12センチ エプロンと食材

「明日は中間テストだね」

「う、うん。がんばらないとだね」


もうすぐ家に着く。学校からここまで渡合くんが傘を持ったまま。最寄り駅からは二人とも濡れないようにとずっと肩を抱き寄せられていた。靴の中は水浸し。強い雨足も濡れる足も何も気にならない。傘の下の空間が雨の降る外の世界とわたしたち二人の世界を隔てているようだった。


「大森さん、いつも勉強がんばってるからきっといい点取れるんじゃない?」

「だ、だといいんだけどわたし本番のテストって苦手だから」

「いつもと同じように勉強してるつもりでなんてどう?」

「勉強? う、うん。そうしてみるね」


「着いた。玄関まで行こうか」

「さ、最後まで傘をありがとう」


「どういたしまして。風邪ひかないようにね。それじゃあまた明日」

「うん。また明日」


渡合くんの大きな手がひらひらしてる。わたしも小さな手を振り返す。玄関扉を閉めていく。下から覗き込むように見上げるように、扉がわたしたちを遮る瞬間まで渡合くんの優しい茶色の瞳から目が離せなかった。


結局、わたしの家の玄関まで送ってもらってしまった。渡合くんの全身はもう濡れきっててびしょびしょもいいとこだった。バスタオルでしっかり拭いてあげた方が良かったかもしれないけどこれ以上は心臓が持たないかもしれない。御礼をしないといけないことが増えすぎてる。


その日。ドキドキが嬉しくて明日のためのテスト勉強が手につかなかった。よせばいいのにうっかりこまりちゃんに帰りの出来事をLIMEで伝えたら怒涛のように返信がきた。二時間はスマホに釘付けだった。こまりちゃん、ごめんなさい。


どうしても勉強の手が止まる。

今日のことは恥ずかしすぎるけどふわふわと夢のような想いだった。こまりちゃんの言う通り彼氏彼女になったら一緒に登下校したりこんなことがたくさん起こるのかと想像すると頭がパンクしそうになる。それはわたしの勝手な想いなんだけれども。

そうか……わたし、渡合くんの彼女になりたいんだ。こまりちゃんの気持ちが少し分かった気がする。


翌日は見事に快晴だった。朝のホームルーム。渡合くんの席にその姿はなかった。ホームルーム後、LIMEをやり取りしている男子の会話で渡合くんが風邪で休んだことを知る。昨日のせいだ。わたしばっかり濡れないようにしてもらったから。

その翌日も渡合くんは風邪でお休みだった。絶対にわたしのせいに決まってる。中間テストは集中して取り組むことなんかできなくて。


そして、二日目の中間テストを終えて、こまりちゃんと一緒に帰りの電車に揺られていた。二日目のテストも半日でおしまいだ。お昼もまだ食べてない。みんなファストフード店に入ったり家に帰って食事をすることだろう。渡合くんがちゃんと食べているか心配だった。


「結安。そんなに心配ならお見舞いに行ってみればいいんじゃない?」

「え!?」


突然の提案にドキリとする。渡合くんのことが心配でしょうがないわたしはこまりちゃんに心配な気持ちを電車に揺られている間ずっと話していた。


「渡合くんて一人暮らしなんでしょ? ちゃんとご飯食べれてないんじゃない?」

「やっぱりそう思うよね?」

「それなら結安の手料理持って行ってあげなよ。家が隣なんだし」

「ええ? いきなり押しかけたりしていいのかな?」


具合が悪いところにわたしなんかが行っても迷惑にしかならないんじゃないかと思うし。


「同級生のお見舞いくらい変じゃないよ。わたしだって蓮が風邪をひいた時にお見舞いに行ったことあるし(ベランダを飛び越えて遊びに行っただけだけど。でも蓮も悪い気はしてなさそうだったし)」

「そっか……行ってもいいのかな?」

「心配なんでしょ?」

「そうだけど……」


「具合が悪い時に一人だと心細くなって寂しいと思うし何か欲しいものとかあるかもしれないよ?」

「うん。そうだよね」


こくりと頷く。確かに一人だと不安で泣いちゃうこともあると思う。わたしもそうだったし。共働きの両親がどうしても家に帰ってこれなくて、ベッドの中から飼い猫だったチルを呼んで寂しさを紛らわせたこともある。いや、さすがに渡合くんが泣くことはないよね。


「遠慮しないで行ってみなよ」

「分かった。わたし行ってみる」


とりあえず行ってみて、お料理は話を聞いてからにしてみようかな。


誰もいない自分の家に帰って私服に着替えたわたし。渡合くんの家の玄関前で5分は立っていた。玄関のインターホンを押そうと指を持ち上げては下げるをもう三回は繰り返してる。

やっぱり帰ろう。

くるりと後ろを向いて一歩踏み出して止まる。こまりちゃんの言葉を思い出してもう一度インターホンに指を向ける。


「遠慮しないでいいんだよね?」


ピンポーン。ボタンを押し込んでいた。


『……』


反応がない。もしかしてお医者さんに行ってるとか? レンズがついてるからこちらの様子は見えるはず。もしも渡合くんが確認していればわたしの顔がモニターに映っているはず。いたとしても具合が悪ければ出ることはできないかな?

ふと、ほんの少しだけ閉まりきっていなさそうな玄関ドアが気になって縦長のドアハンドルを引いてみた。カチャリと音がして簡単に開いてしまった。


「鍵が開いてる……」


もしかしてずっと開いてた? まさか泥棒が入ってるとか? そんなことはないよね? 食べ物を買いに行って鍵をかけ忘れたのかもしれない。もしかして倒れていたりとかしないか心配。

ドアの向こうを伺う。大きなローファーが一足。中にタオルが押し込まれていた。きっと大雨でずぶ濡れになったから乾かそうとしたんだ。そして、乱れたサンダルが一足。


「渡合くーん」


小さな声で呼びかけても聞こえるわけがない。もう一度しっかり大きな声で呼んでみる。にゃーんと返事が帰ってきた。廊下の曲がり角でオレンジ色の長いしっぽがゆらゆらと揺れてまるでおいでおいでをしているようだった。


「猫飼ってるんだ……お邪魔します」


猫はうっかりすると外にピューっと飛び出してしまう。うちがそうだったみたいに完全に家猫として飼っているのだったら出してしまうわけにはいかない。慌てて玄関ドアを閉めて鍵をかけると脱いだ靴とサンダルをしっかり整えて上らせてもらった。


恐る恐る足を進める。なぜか忍び足になってしまう。泥棒もこんな気持ちになるのかな。猫のしっぽを追いかけようとしたら消えていた。リビングらしき磨り硝子の扉を開けた先、ソファの上に渡合くんが普段着のまま寝そべっていた。


「渡合くん!」


うっかり大声を出してしまったけど反応がない。寝てる?

渡合くんの顔が赤くて息が荒い。おでこに手のひらを乗せる。


「うわ。熱い。渡合くんの部屋は二階だよね?」


できればベッドで寝かせてあげたいけどわたしじゃ運ぶなんて無理。だらりと床にぶら下がる手を胸に乗せる。大きな手がとても熱かった。


足元にはビニール袋と家の鍵が置かれていた。飾り気のまったくないキーホルダーについた鍵は二つあってマスターキーとスペアキーの両方があった。ビニール袋の中を見るとおにぎりが数個とおでこに貼るタイプの冷却シートが入ってる。


「これおでこに貼るね?」


一枚取り出して渡合くんのおでこに貼る。少し表情が楽になった?


「気持ちいい?」


頷いてくれた。初めての反応に少し安心する。

テーブルの周りに置いてあったコンビニ袋にはゴミになったおにぎりの包装ばかり入ってた。おかかとかシーチキンとか。もしかしてほとんど炭水化物しか食べてない?


「お腹すいた……」


渡合くんの目が閉じられたままぽそりと呟かれた。


「おにぎり食べる? それとも何か作ろうか?」

「おにぎり飽きた」


弱々しい返事が返ってくる。


「分かった。喉痛くない? 普通に食べれる? おかゆがいい?」

「痛くない……普通がいい」

「今からご飯作るから待っててね」


ずっと目を閉じたまま無言で頷く渡合くん。喉が痛くなくて食欲があるならしっかりしたものを食べた方がいい。キッチンで色々確認する。冷蔵庫には飲み物とアイスしかない。味噌やマヨネーズやケチャップとか調味料がいくつか。棚には調味料が種類豊富にあって包丁とか調理器具もしっかりあった。これならここで作れる。鍵をかけて渡合くんの家から出た。エプロンと食材をうちに取りに行って早速ご飯を作り始めた。油は控えめにして消化のいいものとビタミンが摂れる食材にタンパク質。スープも用意しよう。


料理を作っていた時に棚の上にあったフォトフレームに目がとまる。綺麗な大人の女性ととてもかわいい女の子。渡合くんのお母さんと妹さんかな?


「渡合くん。起き上がれる? 食卓にご飯を用意したよ? 食べる?」

「……うん」


ふらふらと立ち上がる渡合くんの大きな体を支えて移動する、椅子に座ってもらってレンゲを渡す。

豆腐入りのたまご雑炊。鶏肉と里芋とブロッコリーの味噌豆乳煮。長ネギとキャベツの生姜スープ。体が辛い時でもカロリーは摂った方がいい。食べやすいように柔らかく作ってある。渡合くんがゆっくり口に運び始めたと思ったら勢いよく食べ始めた。熱くない? フーフーしてあげたいと思ったけどできるわけない。


「ふふ。よっぽどお腹が空いていたんだね。さてと」


せっかくだから今日の夜の分と明日の朝の分を作り置きしておこう。対面式のI型システムキッチンで再び調理を始める。


「ごちそうさまでした」

「あ。そしたらお布団に行こうか」


火を止めてエプロンを外す。食卓を見るとしっかり完食してる。良かった。

立ち上がる渡合くんの手を取って二階へ上がる。部屋に入ってベッドに横になってもらった。できれば服を着替えさせてあげたいけどさすがにそこまでできない。やっぱり辛そうにしてるから心配になる。


一度下に降りて冷凍庫から持ってきた氷枕を頭の下に入れて、ずれた掛け布団を整える。目を閉じて寝息を立ててる。


「これでよしと。明日には治るといいんだけど」


首筋に手を当てるとやっぱり熱い。ふと、渡合くんの顔を見つめてしまった。綺麗な顔をしてる……まつ毛の長さに見惚れて顔が近くなる。

あれ? わたし、何をしてるの?

ひと段落して落ち着いたことで、その事実に気づいて急激に顔が赤くなる。

布団から出てきた大きな右手がわたしの手をゆっくりとつかんだ。


「ありがとう」


渡合くんの小さな声がそのまま寝息になった。

早く良くなりますように。

すぐに手を離すのもどうかと思ってそのままにしてしまう。

こんな状況だけど……ずっと触れていてほしいと思ってしまった。

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