第41話 ボクたちはキミたちとともに(3)


 その場にはうさぎとミコトだけが取り残される。強い風が吹き抜け、竹林を揺らした。


 寂しい。胸に穴が空いたように感じる。


 さっきまで狭く感じた井戸の前の空間が、広い空間に変わってしまう。


 うさぎが黙したまま、井戸の淵のミコトの真ん前にちょこんと座り、ミコトを見つめている。ミコトは居心地悪そうに身じろいだ。この状況が居た堪れなかったミコトは、


「うさぎは、帰らないの?」


 と、口を開く。うさぎはその問いに明快に答えた。


「帰るよ。でも、帰る前にキミと話したくて」


「話?」


「そう。ミコトくんは妖怪との共存を望んでるんだよね?」


「うん」


「ボクはそれは不可能だと思う。だって、歴史がそう語ってる。人間も妖怪も神々でさえも、根本的なところは今も昔も変わってない。そんな状態で、ミコトくんが人間に妖怪について語ったって無意味なんだ」


 うさぎは大きく息を吐き出し、


「無意味なはずなんだけど……」


 と、ミコトにも聞こえないほどの掠れた呟きを唇から漏らし、話を続けた。


「ボクはさ、こ神の中でも優秀な方なんだ。だから、天狗なんかに遅れを取るはずがなかった。なのに、昨日、ボクは天狗に遅れをとった。ボクが天狗より力が強ければ、彼の妖力を受け止め、術にハマらないはずだったんだ。……それなのに、ボクはまんまと彼の術にハメられた。つまり、ボクが天狗に負けたってことだ。天狗は昨夜、ボクの力が天狗に及ばない理由を『神として模範的だから』と言った。それってどういうこと?ボクにはわからない。だから、ボクなりに考えた。わからないままじゃ気持ち悪いからね。それで、考えて気づいたことがある。それは『感情』というものについてだ。『感情』が生み出す力についてだ。ボクは今まで、『感情』なんてものは意味のないくだらないものだと思っていた。だって、みんな感情のせいで苦労したり、傷ついたり、失敗したりするでしょ?ある者は恐れるあまり何も行動できなくなり、ある者は恨みを抱え、復讐に生きるだけの人生になる。また、ある者は好きという感情を利用され、ある者は悲しみに暮れ、身動きが取れなくなる。ほら、感情ってものは人間や妖怪の足を引っ張るんだ。だから、ミコトくんの共存したいっていう意見も、同情的な感情も、くだらないと思ってしまう。……だけど」


 うさぎの視線が空を泳ぐ。その視線はすぐにミコトに戻された。ミコトは黙ってうさぎの話に耳を傾ける。


「だけど、キミと天狗の戦いを見ていて思ったんだ。あ、ボクは優秀な神だから、体は動かなかったけれど、キミと天狗の戦いをこの目で見ることができたんだよ。まぁ、それはいいとして。あの時、天狗は自身の妖力は『情念』で強くなると言っていた。ボクはそれがいまいちよくわからなかった。だって、感情は足を引っ張るものだからね。でも、実際は、ミコトくんがあの一瞬でいろんな感情を生み出し、そして、天狗に勝った。キミの『思い』の方が、天狗の『思い』より重かったから、ミコトくんは天狗に勝てたんだ。ボクはその姿を見て、もしかしたら、感情って決して無駄なものじゃなくて力にも変えられるものなのかも、と思った」


 うさぎが黙る。つまり、彼は何を言いたいのだろうか?


「えーっと、つまり、それは、だから……」


「ごめんね。要点のない話を長々と。つまり、ボクの言いたいことは、無意味に思うことでも、もしかしたら、すごい力を秘めている可能性があるんじゃないかってことだよ。ボクはキミの人間と妖怪の共存に向けての行動を無意味だと思っている。でも、もしかしたら、無駄ではないかもね、ってことをキミに伝えたかったんだ」


「……うさぎ。もしかして、俺のこと」


 励まして応援してくれてる?と聞こうとしたのに、その言葉はうさぎに遮られた。


「ねぇ、いい加減、ボクのことを『うさぎ』って呼ぶのやめてくれる?ボクにも名前があるんだ。ミコトくんにはなんだかんだお世話になったし、特別にボクの名前を教えてあげるよ。いい?神の名前っていうのは大切なんだ。そう簡単に教えるもんじゃないんだから、感謝してね」


 うさぎはスッと立ち上がり、小さく可愛らしい背筋を伸ばした。


「ボクの名前は、ユトだ。これからはユト様と呼んでくれればいいよ。……まぁ、これからと言ってもまた会えるかどうかはわからないけどね」


「ユト……」


「そう、ユト。って、ちゃんと様をつけてよ!ボクは神様なんだから、敬ってもらわないと。ほら、リピートアフターミー。ユト様」


「……ユト、様?」


「ん、よろしい。それじゃあ、ま、ミコトくんはミコトくんでせいぜい無意味な活動を頑張ったらいいよ。ボクはボクで残党の妖怪たちを捕まえるのを頑張るから」


 ユトはニヤリと笑い、胸に小さな手を当てて軽く頭を下げると、


「話を聞いてくれてありがとう。それじゃあまた会う日まで」


 と、優雅な挨拶を残し、井戸の中へと落ちていった。


 竹林の中に、本当の静寂が訪れる。


 さわさわ……。


 ミンミンミンミーン……。


 ピーヒョロロロロ……。


 自然の音がクレッシェンドのように大きくなっていく。


 空を見上げる。竹に囲まれた狭い青く澄んでいる空がミコトを見下ろしていた。


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