第16話 時計回りの未来
あれからどれ程の時間が流れたのだろう。誰も口を開かず、過ぎた時間を問う者は居なかった。
頭上の星は輝きを増し、夜はその色を濃くしていく。瞬く星が増える度に時は流れ、彼らの足元に滴る血も増えていった。頭上の月だけが自分たちを見下ろし、周囲の静寂だけが唯一他から発せられる音だった。
そうして足を進めて行くうちに、ピタりと足を止める。それはカイム、ノヴァ、ラビ以外の4人であり、新人である3人はつられて動きを止めた。
「……大丈夫、合ってる」
小さく呟いたシェロはその場にしゃがみ、軽く地面の土を払ってから手袋を外す。夜の明るさだけでは彼の手元を見ることは出来なかったが、それでも慣れているのだろう。手袋を右側のポケット内に仕舞い込み、代わりに折りたたみナイフを取り出す。躊躇うことなくピッと小指を切りつければぷっくりとした血の膨らみが生まれた。ある程度その膨らみが大きくなった所で白い地面に血液を押し付ける。じわりと5秒間当て続ければ小さく何かが開く音がし、地面にオートロックパネルが現れた。手早く6桁の番号を入力し、『E』を押せば『*』は『OPEN』に切り替わる。同時に出発前にも聞いた稼働する音が低く鳴り響き、地面に正方形状の割れ目が生まれる。その範囲内のみ土が両端へと寄せられ、プシューという音共に仮拠点へ続く階段が顔を見せた。
直ぐに治の魔力を回したのかシェロの手元の傷は既に癒えており、彼は即座に手袋を嵌め直す。
「ノヴァ、カイム、アカシア。先に入って欲しい。俺たちは最後に入るから」
「っ、了解っす……!」
「ノヴァはそのまま空き部屋の確認をして貰っても良いかな?1度」
そこまで言いかけたシェロの肩へポスンとアルフィオが凭れ掛かる。……否、そうすることでしか立って居られない状況だったのだ。
は、と短く息を吐けば先程まで張り詰めていた糸がプツンと切れたように疲労が身体を襲ってくる。麻痺出来る程までに硬く縛っていた糸が切れると同時、痛みがアルフィオの身体を襲っていた。
(っ、魔力……無理やり消費させ続けてた、から……)
ダガーナイフによる魔力消費は本来少ない方に該当する。だがあくまでもそれは“下級クラスのツァイガー”に対してであり、最上級クラスに匹敵するほどの強さのツァイガー数体と戦うことは想定されていないのだ。
何度もシェロから修理を受けたとは言え、物には限度がある。この瞬間まで刃こぼれしていないことが不思議なくらいにナイフは鈍く光を反射させていた。命を削ってこの武器を使用する……その意味は理解していたはずなのに。
「アルフィオ……!!ごめん、ノヴァ。もう片方を支え……」
「…………大丈夫、だから……早く、中に」
そのまま支えになろうとするシェロへ緩く首を振って返す。魔力が少ない自分が先に中へ入り、途中で倒れてしまえばその後に続く隊員の混乱を招きかねない。それを危惧しての反応であった。
そう考えていれば「おい!」と言う声が後方から響く。視線だけを向ければウィルペアトも立つことが難しかったのか、ラビへとその半身を凭れさせていた。長い前髪の間から見えた顔はアルフィオよりも青白く、脂汗なのか冷や汗なのか判断のつかない透明な体液を滲ませていた。
治の魔力が戻りつつあっても肉体的には敵わないのだろう、それに耐えるようにしつつもラビの体格だけでは限界があるように思えた。
「ウィルさんの、状況も……、だから……」
「ッ分かった。ごめん、3人共。アルフィオのことは俺が自室で見る、ラビはウィルをお願い。何かあったら何時でも構わない、連絡して」
手際良く指示を出すシェロに従うように動ける隊員達は動き、最後にシェロが中へと入りロックを掛ける。つるりとした床は土や赤黒い血で汚れており、支えにするように手を着いたのか壁にも赤黒い線が引かれているのが薄暗い空間でも理解出来た。
(…………っ、)
くらり、と歪んだ視界を正すようにシェロも弱くかぶりを振る。治の魔力に恵まれているとは言っても、全隊員の治療の1部も負担し続けるということはいつも以上に生命を削って治療に当たっているということになる。抵抗こそ無いが、身体はその負担について行くだけで精一杯なようだった。
(…………行か、なきゃ……)
それを悟られることの無いように無理やり足を進める。自分が倒れてはいけない。そうしなければ、最後まで守り抜くことが出来ないと痛感している。
ゆっくりと息を吐き出しつつ、シェロはその場を後にした。
それぞれの部屋へ向かい、動ける隊員は指示を受ける。シェロはこのまま寝ずにアルフィオの様子を見るつもりなのか、ゼリー飲料を数個冷蔵庫から取り出し部屋へと戻って行った。ラビも同様にゼリー飲料を取り出そうと冷蔵庫を開ければ、保存容器に入ったおかずが数品収まっているのが目についた。それはここを出る前にナイトが詰めていた物であり、これまでの調査の経験上から厳選した品目であった。
「…………」
苦い表情のままにそれを手に取る。明日が来ることを誰よりも願い、それを共に迎えることを彼がどれだけ願っていたのかなんて付き合いが短くとも理解出来る。彼の優しさと気遣いに気づけない鈍感がいるとすれば、どういう人物なのか見てみたい程だ。
数秒悩んだ後、「いくつか貰ってくぜ」と何個か保存容器を手に取りその場を後にする。先程気絶するように室内で倒れ込んだ自分のバディは、きっと固形物をロクに食べれる状況では無いだろうが自分達の身体を構成する魔力の仕組みとしても治療を施し、食事をすること以外適切な対処が思いつかなかったのだ。
カイムとアカシアは同じ部屋に行き、ノヴァはシェロやウィルペアト達と近い部屋に1人過ごすこととなった。必要以上に会話が交わされることは無く、静寂だけが夜と共にあった。
子どものように高く明るい声を響かせてビーズクッションに顔を埋める彼女はおらず、それを優しく見守る彼らは居ない。トントンと一定のリズムを響かせながらも手際良く料理を完成させ、自分達に声を掛ける彼も、その声でようやく研究資料から顔を上げて慌てて自室から出てくる彼の足音も存在しない。これが自分達の失われた平和であり、何かを守るために戦い抜いて……そして逃げ出した末路である。
果たしてそれは評価に値する行動だったのか。いや、評価なんて要らなかったはずだ。
栄誉を求めるくらいならこの組織に身を置くことは相応しくない。出来損ないだと、過去を清算するために作られたこの組織に相応しい評価があるのだとしたら…それは何になるのだろう。
だがあの場に留まれば組織は壊滅していただろう。ロドニーの説得に時間を費やしていれば彼を狙うツァイガーの群れに襲われ、屋上で誰にも見つけられない遺体になっていた。そうでなくともウィルペアトの置いた爆薬が起動し、生き埋めになっていた可能性もある。……それがナイトを殺した可能性も捨てきれはしないが、神ですら分からないことを自分たちが知ることなど出来ないのである。ただ生きて帰ることが絶望的なあの状況で彼が戻って来る可能性は無く、そしてその奇跡が叶うほどこの世界は優しくは無い。奇跡があると言うのなら、そもそも200年前に起こっているべきことなのだから。
全員がそれを理解していた。平穏な日々に焦がれ、それに執着する訳では無い。だからこそ無意味に奇跡を願った末に訪れる絶望から逃れるために、……彼らが守った自分たちの命と、真実を伝えるために自分たちは生きて帰らねばならないのだ。
────そして夜は更けていき、朝日がこちらに顔を覗かせる。アルフィオの状態が安定したのは明け方の事であり、ウィルペアトが目を覚ましたのは早朝の事だった。
そこから最低限の食事をそれぞれで取り、一先ずは国へ戻ることを最優先しようということで話がまとまっていた。
「もちろん2人がまだ安静にすべき、というのが医療に関わる俺としての判断だ。だけどそのためには仮拠点にある物だけでは足りない。然るべき場所で処置を受けるべきだよ」
シェロからそう言われた言葉を何度も反芻する。魔力だけで完治させる、となればシェロ以外のこの場にいる者達の治の魔力を全て使用したとしても難しく、特にウィルペアトの腹に空いた傷は欠損に当たるのか回復が不可であった。ソラエルを模したツァイガーから付けられた傷は先程ラビを庇った際に更に深く傷を負い、肉を再生させるまでにはもっと時間を要するはずだ。恐らくは本人の魔力量も影響しているだろうが、彼はその傷に関しての考察をシェロ以外に言わなかった。
最低限の準備を整え、入った時と同様に仮拠点の扉へシェロが番号を入力する。軽い音を立てて開いたそこからは光が差し込んでおり、柔らかな風が仮拠点へと流れ込んできた。
トントン…と1段ずつ踏みしめ、地上へと上がる。昼が近い空では真上に太陽が輝いており、真っ白な雲が青空に絵の具を伸ばしたように広がっていた。
何度か瞬きをし、ふとアカシアは塔のあった方角へと視線を向ける。もうそこには何も無く、1つの終わりが明確にある事だけが分かった。
「?なぁ、何か聞こえないか?」
「?何がだ」
「いや……エンジン音というか……叫び声?か?」
あっちから、と言ってラビが指さした方を全員が見る。微かなエンジン音に伴い、雄叫びにも似た低い声と女性の叫び声が聞こえた。
「あれ、は…………ジェイムス、とエミリア?」
目を逸らすように細めたシェロがポツリと呟く。「え?」と周囲が疑問の声をあげている間にもエンジン音は確実にこちらへと向かってきており、次第に彼らの会話のような何かもはっきりと聞き取れるまでになっていた。
「うぉおおおおおおお!!!!待ってろよガキンチョ共!!!!!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!助けて!!!!助けて!!!!」
「だから捕まってろっつっただろ!!嬢ちゃん!!!!まだまだ飛ばすからな!!!!」
「貴方に安全運転の概念は無いんですか!!?!?確かにこの組織に入った時からいつ死んでも悔いのないようにはしてきました!!!!でも今このデスドライブで死ぬ覚悟はしてないんです!!!!」
「へへ、そんなに褒めないでくれよ」
「今のどこにその要素があったと感じたんですか!?!!?褒めてなッああもう!!ちゃんと前見てください!!あと速度!!」
「……コントでもやってんのか?あの2人」
この場に居る誰よりも聴力に優れているラビはポツリと呆れたように言葉を零す。国から出るためには許可が必要であり、それは重要人物か調査に赴くための隊員達に限定されているはずだ。なのにジェイムスとエミリアは丸みを帯びたキャンピングカーにも似た車でこちらに向かっており、舗装のされていないガタガタの道を大きく車体を揺らしながらかなりのスピードでこちらに向かってくる。キーッと高い音を鳴らしてその車は自分たちの前に勢い良く止まったものの、その勢いで生まれた土埃が器官や目に入り、隊員達はその場で咳き込んでしまう。バタンッと勢い良く扉を開けて「どうしたんだ!!」と声を掛けたジェイムスに対してエミリアからは「貴方のせいでしょ」と言わんばかりの視線が向けられていた。
「ジェ、ジェイムス……ッケホ……ど、どうしたんだこの車……!!それに、なんで外出許可が……」
何度か咳き込みつつこちらに視線を向けたウィルペアトに対し、「その説明は私から」とエミリアが声を上げる。
「厳密に、と言うより……外出許可は頂いておりません。時計塔が崩れたことは国内からも確認出来たため、ツァイガーによる侵攻を警戒して上層部は警備を強化しました。…………中央区の、ですが」
「っ……」
「中央区の外壁が国においての中枢を守る為であることには国民も薄ら察してはいたのですが……今回の件で反感を買い、国の想定外の混乱が起きています。その混乱状況で警備が手薄になっていたため、私たちは強行突破出来ました」
それに続くように「……ツァイガーによる直近の被害は?」とシェロが問えば「ありません。この道中でも一切確認は出来ませんでした」とエミリアから冷静な声が返される。
「だが、……アナタ達がここに居ては」
カイムの声に被せるように「ンなの関係ねぇ!!」とジェイムスは声を上げる。
「お前らが危ねぇ状況だってのに呑気にしてらんねぇよ!!それにこっからまた歩いて帰んのか?一刻も早く治療受けるべきだろ!」
「……さっきの運転の荒さの理由は分かりましたがお願いですから帰りは安全運転でお願いします」
ゲッソリとした表情のままのエミリアから「奥様に怒られたんです、ジェイムスさん」と追加情報が添えられる。
「『人を救うために躊躇うお前を好きになったんじゃない。躊躇うことなく人を救うお前に惹かれたから今も共に居るんだ』……と。国に戻り次第、奥様の病院で治療を受ける体制は整えて来ました。皆さん急いで乗ってください」
テキパキと動くエミリアの左目とウィルペアトの右目の視線がカチリと混じり合う。夜更けの色にも似た2人の瞳が同時に瞬き、小さく口が開かれる。
「……確認とは言え、……その、お聞きしますが……」
「……7人。…………これで、全員だよ」
「……了解しました」
僅かに目を見開かれるが、エミリアは即座にカイムとアカシアを車内へと案内する。これ以上深く聞いて来ないことが彼女の優しさであることは理解していたが、その優しさが今はウィルペアトにとって最も苦しいものであった。
「…………すまない、俺の判断ミスだ。こんな結果にしてしまって……申し訳ない」
あの時ああしていれば、こうしていれば。出来るはずの無い“もしも”が幾つも頭を過ぎっていく。与えられた役目に抗ったからこそ導かれたこの末路なのだとしたら、自分は最初から抗わずに死ねば良かったのだろうか。そうしたらきっと、…………きっと、今より苦しむことは無かった。人の心など捨ててしまって、自己犠牲に走れば良かったのだろうか。もう何も分からなかった。口から出た謝罪が誰に向けたものなのかも分からなかった。
バシ!とその背を強く叩いたのはジェイムスだ。「ぃ゛」と声が零れたが、彼の目元には大粒の涙が浮かんでおり、それは皺が深く刻まれた頬をゆっくりと伝って降りていった。
何も言えずに視線を逸らそうとするが、そのまま強く抱きしめられる。……圧倒的な力で抱きしめられたことにより、腹部の傷も耐えきれずに痛み始めたが。
「ジェ、ジェイムス……あの、すまない、痛っ……」
「“こんな結果”、なんて言うんじゃねぇ!!お前らが命を賭けた結果に、こんなも何もあるか!!ッつれぇよな、不甲斐ないって思っちまう気持ちも分かるよ、だがな」
「待っ、本当に痛いんだジェイムス、あの、一旦離してくれ……」
「泣きてぇ時は思いっきり泣け!!リーダーだからってそれを我慢してちゃいけねぇ!!」
「ジェイムス、ウィルは怪我してるからその辺に……」
「お前さんもだからな!!シェロ!!」
「えっ」
そうしてシェロも勢い良く抱きしめられるが、その痛みは分散すること無く。ギチ…と抱きしめるその背をギブアップの意味を込めて2人で叩くが、どう解釈されたのか更に抱きしめる力は強くなる。見かねたラビとアルフィオが静止を促したが、「野郎は全員俺の胸で泣け!!」と言わんばかりの勢いで4人まとめて力強く抱きしめられる。
「ちょっ、……ああ、もう」
先輩4人を解放してもらうべくノヴァが声を掛ければ、ジェイムスの大きな手がノヴァの頭を少し荒く撫でる。
「お前さんも。よくやったよ」
「…………っ」
それはあの日ソラエルにも向けられた優しい笑みでは無く、ノヴァのことだけを思って向けられた優しい笑みであった。新人である彼が今回の調査を通して失った人や結果は大きく、それがどう彼の人生へ影響していくのかは分からない。だが得たものも同じくらい大きいことを察することは出来る。過去とは言えかつては戦線に身を置いていたジェイムスであるからこそ、この組織で生きて終わりを迎え、前を向いて進むための絶望を乗り越えなければならないことを知っていた。
ツン、と鼻をつくような感覚を逸らすように「ありがとうございます」と告げればノヴァも勢いよく抱きしめられそうになっており、カイムとアカシアは「何やってるんだ」と言わんばかりの視線でその様子を見つめていた。その2人の傍ではエミリアが変わらぬ手際の良さで荷物を乗せており、「こちらへ」と後部座席へと案内をされる。
「ああ、ありがとう」
アカシアも口を開こうとして、1度閉ざす。今の自分は“どちら”で返すべきなのか。未だ真実を知らず、アマンダとして接し続けてきたエミリアとアカシア自身と向き合いたいと言ってくれたバディであるカイム。迷う隙もなく“アマンダ”であることを選べない理由として、ロドニーからの言葉が未だに引っかかっている。
(…………)
太陽が眩しい。瞳孔が開ききった瞳にはあまりにも眩しすぎて、思わず被っていたフードを更に深く引っ張る。そうしていればフードの中を覗き込むように、エミリアが1歩距離を詰めてくる。
「っ、どうし、…………たの?」
どちらとも言えない“誰か”が口を開く。それでもエミリアは変わらず柔い花のような笑みをこちらに向けていた。
「お2人にだけ、先にお伝えしてしまうことになってしまいましたが……皆様とまたお会いできたら本当は一番に伝えたいと思っていたので」
そう告げてカイムとアカシアの片手をエミリアは救うように手を取り、花開くように、花弁から落ちる雨粒ごと輝くような花笑みを浮かべて優しく告げた。
「おかえりなさい」
─────ガチャリ、と扉を開ける。
「ただいま」、と言ったところで返ってくる声は無く、いつしかそれが日常と化していることはアカシアが誰よりも理解していた。
あの後はジェイムスの運転により、グローセ隊員は皆帰還することが出来た。車内でもエミリアから現在のクラインの状況について説明されてはいたが、それよりも酷いものであった。暴徒化までは行かなくとも北区にある中央区へ続く扉の前には何十人かの国民が集まっており、助けを求めていたものの扉が開くことは無かった。
1度組織本部に戻るか?という話も上がったが、タイミングが悪いということで話の決着はついた。そのまま南区にある医療施設へと向かい、重傷者は1晩安静にし、それ以外の隊員は治療を受けた後解散という形になった。
アカシアもその1人であり、人目を避けるように物陰に隠れつつ何とか自宅へ辿り着いたのが先程のことである。
電気を付けることすら煩わしく、カチャ…とサングラスを2つ外し、束ねていた髪を解く。サラりと入り込んだ髪の束も擽ったく、それを出すように首の後ろへ手を回して入り込んだ髪を揺らす。小さく息を吐いて視線を動かせば、そこにはコルクボードに貼られたメモ書きと隊員達との写真があった。どれだけカメラを向けても表情が一切変わらなかったカイムや、照れながらもこちらに向かってぎこちなくピースサインを向けるロドニー、アーシュラと共に撮影したものなど様々な思い出がそこにはあった。
(……懐かしいナ)
確かにあの瞬間、幸せだった。だがそれを罪としたのは自分だ。今幸せで生きることすら罪にして、自分を律していた。そうしなければいつしか訪れる普通の幸せにこの身が慣れてしまうような気がして、それを許せなかったのだ。
数秒だけ思い出に浸り、着ていた隊服を脱ぐためにクローゼットの近くへ移動する。その途中鏡に写った自分の顔に違和感を覚え、ふと足を止める。鏡を睨むように見つめるこの顔はアマンダではなく、アカシア自身だ。言われず共それは理解出来ていた。
(ああ、こんなにも私たちは違うんだナ。ネエサン)
パチパチと首元のボタンを外し、隊服のファスナーを下げていく。車内ではもう1つ提案があり、それは強制ではなく自主的に選択して欲しいとのことだった。
もちろんアカシアもその提案に乗るつもりでいるが、これから自分たちに下される処遇がどうなるかは分からない。
(……どうしたらいいかなんて、分かっているはずなのにナ)
ロドニーの言葉が何度も頭を巡り、あの瞬間に背を撫でてくれたカイムの優しさが胸を占める。アカシアとしては生きていけないと抑え込んでいた感情が、一夜にして全て明かされた。次々に起きる出来事と感情が追いついていなかったものの、一息つけたことでようやく実感が湧いてくる。
自分が組織に対して貫こうとした嘘は人から責め立てられるものであり、同情なんて欲しく無かった。だからこそ幸せであることすら罪にして、抱えて生きていこうと思っていたのに。
『でも貴方があんなに優しい目で話してくれた人が、貴方を恨む言葉を最期に残すだなんて僕は考えれない。』
『これは恨みなんかじゃない。貴方に遺した願いの言葉なんだ……!!』
『それが作られたものだったとしても、その偽善だけで容易に命を預けるほどボクは人を簡単に信じている訳じゃない。アナタと話して、教えて貰って……手を伸ばして貰って。信用に値すると判断している』
『それがアナタの隣でバディとして命を預けてるボクの願いだ』
これは全て、“アカシア”に向けられた言葉だ。この全てを跳ね除けて見なかったことに出来るほどアカシアは強くあれなかった。……いや、強さではなく、正しく人間らしい優しさであった。
優しさを弱さと言って嘲るような人間ではなく、それが自分のせいだと罪に変えるアカシアだからこその優しさであることを、カイムとロドニーは理解していたのだ。
「…………」
鏡にドン、と勢い良く拳を付けて蹲る。幸せを罪にすることは自分だけではなく、彼らのことも勝手に決めつけてしまっていたと理解出来てしまった。自分を律するために、人を傷つけていたのだ。それを避けるためには自分の罪も後悔も真っ向から向き合わなければならない。……それが未だに怖かった。
「…………私が、……すべきこと。なんて」
分かっている。だがこれを“アカシアの意見”として伝えることに抵抗が残るのはそうしていく内に自分の中にあった“アマンダ”が消えていくような気がして怖かったのだ。自分がアマンダとして生き、上書きで意見を被せてきたからこその恐怖だった。
これ以上の涙は出なかった。だが自分がするべきことだけは明確だった。
(……もし、リーダーの提案が国に通らなかったとしても)
私1人になったとしても、“それ”を実行させる。……ああ、きっとこれが“アカシア”の望んだことなのだ。ようやく腑に落ちた意見に呆れたように笑いを落としつつ、アカシアはその隊服を脱いだ。
─────塔調査帰還から5日後の10:34。中央区ディートリヒ家・ウィルペアト自室前にて。
コツコツと靴音を鳴らしてラビは足を進めて行く。何度か彼の自室に行ったことはあるものの最悪の記憶しかなく、今回はそれに追加して中央区に入るまでに過剰とも言える程になった申請を通ってここに来たのだから文句の5つや6つは言わないと気が済まなかった。
「ウィル兄様、ですか……ええ、ルージンズ様の仰る通り帰還後1度も部屋から出ていなくて……私達も声は掛けたのですが応じて頂けず」
そう言ってハーフツインの髪を揺らしつつ眉を下げた彼の妹…アダルハイダの言葉を思い返す。大切だと話していた家族にあの顔をさせていることに、彼は気づいているのだろうか。
コンコンと軽く扉を叩けば3拍ほど置いた後に「……誰だ?」と消えるほどの小さな声が返ってくる。
「ラビ。……きみ、いつまで部屋にこもっているつもりなんだ?」
そう告げればガチャリ、と控えめに扉が開かれる。そこから覗くウィルペアトの姿は酷いものであり、目の下のクマの濃さが白い肌に異常な程に映えていた。整えられていた髪の毛は少し乱れ、黒いインナーだけで居る彼はもはや別人のように見えてしまった。開かれた扉が閉じられることの無いように足先を滑り込ませれば、足元と顔を交互に見たウィルペアトから「……ここで話す事じゃないな」と扉を開けられて中へ通される。
長く息を吐き出しつつ、前髪を掻きあげた彼の義眼は異なる色に変わっており、それでも幼少期の頃に義眼を無理やり嵌め込み皮膚が避けたことで出来たという目元の傷だけは治っていなかった。
ベッドへ視線を向ければ少しもシワが無く、ここで過ごした形跡はほとんど無かった。山積みの紙の資料が乗った机へ目を向けていれば、「適当に座っていい」と告げてウィルペアトはベッドに浅く腰掛けていた。
「きみ、最後に寝たのはいつだ?」
「30分前」
「その前は?」
「……病院の時、か。点滴を受けた時に」
「はぁ……典型的な睡眠不足だな。夜更かしするようなタイプじゃないだろ、きみ」
「……それでも調べなきゃいけないんだ。1秒だって勿体ない」
「ああそうかよ。なら俺が今こうして来て話しているのだって無駄だって思ってんのか?」
「…………それ、は」
言葉を迷うウィルペアトに対し、呆れたように息を吐き出す。ほぼ4、5徹目の人間が正常な思考をしているとは思えず、実際ウィルペアトの視線も彷徨うように揺れていた。
「またお得意の“自分のせい”って思ってんのか?」
「お得意って……実際そうだろ。……君に殺してくれと願って、結局それも出来ずにただ君を困らせた。俺の判断が少しでも違えば、……ロドニーだって死なずに済んだ。…………ナイトのことも、見捨てずに行けたはずなんだ」
「あくまで可能性の話だろ?“はず”なんて不確かなことばっかつらつら並べて、ずっとその辛気臭いツラしてる気か?」
何かを告げようとして、口を閉ざす。それ以上続く言葉の全てが言い訳じみていることは分かっている。だけど自分の中で抑えなければ、また彼に感情をぶつけてしまうことも分かりきっていた。
緩く下唇を噛み締めていれば、「きみがどれだけ辛気臭いツラをしたって勝手だが」と言葉を続けられる。
「きみのせいじゃない、なんて言わないぜ。きみは失ったものに固執しすぎだ」
その一言で見ないようにしていたはずの感情が顔を覗かせる。そういった負の感情に気づかないように教育されていたウィルペアトにとって、これが八つ当たりであることも言ってはいけない言葉であることも理解出来ていた。だが睡眠不足の頭では判断力が落ち、それは自分が想像していたよりもするりと口から零れ落ちていた。
「……固執しすぎだなんて……君から言われるなんてな」
「……」
「……知っていたよ、君が討伐調査にまだ焦がれていることは。直接聞かずとも最低限は分かるからな。……成れないものに焦がれることは、……」
そこまで言葉を落としてハッと口を抑える。冷ややかな海底のような瞳は確かにこちらに向いており、ふーんと言葉を零していた。
「ならきみは俺みたいになりたいのか?」
「それは、」
「まあ、それもいいかもなあ」
そこまで告げてラビはウィルペアトの前まで移動し、彼を見下ろす。こちらを見上げる瞳は不安げに揺れており、こんな自分ですら希望として縋っていたのだと思えばただの小さな子どものようにも思えてしまった。
「全てに不満を吐いて、理不尽に怒って妬んで羨んで、きみにとっては新鮮だろ」
「…………」
「黙ってないで答えたらいいんじゃないのか?あの時から言ってるだろ」
「…………ああ、確かに新鮮だな。だが君のようになったら優しさに気づけず、悪態吐いてばかりの人生か。……はは、笑えるな」
半分ヤケになるように吐き捨てる。もうどうでも良くなってしまった。帰ってきた瞬間、両親は目を大きく見開いた。その時に期待した感情は「なんで帰ってきたんだ!!」と絶望を叫ぶように吐き出された言葉に上書きされてしまった。
あの日死ぬためだけに生きてきた。そのために優しく、聖人のような人であれるように生まれた瞬間から叩き込まれてきた。それが異常であることを悟られないように、当たり前であるように。……少なくとも、あの日怪我をしたラビとは全く違う人生を送っていた。それだけは確かなのだ。
「そうなりたくなければ辛気臭いのをやめろって言ってるんだよ」
ふん、と見下ろしたままラビは言葉を続けていく。
「その優しさだけで誰でも助けられる訳じゃないって今回で良く分かったんじゃないか?」
「ヘラヘラして自己犠牲に走って、人を巻き込んで。そんな小説みたいな話があってたまるか。それで万人が救われる訳が無い。自分の正義だけで、自分を含めた全てを救えないからな」
誰よりもそれを理解していた。正義感で他者を救い、そしてラビは足を故障した。その結果自分の夢を失い、他者を妬んで羨み続けるだけの人間となってしまった。……ラビだからこそ、言える言葉であった。
「ずっと言ってるだろ。……やっぱりきみは、俺みたいになりたいのか?」
「……そういう、訳じゃ……」
「きみが守りたいと言って守った大切な人に目を向けないで、失った者や過失に目を向けて……じゃあなんできみは守ったんだ?何故彼らを救ったんだ?」
「………………」
「救って助けて、はい放置、だなんて中途半端な優しさをやめろって俺は言ってるんだ。……きみは彼らを助けて、その先に何を望んでいたんだ?…………分かってるのに目を逸らしてたのは、きみの方だろ」
それ以上の言葉を続けようとして、呑み込む。
理解していた気になっていた。自分の心の内の1番弱いところが弱点になるのだと理解していたのに、それから目を逸らしていたのは彼の言うように自分自身だ。
沈黙に痺れを切らしたのか「ま、」とラビは続ける。
「すぐに立つのは難しいことも分かってるからな。どうしても、俺にして欲しいってことがあるなら聞いてやらないことも無いが」
「もう少しここに居て欲しい」
「……は?」
被せられるように告げられた願いに思わず素っ頓狂な声が零れる。だが当の本人はこちらから視線を逸らしつつ、控えめに服の裾を掴んでいた。
「10分、ここに居てくれ。それまでにちゃんと落ち着かせるから」
「きみなあ……」
「……」
「おい、裾が伸びるだろ」
「5分」
「……あーわかった!5分だけな。これ、貸しひとつだからな!」
降参だ!と言う勢いでラビはウィルペアトに背を向けるようにしてポスンとベッドに腰掛ける。背後のウィルペアトに対して視線を向けることは無かったが、今の自分にとってはそれが何よりも有難いことであった。
「今度ポテト奢れよな」
「……はは、分かったよ」
向けられた背に自分の背を預けつつ、ゆっくりと息を吐き出す。そのままポツポツと小雨のように零れたのは情けない言葉の雨だった。
「…………本当に、全部守りたかったんだ。でもそれは正義だとかそんな理由じゃなくて、大切な人が傍に居てくれるだけで良かった。居て欲しいから、自分で守るしかないって思ったんだ。」
「傍に居て、その人が笑ってるだけでいい。……俺にとってこれが家族であって、組織の人達だった。笑ってくれるだけで、本当に幸せだって……言い聞かせてたんだ。」
「幸せが続かないことなんて分かってたさ。でも異常であることが当たり前な自分にとって、そんな幸せが無くなったらあとは狂うしか出来ない。……それが嫌で、……平和な日々が続いて欲しかった。」
「…………そんな自分勝手な願いだけだったんだけどな。…………生きるとか死ぬとか、当たり前に来るそれが、決められたことも嫌だった。」
「…………優しくされたかったから、人に優しくしていたなんて言ったら…………引かれると思ったんだ」
多くは望まない。ただその願いを叶えることはあまりにも難しかった。
たった一言。自分が戻ってきた時に「おかえり」と言ってくれるだけで、まだ救われたような気でいれたのだ。
何かが頬を伝う。だがそれがもう何か分からないくらいには久しい感覚であった。きっと情けない自分の泣き声だって聞こえていたはずなのに、ラビは何も言わずにただ傍に居た。これが不器用な彼なりの優しさであることも分かりきっていた。
10分程経過し、ようやく頬を濡らしていた雨が止んだ時。「じゃあ今度は俺の番だなぁ?」と背を預けていた温もりが立ち上がってこちらを見つめる。
「ほら上着着て、情けないツラ直せ!出かけるぞ」
「……え」
「きみに任せてたらポテトはポテトでもハッシュドポテトを買ってきた前科があるからな。流石の俺でも2回目は許さないぜ?」
「…………同じポテトじゃないか」
「だから違うって言ってるだろ?さっさと準備しろよ、俺は待ってなんてやらないからな」
そう言って扉の先へ行ったラビをポカン…と見つめていたが、どうしようも無い笑いと共に上着を手に取る。
きっと彼は宣言通り待ってなんてくれない。だから自分で歩いていくしかないのだ。
(……本当に。君が君で良かった)
変われたのが神様のせいだとか、自分のせいだとか今はどちらのせいにもしたくない。どちらのせいでもなくて、君の言葉で自分は進んでいける。変わることが出来たのは神様でも自分でもなく、君のおかげだ。
何度告げてもこの事実は否定されていたが、ウィルペアトにとってはそれが事実であった。
どちらかに救われるくらいなら、俺は君に救われたことにしていたい。そうして芽生えた執着を恋と名付けたのだから、少しくらい盲目で居たとしても許して欲しい。そのくらい世界が見えなくなって、ようやく自分の本心と向き合えるようになるだなんてあの日の自分は考えもしなかったが。
「ああ、今行く」
そう告げて椅子に掛けたままの隊服を手に取り、彼の背を追いかける。いつもと反対になった立場にどこか擽ったさを覚えつつ、ウィルペアトの中で1つの考えが固まりつつあった。
─────そこから更に2日後 中央区のとある施設にて。
軽くノック音を響かせれば、「どうぞ」という声だけが返される。「失礼します」とシェロとウィルペアトが同時に告げて扉を開けば、円卓会議室にグローセ上層部やクラインの防衛担当などが集っていた。その上座に座るのはシェロの父親であり、彼は真っ直ぐにシェロを見つめていた。
「さて、今回君たちに来てもらったのは他でもない。……1週間前に起きたゼクンデの倒壊についてだ。私達としては素直に報告を頂ければそれで問題ないんだがね?」
手元のタブレットをすいすいと操作させつつ、ふくよかな男はこちらへ視線を送る。任命式の時に見た顔だな…と思いつつ、ウィルペアトとシェロは淡々と今回の状況について報告をしていく。ディートリヒ家とゼクンデの繋がり、シェロと国の繋がりなどは互いに伏せた状態ではあったものの上層部からの質疑応答に応じていれば嫌でも察しがついてしまった。
「────……つまり、最終的に塔が崩れたのはツァイガー達の混乱によるものと老朽化だと?そう言いたいのかね」
「ええ。ですがこれはあくまでも私達の仮説であり、真相については未だ不明な部分が多く……」
「ハッ!くだらない。だからさっさと私は防衛に力を入れろと言ったんだ!」
「そうだそうだ!こんな組織に金を費やしてたなんて無駄でしかないだろ!!」
続く言葉は遮られた野次によって消されていく。シェロがチラりと視線を向けても父は一切こちらを見ず、手元のタブレットにばかり視線を向けていた。
「まぁまぁ……でも良いじゃないですか。ブルーノの犯した失態は彼が自分の手で片付けた。そして1週間近く経った今でもツァイガーによる被害はゼロ。……かつてこんなことはありましたか?それだけでも彼らはしっかりと功績を残してきたじゃありませんか!」
その場を落ち着かせるように1人の役員が告げたその言葉にピクりと反応を示す。1人がその話題を取り上げれば円卓の話題は違う方向へと舵を切っていく。
「だが結局人とツァイガーの仕組みは不明なままじゃないか」
「確かにそれもそうですが……ヴィンシュタインの坊ちゃんを連れて来ればよかったのでは?コア1つでも取っていれば解析出来たでしょうに」
「親にそれをやらせる気か?」
「何もそこまで言っていませんって」
「だが研究対象となったものを置いてきたことは大きすぎるな……」
口を挟む暇すら与えられず紡がれる最低な話に思わず苛立ちが募っていき、「お言葉を遮ってしまい大変申し訳ありませんが」とウィルペアトは先程よりも声のトーンを落として告げる。
「私達の報告はこれにて以上となります。他に要件があるとのことでしたので、そちらをお伺いしても?」
「ああ、そっちのことか」
スっとタブレットをスライドさせ、1人の役員がこちらへ僅かに息を荒くして視線を向ける。
「今回の君たちの偉業を祝福し、国をあげたパレードを開催する予定だ」
「……は?」
思わず声をあげたのはどちらだったのか……2人だったのかもしれない。だが驚きで目を丸くしたシェロとウィルペアトの反応をどう受けとったのか、役員達はつらつらと計画を述べていく。
「北区から始まり最後に中央区を通るか、中央区内だけで収めるか議論の最中ではある。どちらにしても東区は通らないだろうがな」
「塔の破壊は痛手だ。だがそれによってツァイガーの出現が抑えられたというのであれば話は違うだろう?200年続く問題を解決したことは実にめでたい!」
簡単に意見をコロコロと変えていくこの上層部に何故誰も意義を唱えないのか。結局のところ、保身に走りたい一心なのだろう。
シェロも意義を唱えようと口を開くが、ようやくタブレットから顔を上げた父と目が合う。それはこれ以上余計なことを言うのであればどうなるか分からないということを示しているように思え、思わず口を噤んでしまう。
「今はまだ混乱しているが、時期としては1ヶ月後の……」
「辞退させて頂きます」
スパッと賑やかな空気を断ち切るように静かな声がその場に響く。……声を上げたのはウィルペアトであった。
「私だけではなく、グローセ隊員全員をパレードに参加させません」
「ハッ……なに、そこまで謙遜しなくたっていい。君たちの功績を讃えてのことじゃないか。守り抜いたのは君たちの代の偉業で」
「お言葉ではございますが、私たちは何を守れたのでしょうか」
普段であれば柔らかく笑みを浮かべたままのウィルペアトであったが、この会議が始まってから一度も微笑みを見せていなかった。前髪がサラりと揺れ、そこから覗く瞳は確かに冷えきったものだった。
「貴方がたを守れたのなら私たちの任務を遂行出来たと評価して頂けるのでしょうか。それで仲間を、大切な人たちを亡くした隊員を祝えと……そう仰っているんですね」
「な、なんだ!!追悼式だって今までやってきて、今回だってその延長程度に考えれば良いだろう?追悼式と任命式を合わせたものだと楽観的に考えれば良いものを」
「言葉を重ねてしまい大変申し訳ありません。ですが私達にとって“その延長程度”と考えれるほど軽いものでは無いのです。残された遺族や隊員のことは?心境など何も考えずに実行するつもりだったのですか?」
「っな、なんなんだ君は!!グローセリーダーと言えど、私達に楯突く権利は無いはずだ!!こちらが善意で提案していることに対してそこまで文句を言うとはな」
ふん!とふんぞり返るように座り直す役員へウィルペアトは冷ややかな視線を向ける。
「そうですか。平和的に解決出来ないというのは悲しいですが……」
そこまで告げて一度息を吐き出す。そして再度円卓に座る役員全員に目を向け、静かに言葉を吐き出した。
「グローセ所属の人間として意見を通していただけ無いのであれば、ディートリヒ家の人間として。貴方がたへお願いさせて頂きます」
彼らを守れるのであれば、この名前なんていくらでも利用出来る。あれだけ恨んだこの血ですら利用出来るのであれば、あの家に生まれて良かったのかもしれない。
グローセよりもディートリヒとしての方が意見に権力があることを理解していた。何故ならそれがこの国とディートリヒ家が交えていた腐りきった契りであり、自分が断ち切りたかったものでもあった。
「旧時計塔ゼクンデにある遺体・遺品の回収後、対ツァイガー専門国家組織グローセは解体とさせてください。」
「他には何も要りません。名誉や栄光を手に入れたとて失われた命も時も、戻らないのです。私たちは何も守れなかった」
「ウィル……」と小さく呟くシェロへ一瞬視線を向けつつ、再度視線を戻す。
「聞いて頂けますよね?」
「っの……!!今に没落する一族が!!」
「はは、仰る通りです。ですから私は使える物を最後に用いて、彼らを守り抜きます。……いずれは没落するとしても、その権利は未だに残っておりますが?」
静かに告げるウィルペアトに対し、「その一言で何人の未来を奪うつもりだ?」という声が返される。
「小さな反抗として言うのは構わない。だがグローセに所属するのは君たちだけではないのだ。……家庭を持つ者もいる。そんな彼らを簡単に路頭に迷わせる気か?」
「……」
「子どものような願いだな。10何人の命しか見ていないのか?それ以外に関わる者の未来を考えた時、どうすべきかが賢明な判断かくらいは理解していると思っていたが」
……そう告げるのはシェロの父親だ。冷えきったそれはその場を支配し、他の役員も野次を飛ばせずにいた。
「天秤にかけずとも分かる命の重さを問うな。君たちさえ何も言わなければいいだけだ。そもそも、“こちら”がグローセに何かを施した証拠は無い。再調査は好きにすれば良いが、ヴィンシュタインのコアを持ち帰って来い」
あくまでも国は一切関与しておらず、グローセ隊員達のみの責任にするつもりだと察した時。呆れてこれ以上何も言えなくなってしまった。
彼らにとって正しい歴史はどうでも良く、亡くなった彼らが残したかった言葉も意味は無いと言うのだ。
続く言葉を探していれば、ウィルペアトの視界の端で黒い髪が揺れたような気がした。
「……自分が、その証拠を証言します」
「……は?」
ぐ、と唇を噛み締めつつも上座の彼へ言葉を投げかけたのはシェロであった。
「……貴方達は、何が目的だったのですか。グローセの隊員を利用して、魔力を操作しようとしていた。これとツァイガーに関連が無いとは言いきれません。調査を進めていけば、必ず出てくる疑問となります。」
「私、は、……彼の残した思いと真実を伝えたい。そのために活性剤の存在を明かす必要がある。……未来を失う?結局、貴方達にとってだけ都合の良い未来になるだけです。」
「私達は然るべき責任を取るべきです。グローセを利用し、いずれは国民に影響を与えようとしていた。……こんな閉鎖的な国に閉じ込めて、実験じみたことを続けるなんて……間違っている」
その瞳が恐ろしかったが、真っ直ぐに見つめ返す。父は1つ息を吐き、「そこまで言うのであれば、好きにしてみせろ」と一言吐いた。その言葉に一気に室内はざわつき始めるが、父は静かにその場を立ち足早にシェロの元へと向かってくる。そして耳元に顔を近づければ、「今更取り返しは出来ない」と告げられた。
「君が私たちの家庭を壊したことも理解しろ、いつまでも子どものような我儘を押し通せると思った結果が全ての崩壊だ。」
「二度と君に期待しない。君のような我が子を持った覚えは無いからな」
「……とう、さ」
冷ややかな声にすら縋るように声をこぼすが、彼はシェロのことを1度も振り返らずにその場を後にする。
「……シェロ、良かったのか?」
「…………いい、よ。…………これが俺の正しいと思った道だったんだ」
ポツリと言葉を零し、シェロは自身の足元へと視線を落としていた。
───────それから更に3週間後。
「……あれ、先輩」
「……ああ、ファウラーか」
ウィルペアトから話がある、と呼ばれていた元隊員達は皆南区へと向かっていた。その道中で出会ったカイムと共に向かうことになった。
塔へ再調査に行くと決まったのは1週間前の事であり、今回はその返事を伝えるためにウィルペアトの新居へ向かうことになっていた。中央区に住んでいた彼であったが、これを機に一人暮らしすることになっただけだよと笑っていたのをぼんやりと思い返す。
「驚いたっすけど……でも先輩の家、見に行くの初めてなのでちょっと楽しみっす!」
「そんなものか?」
「?先輩は楽しみじゃないんすか?」
「ボクの中で楽しいという感覚に当てはまらなかっただけだ」
そっすか……と声を零すも、2人の間にこれ以上会話が続かない。あの時共闘する形になったと言えど、それについて触れて良いのかどうか探っている内に時は過ぎていく。
帰ってきた時、家族に優しく抱きしめられてノヴァの中に様々な感情が渦を巻いていた。ただその中で1つ明確になっていたのは、「ああ、自分は何も知らないからこんなにも平和だった」という事実だけだった。
ソラエルが住んでいた家には1度だけ寄ったことがあるが明かりは灯らず、ポストは空のまま。今の時代でそれが付いていること自体珍しいのだが、そもそも新聞などを日常的に購入し続ける習慣が無かったソラエルにとっても無意味な物であった。自分に手紙を送るのはグローセから送られる書類だけであり、死亡が認められれば書類も止まる。空のポストに空っぽの家……時が止まったまま放置されるその家にひんやりとした寒さを覚えた。
何か話題を……と考えつつ視線を動かした時。高い声を上げながら小さな子どもが通り過ぎていく。「待ってちょうだい」という祖母らしき人物は子どもの足に追いつかず、杖を支えに何とか歩いていた。
(……あれ、)
僅かに聞こえたバイクの音。それは子どもが駆けて行った十字路の方からであり、子どもはそれに気づいている様子は無かった。音が徐々に近づき、影が伸びる。このまま飛び出してしまえば危険なことは理解していたが、高齢女性の足の速さでは届かず、カイムに声を駆けて反応を待っていれば子どもが危ない。
「っ、先輩、すんません先行っててください!!」
「おい、ファウラー!?」
急いで地面を蹴り子どもの元へと走っていく。近づく音にようやく気づいたのか、子どもは音の正体を確かめようと十字路へ足を速めていく。
「まっ、てって!!」
「わ!?」
後ろから抱え込むように子どもを抱れば、瞬間勢い良くバイクが通り過ぎて行く。バクバクと落ち着かない心臓を宥めるように息を吐き出せば、腕の中の子どもはわんわんと泣き声を上げた。
「こわ゛かっ、たぁ゛゛!!」
「はぁ……あのなぁ、おばあちゃん置いて行ったらダメだろ!それに音がしたからって見に行かないこと。いいか?」
「ごめ、ッ、ごめんな゛さ゛い゛」
わぁっとさらに声を上げた子どもを落ち着かせるようにしていれば、彼の祖母とカイムがその場に合流する。
「おばあちゃんごめんなさい!!」と子どもは女性に抱きついており、「いいのよ、無事で居てくれたらそれで」と頭を撫でる女性の頭には金属製の羽モチーフの髪飾りがキラリと輝いており、赤いガラスロックがさらに光を集めていた。
「うちの孫がごめんなさい。なんとお礼を言っていいやら……」
「いや、そんな言われるようなことは何も……!」
「でも兄ちゃん、すっごい速かったんだよ!!ビュンッて来てバって!!」
3秒で泣き止んだのか興奮気味な少年は祖母に先程のノヴァの行動を伝えており、それにどこか擽ったさを覚える。
「僕が見た中でいっちばん速かったんだ!!ねぇ、どうやったら兄ちゃんみたいに足が速くなれる!?僕もね、兄ちゃんみたいに足が速くなってね、そして色んな人を助けたいんだ!!」
……その憧れに満ちた瞳を誰よりも知っている。それは、自分が憧れの先輩に向けていた視線だ。何も知らない無知な自分にとって、流星のような存在である彼が眩しかった。
きっとこの子どもにとっての憧れが自分になったのだと察し、むず痒さから首の後ろを触る。
「俺みたいに、か?」
「うん!!そしたら皆のこと助けれるし、足が速い方が女の子達は好きなんだって!!」
「っ、はは!なんだそれ」
思わぬ返答に笑みを零し、少年の頭を緩く撫でる。
「だってその方がカッケーじゃん!!兄ちゃんみたいにカッコよくなりたいんだ!!兄ちゃんみたいにヒーローな方がカッコよくない?」
ああ、そうだ。確かに自分の憧れはこんな風に無垢で、それでいて希望に満ちていた。
「確かに、その方が最高に格好良いな」
そうして優しく微笑むノヴァに視線を向けていれば、「貴女もグローセの人よね?」と女性から言葉を続けられる。
「ああ、そうだが」
「良かった。……この前もね、貴女達にお世話になったからまたお礼を言う機会が出来て良かったわ」
「……この前」
「ええ、貴女達が塔に向かう前かしら……女の子がね、助けてくれたの。でもきっと私が嫌なことを言っちゃったんだけど、その後に『ごめんなさい』って。『痛くないですか、大丈夫ですか』って……優しい子だったわ」
懐かしむように目を細める女性になんと返すべきか言葉を迷っていれば、「私はずっと、貴女達を応援していたのよ」と告げられる。
「今も昔も、ずっと悪い評価ばかりだとしても……そんなの噂じゃない。人は悪い記憶の方がよく残って、そして噂が大好きよ。……それの対象になる貴女達の真実を、ちゃんと知ろうとしないで噂ばかりで嫌になるわ。」
「私たちは何があっても、憶測でしか話せない。真実を見ていないもの。……でもね、貴女達が命を賭けてこの国を守ってくれたことは知っている。誰よりも近くで見て、守られて……貴女達が正しくあろうとしたことを知っているわ」
……ウィルペアトとシェロが上層部との会議に出た後日、国の運営体制が見直されるとのニュースが流れた。それにグローセが関わっているだのいないだのの噂が交わり、曖昧なままに自分達はまた評価を受けていた。きっと目の前の女性もその評価を聞き、それでも自分達を信じるという選択をしたのだとカイムは理解する。
「……ありがとう」
「感謝するのは私たちの方よ。いつもありがとうね」
そうして優しく頭を撫でられればなんとも言えない感情が湧き、擽ったさから眉間のシワが少しだけ和らぐ。
そうしてこちらに手を振る2人を見送った後、カイムとノヴァは再度足を進めた。
「……そういえば、なんすけど。先輩は再調査の件どうするか決めてるんすか?」
そう告げるノヴァに対し「ああ」と短くカイムは返事を返す。
「あのどうしようもないバカ正直なお人好しに、ボクを置いて行ったことに対しての文句を言わないと気が済まないからな。」
「迎えに行く。ボクの選ぶ選択はこれ以外にありえない」
「……はは、俺も同じっす。あいつのこと、迎えに行かないとめちゃくちゃ泣かれそうですし」
「まぁ、それもそうだろうな」
そんな他愛もない会話を交え、2人は目的地へと足を進めた。
──────同時刻 墓地エリアにて。
「シェロ、大丈夫そう?」
「うん。ありがとう、アルフィオ」
そう返してシェロはアルフィオの方へ視線を向ける。
あの会議以降様々なことは起きたが、結局のところ自分の処遇は再調査が終わるまでお預けという形で落ち着いていた。活性剤についても最低個数だけシェロの手元に保管し、それ以外の管理をどうするか……となったがシェロの選んだ道は1つだった。
「まさか植物に使うとは思ってなかったけど……綺麗に咲いてるね」
墓地エリアから移動しつつ、アルフィオは周囲に咲く花へと視線を向ける。活性剤の濃度を薄め、植物に栄養剤として散布すると聞いた時は驚いたものの、原液として残していれば結局悪用されかねないと聞き納得して今に至る。動植物と同じ魔力で構成されている薬剤であるため、これを使用したとしてもなんの影響も出ずに済んだ。
そうしてエリアを出る瞬間、シェロはピタりと足を止める。振り返れば俯きつつ「俺のしたことは、本当にこれで良かったのかな」と消えるような声で呟かれる。
「でもきっと、自分たちに出来る1番良い選択だったと思うよ」
「……それなら、良いんだけど」
……あの日以来、シェロは家族と絶縁したという。というよりもランディーノ含む国の役職持ちによる延命行為が倫理的問題に触れたらしく、縁を切ることを余儀なくされたのだとぽつりぽつりと話してくれた。
カイムから預かったというロドニーのノートに視線を落としつつ、再度それをシェロはポケットの中にしまい込む。
「……でも、……そうだな。正しくロドニーの意見を伝えるには、きっと今のままの俺じゃダメなんだ」
“ランディーノ”という名前を失ったことを気にしているのではなく、きっとシェロが本当に求めていたのは家族や近しい者からの愛情では無かったのだろうか?と落ち着いて話をする内にアルフィオは気づき始めていた。
だがそれに本人も気づいているのかは不明であり、時折寂しそうな顔を見せる回数が増えていった。
「……まぁ。生きていく上で、ラストネームを失うことが大変なんて……知らなかったけど」
2回ほど誰に当てるでもない独り言のように呟くその言葉を聞いた事はあったが、彼に自覚は無い。彼はそういう人であって、生まれた悩みに向き合うのに時間を必要とする。そうして1人で向き合っていくしかないと思い込む人であることをアルフィオが誰よりも知っていた。
「ねえ、シェロ」と声をかければ、花と共に風が二人の間を抜けていく。「ん?」と優しく問えば「あのね」とアルフィオは言葉を続けた。
「1つの選択肢ではあるけど、君が良いなら僕と同じラストネームになるのは?」
ぱち、とライラック色の瞳が1度瞬く。
「君が見聞を広めるというのなら、その手伝いをさせて欲しい。ここに残って正しい歴史を伝えるというのなら、誰よりも近くでそれを支えたいんだ。」
「君の居ない世界を歩いていけない。あの時も伝えたけれど、僕の守りたいものも、世界も君だよ。」
「完璧じゃなくたっていいんだ。きっと僕たちは完璧になれなくて、歪なままかもしれない。けれど、……そんな僕でも譲れないものだってあるんだ」
あの日以来ポツポツと彼は本心を話してくれるようになった。自分の求めているものや心をゆっくりと理解するために、けれどこぼさないように丁寧に彼は伝えてくれた。そんな彼にとって求めているのが自分に与えることが出来るものなら、自分に贈らせて欲しかった。
かつて交わした約束は変わらず、君がこの国の人々が笑顔でいれるような国であって欲しいと願うのなら。この場所に居るために必要な物を今度は自分から贈らせて欲しい。かつて商人から勧められるがままに手にしたピンキーリングのように曖昧なままではなく、今度は自分の意思で。
柔く笑みを携えたままのアルフィオに対し、シェロも僅かに微笑んで返す。
あの日から止まっていると錯覚していた心臓はまだ音を奏でて、息をしている。君のそばで息をしたくて、君の隣で生きたい。ただそれだけの、“当たり前”がシェロにとっては不足していた。そして何よりも輝かしくて、憧れで、求めていて……それを差し出してくれたのがアルフィオだった。心の1番深くて柔いところに寄り添ってくれたのが彼だった。
「……最高の選択肢、かも」
そう返せば言った本人であるはずなのに、アルフィオは僅かにその瞳を丸くする。その初めて見る顔がどこか不思議で、思わず笑ってしまった。
「俺が今のままであれるように、……あの日の願いを見失うことは無いけれど、1人で歩くには……きっと、この世界はまだ先が見えない程に暗くて、不安定だ。」
「アルフィオに傍に居て欲しい。……なんだか、改めて言うと……くすぐったいね」
そう告げればスっとこちらへ手を伸ばされる。彼の手を取る事に一切の躊躇いは無く、むしろ安堵の気持ちが大きかった。
「でも、きっとそれが君の願っていた幸せなんだって僕は思うよ」
「……それなら、嬉しいが正しいのかな。……正しくなくとも、俺はそう言いたい」
おず…と確かめるようにアルフィオに視線を向けつつ、その手を伸ばす。心の傷は簡単に癒えないことを誰よりも知っている。だからこそ治すことばかりに意識が向いていたが、当たり前の幸せを享受することも必要なことに気づけた。不確かな未来の先にあるものがなんであれ、君と一緒に歩んで生きたいと願ったのだ。
「なら俺は、すごく幸せだよ」
緩く手を絡めれば暖かな日差しが雲間から覗く。近くでは白い花が数輪揺れ、2人の旅路を祝福しているように思えた。
「……で、これはどういうことなの?ウィル」
「……ええ、と」
南区にあるウィルペアトの新居に辿り着いたシェロの目に真っ先に止まったのはもはや炭とも言い難い真っ暗な塊であった。「何これ」と問えば「……魚だ」と返されて思わず2度見したのがつい数秒前のことである。
「いや、アダルハイダから『ひとり暮らしならお料理しなくてはいけませんわよ』と言われて……魚なら焼くだけだから、と言われたんだが……」
「きみ、貴重な魚を丸焦げにした挙句住んで数週間もしない家を燃やすつもりだったじゃないか」
ん?と呆れたようにウィルペアトと魚を交互に見るのはラビであり、その長かった髪は綺麗に切り揃えられていた。
「……恐怖チャレンジでもしてみるか?2人とも。意外と食えるかもしれないぜ?」
「いや、僕はいいかな……」
「うん……俺もいいかな」
「ならやっぱり焼いた張本人が責任を持たないとなあ?」
オラオラと丸焦げの魚を皿ごとウィルペアトに押し付けようとするラビを横目に「ラビって実家暮らしだったよね」と静かにシェロがアルフィオへ問えば、「うん……でも多分、魚を丸焦げにする程じゃないと思うけど」と小さく返される。
「だからッ、後でそれは食べるって言ってるだろ!」
はぁ……と息を零すウィルペアトはいつもよりもどこか表情が豊かであった。ぼんやりとそれを見つめていればアルフィオの足元に暖かい何かがスリ…と身体を寄せていた。
「あれ?ルビ……連れてきてたの?」
そこに居たのはラビが飼っている猫のルビであった。優しくルビを撫でながら「ああ、まあ」と歯切れの悪い返事か返される。
「……ルビが懐いたから、仕方なく。な」
「?懐くって……ウィルさんに?」
「違う……クーペの方だ」
そう言ってラビが視線を向けた先を確かめるように視線を送れば、そこには1匹のボルゾイがゆったりと過ごしていた。とたとた…とルビはアルフィオの手元を離れ、クーペと呼ばれたボルゾイの元へ身体を寄せる。随分と仲がいいのか、そのまま2匹は昼寝を始めてしまったが。
「ウィルさん、あの子も引っ越しで一緒に連れてきたんですか?」
「ん?ああ……本当は実家、というより妹が引き取る予定だったんだけどな。……色々あって」
そう返しつつ、妹達に真実を伝えた日のことを思い出す。
2番目の妹は信じられないと良い、弟は困惑しながらもその場で涙を零していた。……だが最も異なる反応を見せたのは1番目の妹であるアダルハイダであった。彼女やほかの妹や弟が犠牲になる事が嫌で、と伝えた時点で飛んできたのは彼女からの平手打ちだった。
ボロボロと大粒の涙を流しながら「ふざけないでください」「なんでそんなことを1人で抱え込んで、私達を守らねばと決めつけるのですか」と叫んでいた。
「“守る”なんて私達のことを勝手に決め付けないでください。大切な人が苦しむだけを見ている方が余程辛いということを理解してくださいな」
そう言って泣いた彼女だったが、最後には涙を拭って心配させまいと胸を張っていた。
「ウィル兄様、アダルハイダは決して折れなくってよ。守られるだけの女でなんて居られませんわ。そんなの私が癪ですの。」
「ディートリヒ家の女を舐めないでくださいな?必ず強く生きてみせます。そして、自分の幸せは私の手で掴みとりますわ」
……あれ以来、彼女たちとは不定期に連絡を取りあっている。家を出る際にクーペがウィルペアトの傍を全く離れようとしなかったことから、彼が引き取ることになったのが経緯だ。
押し付けられた焦げ魚をテーブルに置きつつ、「シェロ、少し良いか」と告げれば察したように「うん、大丈夫」と返される。そのままアルフィオとラビにここに居るように告げ、自室へと足を進めた。
「─────これが、俺の知っている全てだよ。活性剤についてはあの後植物の栄養剤として全て使用しているから、残ってないんだけど……」
「そっ、か……いや、それならいいんだ。ありがとう」
あの会議の際にそれぞれが何かを抱えていることはぼんやりと理解していたものの、再調査の際に必要になると判断しシェロとウィルペアトはそれぞれで抱えていた事情をざっくりと共有していた。
「こちらこそだよ。……ウィルの抱えている事情は、ここ数年のものでは無いし……言い難いことも確かだ」
「とは言っても……結局俺たちだけでは分からない範疇の話になってきたな。まさかツァイガーが人間だと思って居なかったし、そうなれば人の感情で左右されて憶測が上手く出来ない……結局、俺たちはどうしようも無かったんだろうな」
アマンダが玉座に居た理由も分からず、ロドニーが生きながらツァイガー化した理由も不明なままだ。だがきっと自分たちが1日で理解することは決して出来なくて、そしてこれは自分たち以外の代が当たったとしてもどうしようもない事だったのだということで話の決着はついた。
「…………杞憂で済む話なら、最初からそうであって欲しかったんだがな」
はは……と告げるウィルペアトに対し、「……これは関係ないことなんだけど、もう1個確認しておきたくて」とシェロは言葉を続ける。
「……ウィル、自分の魔力の残量…………寿命について、理解しているの?」
「……うん、分かってるよ」
「…………家族や、ラビには?」
「…………言ってないけど、家族には近いうちに言うよ。クーペのこともあるし。……ラビには、……まだ」
今回の塔調査で受けた怪我や魔力消費、そして補助具が破壊され続けても武器を振るい続けたことが影響し、ウィルペアトに残った魔力は元々の残量とシェロが投与していた活性剤分……寿命で言うなら多く見積っても3年未満の量だった。失った分の魔力を食事で補おうにも消費量が大きすぎるため、完全に元の値に戻ることは無いだろうというのが診断の結果であった。
「今回の再調査では俺の武器はラビに使ってもらう。俺が指示側にしか居れないのは申し訳ないが……」
「そんなことないよ。……ただ、無理はしないって約束して」
「大丈夫。もう無理はしないから」
そう言って笑うウィルペアトの顔はどこか割り切った顔であり、迷いを感じさせるものは無かった。
「……塔の再調査が終わった後は、安静にしてるの?」
「……あー…………いや、有志を募って自警団を作るつもりだったんだ。既に何人かから声がけは貰ってる」
「俺が言えることじゃないけど、無理しすぎだからね」
ジト……と視線を送れば「後継を育てる、というよりはやっぱりこの国には必要なんだよ」と小さく返される。
「上があんな状態なんだ。俺らだとしても、国民の心の支えになる存在は必要だ。……俺に出来る限りのことをして、1から色々頑張ってみるよ」
笑顔で言われてしまえば何も言い返せず、シェロはハァ……と小さく息を吐く。
「……定期的に病院、来てね。ジェイムスの奥さんから声を掛けてもらって、俺もあの病院に居ることになったんだ」
「そうなのか?」
うん、と言葉を返しつつウィルペアトの自室の扉を開けて元いた場所へと2人は足を進める。そこには日向ぼっこをするようにして眠る2匹を優しく見守るアルフィオと、肘を付きながらその様子を見てるラビが居た。
「君もだからね、ラビ」
「?何のことだ、急に」
「定期検診から逃げてるって聞いたんだ。……治ったとは言っても、定期検診は無くならないよ」
「げ…………ああ、まあそのうち行くさ」
そう言って手をヒラヒラさせるラビに呆れたように息を吐き、ふとシェロの中に1つの案が浮かぶ。
「ウィル、この家って合鍵とか作った?」
「ん?ああ……確かここに……」
「それ。貰ってもいい?」
「?別に構わないが……え?」
ぽん、と手渡された銀色の鍵を受け取り、シェロはそのままラビへ「はい」と手渡す。2人の頭の上にクエスチョンマークが浮かびそうなほど困惑している状態である事は目に見えており、そんな3人のやりとりを不思議に思ったのかアルフィオも駆け寄ってくる。
「はあ!?どういうことだよ!」
「どういうって……ウィルも定期検診をしなきゃいけなくて、ラビもそれが必要だ。そして2人の担当になるのは俺だから、連絡取りやすい方が俺としてもまとめて診ることが出来るし都合が良いんだよ」
「ふざけるなよ!!何でわざわざ解散になってもウィルの世話を見なきゃいけないんだ!」
そう言って思わず手にした合鍵をシェロへ投げ返そうとすれば、挙げた瞬間にその手首はアルフィオによって掴まれていた。
「……別にシェロさんは世話を見て、って言ってる訳じゃないよ。ただ連絡取りやすい方が便利なだけであって」
「こんなのほとんど『世話を見る』って言っているようなもんじゃないのか……!?」
振り上げた手はアルフィオによって無理やり下ろされ、なんなんだよ……とラビが呟くと同時にコンコンと扉がノックされる。
「!カイム、ノヴァ!アカシア!」
「すみません、色々遅れちゃって……」
あの後の道中で合流したというアカシアはバイクを押して歩いて来たらしい。家の前に止めて3人が中に入れば、やはり1番に目に付いたのは卓上の焦げ魚らしい。
「せ、先輩……?これって……」
「…………どこをどうしたらこんなにも焦げるんダヨ」
「家庭用の火力とは思えないな」
3人からも似た反応を返され、う…と言葉にならない声をウィルペアトはあげる。それは一旦卓上から退けられ、その上には違う資料がどさどさと乗せられていく。
「……この間の調査で遺したものの回収に行くのが、今回の目的になる。……そして今度こそ、これが最後の調査だ」
そうして順に表情を確認すれば、そこには確かな決意がそれぞれに宿っていた。それを確認し、ウィルペアトは最後の調査の作戦を立てていく。
……あの時、自分たちはあまりにも無知だった。隣に立ち、背を預けた相手の全てを知らない。相手が過ごしてきた人生の数刻しか知らないのに、この身は動いた。
だが無知故に迷いなど無く、躊躇うことを知らないことは強さとなった。そしてそれは自分たちを前へ進ませる光となる。
何も知らないからこそ、これからの自分たちの旅路の果てを夢に見る。
行く果てに待つものは無くとも、あの時背を預けた相手は確かにそこに居た。そして自分達はその相手に生命を託していた。
それが歪な自分たちが描いた果てであり、正しく回る時計の先にある未来だ。その未来を守るために、自分たちは戦い続ける。
自分たちの願いはただ1つであり、そのために明日を生きていく。
守る。この世界を壊さないために。
ただそれだけの為に、この先の未来を歩いて行くと決めたのだ。
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