第20話 友の波は朝の生活をかえる

 ここ最近の朝は、まるで空気が変わったように感じる。以前はただの通学時間だったが、今は違う。何度も偶然が重なり、椎崎と家を出るタイミングがよく被るようになった。言葉を交わすのは「おはよう」や「行ってきます」といった挨拶程度だが、あの無機質な声と、朝日に反射して淡く光る黒髪を見るたび、否応なく意識してしまう。


 朝という時間帯のせいかもしれないが、彼女の表情はいつも以上に感情が抜け落ちているように見える。けれど、その無表情の奥にあるものを知ってしまった以上、こちらも気を抜けない。


 椎崎を少し先に行かせてから、少し距離をあけて俺も家を出る。意識しないようにしていても、自然と目で追ってしまうから厄介だ。


「りんくん、おっはよー!」


 そんな静けさを打ち砕くように、バッグの端で俺の後頭部が軽く叩かれた。振り返ると、元気いっぱいの笑顔がそこにある。


「おはよ、双葉」


「むー!だから“蒼葉”でいいって言ってるのにぃ!」


 まだ出会って一ヶ月も経っていないのに、彼女はもう俺をあだ名で呼んでくる。それだけでも距離感の近さがうかがえる。椎崎とは真逆だ。どこまでも明るく、感情がまっすぐで、嘘がない。あいつの“本当”を知っている俺にとっては、この無邪気な距離の詰め方が妙に眩しく映る。


「いや、呼ばないから」


「……ふふ。いつか必ず呼ばせてみせるから、覚悟してね?」


 両手をきゅっと握りしめて、宣言するような口ぶり。内容はどうしようもないほどくだらないが、彼女は本気だ。その真剣さに、なんだか少し救われる気さえした。


 会話が盛り上がるわけではない。共通の話題があるわけでもない。ただ、彼女は「一緒にいたいからいる」。その理由が分からなくて戸惑うことも多いけれど、拒絶する理由も見つからない。椎崎が「仲良くしないほうがいい」と言っていたのも、ただの嫉妬や警戒心だけではない気がして、なおさら気になる。


「双葉さん、おはよう!」


 すれ違った同級生が、声をかける。が、双葉は目をそらし、返事をしない。空気が一瞬で冷たくなる。


「また教室でね!」


 気まずさをごまかすように、相手は走っていった。


「……挨拶くらい返せよ」


「なんで私だけなんだろうね? りんくんもいるのに」


 ここ最近、彼女に声をかける人が増えている。俺と一緒にいることを除けば、「いい子じゃないか」と評価が変わり始めている。だが、双葉は頑なだった。俺が絡んでいない会話は、基本的に無視。さっきの挨拶も、誰に向けられたかが曖昧だったから返さなかった。俺と一緒にいる時と同じテンションで答えるのは、俺が絡んでいるときだけだ。


「今のも、俺にだけ挨拶してるわけじゃないって分かってただろ。普通はそんな細かく意識して話してないんだよ」


「……でもあの人、前にりんくん避けてたじゃん。そんな人と仲良くなんて、無理。りんくんにちゃんと謝ってくれたら話は別だけど」


 その言葉だけを聞けば、友達想いで筋の通った子に見える。だけどその裏にあるのは、強すぎる依存。俺がちょっと距離を置いたくらいじゃ引かない。何度でも擦り寄ってくる。……ここまで来ると、もう俺一人じゃどうにもならない気がする。


「せめて挨拶だけは返してくれ。お前が中間に立ってくれた方が、みんなとの距離も縮まるだろうし」


「……あ、それもそうだね! わかった、これからはそうする!」


 やっぱり、彼女は純粋だ。俺の言葉をちゃんと受け止めてくれる。だけど、それでも、俺という存在が“壁”であることに変わりはない。その壁を壊すには……嫌な手段だけど、誰かに頼るしかないかもしれない。

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