第38話 戦う理由(2)
「お主が団扇を拾って姿勢を正したら、三、二、一、で団扇を振る。いいな?」
天狗の声にも殺気がこもる。酷く恐ろしかった。ミコトの心が波立つ。
戦いたくない。誰かを傷つけたくない。自分が傷つきたくない。ミコトは自身に力がないことを言い訳にして、戦いを皆に任せていた。さっき、河童に体当たりしたのだって、体当たりくらいじゃ自身も河童も傷つかないのがわかってたからだ。
戦う勇気も、傷つける覚悟もない。
だけど、ここにいるみんな、タロジやマビ、フゥリ、そして奈緒ですら、覚悟を持ってここにいる。誰かを助けたい、守りたい、できることをしたい等、信念を持ってここにいる。
俺はどうだろう。
ミコトは胸に手をおく。
ただその時の感情に流されて、意見をコロコロ変えて。戦うことはせずに、みんなに守られて……。
俺は、どこまでも、弱い、ずるい、自己中だ。ダサくて、情けない。
今、ミコトは一人だった。
誰かに助けを求めることはできない。一人で戦わねばならない。
怖くても、痛くても、嫌でも、やらなければ殺されてしまう。中途半端は許されない。
選択をしなければいけない。覚悟を決めないければいけない。
ミコトは大きく息を吸った。なんの匂いも鼻の奥には届かず、寂しい。
……今、選択をしないといけないのなら。
ミコトはぐっと拳に力を込め、前を見据える。ミコトの顔がきゅっと引き締まった。
……俺は、今できる最善を目指す。
心の中でつぶやいた。ミコトにはこの状況を解決する能力がない。考えが及ばない。迷ってる間に、大切な人は傷つけられ、自分が傷つけられる。それを黙って見ていることはできない。大切な人を傷つけたくない。だから、今の最善を選ぶ。それしかできない。
だから、俺は天狗を倒す。
ミコトは大きく頷き、団扇を拾い上げた。天狗を真正面から正視する。
「覚悟は決まったか?」
「……うん。戦わないと、いけないんだもんね。戦わないと、大切な人を傷つけるんだもんね」
「ああ」
「そっか。俺はそれを許すことはできない。だから、俺は戦うよ」
「承知致した……。では、カウントを始める。三、二、一、だ。心の中で零を数え、零になったタイミングで団扇を仰げ。お前の気持ちを団扇に乗せるのだ」
「わかった」
「では、数え始める。三……」
ミコトは瞼を閉じる。
フゥリの顔を思い浮かべた。
吸い込まれるような美しい瞳に、透き通る真っ白な肌。その肌を引き立たせる様になびく艶っぽい髪の毛。彼女の儚い美しさに心を奪われ、胸の奥が疼く。
早く時を戻して彼女の声が聞きたい。不安そうに守ってくれる彼女に「大丈夫だよ、安心して」と優しく声をかけたい。
この気持ちは一体、なんなのだろう。
「二」
次に、マビとタロジを思い起こす。
彼らは大切な友達だ。
マビを初めてみた時、こんなに可愛い生物がいるのかと嬉しく思った。
タロジがお風呂に入って色んなことを打ち明けてくれた時、嬉しかったっけ。
それに、マビとタロジとやったゲームは面白かったな。
また、三人でプレイがしたい。
……でも、二人を裏切ったのは事実だ。時を戻したら、きちんと二人に謝ろう。ごめんなさいって謝って、二人ともう一度友達として進みだすんだ。
「一」
ふと、奈緒の顔が頭によぎった。
奈緒はいつもうざったくておせっかいでめんどくさい。
だけど、ミコトのピンチの時はいつも助けてくれる。初日、ミコトが退屈そうにしてたら外に連れ出してくれた。初めて妖怪を見て怖かっただろうに、河童に歯向かっていった。奈緒は強くていい従姉妹だ。
奈緒だけじゃない。お父さんも、お母さんも、伯母さん、伯父さん、おじいちゃんにおばあちゃんも、みんなミコトの大切な人だ。みんなミコトを大切に思ってくれている。
そのみんなが妖怪によって虐げられ、苦痛に歪められるのは許せない。火傷しそうなほどの怒りを覚える。そして、その現実が間近に迫ってると知り、恐怖で身が縮こまった。
俺は、この何日間でどれほどの種類の気持ちを味わってきだろう。
それは、苦しくて痛くて恐ろしいものもたくさんあったが、楽しくて嬉しくて幸せなものも多かった。
感情がうちわに反応するかの様に溢れ出る。溢れ出て、ジェットコースターのように揺れ動く。
ミコトはゆっくりと瞼を開けた。
――零。
心の中でカウントし、団扇を思いっきり振り上げ、振り下ろす。
その瞬間、団扇から七色の光が放たれる。それは、とても美しい光だった。七色の光が一色ずつ帯状になり、一つ一つまばゆくきらびやかに、けれども、お互いの色を決して邪魔することなく光り輝いている。まるで虹が意思を持って光り輝いているようだった。
美しい。
ミコトは息を飲む。
天狗が出した群青色の風の様なものはミコトの光に一瞬にして打ち消される。いや、打ち消されたのではない。ミコトの放った七色の光に吸収されたのだ。
赤の光に目を向ける。そこには怒りがあった。ミコトが奈緒に怒鳴りつけた声や、妖怪に対して憤る気持ち、人の心のない人間に激昂する気持ちが胸の内に溢れ出る。
次に、オレンジに目を向けた。そこには楽しさがあった。みんなでゲームしたこと、遊んだこと。ワクワクと心が弾んだ。
次は黄色と緑。そこには希望と平和があった。妖怪のみんなと共に歩んでいく未来。そこでみんなが笑顔で暮らすという希望の光。穏やかで幸せな日常。心からの安堵感が胸を満たす。
次に青と紫に意識を向ける。そこには悲しみと憎しみがあった。虐げられた者の嘆き、痛めつけられた者の叫び、未来への見えない絶望感がミコトを襲う。痛い。寒い。悲しい。苦しい。逃げたい。辞めたい。負の感情が心を蝕む。
そして、最後にピンクに触れた。そこには愛があった。大切な人々の顔が目の前に浮かぶ。皆、幸せそうに笑い、幸せそうに歌い踊っている。愛がミコトを包み、ミコトもまた、愛を包みこんだ。柔らかい心地がする。
各色に意識を向けるとその色に合わせた感情がミコトを支配する。それぞれの感情が織りなす美しい光はミコトを感情の渦に溺れさせたのだ。
ミコトはただひたすらにそれを受け入れ、感じる。どれも大切な感情だった。意思が簡単に揺れ動いても、戦いたくないと弱腰なキ気持ちも、大好きな人たちを大切にしたいという思いも、綺麗事を信じたいと願う心も、全てミコトを形作る大切な感情だった。
ミコトはたくさんのことを考える。物事を白か黒かに分けたいと思う。でも、この世界には白と黒を分けられないものばかりだ。口では説明できないことばかりだ。割り切れない感情ばかりだ。
ミコトはそのことをこの夏休みに思い知った。
ミコトはそれを受け入れる。様々な思いを否定せず、そのままの形で受け入れることこそがミコトなりの覚悟だと感じながら。
虹色の光はやがて天狗を包んだ。光が舞い、歌う様に天狗を包む。その様子は攻撃してるように見えず、ひたすらに美しかった。
次第に光は薄れ、まばらになる。虹色の光は混じり合い、調和し合う。やがて調和した光は美しい羽の蝶になり、夜空へと飛び立って行った。
美しいと思ったその時。突如、けたたましい音と混沌とした匂いと光がミコトを襲う。
ミコトの心臓がドクドクと音を立て、呼吸が荒くなる。心臓が痛い。苦しい。
全てが速い。音も匂いも光もミコトの体内も全てが急速に過ぎていく。
「ミコトくん!」
「ミコト!」
「何をされたの?どうしたの!いったいこの一瞬で何が!」
誰かがミコトの名を呼ぶ。誰かが何かを話している。でも、全てが速くて追いつかない。頭の中がクラクラする。
ミコトは咳き込みその場にうずくまった。
先ほどまでの居心地の良さは、露ほども残っていない。
世界が徐々に真っ暗になり、何も感じなくなる。
意識が朦朧とする中で、床にへばりついている赤い何かと目があう。赤い何かはフッと優しく微笑んだ気がした。
それが何を意味したのかよくわからない。
ただ心臓の音が、ミコトの中にこだまするのだった。
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