第二話

 アニタがエスカの部屋に来た。夕食後、ウリ・ジオンから話を聞いたからだ。一同、暫し沈黙したそうだ。

「それでね。問題はシェトゥーニャさんなの。シェトゥーニャさんは、子どもを欲しがっているんだって。そうなると、本妻さんにできないのに、愛人にできたって話になるでしょ?」

「まずいよね」

「そう。だから、パパは別の人ということにしようと」

「別の人って?」

「ここでただひとりのチョンガーと言えば?」

「アルトス?」

 エスカは吹き出した。アニタも笑っている。なぜ笑われるアルトス。

「でね。出産予定日って、最後に生理のあった日を基準に推定するの。でも、エスカは初潮まだでしょ?」

「僕見えるから、赤ちゃんのサイズで推定できるよ」

 アニタは、今更驚かない。

「よしっ。次だけど。エスカはまだ経験なし。つまり処女ね。これ病院に行って内診されると、まずいかも。

 内診でそういうことがわかるかどうか、知らないけどね。もしわかるとすると、お医者さん驚くよね」

「また医学誌に発表したい人が出て来るとか? 処女が妊娠したって」

 アニタは頷いた。話し合っているうちに、エスカの考えは固まっていく。

「自宅で出産して、出生届けを出すってできる?」

「できるよ。お金ない人は、そうしてるみたい。でも、出生証明書に医師のサインがいるはずだよ」

「それはヘンリエッタに頼むしかないね」

「赤ちゃんも、ヘンリエッタさんに取り上げてもらえるといいね」

「ラヴェンナの僻地にいたそうだから、何でもできるでしょ。今はシルデスの僻地だって。遠いから、間に合わなかったら自分でやる」

「ちょっと待って! 自分でやるって……」

「一度だけだけど、取り上げたことがあるんだ。シェルターで、妊婦さんが急に産気づいてさ。経産婦さんだったから、進行が速かった。

 婆巫女さんたちは、高齢で手が震えて駄目。イェルダもヒルダもびびって後退りしてたから、僕がやった」

「エスカ、あんたって凄い!」

「あの時は、シェルター中が歓喜に溢れてたね。嬉しかったな。いいこともあったんだ」

 エスカは、懐かしそうに微笑んだ。

「アルトスがパパ役をやるとして」

 言って、エスカは笑った。

「アルトスは役者だから、見ものだよ。シェトゥーニャを騙すのは、到底無理だとは思うけどね」


 翌週、シェトゥーニャが巡業から帰って来た。ご機嫌である。

「聞いてアルトス! 砂漠の民の長、辞めてきたの」

「そういうのって、辞められるのか?」

「辞めさせられたっていうのが近いわね。砂漠の民以外の者と結婚するような者は、長の資格はないって。

 そう言った人は、自分が長になりたかったのね。だから熨斗つけて渡してきたの。アルトス、あなたもあたしの補佐をするとかいうの、何にも考えなくていいのよ。

 でも悔しかったから、『憑依』見せてきちゃった。びびってたわよ」

 勢いよくウリ・ジオンに抱きつくシェトゥーニャを見て、エスカとアルトスは困惑した。どこから話を始めたらいいんだろう?

 ちょうどお茶の時間だった。日曜日で全員がいる。寛いでお茶を飲むシェトゥーニャに、エスカが切り出した。

「あの、シェトゥーニャ。実はね僕、妊娠した」

 さすがに驚いたシェトゥーニャは、カップをテーブルに置いた。サイムスとセダは、緊張の面持ち。ウリ・ジオンは、青ざめてシェトゥーニャを見ている。

「とーちゃんは俺だよ」

 アルトスは『どうだ、恐れ入ったか』と言わんばかりの態度で、ソファにふんぞり返った。シェトゥーニャは、可笑しそうに一同を見回す。

「何、その下手なシナリオ。エスカが性悪女のお古なんか、貰うわけないでしょ!」

「お、俺がお古?」

「あの、僕、そういうの気にしないから」

 慌ててエスカが助け舟を出す。

「ふ〜ん。で、黒髪巻き毛の子が生まれたら、なんて言う気?」

 バレてる。

「ヤだなぁ、ねーちゃん。俺たちのひいひいひいばあちゃんが黒髪の巻き毛だったって、話してくれただろ? 忘れたのか」

「そ、そうだったっけ?」

 シェトゥーニャすら、一瞬迷うほどの説得力。突然、シェトゥーニャは立ち上がるとアルトスに近づき、ぽかりと頭を殴った。

「てっ!」

 堂々たる姉の権威である。エスカが焦る。シェトゥーニャは、一同を見回した。

「あたしを傷つけないように、配慮してくれたのね。でも、ありのままを話してほしいわ。ウリ・ジオンとエスカ。あたしが全然気づかなかったなんて、信じられないもの」

「シェトゥーニャ。シボレスにいた頃、キスだけならいいって言ってくれただろ? だから僕たちキスをした。ディープキス」

「それは知ってる。ウリ・ジオン正直に話してくれたもの」

「その時だけだよ。エスカに深く触れたの」

 シェトゥーニャは大きく目を見開き、エスカとウリ・ジオンを凝視した。ふたりは、その視線をしっかりと受け止めた。シェトゥーニャは、視線を逸らせた。ややあって、呟く。

「エスカだものね。想定外だとは言えない」  

 ウリ・ジオンは、薬草を捨てた時の話をした。シェトゥーニャは理解したようだ。

「そうね。その子は、生まれることが運命づけられているんだわ。

 でもみんな、勘違いしてるわよ。一番大切なことは、誰が父親かではないでしょ。その子にとって、何が一番幸せかじゃない?」

 一同「あ」の形に口を開けた。シェトゥーニャの機嫌を損ねないことにばかり、気を取られていたのだ。

「俺の考えは少し違うな」

 それまで黙って聞いていたアルトスが言った。

「一番大切なことは、エスカとお腹の子。ふたりの幸せだよ」

 全員が頷いた。エスカは、いつぞやのアルトスの慟哭が真実だったことを知った。

「あの、あのね。エスカ。その子、あたしたちにもらえない? ウリ・ジオンが父親なんだから、一番自然だと思うの」

「アルトスは、一緒に育てようって言ってくれてる。サイムスとセダも、子どもを引き取るって言ってくれてるんだ。とてもありがたいと思ってるよ。でも、もう少し考えさせてくれない? 第一、僕まだ妊娠してないし」

 一同、目が点になった。

「今の状態だと、僕が妊娠した時、未成年だったことになるでしょ? ウリ・ジオンがまずいことになるんじゃない?」

「そうだった」

 サイムスが頭を抱えた。

「未成年者虐待で、懲役三十年食らうぞ! 相手が十才未満なら終身刑だな」

「一応、十才は過ぎているようだが」

 セダの言葉に、緊張が解れた。エスカも笑った。

「だから僕、出産を何ヶ月か延ばすよ。受胎した時、十八才だったようにね。ウリ・ジオンを逮捕させるようなことにはならないよ」

「頼むよ。よかった~!」

 ウリ・ジオンは両手でエスカを拝んだ。

「でもエスカ。元々は半年近く前でしょ? それをさらに延ばすって、平気?」

「大丈夫」

 エスカの笑顔が、一同に伝染した。

「となると、エスカはウリ・ジオンの愛人という立場になるのか?」

 サイムスは心配そうだ。

「愛人と本妻が同居する? 王侯貴族ならまだ分かるが、一般人の家で?」

 不自然ではないか。無理があるのではないか。サイムスはそう言っているのだ。常識人として。

「僕、愛人は嫌だ」

「なら、俺と結婚すればいい」

 話がいい方向に向いて来た。アルトスはご機嫌だ。

「真実はともかく、ふたりは叔父と姪ということになってるだろ。ラヴェンナでもシルデスでも禁止されてるよ」

 とサイムス。

「抜け道があるんじゃないのか」

「どんな法にもあるよ。ましてこれは民法だしな」

 サイムスは法科に通っているだけあって詳しい。セダが得意そうだ。

「まず、叔父と姪。叔母と甥。これは正式な夫婦としては認めないと言うことだ。側室や愛人に至っては、実の親子、兄弟姉妹でなければ何でもアリ。道徳的な問題だけだよ。お役所に届ける必要はないしな」

「ならエスカ。俺の愛人ということで」

「だから、愛人は嫌だって」

 サイムスは笑った。

「ところが、もうひとつ抜け道がある。もし、叔父と姪が結婚したとする。処罰としては、ふたりとも禁固十年。或いは罰金だが、これがべらぼうに高い。家が買える額だ。これが抑止力になって、法を破る者がいないのさ」

「結局金かぁ」

 セダがため息をついた。

「エスカ。会長にもらった金があるだろ? それ使えば、俺と結婚できるぞ!」

「はあ?」

 エスカは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間笑い出した。室内は、爆笑の渦である。

「なんで笑うんだよ」

 アルトスは、頰を膨らませた。まるで駄々っ子の顔である。

「あのなアルトス。子ども同士の結婚は無理だよ」

 とセダ。

「俺が子どもで、ウリ・ジオンが大人だってか?」

「聞いてアルトス」

 シェトゥーニャが笑いを収めて言った。

「それとは別の話になるけど。エスカとアルトスはシャーマン同士。磁石の同じ極が反発し合うようなものなの。決して引き合うことはないのよ」

 アルトスは唖然としてエスカを見た。エスカが頷く。

「なんで今まで教えてくれなかったんだ?」

「そういうのって、自然に分かるものだと思ってたのよ」

「俺が鈍いって?」

「まぁ、その」

 サイムスは口籠った。ウリ・ジオンは俯いたままである。


 翌朝、エスカはアルトス、サイムスと一緒に農場を出た。登校するのだ。

「この頃、毎週登校してないか?」

「去年、思ったより欠席してたんだ。手術の後とイシネスのクーデターの後は、合わせて三ヶ月近かったし。その他、何回か家出してるしね」

「家出なんかするからだ」

 後部座席で並んで座っているアルトスが笑う。

「誰かさんに意地悪言われて、家出したこともあったな」

「俺は、意地悪言ったことなんか一度もないぞ」

 これには、運転席のサイムスも吹き出した。

 いつものとおり、音大前でアルトスは降りた。サイムスとエスカのヴォード大までは、エアカーで五分。

 エスカはエアカーを降りると、教室に向かうふりをして、図書室に行った。方向が同じだからバレない。この日は、本当は出席しなくていいのだ。

 エスカは、図書室の一番奥に陣取り、タブレットを開いた。不動産情報を見る。

 アスピシアと暮らせる物件。市街地では無理だ。ある程度、広い庭が必要だし。それに、大学まで通える距離。

 タンツ氏のお陰で、金の心配はない。ありがたいことだ。産まれた子とずっと一緒に暮らせる小さな家。

 一日も早く越したいところだが、エスカはまだ十七才。未成年が不動産を買うことはできないだろう。大人の助けが必要だ。それとも十八才になるまで待つ? ちょうどその頃妊娠することだし。

 行き先の見当だけでもつけておきたい。


 そうこうしているうちに、冬将軍が到来した。初めて雪を見たアスピシアは大はしゃぎ。巣穴で産まれ、外に出た時は春だったのだ。

 一緒に雪の中で追いかけっこをしていたエスカは、遠くから二台のエアカーが近付いて来るのに気づいた。

 すぐにアスピシアを室内に入れる。銀色の被毛をもつ、美しいアスピシア。どこで毛皮商人の耳に入るか分からない。

 エスカがリビングから外の様子を見ていると、セダがやって来た。双眼鏡を持っている。

「赤毛の集団だな。お~い、シェトゥーニャ。お客さんだよ」

 防音室でレッスン中のシェトゥーニャが、首を傾げながらやって来た。

「今更なによ。しょうがない。敷地には入れないからね。セダ、協力お願い」

 言いながら、コートを着る。

「僕は中から援護するよ。セダ、シェトゥーニャの横に、一メートル以上離れて立っててくれる?」

「おう」

 セダはにやりと笑うと、コートに腕を通しながらシェトゥーニャの後に続いた。エスカの指示が何を意味するかは分からなくても、疑念を持つことなく従うセダである。

 エスカは、レースのカーテン越しに外を見ている。シェトゥーニャとセダが、農場の敷地外に停車するよう指示。エアカーは、柵の外側に着地した。

 二台のエアカーから、それぞれ五人ずつ降りた。定員ぎりぎりに乗ってきたのだ。

 全員が赤系の頭髪。赤みがかった褐色やら、赤みがかった金髪やら、それぞれ異なる色合いの髪色。文字通り十人十色じゅうにんといろである。

 最年長と思われる六十代の恰幅のいい男性が、前に進み出た。シェトゥーニャと男性は、柵越しに向かいあった。

「ご無沙汰しております。シェトゥーニャさま」

 エスカは、耳のアンテナを伸ばして、話を聞いている。

「新しい長に、そのような呼び方をされる立場ではございませんわ」

 シェトゥーニャが冷静に対応している。

「そ、そのようなことをおっしゃいますな。わたくしどもが間違っておりました。わたくしの長の称号は、シェトゥーニャさまにお返しするため、こうして参ったのでございます」

「お受け取り致しかねます」

 軽蔑を含んだシェトゥーニャの言葉に、男は愕然としたようだ。シェトゥーニャが渋々という態度を見せながらも、内心は喜んで受けると思っていたのか。この口調はどうしたことだ。男の価値観からは、理解できないのだろう。

「遠路お疲れ様でございました。どうぞお引き取りくださいませ」

 シェトゥーニャは、深々と頭を下げた。隣にいた五十代の頭髪のさみしい男が乗り出した。

「お怒りはご尤もでございます。しかし、あの素晴らしい技! あなたさまは、正真正銘のシャーマンであらせられます。どうかもう一度お考え直しを!」

『右手を真っ直ぐ伸ばして、手の平を下に向けて! 目は半眼で』

 エスカから指示が飛んだ。直後、シェトゥーニャに話しかけたふたりの男は、そのままの姿勢で硬直した。『金縛り』である。

 周囲は、騒然となった。一番後ろにいた若い男が走り出る。

「頼む、シェトゥーニャ。許してやってくれ! もう二度と来ないから!」

『指を鳴らして。解くと同時に『憑依』ね』

 エスカの指示。シェトゥーニャがぱちんと指を鳴らすと、男たちの『金縛り』は解けた。同時に、『憑依』が始まった。シェトゥーニャの目が再び半眼になり、その口から男の声が出た。

『二度と我が娘と息子に近づくなかれ。万が一、我が子らに害を及ぼすことあらば、それ相応の覚悟をせよ』

「先々代の長の声だ!」

 男たちの間に、動揺と驚愕が広がる。

 『憑依』が解けると、シェトゥーニャの背後から黒雲がもくもくと沸き起こった。一同は腰を抜かし、悲鳴を上げながら後退りして、エアカーに戻ろうとする。ひとり、流れに逆らうようにその場に留まったのは、先程の若い男である。

「シェトゥーニャ。本当に申しわけなかった」

 身体を二つに折って、謝罪の意を示す。シェトゥーニャは、その男をじっと見つめた。

「さようなら。ザック」

 ザックと呼ばれた男は、顔を上げ頷くと、踵を返した。シェトゥーニャの元カレか? 二台のエアカーは、よろめきながら空中に舞い上がる。

 目でエアカーを追いながら、セダは感嘆の眼差しでシェトゥーニャを見た。

「凄いなシェトゥーニャ!」

「あら。あたしがやったのは『憑依』だけよ。ほかはエスカ」

 エスカがご機嫌で二人を出迎えた。

「やあ。タイミングよくできたね」

 セダは暫し茫然として、エスカとシェトゥーニャを見比べた。

「あの金縛りと黒雲……」

 エヘと笑って、エスカは菜園に向かった。

「カブがそろそろかな」

「あいつを怒らせない方がいいな」

 セダがシェトゥーニャに囁く。シェトゥーニャはにっこり笑った。

「あの人たちが不満をもつのも、無理からぬことではあるのよ」

 ランチを食べながら、シェトゥーニャが説明してくれた。

「砂漠の民の長は、代々世襲制なの。それが理不尽だって。なぜ世襲制かと言うとね。長の血筋が一番霊力が強いからなの。

 だから選挙で長を選ぶことになれば、それはもう砂漠の民ではないのよ。砂漠の民としてのコミュニティがあるわけではないしね。長なんて、ただいるだけなの。何かの活動をするのでもない。

 さっきの年配の男性は、あのザックの父親でね。あたしとザックを結婚させたがっていたのよ。そうなれば、自分は長の父親の立場になる。名誉職とでも考えていたみたい。

 でもあたしは、ウリ・ジオンを選んだ。それで腹を立てて、あたしを追い出しにかかったのよ。

 この前会った時に、『憑依』を見せたのよね。それで、他の人たちから突き上げられたんじゃないかしら。あたしを追い出したのは、間違いだったんじゃないかって。

 でも、さっきの人たちは、誰もあたしとエスカの術に対抗できなかったでしょう? どのみち、もう終わったから」

 シェトゥーニャは、昔から言われている所謂いわゆる『ルビコン河を渡った』のだ。後戻りはできない。


 次の登校日、エスカは昼休みにアダと会った。成人に頼まなくてはならないからだ。農場では、こっそりセダに相談するのは無理。必ず誰かの目に留まる。アダに話しておけば、セダにも連絡してもらえる。

 アダの店、いやモリスの店の近くのパブで、ふたりは話しこんだ。

「まず俺の方から先に報告でいいかな。話が単純だし」

 エスカの話が単純でないことは承知している。

「昨日の昼休みに、ウリ・ジオンとここで会った」

 そう言えば、昨日はウリ・ジオンの登校日だった。

「どうしたらいいかという相談だった。答えはひとつ。シェトゥーニャか、エスカと子どもか。俺の返事は、両方は無理だよと。しょんぼりして帰って行ったよ。かわいそうだったが、俺には他に何も言ってあげられなかった」

 本当にかわいそうなウリ・ジオン。何も悪いことはしていないのに。あ、キスしたか。

「それと、今度はアルトスだ。三日ほど前、やはりここで会ったんだが、何か言ってなかったか?」

 エスカは、首を横に振った。

「子爵の息子からの縁談の件、一応、国王陛下に報告しておいたそうだ。その後の襲撃事件のこともな。

 そうしたら、シルデスの軍警察からも問い合わせがあったそうだ。黙秘しているが、ラヴェンナ人なのは間違いないので、強制送還したそうだ。着払いでな」

 ふたりは大いに笑った。

「アルトスのところには、意外と情報が集まるんだ。例の双子のお喋りな甥っ子と姪っ子な。アルトスがこちらに来ても、電話やメールをしてくれるんだそうだ。

 それによると、ウリ・ジオンの妹オッタヴィアさんに、恋人ができた。合コンで会って、意気投合したそうだ。

 ラヴェンナ人で、留学生。ペラスト伯爵の三男坊だ。アルトスは知っていたよ」

 エスカは、今更驚かない。

「女の子には片っ端から声をかける男だそうだ。で、そいつの実家の伯爵家は、折り紙つきの貧乏貴族。

 アルトスは、そいつがタンツ商会を狙っているんじゃないかと心配してるわけだ。なんとかふたりを引き離す方策を練っているところだよ」

 アルトスは、黙って考えているのか。

「俺の話は以上だ」

 と、エスカを促す。

「僕ね、幸せなシングルマザーになることに決めたんだ」

 アダの顔が、嬉しそうにほころんだ。

「それでね。家を見つけたんだけど。書類上の手続きは終わって、契約に行かないといけない。

 賃貸ならウェブで済むけど、売買は実際に会わないと駄目なんだってさ。アダに頼んでもいい? 未成年は駄目でしょ」

「お安いご用だよ。だが、そうなると委任状がいるな。よし」

 と、アダはタブレットを開いた。

 「ここにサインしてくれ。これでオーケー。早く越したいんだよな。明日にでも不動産屋に行くよ」

 アダは、よく分かってくれている。

 その夜、エスカはアルトスに呼ばれた。部屋に行ってみると、ささっとパソコンの前に座らされる。画面を見て仰天した。五十才前後の男が、笑顔でこちらを見ているではないか。。

「ようやく会えたな。クリステルである」

 ラヴェンナ国王ではないか。浅黒い肌。癖のない黒髪。知的な印象を受ける。『穏やかな男』という噂は聞いたことがある。

「エスカでございます」

 エスカはさすがに緊張して、深く頭を下げた。

「以前からそなたに会いたいと、アルトスに言っていたのだよ。アルトスはそなたを秘匿していてな。なかなか会わせてくれなんだ」

 暗紫色の目が笑っており、声にも笑いが含まれている。

「それは存じませんでした」

 だからと言って、この不意打ちはないだろう。アルトスのやつ、後で締め上げてやる。とりあえずは、この難局をすり抜けなくては。クリステルは、エスカを凝視した。

「エスカ。前に会ったことはあるか?」

「ございません、陛下」

「うむ。そのはずだが。なぜか会った気がする」

 適当なこと言うおっさんである。

「そなた、ラヴェンナの王族の血を引いておるな。目を見ればわかる。

 ラヴェンナの王族の女性は、すべからくそのような目なのだ。男は滅多にこの色にはならないが、たまにおる」

 と、クリステルは自らの目を指差した。

「因みに、アルトスは違うであろう?」

 当たり前だよ。アルトスはゆとりの笑みで、自分のオレンジがかった目を見開いて見せた。 

「それになエスカ。そなたはそのように可愛らしいのに、なぜ男子として育てられたのだ?」

 『可愛らしい』だって。エスカは、綻びそうになる口元を引き締めた。

「わたくしが曖昧だったため、そういうモノを見慣れない巫女さまたちが、間違えられたものと思われます」

 クリステルは、一瞬大きく目を瞠る。直後に爆笑した。アルトスも大笑いである。どっちの味方だこの野郎。

 クリステルは笑いを収め、涙を拭くと、身を乗り出した。

「直接会ってみたい。ラヴェンナに遊びにおいで」

 突然何を抜かすかタコ。

「無理でございます陛下」

 エヘ、と笑った。クリステルは、さらに笑顔になる。

「ラヴェンナには、イシネスにはない珍しい植物がたんとあるぞ」

 誰だ、余計な情報を吹き込んだのは。アルトスはと見ると、視線を宙に泳がせている。

「恐れながら陛下」

 横からアルトスが口を挟んだ。

「何度も申しあげておりますように、この者は既にわたくしの子を身籠っておりまして。あ、罰金でしたら、払う用意がございますので」

 はぁ? エスカは思わず振り向いて、アルトスを睨みつけようとした。すかさずアルトスは、エスカを乱暴に椅子から引き離す。

「はい。面談終わりな。お疲れ」

 エスカの背を押して、ドアの外に押し出した。なるほど。こういうシナリオだったのか。国王がどうしてもエスカに会わせろとうるさいので、義理だけは果たしたようだ。

 パソコンから、クリステルの笑い声が聞こえた。

 しばらくして、今度はアルトスがエスカの部屋にやって来た。困惑している。

「その目で笑うなと言っただろうが!」

 理不尽な八つ当たりである。

「気にいられてしまったじゃないか」

「僕、笑ったっけ?」

「笑ったよ。ちらりとな」

「それっくらい。第一、国王陛下に向かって仏頂面はないでしょ」

「う。突然迎えが来たらどうするんだ」

「その前に逃げる」

 アルトスは、鼻で笑った。

「やっぱりその算段をしてるな。まぁ、それが最善だとは思うが」

「協力してよね」

 大学の授業が終わる六月までは、ここから通うつもりだったが、それまで待てないかもしれない。大学とは縁がないのかもしれない。エスカは、暗澹とした気持ちになった。


「リフォームが終わったそうだ」

 菜園で作業をしていたエスカに、セダが小声で言った。エスカは頷く。アダに頼んで、工事を急がせてもらったのだ。

 ラヴェンナ国王という伏兵が現れたことに、アダとセダは焦ったようだ。

「これで、いつでも越せるな」

「うん。ありがとう」

 後はタイミングだ。

 その夜、アルトスとサイムスが遅めの夕食を摂っていると、ウリ・ジオンとシェトゥーニャがリビングに来た。ふたりとも複雑な表情である。エスカはソファで、アスピシアと寛いでいた。

 食事を終えたふたりがソファに来たのを機に、ウリ・ジオンが話し始めた。折よくセダもやって来た。

「みんなに相談したくて。今日、こんな物が届いた」

 装飾が施された、ありがたそうな封書である。

「何それ」

「婚約披露宴の招待状だよ。オッタヴィアのな」

「え。オッタヴィアさんて、僕と同い年じゃないの?」

「ああ。でも少し生まれ月が早い。婚約だけなら、未成年でもいいことになってるからね。何でも相手はラヴェンナの伯爵の三男坊だそうだ」

 エスカの隣に座ったアルトスが、身じろぎした。『しまった』という空気が伝わる。

「しかも、宛て先が僕とシェトゥーニャの連名なんだ。これどういう意味だ?」

「タンツ商会ラドレイ支社の支社長が」

 セダが説明する。

「アダの前任の、企画二部の部長だったお人でな。そんなこんなで、今でも前部長に情報が入る。当然アダと俺にも入る。

 それらを総合するとな。オッタヴィアさんは結婚して嫁に行くのではない。その三男坊が入り婿になる。つまり次期会長だ。そのお披露目を兼ねているんだろう」

「だから、なんで今更僕を呼ぶんだ? しかもシェトゥーニャまで」

「そのお披露目パーティは、大々的なものか?」

 とサイムス。サイムスは、既にセダから聞いているようだ。

「ああ。業界から親族まで招待して、大盤振る舞いやるらしいぞ」

「エスカ。お前に招待状は来てるか?」

「え。まさか。僕になんか」

 エスカは思わぬ方向からの指摘に、狼狽えた。

「お前はいとこだろう。それに命の恩人だ。なぜ呼ばれない?」

 一同「あ」と言った。エスカはうんざりした。また「あ」か。指摘されるまで、誰にも気づかれないエスカの存在。セダが前に乗り出した。

「跡継ぎのお披露目に、追い出したという噂の長男を呼ぶ。形だけ和解したことにするつもりか。或いは見せしめか? 会長はそういうことをするお方ではない。

 では奥方か? 俺は奥方の為人ひととなりを知らんのでな」

「伯爵の出した条件かもな」

 アルトスは、懐疑的である。

「婿殿にとって、ウリ・ジオンは目の上のコブだもんな。シェトゥーニャと一緒に招待すれば、ウリ・ジオンは許されたと思って出席すると思ったのかも。そこで牽制するつもりか。

 ウリ・ジオン。会長から直接連絡はあったか?」

「いや」

 一同、顔を見合わせた。

「胡散臭い話だな。どうするウリ・ジオン?」

「出席にせよ欠席にせよ、僕はシェトゥーニャと一緒だから」

 エスカが大きく息を吸い込んだ。今の言葉で、エスカは理解した。ウリ・ジオンはシェトゥーニャを選んだのだ。アルトスも気づいたようだ。

「出席なら、相当な覚悟がいるぞ」

 サイムスは心配そうだ。

「ありがとう。ふたりで相談してみるよ」

 ふたりは立ち上がった。エスカの道は決まった。

「エスカのこと、オッタヴィアに聞いてみようか?」

 ウリ・ジオンが、申しわけなさそうにエスカを見る。  

「必要ないよ。どのみち、僕はここを出るから」

 ふたりは驚いたようだ。それを見たエスカは驚いた。なぜこの事態になって驚くことがあるのだ。

「僕は、幸せなシングルマザーになるんだ」

 できるだけ明るい口調で言った。

「みなさん、お世話になりました」

 エスカは立ち上がり、頭を下げた。

「待ってエスカ。もう一度考え直してくれない? あたしが出産したことにするという手もあるでしょ。一年ほど舞台を休んで。

 それなら、その子は両親のいる子になれるわ。あたしが舞台に復帰して留守の時は、エスカにお世話をお願いします。そしたら、自分の子を自分で育てられるでしょ」

 最上の案に思えたのだろう。エスカの気持ちを除けば。エスカの押し殺した声には、これ以上ないほどの怒りがこもっていた。

「僕を舐めるな!」

 アスピシアが頭を低くし、シェトゥーニャに攻撃の姿勢を見せた。ウリ・ジオンがシェトゥーニャの前に出る。セダとサイムスが立ち上がった。アルトスだけが座っていた。

 エスカは、宥めるようにアスピシアの首すじを撫でると、一緒にリビングを出た。

 イシネスの王族の血。ラヴェンナの王族の血。呪われていようと穢れていようと、双方の誇り高い血が自分に流れているのを、エスカは初めて自覚した。

 シェトゥーニャは良かれと思ったのだろうが、エスカの逆鱗に触れたのだ。

『子守りさせてあげるわ。嬉しいでしょ?』

 エスカにとって、屈辱以外の何ものでもなかった。

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