第34話 “お嬢さま”の慟哭


 荒い、息がうす暗い館内にこだまする。


 押し出すように床を蹴り、片手で長いスカートをつまんで少しもちあげ、“お嬢さま”は飛ぶように走った。

 足の骨が、きしむ。

 ここに来てからの酷使こくしで、筋肉の疲労がずしりとからだを重くする。


 それでもこの速度をゆるめることはできなかった。


「どうか、ご無事で……」


 祈るように、言葉をつむぐ。


 ドアを開閉するスイッチを押し、メカ畳のいる部屋から出ると、そこはキッチンから地下へとおりてきた階段の近くであった。

 廊下のつきあたりの、壁としか見えぬドアの向こうで“可憐”が見送る。

 いぐさの収集後にもどってきて、“可憐”にあけてもらう際は「ノックを2回、4回する」ことを合図と決め、さんじた。


 自分を気づかってくれた“わけ知り顔”たちが分かれて進むのを、見やる余裕さえなかった。

 地下は迷路のように広大で、はじめのほうからやり直しとなったいま、進んだ道を思うようにたどることができず、ドアをあけては閉めていく。

 頭が、にごる。

 あせって、あせって、早く行きたいと、あせるほどに頭がにごって、正しい道すじが思い出せなくなっていく。


 音がしないことが、こわかった。

 すぐ近くにいたからか、先ほどはバイクの音や衝突の音がうるさいほどだったのに、いまはどんなに耳をすましても、自分の駆ける音や、荒い呼吸しか、廊下にはひびいていない。


 デス畳との戦いが、終わったと、いうことなのだろうか。

 終わったとすれば、どちらに軍配が、あがったのか。


 想像がわるいほうへ、わるいほうへとふくらんでゆく。

 凄惨せいさん血肉けつにくがとびちる光景が脳裏のうりに浮かび、あわてて首をふる。


(どうして、「自分たちで時間をかせぐ」なんて言ったのですか――)

(どうして、せめてわたくしだけでも、まきこんでくれなかったのですか――)


 “カタブツ”を責めることばがふつふつと沸き出すが、とめられなかった。

 社会勉強のためと、父がすすめてくれた出身校ではなく、みずから決めた大学に入って出会った、はじめて恋をしたひと。

 1年近くもの片想いのすえに、やっと、やっと心が通じたのに、どうしてこのタイミングで……


 まわりにはだれもいないから、気づけば涙がにじんでいた。

 それをちからまかせにぬぐって、ひとつの扉をひらく。


 ようやく、デス畳と“カタブツ”たちが戦っていた物置き部屋にまで、たどりつく――


 だれも、いなかった。

 “カタブツ”や“中型免許”はもちろん、デス畳でさえも。

 そのかわり、かわりといってもいいものか、目をおおうほどの量の血や、肉、骨、内蔵、人の皮らしきものまでもが部屋中に飛散ひさんしていた……


「イヤァァァ!!」


 “お嬢さま”は頭をかかえて、泣きさけんだ。

 最初の戦いのときから、何度も目にしていたはずなのに、こんどのソレヽヽは吐き気をもよおすほど、尋常じんじょうではない量になっていた。 


「ふたり、ぶん……?」


 涙とともに、ことばがこぼれ落ちた。

 本来、人間ひとりの血肉が、あれほど少ないはずはなかったのだ。

 おそらく、ミニ畳が吸収していたように、デス畳にはさまれた際にその大部分が吸収されていたのだろう。


 獣にい散らかされたような、大量の人間だったヽヽヽヽヽなれのはてを目にすることで、はじめて、胸の底にまで「ひとが死んだ」という事実がしみこんでいった。

 自分の知っているひとの、永遠の喪失……

 自分のいとしいひとの……


「……ウソ。ウソ、です、わ……」


 うつろにつぶやき、部屋のなかへと踏み入った。

 “中型免許”が削りとったのであろう、デス畳のいぐさが部屋に散乱している。


 拾わなければ、と思った。

 それがいま、自分のなすべきことだと。


 だが、血だまりに浮く赤くそまったいぐさを見ると、おぼえずドロドロとした不快ななにかヽヽヽが胃からせりあがってきた。


 部屋のすみへとよろめき、吐いてしまう。

 いっそ、すべてを吐いて、胃が裏返るほどに吐いて、自分の内臓を、肉を、すべてを出しつくすことで、ここから消えてしまいたかった。

 この世界から消えてしまいたかった。

 だが自分の口からこぼれるのはきたならしい嘔吐物おうとぶつにすぎず、地獄へおりた一条いちじょうのクモの糸のように、自分の口からよだれがひとすじきらめくのを、呆然とながめることしかできない。


 視界が定まらぬなか、かたわらに、腸の残骸ざんがいとおぼしき部位がころがっているのが、目に入った。


 食べてしまいたいと――思った。

 口に入れて、舌にのせ、歯ですりつぶし、ゴクリとのんで胃へとしまいこむ。

 水たまりのように広がる血を、ゴクゴクとすすってしまおう。

 そうすれば、せめてずっといっしょにいられる――


 そうして内臓をつかもうとした手をとめたのは、正気をとりもどせと叱咤しったする自分の意識ではなく、

「これが“中型免許”さまの血肉だったとしたら、“カタブツ”さまへの背信はいしんになるのではないか?」

 という疑念が胸中きょうちゅうにきざしたためだった。


 どちらの内臓であるか、たしかめようと手にとってみた。

 すみずみまで観察しても、においを嗅いでも、つぶして頬になすりつけてみても、わからない。

 どちらの血液であるかを、たしかめようとすくってみた。

 どんなに目をこらしても、落としたしずくに耳をすましてみても、チロリとなめてみても、わからない。


 自分の愛はその程度なのかと、おのれにいきどおった。

 知りたい、知りたい。せめていっしょにいたい――


 先ほどまではしずかだったのに、ふと、部屋がうるさくなっていることに気がついた。

 いまはしずかにいたみたいのに、だれだと呪わしくあたりをうかがおうとすると、頭が動かない。

 床がぼやけ、ながめていた血だまりに透明なしずくが落ちていくことで、ふと、自分が泣いているんだと気がついた。

 けもののようなおたけびをあげ、淑女しゅくじょとしてたたきこまれてきたふるまいをかなぐり捨て、ただ、自分のうちにあったけものがそとに出てきて、泣きさけぶのを頭のうえからながめているような気分だった。


「“カタブツ”さま、“カタブツ”さま、“カタブツ”さま……」


 だれかがくりかえしうめいている。

 部屋に反響はんきょうしたその声は、腕を伝ってこぼれてゆく血とともに、床の血だまりに吸いこまれて消えていく。

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