第26話 変わらいない今を
俺はマリーの家の戸を叩く。
「おはようございます。」
「いらっしゃいルー君。ヴァ―レンもよく来てくれたね。入って。」
ヴァ―レンは名前を呼ばれると、マリーの胸に向かってパタパタと飛んでいく。
「はーい、いい子だねぇ!よしよし。」
俺以外には敵意しか向けないヴァ―レンだが、マリーには何故か懐いている。これは推測でしかないのだが、ヴァ―レンが懐く対象は生まれた時にいた人だけのようだ。
ヴァ―レンが生まれた時、その場にいたのは俺たち二人だけだ。どれだけ優しくされようが、食べ物をもらおうがヴァ―レンは絶対に俺たち以外には懐かない。これが竜の習性なのだろう。
マリーはヴァ―レンを抱っこしたまま、客間の方に歩いていく。俺もその後に続く。
この家にも行きなれたものだ。自分の家の次に過ごした時間が長い場所かもしれない。
「そうだルー君、またヴァ―レンを譲ってほしいって話が来てるんだけど…」
「またか…いつも通り断っておいて。俺は我が子を売り飛ばす屑にはなりたくないよ。」
人に慣れた竜というのは基本的に貴重な存在だ。竜は大人しいがその性格上、人に慣れることは殆どない。それこそ以前普通に雑談してくれたヴォルガや、今マリーの肩にのっているヴァ―レンは滅茶苦茶珍しい。
ヴォルガの場合はお互いに力を認め合った仲だし、ヴァ―レンに至ってはずっと愛情を持って育ててきた。やはり竜と同格になるにはそれなりの信頼がなければいけない。
向こうも向こうで諦めが悪い。万が一譲ったところで逆に殺されるだけだというのに。
ヴァ―レンにはとにかくむやみに人を襲わないように、自衛のみに力を使うように育ててきた。そのおかげで、今では触られなければ怒らない程度の余裕は持ってくれている。
最初は酷いものだった。
俺の両親すら攻撃対象と見なして襲い掛かろうとしたのだ。俺はその度に𠮟りつけて、力の行使にはもっと注意するように言った。もしあのまま誰彼構わず襲うようならこの村には居れなかっただろう。
客間に着くと、いつものソファに座り、商談が始まる。
とは言ってもマリーのことは信頼しきっているので、価格の交渉はほとんどやらない。やる必要がない。
「はいこれ。これが今週入って来る分ね。前言ってた回復薬の素材の草もやっと手に入ったよ。もう今回も大手がごねてさ────。」
「はえー。大変だったね。」
俺は渡されたリストに人取り目を通してからサインをする。鞄からお金を取り出して、それをマリーに数えてもらう。
そこからはもう商談というよりは、マリーの日ごろの愚痴を聞く会になった。
リーダーだからといってなんでも自由にできるわけではないらしい。街に出ればもっと大きな商会の顔色を窺う必要もあると前も言っていた。
「それに女だからってすぐに一緒に寝ろって言ってくるし。気持ち悪いよもうー!なんで男の人ってあんなにすぐに胸とか見てくるの!」
「まあ、男って基本的に性欲で生きてるから。マリーは胸大きいしね。」
俺はリストの横などにメモを追加しながらマリーの話に相槌を打つ。
「ルー君も胸が大きい人が好きなの?」
「好き。」
「でも、ルー君私の胸全然見ないじゃん。こんなに側に居るのに。」
そう言われて、俺は視線をマリーの方に向ける。彼女の膝の上ではヴァ―レンが丸くなっている。こうしていると猫のようで平和だ。
マリーは自分の胸寄せて遊んでいた。まあ、予想はしていたが全然性欲を掻き立てられない。
「ほら、見てる見てる。」
「もう全然心が籠ってない!そうじゃなくて、あのおじさんみたいなキモい目線がないって言ってるの!」
そんなことを言われてもそういう目で見れないのだから仕方ないだろうに。マリーとは赤ちゃんの頃から一緒にいる。もう恋愛対象というよりは姉という方が感覚的には近い。
「でも、ほら。女の人の大きい胸にはロマンがあるから。」
「ならもっと真面目に私の事見てほしいんだけどな…」
「…」
そんなずるいこと言われたら寄り添わない以外の選択肢がないではないか。俺は立ち上がって、机を挟んだマリーの方のソファに座る。
その腕を絡ませてリストにメモを続ける。
「…これでいい?」
「んー…今日は許してあげる。」
俺はそのまま無言で仕事を進める。ヴァ―レンも寝てしまったし、ここに居るのは実質俺たち二人きりだ。
「ねえ、ルー君。あの話考えてくれた?」
「ああ、前言ってたマリーの商会専属の魔法使いになるって話でしょ。俺はやめておくよ。今はまだこの村に居たいし。」
「そっか。」
実際ヴァ―レンが一人立ちするまではこの村にいるつもりだった。流石に待ててあと数年だが、まだここに居てもいい。
だが、俺には前世で残してきたものがある。それは絶対に回収しておきたかった。あの中には極秘中の極秘である転生魔法の研究成果が送られている筈なのだ。それをどこの誰とも知らない奴に盗まれるわけにはいかなかった。
そもそも、あの転生魔法はアスティアを経由して王から直々に依頼されたものだ。不完全とはいえ二回目の人生を送れる魔法。そんなものがあると世間にバレれば、この世界は転生者だらけになるだろう。
王に報告ができるような肩書がなくなった今では、もう成果を報告することもできない。それならせめて回収しておきたかった。
「今は、ね…」
「何か言った?」
リストに集中し過ぎていて、マリーの話を聞いていなかった。
「んーん。なんでもない。平和だねって言っただけ。」
「そっか。」
俺は何を思うこともなく、そのままリストの内容に意識を割いて行った。
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