第51話 不快感

 俺は目の前を歩くイムニスに目をやる。さっきまで死ぬほど凶暴だったのに、今では普通の獣人に見える。

「ねえ、お兄ちゃんはどこの部屋なの?」

「俺の部屋?知らん。ここだってさ。イムニス…さんは知ってるの?」

 俺は地図を取り出して、彼女に見せる。イムニスは笑顔のまま振り返り、俺の首を掴んで壁に叩きつけてくる。

「ぐぇ…」

「今度『さん』付けたら許さないから。」

 俺の耳元でイムニスが囁く。

 今のはいくら何でも理不尽過ぎる。先輩に「さん」をつけただけだ。そこに他意は一切ない。

「わかったから、放してくれ。」

 俺が手を挙げて降参の意を示す。すると、イムニスは手を離してくれた。

 今までも扱いが難しい奴らはたくさんいたが、ここまでの曲者は初めてだ。一体どこに地雷があるのかわかったものではない。

 とにかく、こいつとはあまり関わらない方がいい。絶対にだ。

 あの生徒会に参加する羽目になったスクロールも、いつか破壊したいところだ。

 しかし、この組織に俺を加入させるように手を引いていたのは、他ならぬイツキだ。あいつが俺を苦しめるためにここに入れたとは思えない。

 あいつは俺に何をさせたい?

「おーい。お兄ちゃーん?」

 俺が答えの出ない思考を続けていると、イムニスが不機嫌そうな顔をしながら、俺の顔を下からのぞき込んでくる。

「どうかしたか?」

「どうかしたか、じゃなくて!学生寮、着いたよ。」

 俺は自分の前に建つ大きな建物に目をやる。王都の外から来た人は基本的にこの学生寮を使用することが多い。

「ここが…デカいな。」

校舎よりは流石に小さいが、それでもかなりの大きさの建物だ。この大学、建築費だけでどれだけ掛かっているのか。考えるだけで寒気がしてくる。

「部屋は小さいけどねー。じゃあ、行こう!」

「はいよ。」

 俺はイムニスの後に続いて学生寮の中を歩く。俺の荷物はすでにここに届いているはずだ。

 俺は階段を上り、二階にある自分の部屋を目指す。作りは石造りになっており、重厚感がある壁だ。床は綺麗な木材が使われており、その使われてきたであろう年月が、いい味を出している。

「んー。ここっぽい。入っていい?」

「いいぞ。えーっと鍵、鍵…」

 俺は鞄から鍵をとりだしてイムニスに渡す。

「はい。」

 イムニスは渡された鍵をまじまじと見た後、こっちを見てくる。

「…お兄ちゃん、結構不用心だね。」

「だって、俺はここじゃあ、ぶっちぎりで貧乏人だからな。こんな俺から盗めるものなんて、みんな持ってるだろ。」

 俺が知らないだけで、イムニスも有名な貴族なのだろう。実際身につけているものはかなり高価なものに見える。

「…まあ、元気出して。」

 イムニスはそう言って、俺の肩をバシバシ叩いてくる。

「うっさい。」

 俺はそれから逃げるように扉の前に立つ。鍵を回してもらい、ドアノブをひねる。この人生で二つ目の家だ。さて、どんな部屋か。

「───あら、遅かったですわね。」

 俺は音を立てながら勢いよく扉を閉める。

「ふざけんな!!」

 なんであの第二王女がここにいる。当然俺の部屋の位置は教えていない。鍵を渡した覚えもない。

「ねえ、あの女誰?」

 振り返ると、イムニスは左手をゴキゴキ言わせながら静か立っていた。その表情は完全に無であり、内面を読み取ることはできない。だが、一つだけ理解できることがある。

 それは───。

「…俺、いつ一人になれるの?」

 この大学で、俺の自由は限りなく少ないということだけだった。


 イムニスに一通りメンヘラされた後、鍵を返してもらって部屋に帰ってきた。

 そして、中で優雅にお茶を飲んでいるイリスを睨む。

「なんでそんなに疲れた顔をしているんですの?何かありまして?」

「何かありまして?じゃねえよ。八割方お前のせいだからな!?ていうかここ俺の部屋だろ!さっさと帰れ!!」

 俺はお菓子を摘まみながらくつろぐイリスに怒りをぶつける。そもそもこいつに出会わなければ、こんなことにはならなかったのだ。

「あら、この国の庶民のものは私のものよ?」

 イリスは「何当たり前のこと言ってんだ。」みたいな顔で、とんでもないことを抜かす。こいつ、まさかとは思うが、これが平常運転なのか?だとしとしたら人前でどんだけ猫被っているんだよ。

「あーそう。どうぞ出口はあちらです。お帰れください。」

 俺は壁にもたれ掛かって部屋の扉を指さす。

「まあ、からかうのはこれくらいにして、そろそろ本題に入りましょうか。」

 イリスは手を叩くと、別の部屋に待機していたメイドを呼び寄せる。そして、そのメイドはお茶を片付けると、すぐに紙とペンを用意して下がってしまった。

「今日はあなたに相談したいことがあってきたの。おかけになって。」

 そいつはまるでこの部屋の主人のように、俺に席に座るよう促してくる。

「…で、相談って何?」

 俺は心底嫌そうな顔をして、イリスの話しを聞く。

「私の直属の部下になりなさい。あなたのその魔法の腕を見込んでのことよ。どうかしら?」

「普通に嫌だ。」

 俺は即答で拒否した。

「…聞き間違いかしら?もう一度言ってくださる?」

「普通に嫌だ。」

 俺はさっきの答えを繰り返す。それ以上の返事をするつもりもない。

「…意味がわからないわ。私の部下になればお金も、地位も、名誉も全てが手に入るのよ?その千載一遇のチャンスをあなたは棒に振ろうとしてるのよ?理解できて?」

 イリスは顔をしかめながら、髪をいじり始める。

「お金が必要なら自分で稼ぐ。地位も自分で手に入れる。名誉はそもそも要らん。更に言えばお前の下には絶対につきたくない。」

 俺は指を折りながら拒否した理由を述べる。ノノベ村にいたときから必要なら自分で仕事を見つけてきた。地位だって前世では王命を受けるくらい上り詰めた。名誉を求めていたら魔族との戦いなんてやってられない。

「そう、ですか。」

 イリスはそう言うと、席を立って俺の前まで歩いてくる。

「どうした?帰るのか?」

 俺は内心でガッツポーズをしていた。無表情を保つのが危ないくらい喜んでいた。

「これでも、まだそんなことが言えますの?」

「…?」

 俺が何も言えずにいると、イリスは突然俺に胸を押しつけてくる。腕で胸を押し上げ、その感触がよく伝わるようなポーズをとる。

「自慢じゃないですが、私、スタイルには自信がありますのよ。」

 そう言って更に近づこうとするイリスを、俺は両手で突き放した。

 そして、怒気を込めてイリスを睨む。

「俺はお前みたいな女が一番嫌いだ。わかったらさっさと帰れ。」

 俺はそれだけ言うと、自分の部屋から出て行く。行くところなんて無い。だが、今はあの女と一緒にいるのが心底不快だった。ああいう、性的なアピールをされると、嫌でも思い出す。

「…!おえっ…!」

 俺はトイレに駆け込み、胃の中のものを吐き出す。頭の中をよぎるのは俺の過去ばかりだ。

「はあ、はあ…クソが…」

 俺は頭の中を駆け巡る頭痛に耐えながら、なんとか立ち上がった。


「俺はお前みたいな女が一番嫌いだ。わかったらさっさと帰れ。」

 初めて、人にそんなことを言われた。

 私は王族だ。腹の底は別として、接してくる者は家族以外、皆私に従った。

 いつからか私はそれが当たり前なのだと思っていた。

 そんな私の前に現れた初めての例外。

 ああ、人は何故手に入らないものほど欲しくなるのか。

 私は彼の部屋をあとにしながら微笑む。


 私はそのとき、本気で彼が欲しくなった。

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