『二つ名のエスカ』後日譚1  新しいはじまり

@muchas_hojas

第一話 

 夏休みが終わり、新年度が始まった。アルトスとサイムスは、ラドレイ市内のそれぞれの学生寮に戻った。

 ウリ・ジオンは、エスカと同じ大学のオンライン学部に転学。三年生として、週一で通学。その他の日々は、農業に勤しむ。

 意に反して留年したエスカは、やはり週一で、取り落とした分だけ通う。通わない日は、農業を手伝う。

 セダは農業に専念。サイムスは週末にやって来る。アルトスも当然付いて来る。アダはモリスの店で店長として勤務。

 アニタ一家は、小さなレストランを経営。人手不足はアルバイトの学生やパートの主婦で補っている。味がいいので、口コミで客足は上々。

 というわけで、平穏な日々を送っていた。


 事の発端は、イシネスから使者が来たことである。その日は週日で、巡業を終えたシェトゥーニャが帰宅していた。ウリ・ジオンは大学に行っていて留守だった。

 エアタクシーがこちらに向かって来るのを見たエスカは、シェトゥーニャと相談。アスピシアを自室に隠した。セダは外で作業に集中している振り。

 相手が分からない以上、用心に越したことはない。美しい銀狐を欲しがる者は、ごまんといる。

 エアタクシーから降り立ったのは、初老のイシネス人の男性である。着ている物と雰囲気からして、貴族のようだ。エスカは、嫌な予感がした。

 シェトゥーニャとエスカは、外で出迎えた。男性の後ろを、秘書らしき若い男がついて来る。運転手は待機している所を見ると、そう長引く話ではなさそうだ。

「わたしはリール侯爵。エスカさまにお願いがあって参上致しました」

 わけが分からないが、お互い挨拶を済ませると、屋内に案内した。

「エスカは未成年ですので、わたくしが同席させていただきますわ」

 美貌のシェトゥーニャに優雅な挨拶をされて、侯爵の頰が緩んだ。女と見て、侮ったのかも知れない。

「私は、ヴァルス公爵閣下と貴族院から遣わされた全権大使と、ご承知おきください」

 秘書がそっくり返った気がする。

「実は今、例の騒ぎの後、誰が王位に付くかで揉めておるのです。それでこの度、あなたさまの存在が明らかになりました。王位継承順位は、第一位。ヴァルス公爵閣下の上になります」

 そうだったっけ? ヴァルス公爵の次だと思っていた。興味のないことには、エスカは無頓着である。それにしてもいい加減にしてくれ。エスカはげんなりしているのを見破られないよう、下を向いた。 

「是非、イシネスにお戻りくださいというのが、全員の一致した意見です。何しろ、公爵閣下は固辞しておられましてね。あなたさましかおられないのでございます」

「わたくしの聞き及びますところでは、エスカは下僕どころか、奴隷同然の扱いを受けていたようですわね。それを今さら?」

 シェトゥーニャの穏やかな言い方には、強烈な皮肉がこめられている。侯爵は、ビクリとした。

「私どもの目が行き届かず、誠に申し訳ないことでございました」

 侯爵は、深々と頭を下げた。エスカが口を開く。

「わたしは今、シルデス人として生きております。それ以外の生き方は、考えたこともございません。どうぞお引き取りください」

「遠路お疲れ様でございました」

 シェトゥーニャとエスカは立ち上がり、丁寧な挨拶をした。侯爵に有無を言わせぬ毅然とした態度である。侯爵は一応ため息をついて見せたが、ほっとした様子も見てとれた。

 ふたりは客人を外まで送り出した。エアタクシーが飛び立つまで、頭を下げる。その姿勢を保ったまま、シェトゥーニャが小声で言う。

「まだあかんべえをしては駄目よ、エスカ」

 エスカは、お辞儀をしたまま吹き出した。やっぱりシェトゥーニャはよく分かっている。

 エアタクシーが完全に視界から消えたのを確認して、セダが作業を止めた。三人でリビングに行く。

 セダは、マントルピースの上に座っているクマのぬいぐるみを手にした。背中のチャックを開け、録音機能付きの盗聴器を出した。

 客人を迎える前に、エスカがスイッチを入れておいたのだ。

「さて、聞かせてもらおうか」

 セダが聞いている間に、エスカはアスピシアを救出しに行った。アスピシアは、エスカのベッドで寝ていた。気配で身を起こす。

「ごめんよ。いい子にしていてくれてありがとう」

 そのまま抱っこして階段を降りる。まだ階段は無理なのだ。

「このおっさん、何者?」

 セダは会話を聞き終えたようだ。

「リール侯爵って、ヴァルス公爵の父上の弟君かな? お会いしたのは初めてだよ」

「王位継承権はあるよな?」

「公爵の次くらいかも」

「それでか。王位を狙っているんじゃないのか」

「あたしもそう感じたわ。エスカが断わってほっとしたみたいよ」

「あんな人が国王になるの?」

「王政やめる方がましだな」

 どことなく胡散臭い人物だった。


 その数日後、今度はヒルダが来た。空港からレンタカーを借りて、自ら運転して来たのだ。

 四十代前半の巫女。結婚話につられて、薬草事件に関わった女性である。リビングに通し、やはりシェトゥーニャに同席してもらった。

「貴族院の使いとして参りました」

 無表情で挨拶を済ませる。

「実は、第一巫女さまと第二巫女さまが逮捕されまして」

 さすがにエスカは驚いた。

「犯罪に関して、神殿特権は適用されないことになりました。しかも、ことは殺人事件ですからね」

 シルデスの身元不明女性。イシネスのカナーロ父子。それにドディ抹殺指令。終身刑モノである。

「あのクーデターの直後に、大巫女さまがお亡くなりになったのは、ご存知でしょう? その大分前から、寝込まれておいででした。ですから、すべてはおふたりの指示ということになったのです。

 第一巫女さまは、医療措置を受けられているそうです。大巫女さまよりお若いといっても、九十代ですからね。

 第二巫女さまはお元気ではありますが、八十才が目の前。その次がわたくしです。心許ないこと、この上ありません。

 こちらをお訪ねしたのは、その件なのです。貴族院としても、無理筋なのは承知の上です。何と言っても、他に適任者がおいででないのですから。

 幸いと言っては何ですが、エスカさま。王位継承はお断りなさったそうですわね。それなら、新たに大巫女さまにご就任というのは、如何でしょう?」

 やっぱりそう来たか。エスカは、激しく首を横に振った。

「考えたこともありません」

 ヒルダは頷いた。

「そうでしょうね。一応ご意向をお聞きしなくては、ということですので。でもそうなりますと、他の方にお心当たりはございませんでしょうか? わたしは、新しい大巫女さまがご就任次第、還俗げんぞくさせていただくつもりです」

 これには、エスカは驚いた。

「仕事を持ち、自立して生きていきたいと思っているのですよ。女神殿に入る前に、なぜこの気概をもてなかったのか、悔やまれてなりません」

 ヒルダは、恥じているようだ。

 「幸い、女神殿にいる時に、エアカーの運転免許を取らせていただきました。今日び、運転手不足だそうですので、就職できると思います。わたし、運転が大好きで」 

 ヒルダは、少し恥ずかしそうな笑顔を見せた。

「ご立派です。ヒルダさま」

 隣席のシェトゥーニャも頷く。エスカは、暫し考えた。

「新しい大巫女さま……何年か前に、優秀な方が地方に異動なさいましたね。僕、その頃はまだ十二か三で、よく憶えていないのですが」

「マーナさまですね! 確かに素晴らしい巫女さまで。思慮深いお人柄で、優れた頭脳をお持ちです。異動なさったのは、ご本人のご意向ということになっております。

 現実として、上のお三方とそりが合わなかったのですよ。お三方は、何よりも神殿という容れ物が大事。マーナさまは、もっと根本的なものを求めておいでだったのではないかと」

「今おいでの地方の女神殿に、マーナさまの後継者がおいでかどうかですね。もしおいででしたら、その方に後をお願いして、マーナさまは首都に来られますね」

「打診してみます。ありがとうございます。来た甲斐がありました」

 ヒルダは来た時に比べ、弾んだ様子で引きあげて行った。アニタ手作りのクッキーをお土産に貰って、嬉しそうだった。

 夕食後は、寛ぎながらウリ・ジオンとセダが、明日の作業の打ち合わせをする。もちろん雑談も混じえる。

「ねぇウリ・ジオン。モリスさんと連絡取り合ってる?」

「ああ、頻繁にな。どうした?」

「ヒルダさんのこと。還俗したがってるって話、したよね。でも今まで女神殿にいたから、孤立無援状態だと思うんだ。モリスさんに、就職の口利きとかサポートとかして貰えないかな」

「話してみるよ」

 ウリ・ジオンは快諾してくれた。隣のシェトゥーニャが満足そうな笑みを浮かべた。


 新年度が始まって一ヶ月もしないうちに、アルトスから泣き電話が来た。農場に居候させてほしいというのだ。

 理由は、歌えないこと。防音室は学内に幾つかあるが、すべて先輩たちが占拠。学外の民間のレンタルルームも同様だそうだ。

 片道二時間かけても、歌える方がいい。シェトゥーニャのレッスン場も防音だし。

 ウリ・ジオンもセダもシェトゥーニャも、ついでにエスカも大喜び。話を聞いたサイムスも引っ越して来ると言う。

「また合宿所だね」

 エスカは、早速家中の掃除にかかった。エスカは現在、一階に住んでいる。アスピシアには階段がきついため、ウリ・ジオンとセダが考慮してくれたのだ。直接外に出入りできるように、ドアまで付けてくれた。

 アルトスとサイムスは二階に住む。サイムスの部屋はなぜか、セダの部屋からドアひとつで行き来できるように改装されていた。アルトスの部屋は、エスカの部屋の上の角部屋である。

 その週末、ふたりはご機嫌でやって来た。週末は、これまで以上に農業を手伝うというから、ウリ・ジオンとセダにとっては、ありがたいことだろう。

 歌の練習は、平日の帰宅後やるという。朝早いから大変だが、アルトスは歌えるなら頑張るそうだ。サイムスは、その間勉強に励む。

 ふたりはエアカーで通う。エスカとウリ・ジオンがそれぞれ登校する際は、行きも帰りも三人になる。

 

そうした暮らしに一同が馴染んだ頃、事件は起きた。エスカが対面授業で登校した日である。

 授業が終わり、エスカはアルトスとサイムスとの待ち合わせ場所に向かった。駅近くの有料駐車場である。

 駐車場の向こうから、若い男がふたりこちらに歩いて来た。エスカは、背負っているリュックの脇ファスナーを開くと、虫除けスプレーらしき物を取り出した。

 相手の正体は不明だが、良からぬことを考えているのは分かった。エスカは、自分が風上にいるのを確認した。  

 男たちは、歩を速める。ふたりが自分に近づき、手を伸ばしたのを見て、エスカはふたりに向かってスプレーのボタンを押した。

 ふたりは、大仰な悲鳴をあげて目を覆った。唐辛子スプレーである。値段の割に、中味が濃いようだ。エスカがその場から遁走しようとた時、アルトスとサイムスが走って来た。男たちの悲鳴が聞こえたのだろう。

「どうした!」

「襲われたんだ」

 ふたりは顔を見合わせた。警備員がやって来た。

「今通報しました。わたし、たまたま見てまして」

 警備員は、顔を覆って身悶えする男たちを見て、愉快そうに笑った。

「正当防衛だね。いやぁ、これくらいやってくれると、いっそ痛快だな。あ、これ内緒ね」

 三人は引き上げようとしたが、警備員に止められた。

「すぐ軍警察が来るからね。君は被害者として、説明しないと」

 げんなりしつつ仕方なく待っていると、ほどなくパトカーが来た。降り立ったのは、ニルズ曹長である。曹長は、エスカを見るとにやりと笑った。

「また君か」

 嬉しそうなのはなぜだ。ふたりの暴漢は手錠をかけられ、パトカーに乗せられた。顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。

 エスカが曹長に説明すると、様子を見ていたという警備員が証言してくれた。曹長は、少し考えこんだ。

「単なる痴漢かも知れないが。あのふたりに会ったことはないんだね?」

 エスカは頷く。

「雇われたのかも」

「狙われるような心当たりはある?」

「分からない。でも雇われたとすると、前金くらいは貰っているかも」

 おっ、と曹長はエスカを見た。

「そうだとすると、金の出所を調べないとな」

 ヒントをもらった曹長は、ご機嫌で早めに引き上げてくれた。

 帰りの車中、エスカは後部座席で無言だった。隣のアルトスが見つめる。

「どうした? 深刻な顔して」

「僕ね。たまたま風上にいたからスプレー使えたんだ。もし風下だったら、ああいう場合、どうしたらいいのかと思って」

「また襲われると?」

「分からない。ただの痴漢でないのは確かだよ」

「心配するな。俺たちが守る」

「さっきだって間に合わなかったじゃないか」

 ぐっと詰まるアルトス。

「農場に籠もりきりというわけにもいかないしな」

 サイムスも考えこんだ。


 その数日後、エスカはパトカーが飛んで来るのを、ビニールハウスから見た。急ぎ、アスピシアを室内に入れる。柵に凭れて待っていると、ニルズ曹長が車から降りた。運転していたのは、最初の尋問の際に付き添ってくれた警官、マローン伍長である。

「ちょっと連絡事項があってね」

「じゃ、入って」

 エスカが案内しようとすると、曹長は慌てたように手を横に振った。

「いやいや。すぐ済むから」

 ちらりと、小麦畑で作業しているウリ・ジオンとセダを見た。どうやら曹長は、大柄な男が苦手らしい。

 曹長は中肉中背、顔は至って平均的。いつも大男のぶ厚い胸に囲まれているエスカは、返ってこういう人の方がほっとできるのだが。

「例の五人だが。イェルダ、三人娘、それにマリンカ。イシネスに強制送還されたよ。着払いでな」

 エスカと曹長、車を降りて来た伍長は大笑いした。さすがマーカスである。

「それで先日のふたりの男だが。金はイシネスから送金されていた。拉致の依頼にしては、不自然なほど高額だったから、それ以上の仕事を受けていた可能性もある」 

「殺しの依頼とか?」

 曹長は、エスカを凝視した。

「君、何をやらかしたんだ?」

「何も。ただ僕が邪魔なだけかも」

「こんな子どもを……」

 曹長は呟いた。

「一応イシネスの王立警察に連絡はしたが、そこまでだな」

「ありがとう。遠い所わざわざ来てくれて」

「いやいや。だがな、気をつけた方がいいぞ。第二弾が来るかもしれない。なるべくここから出るな」

 実行不可能な助言をして、ふたりの警官は帰って行った。パトカーが視界から消えると、作業をしていたウリ・ジオンとセダがやって来た。

「休憩時間だ。お茶しながら聞こう」 

 お茶を飲みながら、エスカはニルズ曹長の話をした。ふたりは、視線を合わせた。シェトゥーニャは、数日前に巡業に出かけていない。

「ここから出るなって言われてもね。僕もう留年はイヤだ」

「それどころじゃないかもな。ウリ・ジオン。念のためディルに報告しておいてくれ」

 ウリ・ジオンは頷いた。


 その後三週間ほど、エスカは農場で過ごした。昨年出席した授業が続いて、登校の必要がなかったからだ。ただ体調が何となく良くないのは感じた。男たちに言うとうるさいので、気づかれないようにはしていた。

 そんなある日、ラヴェンナから妙な客が来た。ヴァニン子爵の使いだという。初老のでっぷりした男で、長年ヴァニン子爵家の執事を務めているそうだ。

「さて、本日は耳よりのお話を持って参りました。必ずやご満足いただけるものと確信しております」

 何やら勿体をつけている。エスカに同席しているウリ・ジオンとセダが一般人と見て、軽く見ているようだ。

「エスカさまは、子爵閣下のご子息ラストゥスさまをご存知でいらっしゃいますね」

「はい」

 一応礼儀正しく返答しているが、あのどら息子を思い浮かべると、甚だ気分がよろしくない。

「以前お会いになられたおり、エスカさまは、アルトス元王子殿下の御小姓と仰っしゃられたとか。しかしその後の調べによりますと、実はあなたさまは女性にょしょうであられるそうでございますね」

「はい」

 この男と話したくないエスカは、最小限の言葉で応対している。この人は、何を言いたいのだ?

「過去を問うつもりはございません。ラストゥスさまは、殊の外あなたさまをお気に召されましてね。是非花嫁にとご所望でございます」

 想定外の展開に、エスカは大きい目をさらに大きく見開いた。ウリ・ジオンが下を向いた。笑っているようである。ウリ・ジオンはどら息子を見知っている。アルトスがこの場にいたら、何と言うだろう。

 事情を知らないセダは、ひたすら大真面目な表情を作っている。

「如何でございましょう? そもそもあなたさまは、イシネスで奴隷をなさっておいでだったとか。まさに玉の輿でございましょう?」

 ウリ・ジオンが、怒りで耳まで赤くなった。隣のセダがウリ・ジオンの膝を押さえる。

「イシネス側のみの一方的な情報ですな。ラヴェンナでは、王族に連なるお方なのはご存知ないと?」

 セダは冷えた目で、男を見た。男は狼狽したようだ。無論知っている筈だ。とぼけて、自分たちに都合のいい情報だけを出したのだ。

「子爵と言えば、下位の貴族。ラヴェンナでは、末端の王族や下位の貴族を、臣籍降下させる動きがありますからな。そうなる前に、王族と繋がりを持っておこうということですかな」

 ただの一般人と思っていたセダが、こうした知識をもっていることに、男は驚いたようだ。顔が真っ赤になった。

「玉の輿どころか、逆玉だな」

 ウリ・ジオンの言葉に、軽蔑の色が混じる。エスカが冷静な声を発した。

「おととい来い」

 すっと立ち上がったウリ・ジオンが、ドアを開けた。『お帰りはこちら』である。使者は、屈辱に身を震わせながら帰って行った。

 その夜、ウリ・ジオンとセダは、アルトスとサイムスにその日の出来事を話した。エスカも同席している。

 話を聞いたアルトスの血圧が上がったようだ。

「あいつか!」

 サイムスも顔をしかめる。

「ヴァニン子爵家は、爵位は低いが、長年続いている由緒正しい家柄なんだ。金で爵位を買った貴族もいる中で、臣籍降下を心配することはない筈だがな。

 王族と繋がりを持って、格を上げたいんだろう。エスカにあんな態度をとっておいて、お気に召したもないもんだ」

 他人のことは言えないと思うが。

「怒らせておいたから、もうこの話はないだろう」

「だが、あいつは粘着質だぞ」

 サイムスはよく見ている。

「一応、陛下に知らせておくよ」

 いつの間にか、ラヴェンナとの連絡窓口は、アルトスになっているようだ。

 自室に帰ったエスカは、アスピシアを撫でている時に、ふと頭に閃くものを感じ取った。放っておけない。覚悟を決めて、携帯を手にした。相手はすぐに出た。

「エスカです。夜分申しわけありません。SR社の株、買ってはいけません」

 それだけ言うと、タンツ氏の返事を待たずに通話を遮断した。忠告はした。後は聞いた本人がどう出るか。エスカは、この件を頭から離した。


 翌朝、アルトスとサイムスを送り出してから、エスカは広い庭を散策し始めた。そろそろ冬枯れが始まっている。だが雑草は強い。植えもせず、世話もしないのに、他の草花を枯らしてでも増えて行く。

 目指す草は、すぐに見つかった。もう少し遅ければ、枯れていただろう。間に合った。丁寧に根元から抜いて、カゴに入れる。

 よく洗って水分を拭き取り、ビニールハウスの棚に広げた。乾燥すれば、すぐに服用できる。それですべて解決だ。悩むことはなくなる。

 既に出来上がっている薬草類を、カゴに入れた。後は、エスカの部屋で小分けしてパック詰めし、箱に入れる。薬草名、効能、日付け、注意書き等を記入。女神殿にいた時と同じだ。それをクローゼットに保管する。

「結局、同じことやってるんだな」

 エスカは苦笑した。足元で、アスピシアが寛ぐ。棚はアスピシアの届かない高さだ。カゴを持って引き上げようとした時、ウリ・ジオンがやって来た。

「それ薬草?」

「うん。部屋でパック詰めするから」

「そうか。何の薬?」

「取りあえず解熱剤と鎮痛剤。お医者さんに行くほどでもない時に、役に立つよ」

「助かる」

 ウリ・ジオンはどこか元気がない。エスカが見つめると、苦笑した。

「実はさ。僕とシェトゥーニャのことだけど。反対してるのはウチだけじゃないんだよ。向こうもなんだ」

「向こうって?」

「砂漠の民たち。血が薄くならないように、仲間うちで結婚しろって声が少なくないんだ。イシネスのこと笑えないよな」

 エスカは唖然としてウリ・ジオンを見た。

「避妊してないのに子どもはできないし。こういうのって、縁がないって言うのかな」

 やることやってなくてもできるケースがあることを、エスカは知ったばかりである。

「最終的には駆け落ちとか? でも、もう行く所がないんだ。シェトゥーニャにも、身内と縁を切ってもらうしかない。

 となると、跡を継ぐのはアルトスか? でもアルトスには、ラヴェンナ王家の血が入っていると思われているだろう? 砂漠の民は受け容れないだろうな。 アルトスにその気があるとは思えないし。

 だから、シェトゥーニャの離脱は難しい。先方から断わってくれるといいんだけど」

 エスカには、言ってあげる言葉が見つからなかった。

「でもウリ・ジオン。決めるのはシェトゥーニャでしょ?」

「そう。僕は待つしかない。それが辛くてさ」

「うん。でもシェトゥーニャは賢い人だ。最善の選択をしてくれるよ」

 そう言うと、エスカは背伸びをしてウリ・ジオンの頰にキスをした。


 翌日、エスカは登校することにした。去年受けた授業だが、二度受けて悪いことはない。目的は、薬局で検査キットを買うこと。今は性能が良くなって、ほぼ百パーセント当たるという。

 透視ができるのはシェトゥーニャだけではない。エスカは、見たくないから見なかったのだ。今回はそうはいかない。

 恐る恐る見てみると、男性部分は消滅間近状態。。女性部分が拡張しているようだ。その中に微細なものが見える。間違いない。ただ科学的な検証がほしいだけだ。

 エスカは昼休みに、大学から少し離れた薬局に行った。目的の品を買うと、近くの公園でサンドイッチを食べた。気は急くが、落ちついて調べる方がいい。

 帰宅してから、自室でしっかり調べるつもりだ。午後の実習が終わると、エスカはいつものとおり駅の駐車場に行こうと、大学の門に向かった。

 門の外に、ラヴェンナ人と思われるふたりの男が、所在なさげに立っている。どう見ても、学生ではない。しかもエスカの位置は風下である。

 先ほど買い物に出た時に、近くに工事現場があったことを思い出したエスカは、そちらに向かった。最初からそちらに行くつもりだったかのように、自然な足取りで。

 歩きながら、自然な動作で携帯を取り出し、サイムスにメールした。

『トラ』

 さり気なく、後を付いて来た男たちの足が速まった。エスカは工事現場に向かって全力疾走。材木を立てかけてある場所に着くと、振り向いて相手が近づくのを待った。

 男たちが材木の側を通り抜けようとした途端、全力で材木を倒した。その直前『カマイタチ』を放ったが、誰も気づかないだろう。

 男たちの頭上に、材木が倒れ込む。悲鳴を上げる男たちを背に、エスカは走り出した。サイムスが走って来るのが見えた。

「今アルトスが車で来る!」

 ペーパードライバーを脱したアルトス。役に立つではないか。ともあれ、現場から逃げることにした。事情聴取は、もう真っ平だ。

 全力疾走したせいか、エスカはますます体調が悪くなった。本日の報告は、アルトスとサイムスに任せることにした。お義理程度に夕食を済ませ、さっさと自室に引き上げる。

 ウリ・ジオンが元気なくて気にはなったが、どうしてあげることもできない。

 検査キットを使ってみる。僅かな期待は、ものの見事に打ち砕かれた。明日の朝、ビニールハウスから例の薬草を回収しよう。乾いているといいな。


 翌朝、エスカはビニールハウスに行った。まだ誰も起きていない時間だ。アスピシアが嬉しそうに付いて来る。

 例の薬草は、棚の端、睡眠導入剤の隣に二株だけ置いてある。エスカが一度飲むだけだからだ。

 それなのに、ない。確かにここに置いた。危険な薬草だから、念入りに確認した。焦ったエスカが、棚の上下を探していると、男の声がした。

 ビニールハウスの入り口に、強張った表情のウリ・ジオンがいる。

「あの毒草なら捨てたよ」

 エスカは茫然とウリ・ジオンを見た。あれがなければ、エスカの人生は終わりだ。

「ひとつだけ不自然な置き方してたからな。写真撮って調べた。中絶薬だろう? 誰に飲ませるつもりだったんだ?」

 誤魔化すにも言葉が出ない。

「まさかシェトゥーニャ? 頼まれたのか?」

 エスカは仰天した。そういう考え方もあるのか。

「そんなはずないでしょ! シェトゥーニャがそんな!」

 シェトゥーニャを疑うところまで、ウリ・ジオンは追い詰められているのだ。エスカは、痛ましい思いで胸が潰れそうだ。白状するしかない。

「僕だよ」

 ウリ・ジオンは絶句した。ややあって、口を開く。

「相手は?」

「言えない」

 それだけ言うと、エスカはアスピシアを促してビニールハウスを後にした。

 自室に戻り、鍵をかける。ため息が出た。やはり、ここから出て行かなくてはならない事態になってしまった。お金は、どの位残っているだろう。

 久しぶりに通帳を開いて、エスカは目を疑った。大金が二度振り込まれている。

 一度目は、人質事件の直後。二度目は、株について連絡した三日後。迂闊だった。特に用がなくても、時々は確認すべきだった。

 タブレットを開き、返金手続きをしようとした。表われたのは『返金不可』の無情な文字。

 意を決して、タンツ氏に電話をした。早朝にも関わらず、タンツ氏はすぐに出てくれた。エスカは挨拶もそこそこに、本題に入った。

「気がつかなくて、申しわけありません。返金させてください」

「なぜ?」

 タンツ氏は、面白がっているようだ。

「いただく理由がないからです」

「充分ありますよ。あなたは、妻、息子、娘と、わたしの宝ものたちをお救いくださった。幾らお礼をしても足りないのです。もしあなたがわたしの立場なら、どう思われますか?

 わたしは決して、人の命を金に換算しているのではありません。では、どういう形で感謝の気持ちを表せばいいのか、分からないのです。

 ですから、これからも金が必要な時は、ご連絡ください。金は役に立ちます。人生、何があるかわかりませんからね」

 それはついさっき、エスカも実感したところである。

「どうかお納めください。それから、お陰さまで大損しないで済みました。今後もよろしくお願いしたいところです」

 タンツ氏は、愉快そうに笑った。エスカも笑って礼を言い、電話を切った。

 再びタブレットに向かうと、ウリ・ジオンとセダの共有名義になっている通帳に、二度目の入金分を全額送金した。

 新しいトラクターを買ってもお釣りがくる。不作の年があっても、なんとか乗り切れるだろう。通帳番号を憶えていてよかった。金も記憶力も役に立つ。

 さて、資金の心配はいらなくなった。安心して善後策に取り組もうか。

 その日は週末。朝はみんながのんびりしたいから、朝昼兼用のブランチである。当番はウリ・ジオン。辛いパスタ料理が出てくるかもしれない。

 リビング周辺が騒がしい。男たちが慌てふためいているようだ。堪え切れなくなったウリ・ジオンが、騒ぎのもとだな。

 問い詰められたら何と答えよう。エスカは、何ごともなかったようにダイニングに向かった。

 パスタとサラダとスープ。ウリ・ジオン頑張ったじゃないか。エスカは少量ずつ皿に盛った。逃避行をするには、体力がいるのだ。少しでも食べよう。

 空気が重い。食後に話があるのだろうか。セダが口を開いた。

「さっき、ラドレイ署から電話があったよ。午後、事情聴取に来るとさ。三人がエアカーで逃げるところが、防犯カメラに映っていたそうだ」

「あそこで待ってた方がよかったかな」

「エスカの体調が悪かったんだから、仕方がないよ」

「僕、全力疾走したから」 

「三人で受けてくれ。それと、夕方アダとアニタが来る。泊まりがけだ。ホロの店の食事持って来てくれるってさ。エスカが食欲ないと聞いて、アニタがお粥を持ってくる」

「わぁい。アニタのお粥だ~!」

 途端にエスカは元気が出た。

「いい気なもんだ」

 俯いたまま、ウリ・ジオンがぼそっと呟いた。

「いい気なのはどっちだよ。他人事ひとごとみたいに」

 口が滑った。一同がきょとんとしたのを見て、エスカはダイニングを出た。

 ニルズ曹長が農場に到着したのは、午後一時過ぎである。マローン伍長が付いて来た。

「遠い所を、わざわざ申しわけありません」

 お茶を運んで来たセダが、にこやかに挨拶をしてリビングを出て行った。残されたエスカとサイムスは緊張気味だが、アルトスは悠然とお茶を飲んでいる。

「材木を倒したのは君だね? 最初から話してくれないかな」

 曹長は、大男ふたりが目の前にいるせいか、遠慮がちである。エスカは起こったことを、そのまま話した。

「僕風下にいたから、唐辛子スプレーは使えなかったんだ。それで」

 曹長は、うんうんと聞いている。エスカが話し終えると、満足そうに頷いた。

「防犯カメラに映っていたとおりだね。ちゃんと話してくれてありがとう。分かってはいたんだが、本人に確認することになっているんだよ。何れにせよ、正当防衛だ。

 それで、あのふたりはラヴェンナ人だということは分かったんだが。黙秘しててな」

 『ヒントをくれよ』と顔に書いてある。

「何日か前に、ここにラヴェンナ人が来たけど、関係あるかなぁ?」

 と、アルトスを見る。

「ああ、ヴァニン子爵の件か?」

 期待に目を輝かせる曹長。

「そのどら息子のラストゥスから、こいつに縁談があったんだ」

「はい。貰い手ありました」

 エスカの言葉に、ふたりの警官は笑い出した。最初の出会いを思い出したのだろう。

「『たで食う虫も好き好き』とは、よく言ったものだな」

 笑うアルトスの足を、サイムスが蹴飛ばした。

「それで?」

「追い返したよ。『玉の輿ですぞ』みたいなこと言って、態度大きかったな。怒らせたから、これで一件落着かと思ったんだけど。無理に連れて行くつもりだったのかなぁ?」

「その子爵のお屋敷はご立派で?」

 曹長は、アルトスに聞いた。

「立派だ。由緒ある家柄だからな」

「ははぁ。お屋敷を見れば気が変わると思ったのかもしれませんね」

「そんなものか」

「そういう一般人はいます。ありがとうございます。その線で調べてみますよ。ところでもうひとつ、腑に落ちないことがありましてね」

 ぎくり。

「ふたりの容疑者には、材木が倒れた時に打撲痕がありましてね。頭にコブとか、肩や背中に打ち身とか。まぁ、これはごく普通のことなんですが。

 駆けつけた現場の人や通行人が手助けして、材木をどかしたんです。さて、立ち上がらせようという段になって、ふたりは突然悲鳴を上げた。

 見れば、ふたりとも両足のすねから血が吹き出していましてね。何やら鋭利な刃物で切り裂かれたような傷なんですわ。おまけに痛がるのなんの。急遽救急車を呼んだわけで」

「ほう」

 アルトスは、興味深げに聞いている。

「救急隊員によれば、非常に珍しい例ではあるが『カマイタチ』ではないかと」

「『カマイタチ』ね。聞いたことがあるよ。旋風が起こって瞬間的に真空状態になると、そういう傷ができるって。しかもその傷は、切られた時にすぐに痛みは感じないんだってさ。時差があるそうだ」

「よくご存知ですね。そのとおりです」

 褒められて、サイムスは気をよくしたようだ。

「結局、材木が倒れた時に旋風が起こったのではないかということになりました。まぁ、自業自得ですな」

 ヒントを貰って、二人の警官はご機嫌で帰って行った。

 ほっとしたエスカが自室に戻ると、直後にドアがノックされた。アルトスである。

「エスカちゃんよ。俺には正直に話してくれないと困るなあ」

 どの話だろう。心当たりがありすぎる。

「いつ力が戻ったんだ? さっきの『カマイタチ』。やったのエスカちゃんだよな?」

 ぼけっと聞いていただけのように見えたが、油断ならんヤツ。

「戻ったなら戻ったで、俺に教えることが残ってるんだからさ」

「え。もう残ってないよ」

「とぼけるなよ。『カマイタチ』まだだろうが」

「説明するから座って」

 アルトスは、ソファに腰を下ろした。エスカは、机の前の椅子に座る。ソファに並んで座って、気持ちを読み取られるのを避けたのだ。

「戦法として『電撃』を最初に教えたのは、万能だからだよ。至近距離から中距離、遠距離まで使える。しかも相手に致命傷を負わせることはない。

 これが『カマイタチ』になると、射程は近距離から中距離。僕はあれでもかなり力を抑えて放ったんだよ。

 アルトスの場合、極力抑えても、下手をすると骨まで断つ。両足切断だ。その人の人生を狂わせることになるだろう。力が強いからね。

 加減ができるのは上級者のみ。たかだか数ヶ月訓練を受けただけの初心者には、到底無理だと思うよ。

 骨折させるにしても、僕なら単純骨折。アルトスだと骨を砕く。肋骨が折れて肺に刺さったら、致命傷だよ。だから戦闘に関して言えば、これ以上教えることはない。危険すぎるからね」

「褒められたのか、けなされたのか、よくわからんが」

 アルトスは苦笑した。

「では、エスカの持つそうした技は、どうするんだ?」

「僕の代でおしまい。墓場に持って行くよ。必要のないものだからね」

「勿体ないな」

 アルトスは呟いたが、ふと思いついたようだ。

「エスカのその微妙な言い回しな。『戦闘に関して言えば』と言ったな。戦闘以外はどうだ?」

 エスカが苦笑する番だった。

「上達したね、アルトス。そうなんだよ。治癒法は、シェトゥーニャに伝授中。完全に伝授したら、シェトゥーニャに教えてもらうといい。

 アルトスには、催眠療法とバリヤーを張るのを教えたいと思っているんだけど」

「おおっ!」

 と、アルトスの目が輝いた。

「でも、今のところ時間的に無理でしょ。平日は、帰宅して夕食後は歌のレッスン。土日に一ヶ月やっただけでは不可能なのは分かるよね?」

「分かる。毎日続けないとな。そうなると、長期休業の時か」

 それまで僕がここにいたらね。

「戦闘というほどでもないけど、『金縛り』もできるかもしれない。これは近距離限定だけど。それと『ファイヤー』ね」

「『ファイヤー』って?」

「文字通りさ。火を着けるの。サバイバルに役立つよ。人生何があるか分からないからね。覚えておくといい」

「エスカ自身も火を着けられるのか? 雷刃らいじんでなくても?」

「眷族を呼んだのは、二ヶ所攻撃できるからだよ。真犯人の居場所を特定できるからね。僕は一度に一箇所だけなんだ」

 アルトスは唸った。

「それで、伝授するには条件がある。中絶を邪魔しないこと」

 アルトスは、跳び上がらんばかりの勢いで立ち上がった。

「な、な、何をそんな無茶な」

 やっぱり、ウリ・ジオンが話したな。

「決定権は僕にあるよ」

「相手にもあるんじゃないのか。一体誰なんだ?」

 ははん。聞きたかったのは、やっぱりそれか。

「え。身に覚えないの?」

 意外なことに、アルトスはたじろいだ。それを見たエスカは、内心狼狽えた。からかうつもりだったのに。

「あのな。マジで聞きたいんだが。俺もエスカもシャーマンだろう? もし、ふたりが夢の中でそういうことをしたとする。結果、現実としてエスカが身籠ることってアリか?」

 何をほざくか、このタコ。鋭いところを見せるかと思えば、この体たらく。理解できん。

「夢と現実とは、区別してほしいな。で、アルトスは夢の中で僕とそういうことしたんだ」

 アルトスは、きっぱりと首を振った。

「残念ながら、ない。いつも直前で目が醒める」

 エスカは吹き出した。

「では、アルトスではあり得ないよね」

 アルトスは、両手をエスカの肩に置き、真剣な表情をした。

「これだけは言っておくよ。エスカが出産したら、その子は俺とふたりで育てよう。だから、何も心配はいらない」

 思いがけない申し出に、エスカは胸が熱くなった。

「ありがとう。ということは、中絶の邪魔をして修行は諦めるんだね」

「あ、いや、それとこれとは」

 慌てふためくアルトスを、エスカは部屋から追い出した。マデリンを防音室に連れて行った時と同様に。

 それから数分後、今度はサイムスが駆け込んで来た。

「一分で済む。エスカ、子どもはセダと俺が引き取るから」

 それだけ言うと、サイムスは慌ただしく出て行った。どうやらセダが陣頭指揮を執って、順繰りに派遣しているようである。となると、次はウリ・ジオンだな。

 ウリ・ジオンに嘘を突き通せるかどうか。当たって砕けるしかないな。数分後、やはりウリ・ジオンが来た。複雑な表情をしている。

「あのな。さっきセダが通帳を確認したんだけど」

 こいつも搦め手から来たか。ふたりはソファに座った。

「エスカから高額の入金があったと。何アレ」

「会長からいただいた。受け取ってよ」

「……説明してくれないかな」

「僕も気づいたのは今朝なんだ」

 エスカは入金の経緯と、受け取ることになった経緯を話した。

「僕、まだたっぷりお金持ってるから、遠慮なく使ってよ。新しいトラクター買うとか」

「うん。実はありがたい。今使っているのは年代物でさ。最近機嫌が悪くて困ってた。作業能率が落ちるし。ローン組もうかと思ってたんだ。でもあんなにはいらないよ」

「農業って、気候に左右されるでしょ。不作の年もあると思うから、取っといて。腐らないしね」

「ありがとうエスカ。お、会長はエスカのこと、酷く言ってたのに」

「身近な人に、不幸になってもらいたくないんだ」

「その、株価の変動のことなんだけど。何日か先を読んだわけか。そういう修行もしたの?」

「いや。いつの間にか、自然に見えるようになった」

 ウリ・ジオンはコケた。

「……あのな。教えてもらえないかな。その、相手のこと」

「知る必要はないよ。産む気ないから」

「エスカ!」

「聞いて。僕は、イシネスの強い霊力とラヴェンナの穢れた血をもっている。これらを断ち切りたい。だから子孫を作る気はないんだ」

「なら、なぜそういう行為をしたんだ?」

「してないよ。僕は処女。生理すらまだない」

 ウリ・ジオンは、激しく瞬きをした。理解できないようだ。

「ブランチの後『他人事みたいに』とか言ったよな? あれは、どういう意味だ?」

 言葉に敏感だねウリ・ジオン。

「シボレスにいた頃、引っ越しの準備をしていた時だけど。僕たちキスしたよね?」

「うん。よく憶えてるよ」

「僕が体液の交換をしたのは、その時だけだよ」

 ソファに座っていなかったら、ウリ・ジオンは転倒していただろう。ぱくぱくと口を開閉し、さながら酸欠状態の金魚である。ややあって、口を開いた。

「キスだけで妊娠しないのは、小学生だって知ってるぞ。それに、半年近く前のことじゃないか。それを今頃つわりだって? あり得ないだろ」

「うん。でも僕だからね」

「……何でもありか。で、どうしても子どもはいらないってか?」

「いらないんじゃない。理由は、さっき話したでしょ」

「何故、強い霊力はいらないんだ?」

「何人も殺したし。僕は重い罪を背負ってるから、僕の代で終わらせないと」

「ふたりの国王について言えば、これ以上罪を犯させないためとも言えるんじゃないかな。それならむしろ人助けだ。王女についても同じことが言えると思うよ。 

 霊力で人助けをしたことの方が多いんじゃないかな。まず、シルデスに来た日にアルトスを助けた。

 ゾーイも助けた。あれからゾーイは変な熱を出さなくなったって聞いたか? せいぜい鼻風邪程度だってさ。それでパルツィ家では、エスカを神さま扱いして、崇めてるって話だ。

 クーデターの時もそうだ。エスカとアルトスが、電撃で反乱軍の兵士たちを倒しただろう? それによる死者は、ひとりもいなかったそうだよ。最小限の被害で済んだのさ。

 この素晴らしい霊力のどこがいけないんだ? 

 それに、ラヴェンナの穢れた血な。僕にもその血が流れてるわけだ。僕に穢れを感じる?」

「……ウリ・ジオンは善良な人だよ」

「よく言われる」

 ウリ・ジオンは微笑した。

「な? だから子孫を作っていいんだ。それにエスカ。罪をあがなうために、自分の子をスケープ・ゴートに差し出すのか?」

「とんでもない! そんな!」

「でも、エスカがしようとしているのは、そういうことじゃないのか? エスカは、大きな勘違いをしてるよ。自分が不幸になれば、罪を贖えると? エスカのお母さんが、そんなことを望んでいると?」

 エスカの目から大粒の涙が零れ落ちた。ウリ・ジオンにしがみつきながら、途切れ途切れに言葉を絞り出す。

「僕、本当はウリ・ジオンに知ってもらいたかった。本当は、産みたいんじゃないかって」 

 ウリ・ジオンは、よしよしとエスカの背をさすった。

「あのな。タンツ家とパルツィ家には、霊力はまるでないのは知ってるだろ? なのに、あの薬草の時は違った。

 何かに、或いは誰かに操られたかのように、薬草の棚に近付いた。訳も分からずに写真を撮って調べた。そして薬草を捨てたんだ。記憶が朦朧としてて、よく憶えていないんだよ。

 今にして思えば、どなたかに捨てさせられたんじゃないかな」 

 外が賑やかになった。アダとアニタが、ご馳走を持って到着したようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る