第34話 親の心、子の心、知らず


「手紙を読み終えたオイラは、封筒と便箋を思いっきり握りしめて、無我夢中で走った。この神社に行くためだ。それは、とーととかーかに会うためでもあり、ミコトの様子を見に行くためだった」


 タロジは真剣な眼差しで話し続ける。タロジが話している間、誰一人声を発しなかった。奈緒を抱え上げているミコトの背中のすぐ後ろで、ヤマトがもぞりと動いた。ミコトの甚平をギュッと握る。


「でも、神社に着いたら、ミコトと、とーととかーかがすごい剣幕でやり合ってて、オイラびっくりしちゃったよ。大好きなとーととかーかと、友達が殺し合いをしてたんだ。見ていられなかった。考える間もなく、オイラは飛び出してた。それで、何故かミコトのことを擁護してた。きっと、それが答えなんだ。オイラはミコトのこと、まだ信じきれてない。神と繋がってたのだって許してない。ショックだった。……でも、そんなオイラがミコトに助けられたのは事実なんだ。一緒にいて楽しい時間を過ごしたのも事実なんだ。オイラ、ミコトのことを信じてみたいんだ。ミコトの友達でいたいって思ってるんだ」


 タロジは両親の肩に手を置きながら、二人をじっと見つめ、言葉を続ける。


「……だから、とーととかーか、ミコトを襲うのはもうやめて。ミコトの友達や知り合いを襲うのももうやめて」


 沈黙が流れる。静かに目を閉じている奈緒の小さな息遣いが聞こえるほどだ。奈緒の体温が手のひらと太ももに伝わり、暑い。


「……そうか。タロジはとーととかーかや河童の仲間達ではなく、人間を取るんだな……。人間の味方をするんだな……」


 細身の河童の背中が小刻みに揺れる。タロジのお父さんだ。背中を向けているため、表情は見えないが、彼の声は重く沈んでいた。


「まってよ!誰がそんなこと言ったんだよ!」


「さっき言ってただろう!人間と友達になりたいって!それは人間を恨むとーととかーかへの河童一族への裏切り行為だ!」


「違うよ!オイラはとーともかーかも地獄のみんなも大好きだ!だけど、それと人間と仲良くなるのは話は別だろ?」


「別じゃない!人間は一族の仇だ!一族の憎むべき相手だ!そんなやつと友達になろうなんて、裏切り行為に他ならねぇ!」


「人間への憎しみをオイラに押し付けるなよ!」


「押し付けてないだろ!オマエは地獄で産まれたんだぞ!地獄にはこんな美しい自然はない!タロジ、お前は自然の豊かさを知らずに生きたんだ!それもこれも人間が妖怪を迫害したせいだ!なんて、かわいそうなんだ。なんて、哀れなんだ。子供達にこんな目に合わせた人間をオイラたちは許せねぇんだよ!」


「オイラは哀れでかわいそうな河童なんかじゃない!」


 タロジはすごい剣幕で叫んだ。タロジのお父さんが息を呑む。


「タロジ……」


 恰幅のいい河童、つまり、タロジのお母さんが小さな声で切なげにつぶやく。彼女自身の肩に置いてあるタロジの手を自分の手のひらで優しく包み込んだ。


「……なぁ、とーと、かーか。まるで地獄が最悪な世界みたいに言ってるけどさ、本当にそうだった?地獄で過ごした日々は、幸せじゃなかったのか?オイラはずっと不幸な子供だったのか?」


「それは……」


「オイラは、とーとがいて、かーかがいて、地獄のみんながいて、楽しい毎日を過ごしてたって思ってんだよ。外で遊んで、帰ってきたら仕事終わりのとーととかーかがいる。みんなでご飯を囲んで、おしゃべりして、笑って、泣いて、怒って。オイラはすごく楽しいって思ってた。そりゃ、環境は地上のほうがいいよ。お風呂は最高に気持ちいいし、川の水は冷たくて、自然の匂いが豊満で、オイラ、日本が大好きだ。住めるなら地上がいいって思う。……でも、誰かを傷つけてまで日本が欲しいとは思わない。だってそれって、とーととかーがが人間にされてきた酷いことを、今度はとーととかーかが人間にするってことだろ?オイラの大切な人たちが人間を迫害するってことだろ?オイラはそんなのいやだよ」


「タロジ!甘えたことを言うんじゃない!オイラたちを傷つけてオイラたちの居場所を奪ったのは誰だ?最初に暴力を振るってきたのは誰だ?それは、紛れもない人間だろ!そんな甘いことを言ってたら、オマエは人間の深い欲望に飲み込まれ、迫害されるぞ!」


「でも、オイラはまだ迫害されてないし、傷ついてもない!……マビの言葉で、オイラ、思ったよ。オイラは何も知らないのに人間を恨んでた。とーととかーかが恨んでるってだけで、恨んでた。人間のことなんて何も知らないのに。でも、実際の人間は、ミコトは、ミコトの家族は、オイラたち家族と一緒だった。温かくて、優しくて、愛が溢れてて……。多分、オイラたちと一緒なんだろうなって思ったんだよ。オイラは、そんな罪もない家族を壊したくなんてない。……それに、もうとーととかーかにも傷ついてほしくないんだ」


 タロジは眉尻を下げ、タロジのお母さんの顔に手をやった。そっと何かを拭う。


「だって、とーととかーか、さっきからずっと涙が出てる。ずっと、泣いてる。……本当は誰かを傷つけるのなんて、嫌なんだろ?」


 タロジは声を震わせながら、微笑んだ。タロジのお母さんの背はしゅるしゅると萎み、両手で顔を覆った。背中だけでも悲哀に満ちているのがわかる。タロジのお父さんはタロジから目線を外すだけで、何も言わなかった。


「とーと、かーか。もうやめよう。人間に縛られて、悪い奴のフリをするのはもうやめよう。オイラ、とーととかーかが誰かを傷つけるのは見たくないよ。だって、オイラはとーととかーかが子供に優しいこと知ってるんだ。だれかを傷つけるような人じゃないことも知ってるんだ。だから、もうやめて」


 タロジは自分よりも大きい二人の河童を抱き寄せた。タロジは涙ぐみ、二人の胸に顔を埋める。


 タロジを抱きしめながら、二人の河童は、一体何を考えているのだろう。


 奈緒の首を絞める姿。復讐を投げ捨てて、息子に駆け寄る姿。人間に本気で恨み、殺そうとする姿。息子の話に涙する姿。


 恨み、蔑む姿も、愛し、慈しむ姿も、どちらも二人の姿だ。どちらも本当の思いなのだろう。相反しそうな感情を抱えながら生きるのは、人間も妖怪もそう変わらない。感情は白黒はっきりつけられるものではない。そして、簡単に割り切れるものじゃない。ずっと抱え込んでいた恨みならば尚更だ。恨みの感情はそう簡単には消えないだろう。


 彼らは今、何を考え、どうするのだろう。


 神社裏の竹の葉がこちらまで流れてきた。強く生暖かい風が吹いた。


 ミコトも奈緒と背中に隠れているヤマトを優しく抱き寄せる。


 タロジのお母さんがゆっくりと顔を上げた。タロジもその動きに合わせて埋めていた顔をあげる。

「タロジ、アンタの言いたいことはわかったよ。そうさね……。アタイは、とーととかーかは、本当は誰かを傷つけたくなんてないんだよ。ましてや女子供を傷つけるなんて、したくないさ。……でもね、守らなきゃいけないものがあるとき、嫌でも暴力を振るわなきゃいけないことがあるんだ。戦わなきゃいけないときがあるんだよ」


「でも、それは……!」


「話は最後までお聞き!まったく、さっき自分で言ってたことも忘れたのかい?話の腰を折るんじゃないよ。……さて、アタイたちはね、アンタみたいな子供たちが理不尽な運命を背負わせた人間を許せないんだよ。それに、アタイたちに非道な真似をした人間を恨んでもいる。……だけどね、罪のない子供を痛めつけるのは気が引けてさ。地上を取り戻すために仕方のないことだってわかってるんだよ。革命を起こさなければ、土地は帰ってこないってね。だから、心を鬼にして仮面をつけて殺るしかなかったんだ。殺らなきゃ、殺られる世界だからね。……だけど、まさか子供のアンタに説教されるとは思わなかったよ。子供に心配されるなんて、アタイは親の風上にもおけないね。アタイはアンタの母親だ。アタイが守らなきゃいけないものは、アンタだ。誰がタロジの敵になろうとも、味方でいられるのは親だけだ。アタイたちの思いをタロジに押し付けて、守る行為は本当に守ったって言えない。それに、子供の願いを叶えてやりたいって思うのが、親ってもんだろう?」


「……てことは、人間への攻撃をやめてくれるってことか……?」


「一旦は、ね。本当は人殺しをしたくないって言ったって、人間を恨んでるのは事実だ。アンタに何を言われたところで、アタイの、アタイたちの恨みが晴れるわけじゃあない。……でも、アンタは、この子達を殺したら泣くのだろう?それはアタイの本意じゃないからね。子供に泣いて欲しい親はいないのさ。そうだろ?とーと」


「……あぁ。そうだな。オイラたちが戦っていたのは、復讐のためもあるが、ほとんどがオマエのためだ。オマエが暮らしやすい世界を作るためだ。……だが、いいのか?ここで戦わなければ、オマエは一生地獄で暮らさないといけなくなるかもしれないんだぞ?オマエはは人間に一生地獄で暮らすという理不尽を押し付けられるんだ。それでも、いいのか?」


「……違うよ、とーと」


 タロジは笑ってみせる。


 柔和で慈愛に溢れている笑顔だった。その笑顔を見ているとどこか安心感を覚える。


「地上で人間と一緒に暮らすための方法を探るためにオイラは戦い、人間を守るんだ」


「そうか……。オマエもオイラたちが見てないうちに、成長してるってことか……」


 タロジのお父さんはタロジを愛おしむように柔らかく口にした。タロジの肩に優しく手を乗せた後、タロジの両親は同時にこちらに振り向き、立ち上がった。フゥリが反射的にミコトの前に出る。ミコトたちを守るように両手を広げているフゥリの背中から覗く河童二人の顔は、穏やかだった。


「そんなに警戒しないでおくれ。さっきは痛い目に合わせて悪かったね。こっちにもそれなりの事情があってさ。息子に免じてアンタたちは許すよ。うちの息子に感謝するんだね」


「そこのガキども。ここにいたら危険だ。いつ、また戦いに巻き込まれるかわかったもんじゃねぇ。オイラたちが安全な場所まで背負って送ってやる」


「そんなの、信じられない。さっきまで、ミコトくんを、殺そうとしてた。貴方たちは、ミコトくんを連れ去って、殺すつもり。そんなの、私が許さない」


 フゥリは真っ直ぐに河童二人を見つめる。タロジの両親が面食らった顔をした。


「ちょいと、オマエさん、アタイたちの話聞いていなかったの?アタイたちは人間の子らを傷つけるつもりはないよ」


「演技、かもしれない。私たちを騙すための罠、かもしれない。私には、それを見抜く術がない。だから、ミコトくんたちは渡さない」


「……フゥリちゃん、俺は、大丈夫だと思うよ」


 ミコトは口を挟んだ。フゥリの心遣いを嬉しく思う。騙して近づく悪い奴らもいるだろう。でも、この二人はそういう輩ではない。そういう輩ではないとミコトは信じたかった。


 タロジがミコトを信じてくれたように、ミコトも河童を信じたいと思ったのだ。


 だから、「でも……」と心配そうに見つめるフゥリに「大丈夫だよ」ともう一度口にする。


 フゥリから河童たちに視線を移し、頭を下げた。


「えっと、その……。俺の背中に隠れているヤマトくんと膝の上で寝てる奈緒ねぇをどうか安全なところに連れて行ってください。お願いします」


「オマエさんは、アタイらとこなくていいのかい?」


「俺は、一人で逃げられるので。それにフゥリちゃんもいますし……。でもこの二人は、走って逃げられないと思いますから……」


 ヤマトはガタガタと震え、奈緒は目を覚ます様子もない。ミコトはこの二人を抱えながら安全に外に送り届ける自信がなかった。


「……おう、わかった。おい、タロジ、オマエはこの子供と友達なんだろう?オマエが守ってやれ。それに、話したいこともあるだろうしな」


「うん。ありがとう、とーと」


 今度はタロジと視線が絡み合う。タロジは気恥ずかしそうに目線を逸らした。それと同じくらいのタイミングで河童の二人がミコトの方へと寄ってきた。フゥリが警戒しながら、その様子を窺っている。河童が一歩、また一歩と近づくにつれ、ヤマトの甚平を掴む手に力がこもる。怯えているのだ。


「ヤマトくん、大丈夫だよ。この河童さんたちは悪いことしないよ」


 優しく声をかけても彼の震えはとまらない。


「さっきは脅かしてごめんな。怖かったろう?おじさんたちは、何もしねぇよ。だから、安心してくれ」


「アンタ!そんな言い方じゃあまりに怖すぎるよ!……ほら、ボクちゃん、アタイらは怖くないよ?だから、一緒に行こう?」


 河童に手を差し伸べられたところで、ヤマトの限界に達してしまったのか、大声で泣き始めてしまった。


「オマエはガタイが良すぎるからオイラより怖く見えるんだよ!」


「なによ!アンタ、レディに対してその言い草はないんじゃないの?……まったくもう、これじゃあ埒があかないね」


 タロジのお母さんが短い息を吐き出し、ヤマトの後ろにまわった。相変わらず、ヤマトは泣いている。


「ボクちゃん、ちょっと失礼するよ」


 ヤマトの首の辺りを軽く叩いた。軽い振動がミコトの体にも響く。


 それと同時に、甚平を掴む手の力が抜け、ふらりとヤマトが倒れ込みそうになる。それをタロジのお父さんががっしりと支え、抱え上げた。


「悪いねぇ。泣かれちゃうと守りづらいもんでね。眠ってもらったわけさ。なぁに、命に別状はないよ。少しの間眠ってもらうだけだからね。ほら、オマエさんの膝で寝ている小娘もこっちに寄越しな。ソイツはアタイが運んでやるよ」


「ありがとうございます。助かります。この二人をよろしくお願いします」


 ヒョイっと簡単に奈緒を抱え上げる河童に深々と頭を下げる。


「ふんっ、アンタのためじゃないよ。可愛い可愛いタロジのためさ。お礼を言うならタロジに言いな」


「はい……!本当にありがとうございます!」


 ミコトは立ち上がり、再び頭を下げ、河童二人と抱え上られ連れていかれる奈緒とヤマトを見送る。


 その時だった。


 何か不気味な影がミコトの体の全身を覆う。

 それと同時に、


「ミコトくん、危ない!」


 というフゥリの声が響き、頭上に圧迫感を覚えた。


 なんだ……?


 上を見上げると、大きな青白く光る物体がミコトのすぐ横に倒れてきた。


 砂煙が舞い、視界が霞む。


 コホッと咳が出て、砂が目に入る。痛い。


 数秒経つと、霧が晴れるように視界が開けた。


 隣には大きな大きな巨人が倒れている。


 ミコトは目を擦り、その巨体を見つめた。この生物をミコトは見たことがある。


「う、うさぎ……?」


 思わず声を漏らした。巨体が顔だけをこちらに向ける。


「や、やぁ、ミコトくん。元気かい?」


 それは紛れもなく、ミコトをこの諍いに巻き込んだうさぎだった。

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