第40話 ボクたちはキミたちとともに(2)
ミコトは長い息を吐き出した。
「そういうわけで、特別にこの妖怪たちだけ残すってわけには行かないんだ。みんな一律地獄に戻ってもらわないとね。それに、神々はこの期に及んでいまだに地上で隠れている妖怪たちを捕まえないといけない。無害な妖怪だとしても、そいつらが残っていたら捕獲の邪魔なんだよ。大切な人手がキミたち三人にさかれるのは勿体無いでしょ」
「わかってる。だけど、せっかく仲良くなれたのに離れるのは嫌なんだよ。だって、まだ全然遊び足りないんだ」
「ボクも、ミコトと遊び足りないの!離れるのは嫌なの!」
マビがミコトの足に絡みついた。柔らかく温かい体温が足に伝わる。続け様に無数の柔らかいもふもふが「離れたくないの!」と言いながら、足にまとわりついてくる。ミコトはしゃがみ、山彦たちの頭を優しく撫でた。
「オイラも、ミコトと離れたくない……な。なんだかんだ楽しかったし、何よりゲームも出来なくなるしな。でも、先に地獄に行ったとーととかーかが心配してるから、オイラはなるべく早く帰らないといけないんだ……。地上に出てからずっと心配かけてるからな。だけどさ、とーととかーかが言ってたんだ。オイラが大きくなって人間に反撃できるくらいの力がついた時、地上に行けばいいって。そうすれば、地上で暮らしてもいいってさ。だから、それまでのお別れだ」
「何言ってんの。キミたち妖怪が地上で暮らすのを神であるボクが許すわけないでしょ。今こうしてミコトくんとお話しさせてるのだって、人間の味方をしてくれたってことに対する情状酌量なんだからね。本来ならキミの両親が反乱軍の隊員なんだから、すぐに地獄に戻すべきなんだよ。それをボクの粋な計らいでこうしてミコトくんとお話しできているのにさ、地上で暮らす?寝言は寝て言ってよ」
「ふんっ、オイラたちの脱走を許したのは他でもないオマエのくせに、よくそんな偉そうに言えたもんだ。オイラはオマエみたいなマヌケと違って天才なんだ。オマエなんて出し抜いて地上に出てやるよ」
「なんだって?誰がマヌケだって?」
「マヌケなのは事実だろ」
二人の小気味いいやりとりを聞いて、思わず笑みがこぼれてしまう。二人は冗談を言い、じゃれ合っているように見えた。妖怪と神は仲が良くないものだと思っていたが、もしかしたら馬が合う者同士もいるのかもしれない。
言い合いをしている二人を見守っていると、麗らかな声が頭上から落ちてきた。
「ミコトくん。私と、友達になってくれて、ありがとう。お話できた時間は、短いけど、本当に、楽しかった。嬉しかった。初めての、お友達が、ミコトくんだったから、私は、人間を、嫌いにならなかった。ミコトくん、友達でいてくれてありがとう」
フゥリの姿に胸がどきりと跳ねる。
ミコトを見下ろし、頬を緩ませた彼女は美しかった。陽光にきらめく黒い髪が彼女の優美な顔を引き立たせる。真っ白で清らかな肌は美しく涼しげだ。
「そ、そんなことないよ。それに最初はフゥリちゃんが妖怪だって知らなかったし……」
「それでも、ミコトくんは、優しくしてくれた、でしょ?嬉しかったの。本当に、嬉しかったの。だから、ありがとう」
「……ワタシからも妖狐を代表してお礼を言わせてくれ。フゥリと良き友人になってくれてありがとう。……結局は、出会った者がどんな者なのかで決まる。種族が対立しあってても、出会った者が善良であれば、その種族のことが好きになる。逆に、出会った者が邪悪ならば、嫌いになり、最悪恨みを生むであろう。そういうものなのだ。だから、ミコトよ。善良な人間でいてくれて、ありがとう」
フゥリとミケツが並び、しゃがんでいるミコトに向かって頭を下げる。ミコトは、照れながらどういたしまして、と答えると、
「……そうだよね。善良な人が増えていけばいいんだね。妖怪も、人間も……」
と誰にも聞こえない声でつぶやいた。
ミコトは撫でていた手を止め、スッと立ち上がる。
「……あのさ。やっぱり俺は、人間と妖怪の共存の道を探していきたい。できないと思われるかもしれないし、本当に大変なことなんだと思う。それでも、俺は人間と妖怪が一緒に住める世界にしたい。ミケツさんが言ってたように、人間も妖怪も出会った人がいい人ならお互い分かり合える。他人に思いやりの持てる人を増やしていければ、全員が迫害されなくなる。そんな道を選びたい」
人間も、妖怪も、互いに怯え、恨み合っている。お互いに交わることは難しいのかもしれない。
でも。
こうして、仲良くなったみんなと離れ離れになるのは悲しい。
タロジのように地上を知らない妖怪の子がいるのは切ない。
たくさんの妖怪が故郷を奪われ、地獄で生活しているのは苦しい。
だから、人間も妖怪もみんなが地上で暮らせればこれ以上いいことはない。
ずっとずっと考えていたことだ。
ミコトはさらに続ける。
「それでね、俺は全ての足がかりに、妖怪がいかに素晴らしいのかって言うのをみんなに伝えていこうと思っているんだ。『知らないこと』は怖い。俺だって、初めて妖怪が見えた時、妖怪を気持ち悪いって思った。怖いって思った。でも、実際に妖怪を知ったら、人間と同じだった。人間と同じように笑い、同じように泣き、同じように苦しみ、同じように楽しむ。それを知った時、妖怪に対する恐怖がほとんどなくなったんだ。もちろん、憎悪を向けられたら怖いけど、ね。でも、妖怪は怖くないって、人間と同じなんだって、いろんな人に広めて偏見を無くしていけたら、いつか絶対一緒に生活ができるようになるって俺は信じてる」
「無理だよ」
先ほどまでタロジと言い争いをしていたうさぎはいつの間にか最初と同じ位置、井戸の上に座っていた。うさぎが冷たく言い放つ。
「そんなことは無理だ」
「うん、無理かもしれない。でも、やってみなきゃわからないでしょ?ネットとか、漫画や小説で表現するとか、友達との会話でそれとなく話すとか、俺にできることはちっぽけだけど、それでもやりたいんだ。そうしていつか、みんな幸せに生きていける道を切り拓いていきたい」
ミコトは顎を上げた。うさぎの視線が絡むと同時に、ミケツが口から息を少し吐き出し、
「ふむ、我々と心を通わせたお主なら、なんだかできそうな気がするな」
と、微笑んだ。
「……ミケツさんもみんなと一緒に地獄に行っちゃうんだね」
「あぁ。元々ワタシは神の器ではなかった。それに、地獄で守りたいものがある。だから、ワシは地獄へ行かねばならないのだ」
「そっ、か……。ミケツさんと一緒ならより頑張れそうだったのにな。会えないの寂しいな」
「大丈夫だ。お主なら一人でもできるさ。それにこの地のみならず、お主の住む東京にも、ワシよりも優秀な神が守護神として派遣されるだろう。だから、お主の住むこの地上、また、お主自身は、ずっと安泰だ」
「……ありがとう。そうだといいな」
「……話は済んだ?そろそろ地獄へと戻る時間だよ。ほら、はやく井戸へ入って」
「ああ。わかっておる。それでは、さらばだミコト。また会える日を楽しみにしているぞ」
ミケツは軽やかに体を捻ると、颯爽と井戸の中へと消えていった。
「ミコト、ミコト。絶対近いうちにまた来るの。だから、ボクのこと、山彦みんなのこと、忘れないでほしいの」
「うん、忘れない。約束だよ」
ミコトはかかんで、マビの頭を撫でる。マビは幸せそうに目を細めた後、「みんなー!地獄に戻るのー!」と叫び、大量の山彦が「戻るのー!」と口にしながら井戸へと群がる。マビを先頭にし、多くの山彦たちが井戸の中へと吸い込まれていった。
「なぁ、ミコト。一度しか言わないから、よく聞け。オイラは人間が嫌いだ。……だけど、ミコトのことは好きだ。ミコトのこと完全に信用したわけじゃない。でも、なんでかな。ミコトとまた会いたいって思ってるんだよな。……オイラ、大きくなったらまた会いに来るから。だから、オイラが大きくなるまで絶対にオイラのこと忘れるなよ」
「うん、忘れないよ」
「おう!それと、ゲーム!また一緒にやろうな!」
「もちろん!色んなゲーム用意して待ってるから、早く大人になってね」
「ああ」
タロジがにっこりと満面の笑みで答える。名残惜しそうに手のひらを振ると、タロジはゆっくりと井戸の中へと入っていった。
「ミコト、くん」
不意に、フゥリがミコトの小指を取り、自身の小指と絡み合わせる。胸の鼓動が激しくなる。
「ねぇ。約束、覚えてる?また遊ぶって、約束した。ゲームするって、約束した。まだ私たち、遊べてない。だから、私、この約束を、忘れない。絶対、ミコトくんと、たくさん遊ぶ。ゲームもする。だから、待ってて。ミコトくんも、約束、覚えてて」
フゥリが小指にギュッと力を込める。ミコトもそれに答えるように小指に力を入れた。
「うん、覚えてる。俺も約束忘れないから」
もっとかっこいいことを言いたいのに胸が波打ち、うまく言葉が出ない。だから、力を入れる小指に思いを込める。
絶対、忘れない。絶対、また会おう。
互いの小指がそう誓い合っている。
小指の熱に浮かされそうになった時、するりとフゥリの小指が離された。ミコトの右手が手持ち無沙汰に宙に浮く。
「また、会いに行くから。絶対、行くから」
フゥリが切なげに瞬き、か細い声で、けれども、強い意志を込めてつぶやくと、白のワンピースをふわりと舞い上げ、振り向くことなく、井戸の中へと落ちていった。
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