殺しのクセに。自分の命じゃないクセに。アンタはそれでも私に踏み込むのか?お願いだ、これ以上踏み込まないでくれ。零してしまう言の葉を枯らさないと、偽の花が咲く前に。じゃないとアンタの中の“アマンダ・ドライバー”が変わってしまう。そんなことあってはいけない。


頼む。どうか1分1秒でも早くこの鼓動が止まってくれないか。

貴女を演じて、貴方を想う。この間違いを直さないと。この不整脈は、鼓動は、“私”は。存在してはいけない。姉に惹かれる貴方を好きになってしまった。そんなどうしようも無い恋心ごと、『アカシア・ドライバー』と共に死んでくれないか?

貴女の命で、名前で。彼の想いに応えれる訳なんて無い。彼がこちらへ頬を染める度、おずおずとこちらに視線を向ける度、先走る想いが口から吐き出される度。そのゴーグルの向こうに映る自分が酷く滑稽に見えてしまった。



大丈夫。必ず捨ててみせるカラ。君を好きになるか分からないアノ子の気持ちを、私が決める訳にはいかない。ちゃんと、いつか必ず捨てるカラ。

この組織に居れるうちだけは、まだ君に惹かれたままでも許して欲しい。


すまない、好きになったのが私の方で。君の想いに応えれなくて、ごめんナ。








​──────そして時は進み、現在。

「​……君は、誰なんだ?」

全員の視線がアカシアに向けられる。続く言葉が見つからない、こんな時アンタならなんて返す?いや、そもそもアンタならこんなことしない。私が全部隠すために始めてしまったこと。

「……やだ、隊長さんったら。……私は私ヨ?治療サポート班のアマンダ・ドライバー。……何か変かしら」

震える声を何とか抑えつつ、思いつく限りの言葉を並べる。もはやそこに自分の意思は無く、選択肢を誤れば即死のゲームのようだった。

「……アマンダ、素直に教えて。……俺達も君のことを責めたい訳じゃないんだ。ただこの塔……いや。今何が起きているのか知るために、君の知っている事実が知りたい」

「事実って……私は何も知らないワ!その名前があることだって、そこに居ることだって……何も知らないノ。これが私の知る事実ヨ」

2人のリーダーからの視線が冷たく感じてしまう。彼らにその意がなかったとしても、後ろめたいことを抱えているアカシアにとっては恐ろしいものでしか無かった。

「だが……ここに彼女がいる理由は俺たちに分からないかもしれない。それでも彼女の遺した言葉は、君が1番理解出来るんじゃないのか」

その一言に頭にカッと熱が上がる。気をつけていたはずの冷静さは白骨遺体が見つかった時点で乱れており、もはや自分ですら今がアマンダなのかアカシアなのか……何も分からずにいた。

「ッ分かんないんだヨ、私だって!!」

その言葉を口にした瞬間、慌てて口を抑える。アマンダは決してこんな言葉を言わない。こんな口調を使わない。もっと優しい口調が彼女なのに、口から出たのは確かにアカシアの言葉だった。

恐る恐る顔を上げた時、彼らの優しく微笑むその顔に(しまった、)と理解した。彼らがこれ以上騙されるような人ではなく、かと言って鈍い人ではない事も理解していた。


ああ、どうしよう。きっと察されてしまった。アマンダ・ドライバーがこの世から居なくなっていたことに。……アンタが守ろうとした大切な人達を、誰よりも私が傷つけてしまった。

「…………」

「……呼ぶ名前に迷わないでくれ、リーダー。…………分かってるのに嘘を吐かれる方が、今は心に来るからナ」

「……アカシア」

何度か視線を迷わせた後、ウィルペアトは静かに名前を呼んだ。……ああ、しくじった。ここにアンタが居るなんて思わなかったんだ。しかもその言葉を遺してここに居るだなんて、想像もしていなかった。

力の抜けたようにその場にしゃがみこむ。今の状況に困惑を見せるノヴァとラビとは違い、カイムとロドニーはただ真っ直ぐにアカシアを見つめていた。

「…………分からないのは、事実だ。……でもネエサンが『かえして』って言ってるのは……きっと私だろうナ。……だって、全部奪ったのは私だ。……ネエサンから恨まれるべき相手は、私なはずダロ」

言葉が震える。恨まれていた、当たり前の事なのにその事実が今になって頭を殴る。返すべきだ、あるべき場所に。正しい人に。


「……アマンダ、さん……」

彼女に対してこの名前を呼ぶべきではないことは理解している。だが今更『アカシア』と呼ぶほど自分は踏み込んでもいいのか……ロドニー自身も迷っていた。

ただ彼女の予想する『かえして』の意味とアマンダが遺した『かえして』の意味は異なる。……そんな予感だけがしていた。


『かえりたい』『まもりたい』『まってる』……何度も聞いてきた声だ。幼少期からずっと、半年に1度……グローセが調査に向かうのと同じ周期でこの声を聞いてきた。

あの日の夜に聞こえた声は『はやくすくって』『はやくかえして』だった。今まではただ空に浮かぶ星を数えるように願いを呟いていたのに、あの日だけは自分を急かすように告げてきたあの声をロドニーだけが知っている。自分だけが誰かの希望を知っている。

そして今回の塔の調査で半分確信のようなものを抱いていた。……これは、この塔で亡くなった人の願いだ。彼らの還る場所はこの塔でツァイガーになることでは無い。正しく、帰る場所に帰るべきなのだ。


世界を変えるためには、自分が主人公になれない事だって。世界を変えるための役に立てたら、何も無駄じゃないって証明したかった。


(……でも)

好きな人が悲しんでいる時に、何も出来ないなら最初からヒーローになんてなれやしないのだ。



「あのっ!」と上げた声は思わず上擦って格好のつかないものになってしまった。集まる視線に生唾を呑み込みつつ、「こっ、これは、僕の意見でしかないんですが」と言葉を続ける。


「アマンダさん……ええと、遺された言葉は、アカシアさんを責める言葉じゃないって僕は、思って」

「……なんで?…………分からないじゃない、アンタだって、私だって。…………恨んでるから残す以外に、何があるんだヨ」

「っ……あります。恨みとかそういうのだけじゃなくて、……きっとこれは、彼女の望んだ希望なんだって!!」

その言葉にアカシアの顔が上がる。フードを深く被った彼女の表情は伺えなかったが、それでも自分の持つ全てをぶつけたとしても伝えたかった。

「これまでのツァイガーだって会話出来る個体は皆、何かを願っていた。それが自分の希望だとしても、誰かの希望だとしても……叶うことを望んでいた。僕たちのように、最後の瞬間に希望を望んだだけです。」

「『かえりたい』は、ツァイガーになった彼らにとって当たり前の感情だと思ってて。だって彼らの帰る場所はここじゃない、クラインだ。結局はそれが現在も国を襲っている原因にはなっているけど……」

否定されたくない。これ以上自分が傷つきたくない。そんな防衛本能が正しく働き、本心の暗い部分がバレないようにしていた。この優しい人達からあの時のように否定されたくなくて、本心を隠していた。


でも、もういい。もう隠さないで伝えると決めた。

それで傷ついて自分の保身に走るだなんて、自分があの日憧れた姿はそんなことをしない。大切な人を守れなくて保身に走るだなんてダサいことで身を守るくらいなら、何も隠さないありのままの本心で救われるべき人を救いたい。……そんな自分のワガママだ。それが自分の憧れたカッコいいヒーローだ。


「アマンダさんが伝えたかったのは、皆が……アカシアさんが居る場所に帰りたいということです。この塔について分からないことも多い、でも貴方があんなに優しい目で話してくれた人が、貴方を恨む言葉を最期に残すだなんて僕は考えれない。」

「これは恨みなんかじゃない。貴方に遺した願いの言葉なんだ……!!」


彼の瞳に星が瞬く。それが眩しくて思わず目を細めていれば「ドライバー」とカイムが傍にしゃがみ込んでいた。

「……かい、むちゃ……」

「……ボクは、アマンダ・ドライバーのことを知らない。だがデータだけだとしても、アナタの人柄は理解しているつもりだ」

「……」

「それが作られたものだったとしても、その偽善だけで容易に命を預けるほどボクは人を簡単に信じている訳じゃない。アナタと話して、教えて貰って……手を伸ばして貰って。信用に値すると判断している」

サァ……と夜風が二人の間を吹き抜け、カイムの白い瞳に夜の色が射し込む。

「『信じて』、と。そう言われた時にアナタに身を預けることが出来たのも……アナタを最初から信じているからだ」

「でも、……でも、私、そんな大口叩いて……結局、騙してたことは」

「そう思っているのなら今度はアナタのことを教えて欲しい。アナタの為にする努力を苦だと思ったことは一度も無いからな。」

「ここには頼っていい人しか居ないと教えて貰って、……ボクはアナタにもそれを理解して欲しいと望んでいる。そしてその時が来たら……アナタの頼れる人でありたい。」

「それがアナタの隣でバディとして命を預けてるボクの願いだ」

「〜〜〜〜ッ」

キラリと彼女の瞳に瞬いた星は幻覚だろうか。それともぼやけた視界が見せた夢だろうか。

もうどうしようもない所まで来てしまったのは理解していた。先程アルフィオから討伐報告を聞いた時、言い訳にしていた1つが消えてしまった。アカシアとしての願いが消えてしまったと思った。敵討ちすることも叶わず、自分はここから先どうして行けばいいのか……何も分からないまま。最上階まで来てしまった。

「……ごめ、なさ…………!ごめん、なさい。ずっと、騙して、ネエサンを、殺して」

子どものように泣いてしまいたくなるのはいつぶりだったのだろう。だがそんなアカシアをカイムは強く抱き締め、背をさすった。それがどうしてもあの日姉から受けた優しさのような温かさを感じ、彼女の肩に顔を埋めることしか出来ずに居た。





「…………」

その空気に一瞬安堵の息をこぼすが、すぐにウィルペアトの中に疑問が浮かぶ。

結局のところ、何故ここにアマンダが居たのかは分からない。隊員がツァイガーになるのだとしたら、彼女が人の形を保ったままここに在ること自体がイレギュラーだ。

(ここにはアダルハイダが入るはずだったが……そもそも彼女は逃げ出した時点で、ここに居るはずがない。じゃあ誰がここに彼女を連れてきた?)

予備の魔力が動いてるのだと思っていた。だがここに居るのはディートリヒ家以外の人間だ。……なら、生贄となってこの塔を動かしているのは?

「ウィル?どうしたの?」

「っ、あ、あぁ……ちょっと気になってな」

玉座へ視線を向けていれば、ひょこっとロドニーが覗き込む。彼には自分の一族の秘密も伝えきれておらず、この玉座の仕組みも伝えれていない。……だが、今この場で計画を実行するにはイレギュラーが多すぎた。

ラビに目配せをするが、そもそも彼も自分が巻き込んだだけの人間だ。僅かに視線を迷わせた後、ふい…と顔を逸らしてしまった。

(……どうにかして、この場から皆を離さないと……)

シェロの呼ぶ声で思考から引き戻される。「ああ」と声を上げながらウィルペアトの脳内では計画の組み直しが進んでいた。












その光景を、彼らは見ていた。その星を希望だと信じた。

絶望だと言うのならそれごと呑み込んでみせる。パンドラの箱を開けた先に残るのが希望だと言うのなら、私達にとっての希望は貴方だ。

物語は救済でなくてはならない。長く苦しんだ者達への希望は、僅かな光だけでは物足りない。



人は理解を示した相手に親しみを抱く。……それは死者にも当てはまる。何故なら彼らも“人”なのだから。


星を掴む。そして、その手は希望に届いてしまった。

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