第5話 仲間たちとさらなる仲間たち

 午後八時、都内某所の体育館内は、九割以上の男と、一割未満の女たちの身体から登る熱気が充満していた。


 百人近い人数の真剣な鍛錬は、春の陽気など吹き飛ばし、真夏の様相をていしていた。


「おりゃあ!」


「なんの!」


 誰かが刀で斬りかかれば、近くにいた一人が受けた。


 徒手や武器を用いての激しいアクションが、そこかしこで繰り広げられていた。


「技っていうのは、自然と出るものなの。身体に覚えさせるわけ。で、技の練習だけして、体を鍛えない奴いるけど駄目だよ。足腰と体幹が弱いと、技の威力が落ちるから」


「逆を意識しろ。手技の時は、下半身を、足技の時は、上半身をね」


 かと思えば、講義をしている者もいた。


 浩二に迎えられた育美が、体育館を見渡して、頓狂な声を上げる。


「盛況ですねぇ!」


「やっていけそうか?」


「きたからには、頑張ります」


 うんうんと頷く浩二だった。

 

「ウチは初心者歓迎だ」


 浩二の声は、普段よりわずかに優しかった。


「はい! 参加させていただき、ありがとうございます」


 育美は元気よく答えた。


 外山浩二の主宰する殺陣に使える武術の練習サークル「武備の会」は、演技力向上を目指す中堅・若手の声優や舞台役者と、様々な武術家が半数を占めていた。


 演技で身を立てようとする者と、武術を極めることを人生の目標とする者の多い本気度高めのサークルだ。


 ただ残りの半分は、武道武術が好きだったり、健康のために通っていたりする者からなっていた。


 最初は素人を入れることを嫌がる者も多かったが「初心者に教えることで技の言語化ができるし、技の実験台にもなるぞ」と、「武備の会」を若くして主催する浩二の言葉に納得する者が多数を占めたので、初心者歓迎を掲げるようになったのだった。


 そのお陰で、育美のような初心者も、少ないなりに見受けられた。


「みんな真剣ですね。わたしもここで頑張らないと、異世界転生するかもですからね」


「そうだな」


 育美は冗談めかして、浩二は真面目にうなづいた。


 そこへ、二人の男たちが声をかけてきた。


「よ、代表。お疲れ」


「新人ちゃんか。歓迎するよ」


「わ、新高先輩に、藤村先輩じゃあ、ありませんか。お二人も、殺陣の練習、されるんですね」


 新高史人は五十代のベテラン。藤村秀吉は三十代の中堅で、共に売れっ子の声優だ。

 事務所は違えど、浩二とも育美とも収録現場で顔を合わせる相手だった。


 新高がうなづき藤村が合の手を入れる。


「必要なことだからな。なあ秀吉」


「そ-なんすよ。ボクたち声優は、いつ異世界に送られてもおかしくないですからねー」


「ですね。職業柄そうなりますよね。異世界転移とかに備えないと、って思いまして、こちらにお邪魔させていただいたんです」


「お、偉いね。武術は、今からでもやっといて方がいい」


「刀の使いかたならボクが教えられるよ。いつでも聞いて」


「ありがとうございます!」


 礼を言いつつ、育美はこの時、違和感を抱いていた。


 冗談として〝異世界〟を口にする育美に対して、新高と藤村は、本気なのではないかと。


 まさかと、育美は思い直す。


 いくら声優が浮世離れしたところのある職業とはいえ、新高も藤村も、いい歳をした大人で、社会人だ。

 異世界なんて召喚を、本気で信じるわけがない。


 育美は、常識的に判断した。


 後日、違和感を放置した判断は間違っていたと、育美が理解した時には、遅かった。


 武備の会に参加するようになってから三ヶ月後、育美は仲の良い声優・紅河佳乃を誘った。


 清楚風を装う女性声優には珍しい長髪を金色に染めた佳乃は、興奮気味に言った。


「異世界行きのために準備をしている人たちって、こんなにいるんだ。先輩声優もなんか多いし」


 育美は、冷静に答える。


「だって、必要なことだから」


「え?」


 佳乃の笑顔がこわばった。


 育美も変化しきった自身の思想に、衝撃を受けていた。


 だが、もはや後戻りできない。

 育美も異世界モノアニメに出演し続けていた。

 いずれ異世界に転生なり転移なりするのだろうと、受け入れていた。


 今や育美も、異世界で使える戦い方を研究する一人だ。

 卓球で用いられる左右に展開する足さばきを、フィリピン武術で用いられるカランビット・ナイフ術に応用する研究で、周囲から一目置かれるようになっていた。


「佳乃」


「な、なに?」


 佳乃の顔はこわばっていた。


 無理もなかった。


 演技の幅を広げつつ、人脈を広げればと参加した殺陣の練習会が、実は異世界カルトとかしているなど、誰に想像できただろうか。


「異世界行きに備えて、お互い頑張ろうか。大丈夫。スグに楽しくなるから」


 育美はニコリと笑った。


 育美の瞳に映る引きつった自身の顔、なにより、いつの間にか周囲を汗まみれの男女に囲まれていると確認して、佳乃は悟った。


 逃げられない、と。


 数ヶ月後、仲の良い後輩声優――武道やスポーツの経験者ばかり――を、笑顔で連れてくる佳乃の姿があった。


 浩二は、増え続ける仲間たち見て、満足感を覚えていた。


 さて、次の備えもしておかねば。


 浩二は、使命感を燃やしつつ、新しい練習プランを組み立てるのだった。

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