第41話 兄は語る――デス畳の誕生を


 いわく、屋敷の娘が生きていたころの話である。


 屋敷の主人は、日課である瞑想めいそうをおこなうために一階の和室を設計したが、娘は幼少のころよりここを気に入ってよく出入りしていた。

 父の瞑想をじゃまして怒られたこともしばしばである。

 また、やんちゃをして父に叱られたときは、この和室にこもって泣き、疲れて畳の上で眠ることもあったという。


 そんな娘も、やがてすこやかに成長していった。

 肉づきよく育った彼女の足のうら、尻、頬を、弟はとてもこのもしく思っていた。

 娘が成長するにつれ、主人は瞑想をする習慣から遠のいてしまったが、弟は彼女さえ来てくれればよかった。

 彼女が和室で、あたたかな日ざしを浴びて眠りこけていたときは、天にものぼる心地であったという。

 それでも、そのときはまだ想いを秘めたる一枚のでしかなかった。


 弟が目ざめたヽヽヽヽのは、娘が大学生となり、この家をはなれてからである。

 状況を理解していなかった弟であったが、数日たったとき、「なぜ来てくれないのだろうか」と娘の空白へのもの足りない想いが体内でうずまきはじめた。

 二週間がたったとき「これはどうにもおかしい」と、娘を案じる心がぐつぐつと沸騰してきて安んじていられなくなった。

 ついに一カ月がたったとき「会わせてくれ! あの子に踏んでほしい、あの子に座ってほしいんだ!」と噴火するような熱と勢いで自我が芽生えた。


 じつのところ、兄が明確に人語じんごを解するようになったのは、この時期のことである。

 ただの畳にすぎなかったのが、となりにいる弟の覚醒かくせいに引きずられでもするかのように、ある日ふと周囲のことが理解できるようになっていた――


 その後、リビングからうっすらときこえた電話での会話から状況を把握し、「あの子は、家を出たそうだ。夏休みにはまたもどってくる、と男のほうが言っている」と諭したが、半狂乱となっている弟の耳にはとどかない。

 まあしかたないと、おそらくそのあとはまた眠っていたのであろう兄の耳には、たえまなく発せられる弟の「会いたい」という悲泣ひきゅう残響ざんきょうがあったが、ふたたび目ざめたのは娘の帰省を感じたときである。

 いつもは主人とひとりの使用人ぐらいしかいない家に、ドタドタと、複数人の足音がひびいた。


「ここが、私の思い出の部屋!」


 その元気な声とともに、和室の戸が開け放たれた。

 娘を含め――人数は4人。

 なかには、おそらく娘の恋人もいたのであろう、一同はズカズカと踏み入ってきたあと、畳のうえで寄り添うように感じられた。

 うるさいことだ……そう思いながらまた眠ろうとした兄は、弟の尋常じんじょうならざるようすにすぐには気づかなかった。


「……地震?」


 そう、人間のうちのだれかがつぶやいた。

 地震をうたがうほどに、カタカタと、彼らの下にある畳が微震びしんしていたのだ。

 弟のさけぶ声を、兄は聞いた。


「会いたかった! 会いたかった! この感触、もう二度とはなさない……」


 興奮によってわれを忘れた弟は、はじめて自在に動くことができた。

 惜しむらくは、人間のもろさを知らなかったこと……

 はしゃぐように踊りまわり、何度も、何度も娘や友人たちの肉を咀嚼そしゃくし、のみこむように吸収し、いくつかむざんな肉塊にくかいが飛び散ったあとに、


「……あの子は?」


 とふしぎそうに兄に問うた。


「おまえが殺してしまったんだよ」


 と真実を告げるも、


「ウソだ、ウソだ! だれかがあの子を隠したんだ。返せ、返せ!!」


 とやはりくるったように吠えることしかできない弟。


 時間がたち、娘がもどらないらしいことはどうにか理解できたようだが、「あの子みたいな足を、尻をもつ子を探す」と、めんどうにも女という種類の人間に執着するようになってしまった……

 さらにめんどうだったのは、なぜか自分たちに憎悪を燃やすようになった屋敷の主人が、自分たちを消滅させるためにあの手この手で攻めるようになってきてしまったことだ。


 降りかかる火の粉は、払わねばならない。


 弟だけで十分であれば手を出すこともなかったが、弟が敗れたときには兄が出向き、すべてを返り討ちにしてきた。

 直情的で知恵の足りない、手のかかる弟ではあるが、唯一の肉親でもあるから多少の尻ぬぐいはやむを得ない。

 そういえば兄には理解できるが、弟の言葉は人間たちにとって「タミ」としか聞こえぬらしい、と気づいたのは少しあとになってのことである。

 といってもここのところは人間と会うこともなく、ずいぶん穏やかに眠っていられたのに、ふたたび人間たちがやってきてさわぐので、こちらはずいぶんと迷惑している――

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