第52話 箱庭
俺は行く当てもなく彷徨っていた。とにかく今は帰りたくない。帰ってもあの女が待ち構えている可能性が高い。
俺は鞄から学内の地図を取り出す。時間的にはまだ昼下がりだ。どこかでご飯でも食べるか、それとも学食に行くか。
いや、今は誰かに鉢合わせする可能性を少しでも下げたい。ならば、俺が向かうのは学食ではない。
「庭園館…部活動によって管理されている小さな温室…ここか。」
俺はその建物にたどり着く。そこには一軒の家が建っていた。家の周りには花壇が設置され、そこにはマキエルでは見たことがない花が咲いていた。
表札にあたる場所には『魔法植物研究部』と書かれていた。今の時間なら、おそらく、勧誘に行っていて誰もいないだろう。
俺は念のため扉をノックしてみる。
しばらく待ったが反応はなし。確かに地図には自由に観覧可と書かれていた。なら、しばらくここでゆっくりさせてもらおう。
中に入ると、ところ狭しとたくさんの花が出迎えてくれた。
「これは…すごいな。」
中には人口での育成難易度が、極めて高いとされているものもある。よくこれだけの種類を一括で管理できるものだ。
俺はこの部活の育成環境に素直に感心した。
「キュィ!」
「どうした?」
ヴァーレンが一声上げて、大きな木の方を見ている。そっちに何かあるのだろうか。俺もヴァーレンのと同じように木の方を注視する。すると、そこには揺れる茶色の尻尾があった。
まさかね。
俺は一瞬嫌な予感がしたが、すぐにその考えを否定する。そんな偶然があるわけない。第一、彼女とは少し前に、部屋の前で別れたのだ。今頃生徒会の活動に戻っているはず。
「誰かいるんですか?」
俺はその声にビクッとする。そして、現れる大きな猫耳、茶色のショートヘア。そして、銀色の瞳。
そこには眼鏡をかけた、イムニスに瓜二つの少女が立っていた。
「イムニス、じゃ、ない、よな…」
俺は若干びびりながら少女に尋ねる。ここで本人だった場合また壁際の刑に処されるだろう。
「はい。私は妹のイグルムです。もしかして、姉さんのお友達ですか…?」
セーフ。どうやら本当に別人のようだ。しかもイムニスと違って襲いかかっても来ない。
「まあ、そんな感じ。君はここの部活の人なの?」
俺は彼女にそれとなく質問をして探りを入れる。
「はい…あの、もしかして見学に来てくれたんですか?」
「まあ、生徒会って、ぶっちゃけ何するのかわからんし。別の部活も見てみようかなって。」
会長から言われたのは生徒の自治組織、ということだけだ。他は何も知らない。
「まあ!姉さんと同じ生徒会の方でしたか!私としたことが、来ていただいたのになんのおもてなしもせずに申し訳ありません。すぐにお茶を準備します…!こちらにかけてお待ちください。」
そう言って俺は一つの木製テーブルに案内される。そこには二つの椅子と机だけが置かれていた。だが、天窓の光がちょうど差し込むように設置されており、周りの雰囲気もあって絵になっている。
俺は言われた通りに椅子に座る。すると、イグルムはお盆にティーセットを乗せて、戻ってくる。
「お待たせしました。茶菓子はないですが、フルーツならたくさんあるので、召し上がってください。」
そう言って差し出された皿には、色んなフルーツが盛り付けられていた。
「こんなにいいのか?」
「はい。全てここで採れたものですから…!」
「じゃあ、遠慮なく。いただきます。」
俺は差し出されたフルーツをもぐもぐ食べる。どれも甘くておいしい。店で売っていてもおかしくないレベルだ。ヴァーレンも隣で切り分けられた果物をかじっている。
「おいしいよ。ここの環境が良い証拠だね。でも、これだけの植物を一人で管理してるのか?」
俺がそう聞くと、イグルムは微笑みながら首を横に振る。
「たまに弟が来てくれます。それに…」
彼女は笑みを浮かべたまま、俺の手に人差し指で少しだけ触れる。
「今日はかわいい後輩が来てくれました。だから、一人じゃありません。」
イグルムはそう言ってクスクス笑う。
なんというか、普通の女の子だ。この大学の女子生徒が狂人ばかりだったので、無意識のうちに身構えてしまっていた。
だが、イリスのように過度な接触もなければ、イムニスのようにボコボコにされることもない。
果物を食べて、お茶を飲んで、花を眺めて。
そんな当たり前のような時間が過ごせることが、俺はとても嬉しかった。
その後は夕方になるまでイグルムと他愛のない話をして、つかの間の平穏を享受した。
「それではまた来てくださいね。ルーカスさん。」
私は彼に手を振って見送る。
「ああ、ありがとう。今度は何か手土産でも持ってくるよ。」
ルーカスさんはそう言うと、部室を後にする。彼が遠くまで行ったことを確認すると、私はすぐに振り返る。
すぐに部室に戻って、奥に控えていたメイドを呼び寄せる。
「彼のことは何かわかりましたか?」
「ルーカス・リーヴァイス。ノノベ村という辺境の村出身。その村では竜の魔法使いとしてそれなりに名が通っていたようです。家族はなし。両親はすでに他界しております。」
私は最後の一言を聞いて笑顔になる。
「そうですか。なら彼を私のものにしても、誰も文句はありませんね。」
私はさっきの時間を振り返る。なんて居心地のよい時間だったのだろうか。
ここに来る者といえばその全員が、私目当てのゴミばかり、まともに魔法植物を知らない馬鹿ばかりだった。
それに比べて彼はどうだ。
私の話を理解し、あまつさえ私が知らない北方の植物について詳しく話してくれた。ああ、なんて楽しい時間だったのか。この夕暮れが憎く思ってしまうくらい、いつまでも彼とお話していたかった。
しかし、彼はまた来ると言ってくれた。
ならば、待とうではないか。
私は一人で待つのは得意なのだ。
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