第33話 裏切りと味方と手紙


 うさぎが大きくなり始め、ミコトに「逃げろ」と庇われた後、タロジはマビに引っ張られながら、無心で広場の石段を駆け降り、鳥居まで走っていた。無心というより、放心状態に近いかもしれない。


 心を開きかけた人間のミコトに裏切られたことがショックだったのだ。


 忌々しい神のうさぎはミコトに親しげに話しかけていた。


「山彦と河童の子供を連れてきてくれてありがとう」「囮にする」「地獄に連れ戻す」


 そんな物騒な会話が耳に飛び込んできた。つまり、ミコトが、タロジとマビと仲良くしていたのは、地獄に連れ戻すためであり、他の脱獄者たちを誘き寄せるためだったのだ。


 騙された。騙されてた。


 タロジの心臓が思いっきり絞られる。心の痛みに耐えられなくなりそうになったとき、マビと繋いでいる手を思いっきり握られた。


 視線が自然とマビに向かう。


「タロジ!なにボーッとしてるの!足をちゃんと動かすの!神に捕まったらおわりなの!」


 振り返った目の先に大きく変形し続けているウサギが立っていた。何をしているのだろうか。ほとんど完全体になっているというのに、じっと一点を見つめて、動かない。


 見つめる先は、ミコトがいる場所だ。


 腕にぞわりと鳥肌が立つ。


「振り向かないで!前を向いて!早く走るの!早くしないと捕まっちゃうの!」


「な、なぁ、あのうさぎ……、ミコトに何かしてるんじゃ……」


「考えちゃダメなの!今戻っても足手纏いになるだけなの!神たちに捕まったら、ボクたちはおしまいなの!だから、一旦体勢を立て直すの!」


 マビとタロジは走った。神社からまっすぐ続く青田を抜け、家々を抜け、竹林を抜け……、かなり遠くまで来た。着いた場所は小さな山の中だった。サラサラと風に合わせて踊る葉の音だけが辺りにある。


 綺麗で新鮮な空気が疲れ切った肺に入ってくる。入ってくるけど、息が上がって苦しい。それに全力で走ったせいで、甲羅も乾いて力が抜けてきた。


「タロジ、ここに湧き水があるの。甲羅にかけるの」


 マビが指差す方を見ると、岩の間から水が沸いていた。岩の隙間から湧く清らかな水を両手いっぱいにして、甲羅につける。心地の良い冷たさが身体全身に巡った。


「あぁ……、生き返る……」


 タロジは小さい声で呟いた。


「生き返って、よかったの。力がなくちゃ、この後起こることに太刀打ちできないの」


「この後、起こること?」


「人間たちへの、反乱」


 低い声でマビが唸った。大きめな岩に座り、眉間に眉を寄せながら、来た道をじっと眺めている。


 反乱。忘れていた。


 タロジたち河童一族にとっても、妖怪と呼ばれる存在にとっても、大事な日だというのに、忘れていた。


 稲荷祭りの日に、地上で自由を謳歌している人間たちへの反乱を起こす。脱獄した地獄の者は、タロジも含め、みんなが知っている周知の事実というやつだった。


 反乱に参加するかしないかは、各々の判断に任されていたが、人間に恨みを持つ妖怪はたくさんいるため、それなりに参加者は集うだろうことが予測された。皆、この日に向けて着々と準備を進めてきていた。タロジも両親と共に反乱に参加する予定だった。


 それなのに、ミコトに毒気を抜かれたタロジは反乱のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 胸の奥がざわつく。


「そう、だったな……。マビは、反乱に参加するのか?」


「……するの」


 力強い声だった。静寂がこの場を包み込む。迷いのないマビの言葉に、タロジは狼狽えた。


 まさか、マビが反乱を起こすなんて。あんなにミコトが大好きだって言ってたのに、人間と友達になれて嬉しいって語っていたのに、そんなことを考えていたなんて。


 人間も、妖怪も、いい顔をして、心の内で反対のことを考えている。本心がわからない。どこにもない。それがすごく怖かった。


「……やっぱり、ミコトが、オイラたちを裏切ったからか?……ま、まぁそうだよな!ミコトはオイラたちに優しいフリをして近づいた悪い人間だもんな……!そりゃ、マビだって反乱起こしたくなるよな!」


 タロジは早口でまくし立てた。マビの言葉を聞きたくなかったのだ。


「あっ、違うの!違うの!タロジ、何か誤解してるの!」


「誤解……?だってさっき反乱に参加するって……」


「参加するって、言ったの!でも、それは人間側で参加するってことなの!」


「人間……側?」


「人間側、なの」


 再び、静寂が現れた。先程まで引いていた血流が体全身に巡る。


 よかった。マビが裏表があるわけじゃなくて。マビは、人間を嫌ってるわけじゃなくて、本当によかった。


 …………よかった?


 …………なんで?なんで人間を嫌ってるわけじゃなくて、よかったなんて思うんだ?


「ど、どうして、人間の味方するんだよ!だって、人間は、人間は、オイラたちを裏切るんだぞ!ミコトだって……、ミコトだって……」


 自分に問いかけるように、マビに詰め寄る。さっきから、胸のざわめきが止まらない。


「そんなこと言ったら、ボクたちも同じなの。今日、反乱が起きることを知っていたのに、ミコトに伝えないで、神社に連れて行ったの。危険になるのがわかってたのに、何も言わなかったの。……ボクたちも、ミコトを裏切ったんだよ」


 マビは力強い視線をタロジに向けたまま、言い切った。初めてのマビの強い口調に、「あっ……」と声が漏れる。タロジの喉仏が上下した。


「ど、どうして、伝えなかったんだよ!だって、マビは、オイラなんかよりもずっと、ミコトのこと大好きだったじゃないか!」


「ミコトのこと、大好きなの。今だって、大好きなの。でもね、昨日の夜、ミコトとうさぎが話していたのを聞いちゃったの」


 マビはタロジに、夜中に一人でミコトが起きたこと、縁側でうさぎとしばらくの間、話していたこと、うさぎたち神様がお祭りで妖怪たちを捕まえようとしていること、ミコトは妖怪たちとの共存を望んでいること、うさぎに言い負かされてずっと無言だったこと、昨夜、見聞きした全てのことを教えてくれた。


「ミコトくんは、悩んでるみたいだったの。今日の朝も、今日の夜も、神社に行ってからも、ずっと悩んでるみたいだったの。でも、ミコトくんがボクたちを見つめる目は優しくて、きっとミコトくんはボクたちを裏切らないって確信してたの。五百十七年生きたボクの勘なの。……だけど、ボクは。ボクは、この後、反乱が起きた時、神々と妖怪と呼ばれる存在がぶつかった時、ミコトくんはどんな答えを出すんだろうって気になっちゃったの」


「マビ……」


「……なんて、それっぽい理由を並べてみたけど、本当はただの仕返しなの。ただ、ボクは神とミコトくんがつながっていたことがショックだっただけなの。だから、仕返しで伝えなかったの。五百十七年も生きてるのに、ボクの心は一畳の畳より狭いの」


「マビの心は狭くない!もし、オイラがマビの立場だったら、オイラは……、きっともっと酷いことをミコトにしたぞ。裏切られたと思ったんだ。仕返ししたいと思うのは当然のことだ」


「……ありがとう、タロジ。……でも、ミコトはいい奴だったの。ボクたちのこと、身を挺して守ってくれたの。ミコトは、本当にいい奴なの……。それなのに、ボクは、ボクは…………」


 マビが膝の上にある両方の拳に力を入れ、涙がその上に落ちそうになったその時、遠くで爆発音のような音が鳴り響いた。


「いけない……!もう始まっちゃったの……!みんなはまだなの?」


 マビが慌てて立ち上がり、草木をかき分け、辺りを見渡す。草木の隙間から青田が見え、その奥の方、つまり、神社のあるところらへんで、眩い光がついたり消えたり、激しく揺れ動き、青白い細長い線状の光が一点に集まっていた。


「あの青い光は……」


「神々なの。きっと妖怪たちが反乱を始めたの。たくさんの妖怪が暴れてるの。それを制圧するために、たくさんの神々が神社に集まってきてるんだと思うの」


 マビはキョロキョロと辺りを見回す。誰かを探しているようだ。


「……みんな、遅いの!何してるの!」


「さっきから誰かを探してるけど、みんなって、誰なんだ?ここら辺には誰もいないぞ!」


「山彦たちを探してるの!ずっと集合の合図を出してるのに、集合してくれないの!」


「集合の合図?そんなのいつしたんだ?」


「喋ってない時は、合図を出してるの。山彦たちは山彦にしか聞こえない音を出すことができるの。小さな周波数だから、近くにいる山彦にしか届かないけど、それでもこの音が聞こえたら、みんな反射的に集まってくるの」


「だから、川でたくさんの山彦がすぐ駆けつけてくれたんだな。……ん?でも、川で他の山彦を呼んだとき、すごい数の山彦が集まったよな?なんで今回は集まらないんだ?」


「本来は、大きい声出せば、みんなすぐ集合するの。だから、山彦の仲間を呼ぶ時は、基本大声で叫ぶのが一番いいの。だけど、山彦の大声は山々にこだまする性質があるの。こだました声は神々にも聞こえちゃうから、ボクの声を聞いた神がボクに気づいて襲ってくる可能性があるの。たくさん数がいる山彦が反乱に参入してきたら困ると神々は思ってるから……。捕まるのが一番ダメなの。だから、大きい声で呼ぶことができないの」


 マビは必死に辺りを見回し続ける。けれど、一向に山彦は集まってこない。神社は相変わらず、明るく火花を飛ばし続けている。青、赤、黄色、緑。様々な光が上がっている。


 その光景はあまりに美しく、そこで戦いが起こってるとは到底思えない景色だった。


「……ダメなの。全然届いてないの。……ごめん、タロジ。ボク、行かなくちゃ……。待ってるだけじゃもうダメなの。もしかしたら、みんな神社にいっちゃってるかもしれない……。そうなるとボクの周波数は届かないの。だから、ここから、もう少し離れたところで、大声でみんなを呼んでみるの」


「まって、オイラもついていく!」


「ダメなの。大声を使うってことは危険を伴うことなの。だから、ダメなの」


 マビは神社へ向けていた視線をタロジに移す。


「タロジは、大切な友達なの。それに、タロジはまだ子供なの。子供のタロジは大人に守られなきゃいけないし、大人のボクは子供を守らなきゃいけないの。大切な人を、子供を危ない目にあわせるわけにはいかないの。だから、タロジはここに置いてくの」


 マビの声はいつもよりずっと低い声だった。優しくも、力強い口調で、タロジを促す。


 マビは優しくていい奴だと思う。初めて会った時から、世話を焼いてくれ、タロジによくしてくれた。いつだって公平な立場で意見を述べて、助言してくれた。それは、年の功もあるかもしれないが、マビの人懐っこく気前の良い性格のためだろう。


 タロジはマビの心配心がわかるからこそ、頷くことしかできなかった。


「ごめんね……」


 マビは小さく囁くと、素早い動きで木の上に登り、木々の隙間を縫って駆け去る。一瞬にして山の闇の中へ吸い込まれてしまった。


 葉の擦れる音とタロジだけが取り残される。


 これからどうしたらいいんだ。どこに向かったらいいのだろう。


 ふと、足元を見ると一つの封筒が落ちていた。タロジはそれを拾い上げると、そこにはマビのその風貌からは想像もできないほど綺麗で達筆な字で『タロジへ、マビより』と記されていた。タロジは封筒を開け、中に入っていた手紙を心の中で読み上げる。


『タロジへ。


 急なお手紙でごめんなの。これはいざという時の手紙で、タロジと話す時間がないと判断した時、これを渡そうと思って手紙をしたためてるの。これを読んでるということは、いざという時が来ちゃったのね。今の状況はどうなってるの?反乱が起きた?それとも、神々が襲ってきた?……最悪な場合、その両方なのね。最悪な場合じゃないことを祈ってるの。……ボクはタロジのそばで守れなかったの。ごめんね。……ボクは、タロジに謝らないといけないことがあるの。一つ目は、そばにいてあげられなくてごめんということ。もう一つは、タロジのとーととかーかの場所を知っていたのに、黙っていたことなの』


「えっ……」


 タロジは一度読むのをやめた。


 とーとと、かーかの場所……?


 マビはとーととかーかの場所を知っていたのか……?


 知っていたのに、オイラに教えてくれなかったのか……?


 驚きと疑問が頭の中を埋め尽くす。まだ手紙は続いていた。きっと知りたいことはこの後に書かれているだろう。


 タロジは自然の息吹を大きく吸って吐いた。続きを読み始める。


『……実はね、昨日の夜、山彦の仲間が来て、タロジのとーととかーかの場所を教えてくれたの。お前の両親は反乱軍として、反乱軍の寝床にいるらしいの。本当はわかった時にすぐ伝えるべきだったんだろうけど……、伝えられなかったの……。伝えたら、タロジは否応なしに反乱軍の元へ行っちゃうと思ったの。反乱軍の元へ行くということは、タロジも反乱に参加するってことなの。反乱に参加するということは、人を傷つけ、そして、タロジ自身も傷つく行為なの。ボクはお前の両親の居場所を聞いた時、大人たちの勝手な因縁に、子供であり、大切な友人であるタロジを巻き込みたくないって思ってしまったの。だって、このいざこざはタロジには直接関係ないことなの。これはタロジの両親や、他の大人たちの責任なの。子供たちに背負わせることではないの。だから、両親の場所を伝えられなかったの。ボクの思いとしては、反乱や神々の妖怪乱獲が終わるまで、どこかに身を潜めていて欲しいの。巻き込まれないで欲しいの。だから、両親の場所は反乱が落ち着くまで伝えるつもりはなかったの。

 ……だけど、それはあまりにボクの身勝手だと思ったの。タロジにはタロジの『思い』があるの。それを無視するのは、よくないことだって思ったの。ボクは、ミコトと神が隠れてお話ししてたのがショックだったから……。ボクも同じことをしてるって、思ったの。

 ……もし、タロジが両親に会いたいのなら、反乱を起こしている神社に行けばいいの。そうすれば、お前はお前の両親に会えるの。本当は、行ってほしくないけど、でも、自分のことは自分で決めていい年齢なの。自分の意思で誰にも邪魔されることなく、決めるべきなの。本当は口でこれを伝えるべきなんだろうけど、この手紙を読んでいるということはそうしている時間が今はないということなの。本当にごめんなの。……タロジ、お前がどんな選択をしようと、ボクはタロジの味方なの。味方になるの。だから、安心して選択するといいの。逃げてもいいし、両親に会いに行ってもいいの。

 どの選択でも、ボクはタロジを尊重するの。

 

 マビより』


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