第16話 親心
家の手伝いを続けながら並行して糸を作っていたある日の夜のことだった。
「ねえ、ルーカス。お父さんとお母さんから大事なお話があるの。」
俺はコップに入った水を飲むのをやめて、お母さんの方を見る。
「急にどうしたの?」
「いつもお家のお手伝いしてくれてありがとう。」
「はあ。どういたしまして…?」
急にお母さんから感謝されて俺は呆けた返事をする。いきなりどうしたのだろうか。
「それでね、お父さんと話し合ったんだけど、そろそろルーカスにもお小遣いをあげようと思うの。」
「…えぇ?」
急なお母さんの提案にそう言うことしか出来なかった。
「ルーカスは自分から何かを欲しいって言うこともないし、親としては何かしてあげたくてな。」
俺は父親のその提案にすぐに待ったをかける。
「ちょっと待った!いや、いやいや!!でも、お金はまだ早いでしょ!?だって俺まだ三歳だよ?この歳から自由に使えるお金があるなんて、将来金銭感覚狂っちゃうかもよ?それに子供がお金持ってるとか危ないし!すぐに全部使っちゃうかもしれないんだよ?」
「お前なら大丈夫だ。」
「大丈夫って。そんな無責任な…」
お父さんがそう断言してしまい、俺は言葉に詰まる。自分の息子を信じているというのはわかるが、これは教育の責任の放棄にも近い。この二人の為にもここは断っておくべきだ。
俺がそう考えていると向かい側に座っているお母さんが話し始める。
「ルーカス、ちゃんとあなたを信頼してるから、この話をしてるのよ。あなたがずっと本を作るために頑張ってたことを、私たちも知らない訳じゃないのよ。」
本を作っていることは両親には伝えてあった。マリーが紙を渡すなら両親にもちゃんと事情を話しておくようにと言われたからだ。俺もそれについては異論はなかった。子供が何か変な事をしていないかという、親の不安を解消させる意味でもいいと思ったからだ。
「だったら、なおのこと要らないよ。欲しいものがあればこれまで通り自分で頑張ってなんとかするから…」
「ルーカス。」
俺はお父さんに強めに名前を呼ばれて、少しビクッとする。そんな風に名前を呼ばれたのは初めてだった。
何か怒られるのかと思い、少し身構える。
しかし、お父さんの口から出たのは怒りの言葉ではなかった。
「子供に不自由させたい親がいると思うか?」
「お父さん…」
「賢いお前ならわかるはずだ。それと、本ができる少し前にお前が詰め所で言ったことを覚えているか?『半分は趣味だけど、もう半分は仕事。』ってやつだ。あの時は笑って聞き流したがな。帰ってお前が寝てからお母さんとそのことについて話したんだ。」
あの時の…
あの場ではスルーされたと思って安心していたが、認識が甘かったようだ。
お母さんがお父さんの言葉を引き継いで話す。
「三歳の子供がもう仕事に追われるような日常を送っている。他の子が毎日元気で遊んでいる間も、ずっとずっと植物の観察ばかりやって。それもこれも私たちの生活に余裕がないから。」
「お母さん…それは…」
違う、とは言えなかった。
実際この家に植物図鑑があればこの数か月は要らなかった。もしくは買ってくれる程裕福な家だったら自分で作る必要はなかった。
「ルーカスは真面目だから。私たちに迷惑をかけたくなかったのよね。大丈夫。あなたの気持ちはわかっているつもりよ。でも、お母さんたちの気持ちもわかってほしいの。あなたが本を作るために大事な子供の頃の時間を使っていたことに、お母さんたちが何も思わなかったと思う?」
お母さんからのその言葉に俺は何も言えなかった。
「それに今度は布を用意するために糸から作り始めるなんて…ああ、違うのよ?その発想と努力する姿はすごいことだと、お母さんたちも思ってるわ。でも、それと同時にこうも思っていしまったの。ああ、お母さんは、ルーカスに布一枚も用意できないような親だと思われてるんだなって。」
お母さんの瞳には涙が浮かんでいた。その悲痛な面持ちはお父さんも一緒で、とても悲しそうな顔をしている。
これもだ。
違う、なんて今更俺には言えなかった。
どの口が言えるというのだ。親に買ってくれるかの相談もしないで勝手に作り始めたのは俺自身だ。例えそれが親に迷惑を掛けたくなかったという思いから生じたことだとしても、親からすれば失望に近い意味に捉えられていたことだろう。
「マリーちゃんからも話を聞いた。『今度はもう私にも頼らずに自分だけで何とかしようとしている。ちょっと危ないかもしれない。』ってな。それで更にお母さんからその話を聞いた時に決めたんだ。ルーカスにはもっと余裕を持って生きて欲しいって。お前はもっと人に甘えていいんだ。」
俺は二人からの心の内を聞いて、押し黙る。
最初は俺が他の子より少しだけ変わっているからお金を渡そうとしているのかと思っていた。
そんな簡単な話ではなかった。
俺が本作りに毎日取り組んでいる間、両親は俺のことをずっと心配してくれていたのだ。
お母さんもお父さんも顔には出さなかったが、本当は他の子のように元気に遊んでいてほしかったのだろう。友達を作って、外を走り回って、笑っている姿を見たかったのだろう。
子供の仕事は遊ぶことだ。そのことを忘れて、本作りに熱中していたのは明らかに俺の失態だ。そして、俺の失言で俺が本作りを仕事と捉えていることも両親にバレていた。
俺が全部自分で何とかしようとしたから。
そして、全ては俺の軽率なあの発言のせいだ。
あれさえなければ本作りも遊び方の一つとして理解してもらえたかもしれない。気を抜いていたとはいえ、何も考えずにあれを口に出したのは取り返しのつかないミスだ。
そして、俺自身もあまりに両親を頼らな過ぎた。今にして思えば、お母さんに一緒に遊ぼうと言って、楽しく植物を採取することもできた。少しでもそうした日常を送っていれば、親からの印象も大分変わったはずだ。
俺は親に迷惑を掛けまいとするあまり、親心に対して向き合うことを忘れていたのだ。
俺は誰かの親になったことはない。だが、以前友人から聞いていたことがある。
「エルラド、子供は良いぞ。この子の為ならなんでもしてあげたいし、私の全てを残したいって思える。」
そう言って我が子を抱きかかえる彼女はとても幸せそうな顔をしていた。
そんなに前から答えを知っていたはずなのに、俺はどんでもない大馬鹿ものだ。
顔を上げて、俺は二人の顔を見る。
「二人とも、ありがとう。それとごめんなさい。今まではあまりに二人のことを頼らなさ過ぎた。これからはもう少しだけ、頑張って甘えてみることにするよ。お小遣いの意図も理解したつもり。それが二人からの気持ちということなら、ありがたく受け取らせてもらうよ。」
俺がそう言うと、二人は笑顔で頷いてくれた。
そして、お父さんの大きな手から、俺は初めてのお小遣いをもらった。
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