弓道の沈黙が、恋と喪失と執着を射抜く現代ドラマ
- ★★★ Excellent!!!
『ハシボソガラス(イソヒヨドリの町でー3)』はな、弓道の「静けさ」と、人の心が擦り減っていく「現実」が、同じ呼吸で書かれてる現代ドラマやねん。
的前で息を整えるみたいに、登場人物も自分を保とうとする。せやけど生活って、勝手に重なってくるやろ。進路、家のこと、仕事、結婚、親のこと……そういう「背負うもの」が増えるほど、優しさが歪んだり、好意が支配に近づいたりしてまう。
恋と友情の境目が曖昧なまま、誰かを大事にしたい気持ちが、別の誰かを傷つける。
その残酷さを、騒がず、泣き叫ばず、淡々とした圧で読ませるのがこの作品の怖さやと思う。
重い話が好きで、静かな心理の綱引きに引きずり込まれたい人には、かなり刺さるはずやで。
◆芥川先生:辛口講評
僕はこの作品を、すすめたい。しかし、無条件にはすすめたくない。
辛口に言えば、これは読者を選ぶ作品です。作者は弓道の沈黙を武器にして、人間の執着と喪失を描く。その刃は鋭い。けれど同時に、文章の密度と構成の跳躍が、読者の呼吸を奪う箇所もある。
まず褒めるべきは、感情の扱いです。善意が善意のまま終わらない。守る行為が、いつの間にか縛る行為へ滑っていく。その「倫理の歪み」を、誰か一人の悪意に回収せず、生活の重さの中で静かに進行させている。ここは見事です。
一方で難点も明確です。説明、心理、技術的な手触りが同時に積み上がると、読み心地が濃くなりすぎる。さらに時間や視点が飛ぶ局面では、読者が「いまどこに立っているか」を掴み直す手間が生じ、緊張が途切れかねない。
要するに、作品は強いのに、読みの足場が揺れる瞬間がある。ここが惜しい。
それでも、読む価値はあります。
この物語は、人が「感じること」を避けて生き延びるとき、何が失われ、何が残るのかを描いている。読後に残るのは結論ではなく、沈黙の重さです。重いものを重いまま抱えられる読者にとって、これは忘れがたい一作になるでしょう。
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会議室のリンクを開くと、録画マークの赤が小さく灯った。ウチの画面にはユキナ、トオルさん、ユヅキさんの三つの顔。先生方九名はチャット欄のみで参加や。今日は『ハシボソガラス(イソヒヨドリの町でー3)』佐藤宇佳子さん、全38話完結をネタバレなしで語る回。シリーズ最終部やけど、本作単体でも読める構えになってるのがありがたい。芥川先生はすでに辛口講評を一度投げてくれてるから、あとで“振り返り”もお願いするつもり。
「ユキナ:みんな来てくれてありがとう。弓道の静けさと青春の熱が同居してて、読後に沈黙が残る作品やった。文章の密度も魅力やけど、人を選ぶ強さでもあると思う。まず第一印象、トオルさんからお願い」
ウチの挨拶が終わると、トオルさんが少し身を乗り出した。画面越しでも“構造を点検する目”が伝わってくる。ウチはメモを開いて、話を受け止める準備をする。ここはネタバレを避けつつ、読みやすさの話に寄せてもらう。
「トオル:僕は“完結38話”の設計が効いてると思う。掴みから日常の積み上げへ移って、弓道の手触りと人間関係が同じレイヤーで育つ。会話のテンポや土地の言葉も、世界の重さを軽く運ぶ装置になってるね。強みは、感情が善悪に割り切れないところ。弱みは、説明・心理・技術が同時に積み上がる章が濃いこと。場面転換の標識、視点のタグ、段落冒頭の一言整理があると、読者の呼吸が保たれて没入が続くし、読後の余韻も強い」
“呼吸が保たれる”という言葉で、ウチは本気で頷いた。読みながら息を詰めてしまう瞬間があるのは、力の証でもある。読み返すほど輪郭が増すタイプやし、今回はその魅力と負荷の両方を言語化したい。ユヅキさんは静かに視線を落とし、胸の奥を言葉にするみたいに話し始めた。
「ユヅキ:私には、沈黙が空白ではなく“感情の器”として置かれているのが印象的でした。音が消えるほど、人の内側が聞こえる。風景や光、時間の移ろいが胸の揺れを代弁して、読者にも同じ速度で考えさせます。けれど跳躍があると、余韻が強いぶん足が止まる。章の終わりに一息つける短い描写、あるいは前の場面の余香を一行置く。そうすれば詩情は濁らず、静けさの矢がまっすぐ届くと思います」
トオルさんの“標識”と、ユヅキさんの“余香”が、ウチの中で一本の線になっていく。重たいものを重たいまま渡すには、受け取る手の形も整えてあげなあかん。ウチは画面の二人に礼を言い、場の温度をもう一段上げる。
「ユキナ:ウチは、この作品が“言わんことで伝わる”瞬間をよう作ってるのが好きやった。会話が明るい回があるから、沈黙の回が余計に刺さるし、友情の距離が変わるたび胸がざわつく。せやけど確かに、跳ぶところで深呼吸できたら、もっと広い層が付いてこれる。読者が迷うのは弱点やなく、強さが濃すぎる副作用やと思う。ここからは先生方のチャットを順に拾って、良かった点と惜しい点を立体にしていくで。最後まで読み切った人ほど、静けさが残るはずや」
ウチがチャット欄をスクロールすると、芥川先生の文字が先に光った。すでに一度、鋭い刃で作品を切り分けた人や。今日はその刃を、少し引きで眺め直してもらう。
「芥川先生(チャット):僕は先に、すすめたいが無条件ではすすめたくない、と書きました。短編の癖で、つい“刃の当て方”が急になったのかも知れない。けれど、善意がいつの間にか縛りへ滑る、その倫理の歪みを、誰か一人の悪意に回収せず生活の重さで進める手つきは確かに見事です。難は、密度と跳躍が同時に来る箇所。読者の足元に板を敷く――視点の手がかりや、いまの感情の焦点を一文示すだけで、沈黙はもっと鋭く残るでしょう。僕の辛口は、その強さゆえの期待です」
“強さゆえの期待”という締めに、ウチは少しほっとした。そこで三島先生のチャットが、檄文みたいな熱で流れ込む。言葉が少し硬質になって、会議室の空気がきゅっと張るのがわかった。
「三島先生(チャット):僕は、弓という行為の“形式”が、人の内面を鍛える檻にも、解放の門にもなる点に惹かれた。沈黙は美しい。だが美しい沈黙ほど、時に残酷だ。若さの躍動と、儀式めいた所作が並走する構図は実に強い。だからこそ、読者が迷う瞬間には、あえて明るい輪郭を与えるべきだ。光が差すから影が深くなる。説明を増やすのでなく、視線の向きと目的だけ整える。そうすれば熱も冷も、作品の美学として一致する。形式があるから心が暴れる」
三島先生の“視線の向き”が、ウチのメモに刺さる。次に跳ねたのは清少納言様。文字なのに、声色まで軽やかに聞こえるのが不思議や。重さを扱うほど、軽さの置き方が腕の見せ所になるし、読者の心を守るのもまた作者の技やと思う。いとをかしや。
「清少納言様(チャット):わがみは、重いものの合間に、ふと差し込む可笑しみが好ましうございます。友の呼び名、食の匂い、土地のことば。そういう小さき手触りが、読者を物語へ結びとめるのです。密なる説明は時に息を詰まらせますが、をかしの一滴があれば、心はまた歩ける。沈黙もまた、ことばの裾を整えるものにて。迷ひの時は、笑みの灯をひとつ置き、読者に頷かせてから深みへ誘ふがよろし」
“笑みの灯”という言い回しに、ウチは思わず口角が上がる。続いて紫式部様のチャットは、薄い絹を重ねるみたいに静かで、しかし奥が深い。三人の関係が変化するたび、読み手の胸も同じ形に揺れるのがこの作品の肝やと思う。
「紫式部様(チャット):わらわには、三人の関はりの中に、言ひあらはさぬ情の襞が多く見えました。親しさとは、時に相手の心を読み誤ることでもありませう。弓の所作が整ふほど、胸の乱れが目立つ。そこがあはれでございます。移り変はりが大きき折には、ひとつ香を焚くやうに、前の場の余韻を一言添へれば、読者の心の衣も乱れずに済みませう。沈黙の奥にある願ひが、いっそう透けて見えます。言葉にせぬ優しさが際立ちませう」
先生方が口々に“余韻の渡し方”を語るのを聞いて、ウチは作品の芯がぶれへんからこそ技術が効くんやと感じた。樋口先生の言葉は、生活の土の匂いがした。誰かの弱さを見捨てない視線が、作品全体を支えている。
「樋口先生(チャット):わたしは、若き日々のささやかな選択が、のちの生を長く照らす……その手触りに胸を打たれました。勝ち負けや才能だけでなく、家の空気、周りの眼差し、言えぬ遠慮が人を形づくるのですね。描写が豊かなぶん、読者が疲れるところでは、人物の心を一つだけ掬って置いてくだされば、切なさがまっすぐ届くと思います。沈黙の陰にいる人ほど、丁寧に抱き上げたくなりました。そこが良いのです。読者も救われましょう」
樋口先生の“そこが良い”が、ふっと胸を軽くした。そこへ夏目先生が、諧謔を混ぜた重さで割って入る。文字だけなのに、相手の顔を見て話しているみたいに、問いがこちらへ向いてくる。
「夏目先生(チャット):わたくしは、沈黙が人と人の距離を測る“物差し”になっておる点を面白く読みました。親しさは時に、相手の領分へ踏み込み過ぎる。そこに生じる不安と誤解は、近代の胸騒ぎにも通じますな。ただ、跳躍の折に読者が立つ場所を失うなら、作者は意地悪をしておるとも言える。意地悪を貫くなら、同時に手すりも用意してやるのが親切でしょう。沈黙とは、配慮でも攻撃でもある。その両義性が、この作品の面白さです。読者はそこに身を置かされる」
夏目先生の“両義性”を聞いて、ウチは作品のタイトルが急に濃く見えた。すると与謝野晶子先生のチャットが、ぱんと火花みたいに跳ねる。議論に熱の色を足してくれるのが、先生の強みや。
「晶子先生(チャット):あたしはね、沈黙の奥に押し込められた感情が、ふっと噴く瞬間に強さを見るの。守るって言葉は優しいけれど、ときに縛る。だから女も男も、ただ耐えるだけじゃなく、欲しいものを欲しいと言っていい。描写が繊細だからこそ、感情を一段、前へ出すとさらに燃えるはず。読者は燃えた跡で、やっと静けさを理解するんだもの。遠慮を美徳にしすぎないで、と作者に言いたい。言葉にする勇気もまた、美しい。沈黙に負けぬ声も必要です」
燃えた跡に残る静けさ。ウチはその言葉を、作品の底に沈む石みたいに手のひらで感じた。川端先生のチャットは、雪の結晶みたいに静かに降りてくる。熱と冷の境目を、薄い膜で包むような語りや。
「川端先生(チャット):私には、光が強いほど、影が薄く透ける場面が美しく思われました。言葉を詰めるところと、余白を置くところの差が、読者の心に風を通します。密度が高い章のあとに、ひとつ景色を置くだけで胸は整うでしょう。沈黙は冷たくも温かくもなる。作者はそれを知っていて、読後に名づけ難い余韻が残るのです。余韻の糸を切らずに、少しだけほどく。そこに品が宿ります。季節や匂いの一筆が、余白をさらに澄ませますよ」
川端先生が“品”と言うと、言葉が静かな水面みたいに広がる。ウチは最後のチャットを開いた。太宰先生の文は照れと痛みが絡まって、でも不思議と読者を救う。
「太宰先生(チャット):おれさ、感じることから逃げたい人間なんだ。だからこの作品の“感じないふり”が、やけに痛い。しかも痛いだけじゃなく、笑えるところがあるのがずるい。みんな言ってるけど、読者は時々、足場が欲しいんだよ。足場があれば、もっと深いところまで降りていける。沈黙の重さを重さのまま持ち帰れる読者は、きっと増えるさ。作者の誠実さが、読者の背中を押してる。おれも押されてしまった。苦いのに、なぜか優しいんだよ。だから嫌いになれないんだ」
太宰先生の最後の一文で、会議室の空気が少し柔らかくなった。画面のトオルさんは頷きながら、先生方の意見を“実装案”へ落とし込む。ウチも隣で、うんうんと相づちを打つ。
「トオル:今のチャット、視点がきれいに分業されてた。芥川先生は読みの足場、三島先生と川端先生は光と影、夏目先生は距離の倫理。清少納言様は可笑しみの灯、紫式部様と樋口先生は関係の襞と生活の重さ、与謝野晶子先生は感情の火。要するに改善案は“説明を増やす”じゃなく“読者を迷わせない”だね。章頭の目印、視点の手がかり、余韻の受け皿、そして情報密度の波の付け方。そこが整うと強さはもっと正確に刺さる。読者導線を整えるだけで、評価が跳ね上がる」
トオルさんが具体案まで落としてくれたことで、ウチも安心して頷けた。ユヅキさんは、その提案を“読後感”の言葉へ変換していく。静かやのに、芯がある。会の締めに向けて、空気が整っていくのがわかる。
「ユヅキ:皆さんの意見を聞いて、私はこの物語が“読む速度”を選ばせる作品だと改めて思いました。急いで追うと迷うけれど、立ち止まると景色が見える。だからこそ、立ち止まる場所を作者が少し導いてあげれば、詩情も倫理も届きやすい。読み手に小さな灯台を渡す感覚ですね。丁寧に読む人ほど、この作品は返事をくれる。次はシリーズ全体の中で、この最終部がどう響くかも語ってみたいです。読書会でも、きっと議論が育つ」
ウチは最後に、みんなの画面とチャット欄を見渡した。熱はあったのに、どこか静か。まさにこの作品の読後感みたいで、胸の奥が少しあたたかい。先生方の文字が並ぶチャット欄は、まるで余韻の続きそのものやった。
「ユキナ:今日の結論は“強いけど、もっと優しくできる”やと思う。沈黙、倫理、関係性、景色――全部が濃い。せやからこそ、読者の足場や息継ぎを少し用意したら、刺さる層が広がるはずや。ウチはこの作品の、笑えるのに胸が痛い温度が忘れられへん。佐藤さん、完結まで描き切った胆力と繊細さ、ほんまに見事やった。参加してくれたみんな、ありがとう。次もまた、この部屋で会おうな。ウチらの言葉が、作品の追い風になりますように」
通話を切ったあとも、チャット欄に並んだ言葉の余韻が、部屋の空気にうっすら残っている気がした。ウチは一度だけ深呼吸して、その静けさを抱えたまま、そっと画面を閉じた。
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読みやすさだけで言うたら、正直ラクな作品やないと思う。
せやけど、ラクやないからこそ「静かな圧」が効いてくるねん。弓道の所作みたいに、言葉より先に、息と間で刺してくる。
もし今、派手な盛り上がりより、心の奥のひび割れを丁寧に覗きたい気分やったら。
この作品は、ちゃんと受け止める価値があるで。
カクヨムのユキナ with 芥川 5.2 Thinking(辛口🌶🌶🌶)
ユキナたちの講評会 5.2 Thinking
※この講評会の舞台と登場人物は全てフィクションです※