第37話 戦う理由(1)
「このあいだぶりだな。ミコトよ。お主はもう我を見ても倒れないのだな」
天狗はミコトと向き合い、ミコトを険しい目で見つめる。気迫が『神』そのものだった。ミケツのように凛々しく、威厳がある。
でも、不思議と怖くはなかった。表情こそ怖いが、憎悪を感じないからだ。本物の憎悪に比べれば、本物の生死に比べれば、本物の恐怖に比べれば、全く怖くない。
「うん。それなりにいろいろ経験したから、かもしれない」
一瞬、天狗の頬が緩んだ気がしたけれど、それもすぐに消えた。
「お主は我と会った日から妖怪の友人を三人も作ったのだな。……人ならざる友人を抱えたお主は今この現状をどう捉えてる。この現状をいかに考える」
天狗がミコトをまっすぐに見つめる。言葉を間違えてはいけない、そんな気がする。だから、言葉を慎重に選んで発言しようと思っているのにうまく声が出ない。それどころか、口が勝手に開き、言葉がスラスラと口から這い出ていく。
「妖怪たちはひどいと思う。最低だと思う。人間を脅し、傷つけ、暴れ回る。悪逆非道だ。そりゃ、そんなことしてたら、人間たちに嫌われる。妖怪の友達がいる俺だって妖怪たちを怖いって思ってる。河童に奈緒ねぇがやられそうになった時、怖くてたまらなかったし、今も天狗を目の前にして足が震えてる。今すぐ逃げ出したいって思ってる。なんで天狗が俺と話をしたいって言っているのかもわからない。妖怪なんて今すぐにでも地獄に戻って欲しい。人間たちの前から姿を消して欲しい」
ミコトは慌てて口を抑えた。言葉を必死に飲み込もうとするも、時すでに遅し。ミコトの言葉は外に出て、天狗にぶつかっていた。
「この時間空間は我が作り出した空間だ。人だろうが、神だろうが、妖怪だろうが、平等となり、正直者になる空間である。ここではゆっくりと時が過ぎる。お主が流れる時の流れに逆らえないように、お主は我に嘘がつけない。それ故、下手な小細工をして言いくるめようとするのはやめておいた方がいい」
ミコトは口を抑えている手を離し、深呼吸をした。
嘘がつけない。つまり、今言ったことはミコトが心の中で思っていることということだ。
俺は妖怪に消えて欲しいって思ってる……?
胸の奥がざわついた。そんなこと、思っていないのに。だって、マビやタロジや、フゥリのこと、本当に大切に思っているのに。
ギュッと拳を握る。
風も音も匂いもない世界で月明かりだけが煌々と輝いている。
「さて、次の質問だ。地獄に戻って欲しいといったが、お前は妖怪が嫌いなのか?」
「……嫌いじゃない。むしろ好きだ。マビもタロジもフゥリも好きだ。妖怪のこと、最初は怖かったけど、今は不思議で面白い存在だと思う。……だけど、俺の大切な人を傷つける妖怪は嫌いで、憎くて、消えて欲しい」
ミコトは唾を飲み込み、じっと天狗を見つめた。
嘘がつけないなら、どうにでもなれ。
思っていることを全てぶつけてやれ。
そんな気持ちになったのだ。
「俺は妖怪だとか、人間だとか、神様だとか、勝手に枠を作って勝手に区別して日本で共存したいのになんて小難しく考えていたけれど、本当は仲のいい妖怪、たとえば、タロジやマビ、フゥリたちと一緒に共存したいだけなんだ。俺の中にあるのは、俺の大切なみんなが苦痛を感じることなく一緒に生活できる環境が欲しいことだけなんだ。……最初はうさぎの言ったように同情だったのかもしれない。日本で暮らせる人間という安穏とした立場から見下していたのかもしれない。今だって、他の妖怪のことを『可哀想』だって思って、『どうにかしてあげたい』と思っている。できることなら、妖怪みんなで日本で共存して生きていけるのが理想だと思う。……でも、俺の大切な人を傷つける存在がいたら、それは人間だろうが妖怪だろうが、許せない。もし、人間がマビやタロジやフゥリちゃんを傷つけたら許せないし、妖怪が奈緒ねぇやお父さんお母さんを傷つけたら許せない。人間だから嫌いとか、妖怪だから嫌いとかじゃなくて、自分が痛いのも、自分の大切な人が傷つくのも嫌だから、大切な人を妖怪が傷つけるのなら、ソイツは俺から離れたところに行って欲しいって思う。それだけなんだ」
口にしてみて、自分の胸でこんなことを考えていたのかと思い知る。自分の感情の汚いところに触れた気がして、手のひらが震えた。
なんて自分勝手な考えなのだろうか。
妖怪たちも人間から酷いことをされて、傷ついて、痛い思いをしてることを知っているのに、それを無視して自分さえ良ければいいと考えているのだ。なんて卑しいのだろう。
でも、全て、実際に思ったことだ。
玉藻前にフゥリを傷つけられて胸が痛くなった。タロジの両親に奈緒を傷つけられて嫌だった。見越し入道に殺されそうになった時、見越し入道を地獄に送りたいと思った。
共存したいと思ったのに、人の大切なものを踏み躙る奴らとは理解し合えないと思ったし、理解したくもないと思った。
全てミコトが思ったことに間違いないのだ。
天狗が右頬をピクリと引き上げた。
「ふっ、人間らしいな。人間にとって都合のいい『妖怪』だけを『神』と呼んだ人間と同等だ。お主は、利己的で、傲慢で、横暴な人間そのものだ」
「……そう、なんだと思う。俺は最低で自分勝手な人間なんだよ」
一呼吸おく。
酷いことを言ってしまうこの口が、止まらない。言葉が口から次々に溢れ出てくる。
「……でも、それは妖怪たちも同じでしょ?妖怪たちが大昔に人間にいじめられてたっていうのは可哀想だと思うよ。いろんな妖怪の話を聞いて、人間は妖怪に本当に酷いことをしてきたんだってわかって胸が苦しくなった。それに対して、きちんと謝りたいと思っているし、人間も妖怪も傷つかない道を探して、妖怪と共存して生きていきたいとも思ってる。思ってるけど、だからって、今こうして人間を傷つけている妖怪たちを良しと認めることはできない。今まで人間が妖怪をいじめてきたという因果応報、自業自得と言われても、納得できない。傷つけられた被害者は何をしてもいいの?人殺しをしてもいいの?人間が利己的で、傲慢で、横暴なら、妖怪だって利己的で、傲慢で、横暴だよ」
「……言うじゃないか」
「言うよ。だって、俺の口は止めたくても止められないんだから。この場を用意したのは、天狗、君でしょ?」
「あぁ、そうだな」
天狗が大きく頷いた。
「……ねぇ、天狗さん。なんで、天狗さんは俺の話がしたいなんで言ったの?俺は、何もできない妖怪が見えるだけのただの人間なのに」
ずっと疑問に思っていたことだった。
ミコトはなんの力もなかった。
フゥリやタロジの両親のように風や水を出すことも、マビのように仲間を呼ぶことも、タロジのように親を説得するだけの強い意志も、なにもなかった。
この戦いでは、ずっと誰かに守られてた。フゥリ、タロジ、マビ、奈緒、そして、ミケツやうさぎ。みんなに守られ、ミコトはただこの場に『いた』だけ。何もしていないし、何もできない。たまたま妖怪が見えるだけの情けなく、無力な人間。
そんな人間となぜ、天狗は話をしたいと思っているのだろう。
疑問だった。わからなかった。
天狗は無表情ながらも、ミコトを見つめながら、ミコトの問いに応える。
「三日ほど前、我とお主があった時、お主は我に怯えたのを覚えているか?……あの時、我は妖怪と呼ばれ、蔑まれる者の味方になろうと決心した。百五十年経っても何も変わらない人間に嫌気がさしたからだ。人間は不用意に自身と違うモノを恐れ、それらを差別する。我はそんな人間を疎ましく思っていた。我は神などと人間に持て囃されてはいるが、それは我の本意ではない。我の強い気迫のために、我は知らず内に神となってしまったのだ。我の気迫は、天災などの厄災を取り除き、悪意を持つ者どもを追い払う力があった。それが、人であろうとなかろうとな。その力故に、我は自分の意思とは関係なく、神に選ばれてしまったんだ。だが、それもいいと思った。地獄にいるより日本にいる方が幾分も良いと感じたからだ。だから、我は長らくの間、人間と共に生きてきた。……しかし」
天狗は目を細め、はるか遠くを見つめる。その瞳にはどこか憂いがあった。
「地獄にいる者どもが地上に出るために反乱を起こすという話を風の噂で聞いたのだ。その時、我は反乱を企てている者どもと会うことにした。……地獄で会った彼らは闇を抱えていてな。皆、悲哀と怨恨と憤怒を胸の内に秘めていたのだよ。我は彼奴らを可哀想だと思った。……当初は皆、神である我を激しく警戒していたが、何度か通い詰めているうちに、少しずつ我を受け入れてくれるようになった。それどころか、神として力を与えられている我をリーダーにしようという声も多く上がるようになったのだ。我は迷った。我はあくまでも中立を保っていたかったからな。……そんな折、お主に出会ったのだ。お主は我を見て怯え、震え、倒れた。その姿を見た時、人は変わっていないと思ったのだよ。怯え、恐れ、そして、差別し迫害する。なんと愚かなことか。この愚かな流れに終止符を打つために、我は妖怪と呼ばれる者どもの味方になることにした。それなのに、今日出会ったお主はどうだろう」
天狗が視線をミコトに戻し、熱を放つかのように目をぎらつかせる。
「妖怪を忌み嫌い恐れていた子供が妖怪に守られ、支えられているではないか。お主もそばにいる妖怪に怯えていない。むしろ、信頼している素振りを見せた。我はそんなお主に興味が湧いたのだ。だから、お主と話したいと思った」
「……話して、何かわかったの?」
「ああ。わかったよ。お主は良き人間であり、良き友に巡り会えたのだとな。それだけではない。お主から学びを得ることができた。我も、お主も、ここにいる者どもも、皆、自分勝手ということだ。……だからこそ、ぶつかり、戦いあう。戦わずして自分勝手を押し通すなど無理だからだ。反対の意見を持つ者どもと仲良くできるわけがないからだ。自身の主張を通すには、強くならねばならない。弱き者は強いものに意見することはできない。どうしても弱いものだけが我慢を強いられる。だからこそ、やはり戦うしかないのだ、と気づくことができたよ。まさか、神が人間から学びを得るなど、あり得ないことだと思っていたが、人間の子も捨てたものじゃないな」
すっきりとした表情だった。いかつい顔が緩み、少しだけ優しげな面様になる。天狗は顔に反して、優しい性格なのかもしれない。
そう思うのに、胸の奥がざわついているのは天狗の言葉が不穏だからだ。
「……戦うしかないってことは、天狗さんは俺たちと戦うつもり?時間を止めたまま、俺たちをめちゃめちゃにするの?」
ミコトがそう問うと、天狗は静かにかぶりを振った。
「……いいや。我は卑怯な真似が嫌いだ。戦うのならば、正々堂々と戦いたいのだ。そうでなければ、不公平であり、不平等だからだ。不平等からは何も生まれない」
「……でも、こうしてなんの予兆もなく、お祭りで楽しんでいる人間たちに襲いかかるのは、不公平じゃないの?不平等じゃないの?卑怯じゃないの?」
「そうだな。卑怯だ。だから、平等になる様にチャンスをやろう」
「チャンス……?」
「左様。お主に我と戦うチャンスをやろう。お主が我を倒せば、この反乱は終焉を迎えざるをえないだろう。なぜならば、我がこの反乱の要だからだ。神々は力が持っているために『神』と呼ばれている。『神』と呼ばれるだけの力量があるのだ。それ故に、『神』よりも『妖怪』の方が弱い。それにもかかわらず、現状、『神』と『妖怪』が互角に戦えているのは何故だと思う?それは、我が神々の力を弱体化させているからだ。我は気迫の使い手。特定の者の力を弱めることができる。故に、この神社にいる者どもは皆、神々と互角に戦えているのだよ。ミコトよ。もし、お主が我らに地上を支配されたくないのであれば、……我を倒せ」
天狗のどすの効いた声に、どくりと心臓が打つ。血液が体全身に巡り、全身が総毛立つ。
月が明るい。二人を美しく浮き上げ、それ以外を闇で黒く塗りつぶしていた。
「で、でも、それじゃあ、俺にあまりに不利だ。俺は弱い。力がない。戦う術がない!」
情けない弱虫が口から飛び出る。
みっともない。
なんとみっともないのだろう。
「これを使え」
天狗が羽織から出した大ぶりの葉っぱのうちわを投げる。うちわは滑る様にミコトの足元へと転がってきた。
「その羽団扇は『情念』で強くなる団扇だ。怒りに任せて一振りすればこの場は炎に包まれ、悲しみに溺れながら一振りすればこの場は水で溢れるだろう。普段は我しか使えないように制御しているが、今回は特別お前も使えるようにした。だから、我にお前の思いの丈をぶつけろ。我も思いの丈をお前にぶつけよう。……覚悟をしろ。我は本気でお前を打つ。生半可な気持ちでやりあえば、お主は死ぬ。だから、覚悟をしろ。我に情など持つな。もし、我ら『妖怪』に大切な人を傷つけてほしくなければ、お主は本気で戦うしかないのだ」
ミコトはぎゅっと唇を結ぶ。悪意は感じないが、殺気を感じる。ぞわりと背筋が凍りつき、冷たい汗が流れる。
肌に突き刺さる視線が痛い。
見越し入道の殺気、河童の殺気に似ている。
本気だ。
天狗の目の奥がぎらりと光った。
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