第36話 見越し入道(2)
「やめるの!見越し入道!」
諦めて目を閉じかけたとき、聞き慣れた可愛い声がした。
「うわぁ!」
続けて、情けない声が耳に届く。
四、五秒経っても、見越し入道は倒れてこない。ミコトは閉じかけていた目を開け、頭を押さえたまま、上を確認した。
たくさんの山彦たちが見越し入道と呼ばれた巨人を押さえ込んでいる。
たす、かった……?
見越し入道は、たくさんの山彦に押し上げられ、倒れることなく、不安定な斜めの体制を維持していた。いや、むしろ、山彦たちに押し戻されている。
「遅くなっちゃったの!助けにきたの!」
たくさんの山彦の中から聞き慣れた声、聞き慣れた口調が聞こえた。
……マビだ。マビが助けに来てくれたのだ。
安堵で目元が緩む。ありがとうと感謝の言葉を伝えようとしたのに、安心して緊張の糸が切れたせいかうまく言葉にできなかった。
「おい、山彦!なんで俺たち側のお前らが、人間と、神の味方をするんだよぉ!人間は、神は、このうさぎは、ずっと地獄で俺たちを痛めつけてきた奴らじゃないかぁ!なんで、なんで、なんで、俺の邪魔するんだぁ!」
見越し入道が咆哮を上げる。木々が揺れ、屋台が吹き飛び、しがみついていた山彦たちが散り散りに飛んだ。
刹那、神社全体が沈黙に沈む。しかし、すぐさま他の妖怪や神々の争いが再開された。
姿が露わになった見越し入道は、息を切らせて肩を上下させている。
「ボクが君を痛めつけてたのは、君が地上に出ようとしてたからだよ。ボクは地獄の門番の監視役なんだから」
風と共に、うさぎがふらりと立ち上がり、見越し入道の後ろを取った。ふらふらしているが、隙がない。ミコトが身構えてしまうほどの鋭い目で見越し入道を見据えている。
「もう息の根のくせに、俺に説教をするなぁ!元々は地上は俺たちの住処だったんだぁ!ただそれを人間から返してもらうだけなんだよぉ!」
見越し入道が地団駄を踏む。地面が見越し入道の足に合わせぐらり、ぐらりと揺れ、石畳にヒビが入る。ミコトは必死に地面にしがみついた。
見越し入道の意識は完全にうさぎに向いていた。だから、不意をつかれた。
「山彦のみんなー!かかれー!」
「かかれー!」
山彦たちが一斉に見越し入道に襲い掛かったのだ。一瞬にして、見越し入道は山彦の軍団に覆われる。
「やめろぉ!離せぇ!」
「大きさで勝てないなら、数で勝負なの!」
見越し入道がもがき山彦を引き離しても、他の山彦がすぐにくっつき、見越し入道は動きが取れないでいた。
「くそっ!お前ら俺たち側なのになんで裏切る?どうして、どうしてぇ!」
「ミコト、いい奴!ミコトの家族、いい奴!ミコトは、大切な友達なの!初めてできた友達なの!……初めてボクを怖がらなかったの。面白がらなかったの。可愛いって言ってくれたの。それに、ボクを守ってくれたの。ミコトは、大切な友達なの!大切な友達は守らないといけないの!」
「マビの大切な友達、守る!マビの友達いじめるやつ、悪いやつ!」
山彦たちが合唱する。マビの言葉に胸の奥が疼いた。
「短絡的な馬鹿どもぉ!また俺らが地獄に追いやられるんだぞぉ!それでもいいのかぁ!」
「……よくないの。嫌なの。でも、それでも、ボクは大切な友達を守るの!」
「友達、友達、友達ぃ!さっきからお前らはそればっかだなぁ。地獄にいた俺らは仲間だろぉ?仲間は、大切じゃないのかぁ?」
「……仲間は、大切なの。友達も、大切なの。どっちも失いたくないの。……でも、お前はボクの大切なものの一つである人間を殺そうとしてるの。ボクは、それは望んでないの。誰も傷ついてほしくないの。だから、戦うの」
「傷ついてほしくないのに、俺に攻撃するのかぁ?俺は傷ついてもいいっていうのかぁ?」
「傷つくのは良くないの。だから、ボクたちは、押さえてるだけで攻撃してないの。きっとここにいるうさぎも、お前が素直に地獄に帰れば攻撃しないの。傷つけないの」
マビは叫ぶ。たくさんの山彦たちに飲まれ、どこにいるのかわからない。それでも、マビは言葉を紡ぐ。
「それに、元々、山彦は反乱に反対だったの。ボクたちはこっそり息を潜めて日本に住めるだけでよかったの。それ以上は望まないから、ボクらは人間側につくの。誰にも傷ついてほしくないから、戦うの。……さて、そろそろ……なの。みんな、散って!」
「散って!」「散って!」「散って!」……。
マビの言葉に呼応するように、山彦たちは一斉に見越し入道から離れた。先ほどの見越し入道に吹き飛ばされた時と違って、今度は山彦たちの意思で散り散りに散る。
「フンッ、俺の力にぃ、ビビったかぁ!短絡的な馬鹿どもめぇ!」
「短絡的な馬鹿はどっちだい?」
「なにっ!」
見越し入道の背後にいたうさぎが距離を詰め、ぴたりと見越し入道にくっつき、見越し入道の顔を両手で包み込んでいる。
「はは。まさか妖怪の手を借りることになるなんてね。有難いことに山彦たちはお前の隙を作ってくれたんだよ」
見越し入道の顔が一段階、また、一段階と小さくなる。ふと、うさぎが最初にケセランパサランを手中に収めた時のことを思い出した。きっと、この見越し入道も……。
「やめろ、やめろやめろやめろぉ!俺は、地獄に戻りたくない!俺は一生、お前ら人間と神を許さねぇからな!いずれ、人間を排除して地上で暮らすんだ!」
雄叫びをあげる。上げている間にも、見越し入道の体は縮小されていく。必死にもがくも、うさぎの手から逃れることはできない。
マビとフゥリとタロジが口々に心配の言葉を掛けながら、ミコトに駆け寄ってきた。ミコトは笑顔で、
「ありがとう、大丈夫だよ」
と答えると、再び首を上げ、うさぎと見越し入道の様子を窺う。
「親方様!親方様ぁ!俺を助けてぇ!このままじゃ、地獄に連れてかれてちまうよぉ!」
「親方様……?」
「親方様は俺たちを束ねるすごいお方だ!親方様がいる限り、反乱は終わらない。俺たちの大行進は終わらないんだよぉ!」
「親方様って誰?お前たちの首領か?」
うさぎが見越し入道の体を手で覆い、睨め付けながら問いただす。見越し入道はニヤリと笑った。
「お前みたいな極悪非道のうさぎに教えるわけないだろぉ!親方様はそれはそれは偉大な人なんだよぉ!神様なのに人間の味方をせずに、俺たちの味方をしてくれるんだぁ!」
「神様?」
「そうだぞ!お前みたいなうさぎよりもずっとすごい神様だぁ!親方様が来たら、お前らなんてコテンパンだ!」
うさぎが見越し入道に答えるように、不気味に笑む。
「ふーん、そうなんだ。君たちには親方様っていう人がいるんだね。じゃあ、その親方様とやらはどこにいるんだい?そんなにすごい神ならば、君を助けてもいいはずなのに、全然現れないよね?」
「そ、それは……」
「おそらく、君は見捨てられたんだね……。使えない『駒』だったから、親方様に捨てられちゃったんだよ、きっと」
「違う違う違う違う、ちがぁう!」
見越し入道は発狂し、暴れ始めた。だけど、すでに人間と同じくらい小さくなった見越し入道は、うさぎの手を払いのけることができず、ただ、子供が駄々をこねるように手足をバタバタさせていた。
「君たち妖怪がこんなに傷ついてるというのに助けに来てくれないひどい薄情な奴なんだね、親方様ってやつは」
「薄情で悪かったな。我も他の神々に足止めを食らっていてな、自由に動けなかったのだ」
うさぎの耳が上向きにぴくりと動いた。低くどすのきいた声が頭上から舞う。真っ黒な羽を携え、下駄を履き、真っ赤な顔に長い鼻がミコトたちを見下ろしている。
ミコトが神社で出会い、ミコトの恐怖心を煽ったあの天狗だ。
顔に刻まれた黒い皺が淡い月の光に照らされ、おぞましい雰囲気を醸し出している。
「親方様!」
この場の雰囲気にそぐわず、明るい声を出したのは、うさぎの手中に収まるくらい小さくなった見越し入道だった。
「天狗……。キミ、寝返ったのか」
「神の使いのうさぎよ。我の可愛い見越し入道を離してもらおうか」
「そういうわけにはいかないんだよね。こっちもこっちなりの事情があってさ。それに、天狗、キミ、登場が一足遅かったよ」
いつの間にかミコト以上に小さくなった見越し入道が、うさぎの両手のひらに包み込まれてしまう。見越し入道の姿はもう見えない。
ミコトたちはただその様子を静かに見守っていた。
「ボクは、この見越し入道を井戸へ連れていく。それで、ジ・エンド。見越し入道は二度と地上へは上がれない」
「ふんっ。そんな粗末な問題、我がお主をこの場で倒せば問題なかろう」
「キミがボクを倒す?はは、よく言うよ。ボクと戦って一度も勝ったことがないくせに」
ただならぬ一触即発な雰囲気が漂い始める。ミコトは身震いした。
ここにいては危ない。
本能が直感する。
「そうだな。我はお主に勝ったことがない。……でもそれは、我がずっと弱いお主に手加減をしていたからだ。仲間内で本気で戦う奴がどこにいる?お主は我の本気を知らない。もちろん、我もお主の本気は知らぬが、お主は我に勝てない。なぜなら、お主は神としての模範的動きしかできぬからだ」
天狗の鋭い目線がギロリとこちらに向く。その視線に喉がひゅっと鳴った。
「山彦、河童、妖狐。無駄な小細工はよせ。その人間を逃がそうと山彦の群れを呼ぼうとしてるな?我はその人間にも話がある。勝手なことをされては困るのだ」
天狗が大きな葉っぱを大きく一振りする。瞬時に、強い風がミコトたちを襲い、こっそりと近づいていたたくさんの山彦たちが吹き飛ばされてしまった。
ミコトは山彦たちが近づいていたのに気が付かなかった。おそらく、マビがミコトをここから運び出そうと画策していたのだろう。
「あっ、みんな……!」
と、マビが遠くに飛ばされていく小さな山彦たちに手を伸ばす。
「さて、話の続きをしよう。うさぎと戦うつもりだったが、気分が変わった。そこの人間。……ミコトよ。我はお主と話したい。故に、ミコト以外のお主ら、しばし待たれよ」
もう一度、天狗は葉っぱを一振りする。
それを合図に、風が止んだ。止んだのは風だけではない。全ての音や匂い、近くにいるみんなの息遣い、大地の振動が止んだ。
フゥリも、マビも、タロジも、遠くにいる妖怪たちや、うさぎでさえも、色を失い、止まっている。
空間に天狗とミコトだけがくっきりと取り残される。
「これは一体……」
ミコトは眉を寄せて呟いた。
「少しだけ時間の流れをゆっくりにさせてもらったのだ」
天狗は優雅に翼をはためかせ、地上に降り立つ。その所作が美しくも物々しい。
今、この場にいるのは二人だけ。逃げることも、誰かに助けを呼ぶこともできない。
ミコトは呼吸を整え、痛む体を抑えながら、立ち上がった。
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