醜い姫 4道の先の眠りと目覚め
「あなたが悪しき風に出会いませんように」
──人生を始める者への祈り──
赤い子は醜い姫の元から出奔した。
黒い宮殿の山のふもとで群生する赤い忌み花の養分になりながら溶けていく死者たちは見ていた。
赤みがかった大きな月の下、宮殿から御者も馬もいない黒い馬車が現れて、青い鬼火をまとわりつかせて夜空に疾駆を始めるのを。
醜い姫の呪いのような声が背中に追いついてくるのを感じて、赤い子は肌を粟立てて塩辛いの捨てた名前と顔を祈念した。
突如出現した広大な森に一緒に現れた盗賊は、喚きたてる化鳥のような呪いを聞いた。
「森よ、おどき。森よ、おどき。あたくしの道に立ち塞がるなら腐蝕させて切り倒して進むまで。そうしてお前の真ん中を進んで、ねじ曲がり、ひんまがり、ひんむける、あたくしの 醜さを
盗賊は自分の腕が足が骨が捻れるのを感じて悲鳴をあげた。今まで殺して稼いだ業が降ってきたように感じた。
森は恐れおののいて、道を開けた。
近在の河川や水溜まり、地下水脈がかき集められて、突如現れた大河に巻き込まれた
猛々しく轟き、逆巻きうねる大河に醜い姫の脅し文句は届かない。
醜い姫は慌てず騒がず馬車を降り、青い鬼火で自らの顔を照らし、水に映した。
大河は一瞬にして凍りついた。
氷の道を渡り、去り際に醜い姫が唾を吐くと、大きさと威勢を誇ったまま凍りついた大河はがらがらと細かにひび割れ、永遠に溶けぬ氷塊の河となった。
水馬もまたとっておきの謎かけで人を惑わすことは永遠に無くなった。
天高く突き上げた山陵が立ちはだかった。
不穏になっていた国境付近で睨みあっていた守備隊は突如震動とともに現れた暗闇に呆気にとられた。
醜い姫は中腹辺りに五秒ほど顔を張り付けると山は次々に粉々に崩れ流れ、近隣の町や村、国境も守備隊をも呑み込んで生者の存在しない広大な黒い砂漠が誕生した。
亡霊の影がうろつくという呪われた──或いは呪いに守られていた──町も沈んだという。
大地は誓約を守るために月に呼び掛けた。
月はこれに応じて身を揺すった。
天から岩が落下して馬車を阻み、手こずらせたが、夜明けが近づくと大地に手出しできる位置から退かざるを得なかった。
醜い姫の馬車は、脱落するはぐれ鬼火を後に撒き散らしながら鬼のように疾駆した。
赤い子は驚きに打たれて砂浜に立ち尽くしていた。
既に曙光はさしそめている。
足元には深海から上がってきた骨の姿でなお生きる魚がくたびれたように横たわっている。
海の知恵が赤い子になにかを教えたのか。
醜い姫は目標を視野に捕らえると、失った五指の代わりに臨機応変になんでもアタッチメントできるよう乳母が加工してくれた拳に鉤針をセットした。
狙いを定める。
鉤針が赤い子の肩に食い込む。
そのまま赤い子をひっかけて黒い宮殿に方向転換するはずの馬車は、しかし意外な反抗にあい上へと引っ張られ上昇していた。
上昇する。どこまでも上昇する。
裂けた赤い子の皮膚から金色の翼がのぞき、力強くはためいていた。
渾身の力を込めて引っ張る醜い姫はやがて馬車から引っ張り出され、馬車は悲しい軋りをあげて海に落下した。
醜い姫は決してふりほどかれまいとしがみつき、赤い子はふりほどこうともがく。
皮膚はますます裂け、内からの光が醜い姫を焼く。
やがてずりずりと赤い子の皮が脱げると、金のわしが現れた。
醜い姫は赤い子の皮に包まれ海に落下した。
落下の後に小さな爆発があったが、黄金のわしはそれで良しと言わんばかりに一声高く啼いた。
海は呪われた混沌を孕むことになったが、いくつもの混沌と神秘を抱く彼女が動じることはない。
かつて敗北を喫した大空の神は、世界を照らす者の座を取り戻すべく失くした片々を探し求め、その過程で邪悪な風も
だが風は世界を巡り巡り巡るもの、
真夜中に木立を揺らす不吉な風に、ふとして迷い混む古い夢の層に、我らの息の内にも、邪悪の風の痕跡は見てとれる。
〈 閉 〉
風は騙る 風塵の世 日八日夜八夜 @_user
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