第6話
外山が育美を武備の会に招いて、半年ほど経ったある日の夜、スタジオでの収録が終わった後、浩二に話しかける者がいた。
「なあ外山くん。おれたちも、会に参加していいかな?」
浩二を、収録スタッフの一人が呼び止めたのだ。
スタッフの後ろには、さらに数人の男女が立っていた。
監督や音響監督、撮影など、アニメ制作にかかわる様々な仕事を請け負う者たちだった。
みな、どこかすがるような視線を浩二に向けていた。
浩二は即答する。
「構いませんよ」
「良かった。入会者が多いって聞いて、今さら入れてもらえないかと心配していたんだ。ボクたちも準備しておきたいしね」
「じゃあ、練習場所送っときます。二十四時間開いてるんで、いつでもいいですよ」
浩二がスタッフと、アプリで情報をやり取りし終わるや、同じアニメに出演していた育美がやってきた。
「外パイセン。また人数増えるんですね」
「ああ、この前廃校になった小学校を買ったからな。人を増やしても問題ない」
「廃校なんて、よく買えましたね」
「会員に、廃校の出た区長の親戚はいてね。体育団体への公的な援助の一環ってことで、安く払い下げてくれたんだ」
「安かったんですね。よかった」
「ああ、二億で買えた」
「え、に、億?」
中古車が安く買えたとでもいうようなトーンで話す浩二の言葉に、育美は絶句した。
確かに都内としてはかなり安い。が、二億だ。
個人がおいそれと出せる額ではない。
「よく持ってましたね。二億円も」
「俺と会員のみんなで出し合ったからな。特にあの三人は多めに出してくれた」
「ああ、あのお金持ちでガチホモって噂の三人ですか」
育美は、目を輝かせながら納得した。
二人の声優とライターのトリオが武備の会に参加するようになったのは、三週間前のことだ。
声優の一人は少林寺拳法、もう一人はフルコンタクト空手でそれそれ三段を得ている武道家だ。
二メートル超えるライター業の大男は、ラグビー出身で、力の強さと体格には定評があった。
三人とも本業に加えて、ネットでのサイドビジネスを成功させており、裕福だった。
本当だったのかと納得しながら育美は浩二に問う。
「広い場所を確保できたからいいモノの、いくらなんでも増やし過ぎではないですか? 会員、もうそろそろ千人超えますよね」
「仕方ないだろう。今のご時世、いつ誰が異世界に送られるか、わからないんだからな。医療従事者や芸能関係者、その他特殊な技能や知識を持っている人たちにも入会してもらって、知識や経験を他の会員に授けてもらっている。まだ増えるさ。備える場所を作ってやるのが、武備の会に課せられた使命なんだ」
育美は黙ってしまう。
武備の会に出入りするようになって、育美もいずれ異世界に行くのだろうと見なすようになっていた。
現実的に? 考えれば、異世界へ行った際に、チート能力を得られるとは限らないのだ。
もし自分が行く異世界の治安が悪かったり貧しかったりすれば、技能がなければ、生きていけない。
だから浩二は、戦闘技能だけではなく、生きていくうえで有利になる知識と技術を、会員が身に着けられるようにしようとしていた。
簡単な医療の知識、演奏技術、ダンスや落語、建設技術などだ。
同じ考えに、いつの間にか染められ、ついには染める側になったいた育美も、浩二の思想には共感していた。
だが、参加する者の数と種類が増えて、殺陣の練習よりも他の技能習得にかける時間が多くなると、恐怖のような感情が沸き上がってきていた。
フィリピン武術を学んで、自分は強くなっていると、育美は実感できていた。
漢方の知識も得られておりもう数ヶ月でも勉強すれば、異世界に行っても薬師として就職できそうだ。
元が声優なので、魔術を噛まず唱えられるので、異世界なら魔術師にもなれるだろう。
成長している。
その自覚はある。
同時に、どこか危うさを感じる自分がいた。
「あの外パイセン――」
「イクミン、オツカレ~」
何を話すべきか決まらないまま、育美が浩二に話しかけようとした時、不意にあだ名で呼ばれた。
振り返ると、紅河佳乃が立っていた。
まったく気が付かなかった。
「軽くご飯食べに行こうよ」
「軽くでいいの?」
佳乃は割と食べるほうなのにと、育美は首をかしげた。
「食欲ない?」
「会に出る前にあんまり食べたら、動けなくなるでしょ。あ、それともイクミン、マンガ講座でるつもり? 今日は、〝銀色の精神〟を描いてるゴ・リラ先生が講師に来るっていうし」
「え、ゴ・リラ先生の異世界に行っても書けるマンガ講座、今日からだっけ」
育美は全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。
ペンネームこそゴ・リラと、奇妙な名前だが、時代劇風SF作品のマンガ〝銀色の精神〟で、大人気な作家だ。
育美も大ファンであり会えるモノなら会ってみたいが、同時に、苦手意識を持ってしまう相手だった。
「そだよ。ワタシ今日は棒術か、短剣道習いに行こうかと思ってたけど、イクミンがいくならマンガ講座に出ようかな。こう見えて、昔はイラストとか書いてたし。イクミンも書いてたよね。夢女子のヤツ」
「……あ?」
育美は、キレ気味になっていた。
「ほら、銀色の精神を舞台にして、自分を主人公にした夢小説を書いていたじゃあないの」
「あ――」
育美の思考は、硬直した。
そう、育美は中学生のころ、自分をマンガの世界で活躍する小説、通称〝夢小説〟を書いていたのだ。
しかもWEB上で発表していて、そこそこ人気もあった。
恐ろしいことに、紅河佳乃はその時の読者だったのだ。
成人した今となっては、完全な黒歴史である。
頭がグチャグチャになった育美は、覚えていた違和感を、しばし忘れてしまうのだった。
そして、数日後、武備の会に所属する会員全員に送られたメッセージをみて、育美は驚愕することとなった。
「異世界転移の日取りが決まった」
そう、書かれていたからだった。
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