伍:黒金
『デート大作戦!』
翌朝、
鷺若丸はベンチに腰掛けながら、そんな人々をサングラス越しに観察していた。囲碁部に顔を出している時以外はよく、こうして市井の暮らしに目を向けている。そうしていると、この令和という時代が少しずつ見えてくる。
平安の世から、人の営みは随分と変わった。衣服も、道具も、乗り物も。世界はより綺麗に、より便利に、より賑やかになっている。
営みが変われば、人も変わる。多くの者が健康的な肉付きをしていて、肌の艶もいい。年寄りの姿もかなり多い。髪の色も肌の色もいろいろある。
ステラによれば、この時代にはこの時代の問題がたくさんあるらしい。しかしそれでも千年前に比べれば、随分と生きやすそうに見える。少なくとも鷺若丸にはそう思えた。
その一方で、この時代のいい点を見つければ見つけるほど、鷺若丸はある種の疎外感を感じずにいられない。自分は本来、この時代にはいるはずのない異物にすぎないのだ、と。
正直なところ、平安という時代そのものに未練はない。常日頃、家とは縁を切りたいと思っていたし、囲碁部を教え導く今の生活はとても楽しい。だがどんなにこの時代が性に合っていても、ここには千局目の決着をつけるべき宿敵がいない。それだけで、心が欠けているように思えてしょうがないのだ。
「……」
指を組んでうつむく彼の膝元に、ふいに影が差す。目の前で誰かが足を止めたのだ。
「待たせた」
「どこか変だろうか。普段は着ない服だから、自分ではよく分からなくて……」
鷺若丸はあっけらかんと言い放つ。
「案ずるな。我にとっては、この時代の服は全部、変だ!」
「それもそうね」
天涅も天涅で、あっさり納得してしまう。
○
しかし、この様子を遠くから見守っていたあの女は、バチバチにキレていた。
「貴様のアロハとグラサンの方がよほど変じゃろうが、クソバカタレの平安小童がぁ~!」
目深に帽子をかぶり、サングラス、マスク、加えて厚着という、不審者の手本のような出で立ちの女だ。狐耳と尻尾を引っ込めているため分かりづらいが、その正体は
彼女は植え込みの陰で、十の指をうごめかせる。
「だいたい、天涅に似合わぬ服などあるはずがないのじゃから、そこは『よく似合っている』と褒めるところじゃろが! 妾だったら、小一時間は褒め殺すというのに! クーッ、赦せん!」
そんな邪悪な思念が通じたのか、鷺若丸が天涅に笑いかける。
「だが、我はいいと思う。そなたに似合っているのではないか?」
しかし、それを聞いた忌弧は、さらなる怒りに震えた。
「妾の天涅に色目を使いよってぇ! ますます許せん! キィイ!」
わざわざマスクを下げてまで、ハンカチを噛み千切る奇行は、通りかかった親子連れを自然と足早にさせる。
「ぬうぅ、やはり天涅を押し切ってでも、あの小童を片眼鏡に加工するべきじゃったか……」
彼女にしてみれば、鷺若丸に温情をかける理由など、なに一つない。アレはどう転ぶか読めない、危険な変数だ。はなはだ目障りだし、合理的に処理したい。……のだが、天涅がそれを頑なに拒む。それがますます忌弧の癇に障った。天涅はあの男に執着している。まさか本当に惚れてしまったとでもいうのだろうか。断じて赦せない。怒りが血涙となって頬を伝う。
改札の方へ動き始めた二人の後を追い、忌弧も柱の陰を抜け出した。
「確かにちょーっと顔は妾好みじゃが、おぬしなど天涅には不釣り合いじゃ! もし天涅に変なことをしてみよ、ただじゃ置かぬぞ、小童め」
今日はこのまま一日中、あとをつけるつもりだった。もしチャンスがあれば宣言通り、即座に首を刈り取ってみせる。それらしい理由さえあれば、天涅も納得するだろう。
その理由が見つかるまでは、辛抱じゃ。そう自分に言い聞かせ、二人の後を追いかける。
○
しかし、鷺若丸たちを追う監視者は忌弧だけではなかった。さらに後方から様子をうかがう、怪しい人影がもう一つ……。
○
鷺若丸たちの乗った電車は、のんびりと走り続ける。空きの目立つ車内の片隅、二人は並んで座っていた。この時代では当たり前のことかもしれないが、鷺若丸にとって異性が長時間、この距離にいることは普通ではない。頻繁に囲碁を打つ関係で、ちゃぶ台を囲む程度の距離にはすぐ慣れたが、さすがに体が触れ合う間合いとなると、落ち着かない。
そわそわしていると、天涅が話しかけてきた。
「いいシャツね」
「……? ありがとう」
「……」
「……?」
それだけだった。会話は続かない。いったいなにを考えているのだろうか。鷺若丸は、人形のような彼女の横顔を見つめるが、手掛かりを得ることはできなかった。怒りも喜びも一切見えない、不愛想な鉄仮面。見慣れた表情だ。
だが、本当にそれだけだろうか。彼女には、まだ秘めている本音があるのではないか。あの日、彼女が坂の只中で呑み込んだ言葉を、鷺若丸はまだ聞いていない。……いったいどうやったら、それを引き出すことができるのだろう。
腕を組み、悶々と考え込んでいたその時、天涅がボソッと呟いた。
「やっぱり、わたしといても面白くない?」
「……面白い方がよいのか?」
「一応、デートだから」
確かに、手紙にもそう書いてあった。しかし鷺若丸はデートという言葉を知らない。
「でぇと、とはなんだ?」
「恋愛関係、ないしはそれに類する関係の者が、連れ立って出かけること。らしい」
「らしい?」
何故か曖昧な表現だ。
「よもや……天涅殿も知らぬのか?」
鷺若丸の予想は当たっているようだ。これは彼女にとっても初デートなのだ。
「わたしは仕事以外のことはしない。そして仕事にデートが必要になったこともない」
「それはすなわち……」
彼女にとって、今回のデートも仕事の一環ということだ。
「そう。わたしの目的は、おまえの好感度を稼ぎ、こちら側の味方に引き入れること。【
「それを当人に語ってしまって、よかったのか?」
彼女が提示しているのは、言ってしまえば見返りのための友好だ。だが天涅は「なにか問題が?」と言うように、首を傾げた。
「忌弧から、モテる女になるための助言をいくつかもらった。妖のような悪戯っぽさを見せることも時には重要だけど、基本的に裏表のない素直な女でいる方が好かれやすいらしい」
「それで全部、話してしまったのか?」
「わたしは裏表のない素直な女だから」
一点の曇りもない眼で、彼女は言い切った。
その言葉の直後、隣の車両の女が頭を抱えているのが見えた。どこかで見覚えのある雰囲気に、鷺若丸はつい顔を向ける。
その視線を引き戻すように、天涅の手が鷺若丸の手に重なった。鷺若丸は思わず跳び上がった。
「こうした直接的な接触も効果的らしい。どう、好感度は増した?」
薄い手袋の感触にドギマギしながら、鷺若丸は馬鹿正直に自分の心を計算する。
「……す、数
「よし。効果あり」
手応えを得た天涅は大きく頷いて、宣戦布告した。
「今日のデートを成功させ、もっとおまえの地を稼いでみせる。下調べも、インターネットでばっちり済ませてあるから、覚悟するといい」
○
それから電車を乗り継いで、鷺若丸は天涅とあちこちへ足をのばした。
水族館では、弾丸のように泳ぐペンギンを見て、目を丸くした。
「なんだあの生き物は……!」
「ペンギン。鳥綱ペンギン目の動物。インターネット曰く、数年前その糞から金星の化学物質が発見されたため、宇宙からこの星へやってきた地球外生命体ではないかと言われている」
「なるほど……!」
後ろで耳をそばだてていた忌弧は、「いや、地球生まれ地球育ちじゃから!」と叫びたい気持ちを、ぐっと堪えなければならなかった。
科学博物館では、恐竜の骨格模型に度肝を抜かれた。
「なんと巨大な生き物か……! さぞ名のある土地神だったのでは?」
「これはティラノサウルス。意味は暴君トカゲ。インターネット曰く、口から熱線を吐き、敵を殲滅する、危険な生き物だったらしい」
「なるほど……!」
忌弧は、「そんな化け物、妖怪にもそうはおらんて……」と眉間を揉んだ。
道中で見つけた屋台ではクレープを買い、ベンチに並んで、口の周りをクリーム塗れにした。
「あなや! すさまじき甘さ!」
「ガツガツ、はむっはむっ、ガフガフ! ごくん! インターネット曰く、西洋にはクレープを使った占いがある。左手にコインを握りながら、恵方を向いて、一口で食べきることが出来たら、吉兆が訪れる。……忌弧を説き伏せて、
絵面だけは完全にデートそのものだが、会話の内容があまりにも滅茶苦茶すぎる。木陰で聞き耳を立てていた忌弧は、青空を見上げ、家のネット契約は解除しようと心に誓った。
このままではとてつもなくIQの低い会話だけで、一日が終わってしまう。まさか天涅はこのデートの本来の目的を忘れているのだろうか。
忌弧は様子を見守りながら、やきもきする思いだったが、杞憂だった。天涅はクリームに塗れた顔で、「そう言えば」と切り出した。
○
「おまえはいつから囲碁を始めたの?」
天涅の質問に、鷺若丸は少し考え込む。
「うーむ、幼かったとは思うが……。行く末、
「おまえ、貴族の出?」
「まあ……それなりの生まれだ。寺での行儀見習いを終えたら、元服の予定だった」
返事が、どうしても乾いた物言いになってしまう。
「そんなに未練は無さそうね」
天涅の推測を、鷺若丸は否定しなかった。指先についたクリームをなめる。
「父上が、な。いつも誰かを蹴落とすことばかり考えている
「道具は嫌なの?」
「それは嫌だろう」
しかし天涅はピンと来ていない様子だった。
「わたしも、土御門の一族を絶やさないために造られた道具みたいなもの。だけど、嫌という感覚はない。わたしはただ、与えられた役目を全うするだけ」
彼女はこともなげにそう言い放つ。ただ、事実を事実として口にしている。そんな雰囲気だ。
彼女は空の包み紙を丸めると、クリームのついた顔で問いかけてきた。
「おまえが自分の家に未練を持ってないことは分かった。それでもおまえは、千年前に戻りたいと思ってる?」
「戻る」
頭で考える前に、即答していた。
「あの場所には、我の宿敵がいる。奴と決着をつけるためなら、我は行く。必ず」
「……それが聞けて良かった」
「え?」
彼女はベンチを立ち、ゴミを屑籠に放り入れた。
「そろそろ
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