第32話 恐ろしき河童たち


 ミコトとフゥリは手を固く繋いで、参道を走る。境内にはまったく人間はいなかった。いるのは妖怪と神々だけ。そこかしこで火花が飛んでいる。


 ふと、屋台の袖に目をやると、五歳くらいの男の子が縮こまって震えている。ミコトは走る足を緩めた。


「ミコト、くん?どうしたの?早く、ここから、出ないと……」


「あそこに人がいる」


「妖怪、かも」


「でも、人かもしれない。行ってみよう」


「ダメ。妖怪だったら、ミコトくんを、攻撃する。それに、早くここから出ないと、巻き込まれちゃう。危ないから、ダメ」


「俺は非力で役に立たない存在かもしれないけど……、でも、泣いている子を見捨てるなんて、できない。もし、ここであの子を置いていってしまったら、あの子は妖怪が嫌いになる。妖怪を恨むようになる。それじゃあ、もっとダメなんだ」


 ミコトはフゥリの手を離し、男の子の前へ出る。目線が合うように、少し腰をかがめた。


「ねぇ、君、大丈夫?お父さんとお母さんと離れちゃったのかな?」


 男の子を怯えさせないように極力優しい声を出す。男の子が涙のたまった目をミコトに向けた。体が小刻みに震えている。


「いなく、なっちゃった。パパママ、どこ……」


 今にも消え入りそうな声だった。こんな小さな子が妖怪がひしめくこの神社に一人取り残されていたなんて、どれほど心細く、怖かっただろうか。


 ミコトは男の子の頭を優しく撫でた。


「そっか……。怖かったよね……。でも、お兄ちゃんとお姉ちゃんが来たからもう大丈夫だよ。えーっと、君、お名前は?」


「……ヤマト」


「ヤマトくんか。かっこいい名前だね。俺はミコト。で、こっちの可愛い女の子はフゥリちゃんって言うんだ」


「ミコトお兄ちゃんとフゥリお姉ちゃん……?」


「そうだよ。……よしっ、ここは危ないから、一旦、安全な場所に行こう。それで、一緒にお父さんとお母さんを探そうね」


 ミコトは横にいるフゥリに目配せすると、フゥリは不安そうな顔をしながらも、小さく頷いた。


 ミコトが右手をヤマトに差し出す。その時、


「お、人間のガキが三人」


 と、ぞっとするような低い声と含み笑いがミコトの耳に届いた。


 振り向くと、そこには河童が二人いた。太った小六男児くらいのたくましい河童と小六男児の標準サイズくらいの河童が仁王立ちしている。二人ともタロジよりも明らかに大きく、こちらに牙を向け、じっとこちらを見ていた。大型犬が本気で威嚇してる時の顔に似ている。おどろおどろしい。


 声をあげそうだった。でも、目の前には小さなヤマトがいる。この子の前で怯えてしまっては、ヤマトはもっと不安になる。


 ミコトは拳を握り締め、男の子を庇うように一歩前に出て、河童二人と対峙する。


「なんの、用、ですか?」


「はっはっ、弟を守る優しいお兄ちゃんってわけか。人間の癖に心優しいじゃねぇか」


 小さい河童が歯を剥き出しにして笑った。


「お前らに用なんてないんだよ。ただ、オイラたちは革命を起こしてるところなんだ。子供にもわかるように説明すると、人間どもたちを倒してオイラたちが頂点に立つための運動をしてるんだ。というわけで、女だろうが子供だろうが関係なく、オイラたちは人間たちをできるだけ多く倒したいってわけ」


「アンタ、そんな御託はいいからさっさとコイツら締め上げちゃいなよ。早くしないと忌々しい神に気づかれちまうよ」


「おうおう、そうだな。さぁて、誰からオイラにヤられたい?革命の第一歩、礎になるんだ。名誉あることだろう?」


 ジリジリと河童がにじり寄ってくる。口元は笑っているが、眼光が鋭い。ミコトは歯を食いしばった。本気の敵意と殺意を向けられ、怖気づく。


 ミコトたちのさらに後ろでは妖怪と神々がやり合っている。これ以上下がってしまっては、ヤマトもミコトもその争いに巻き込まれてしまう。


 ヤマトが後ろから腰のあたりを掴んだ。震える彼の指先が肌に食い込み、少し痛い。


「ミコトくんに、手を出しちゃ、ダメ」


 フゥリが後退ったミコトの前に出た。さっきからずっと、フゥリに守られてばかりな気がする。自分で自分が情けない。


「女の子に守られるなんて日本男児はなんて根性なしなのかねぇ。……って、よく見たらこの子、妖狐じゃない?なんで妖狐が人間の味方しているわけ?」


「ん?どれどれ……。本当に妖狐じゃねぇか。……ははーん、わかったぞ。お前は裏切り者だろう?人間の味方をして神になろうって魂胆か。カァー、妖狐はずる賢いと聞いていたが、本当に小賢しいとはなぁ……」


 河童は見定めるような不躾な視線をフゥリに向ける。舌の先をぺろりと出して、卑しくくちばしを舐めた。


「フゥリちゃんを、そんな目で見るな!フゥリちゃんは、優しくて可愛くていい子なんだ!それに、俺は、俺たちは、君たちとやり合うつもりはない!」


「はは、そんな女の子の後ろにいながら凄まれても、全く怖くないよ。それに、お前らにやる気がなくなって、アタイ達にはあるんだよ。ま、なんだっていいさね。人間も人間の味方をする奴もみんな敵なんだ。もうめんどくさい。まとめて始末してやるよ」


 恰幅のいい方の河童が手のひらをこちらに向ける。目の前のフゥリの姿が朧げになり、揺れる。人間の姿から妖狐の姿に変身しようとしているのだ。


「このバケモノ!ミコトに手を出すな!」


 緊張感溢れる場に、ゴツンという音とともに声が響いた。


「いってぇな……何すんだ!」


 二人の河童が同時に振り返った。その瞬間、再びゴツンゴツンという鈍い音が再び鳴る。


「いってぇ……」


「いったぁ……」


 二人の河童が同時に唸り声をあげて、額を抑えうずくまる。よく見ると、見慣れた少女、奈緒が大きめの石を両手に持ち、肩を上下に揺らしている。


「はぁ……はぁ……、ふんっ、どんなもんよ!女の子だからって舐めないでよね!……ほら、ミコト、こっち!」


「な、奈緒ねぇ?どうしてここに……」


「それはこっちのセリフ!ミコトがどこにもいないから叔母さんたちが目を離した隙に神社にアンタを探しにきたの!本当は、ミコトがどうしてこんなところにいるのか問い詰めたいところだけど、そんなことは後!今はそんなことより、早くこっちに来て……」


「ふざけんな、このクソガキ!」


 一瞬の出来事だった。奈緒の言葉が途中で途切れる。ヒョロリと起き上がった小さい方の河童が、奈緒の手を大きく振り払ったのだ。大きい石がゴロリと地面に転がる。


「きゃあああ!」


 奈緒の悲鳴が上がった。


「どうやらお前から死にたいらしいな」


 奈緒は河童に肩を思いっきり掴まれ、右頬を思いっきり殴られる。奈緒がよろめき、呻き声を上げたところで、もう一度びしりと頬を打たれた。


「おい!放せ!奈緒ねぇを放せよ!」


 考えるより先に体が動いていた。ミコトは河童に思いっきりタックルし、むしゃぶりつきながら、河童を後ろへと引っ張る。


「しゃらくせぇ!邪魔すんじゃねぇ!」


 河童が体を思いっきり捻った。その反動で、ミコトの抵抗虚しく、簡単に振り解かれてしまう。ミコトは地べたに倒れ込んだ。手のひらが擦り切れる。


 妖怪と人間の力の差は歴然だった。


「やめて!やめなさい!放してよ!」


 奈緒の抗う声が聞こえ、背後からヤマトの泣き叫ぶ声が響く。


 どうしよう、どうしよう、どうしたらいいんだ。


 考えている暇なんて、ない。動かなければ、奈緒が殺されてしまう。


 ミコトは倒れていた体を起こす。


 起き上がりざま、もう一度、河童に飛びかかろうとした。その時、すずらんのような控えめで甘い香りを嗅いだ。ぐっと急激に目の奥が熱くなる。黒く美しい髪が目の前で揺れ、つむじ風が舞った。


「ミコトくんには、指一本、触れさせない」


 狐の耳を生やしたフゥリがミコトを守るように立つ。風で服も髪もなびいている。


 フゥリの向こう側には河童が睨みをきかしている。恰幅のいい河童がミコトに攻撃しようとしていたことに気がついた。


 河童の顔は終始犬の威嚇顔だ。眉間の皺がさらに深く刻まれる。


「ちょいと、妖狐のお嬢さん、そこをどきな。アタイはお前なんかに興味ないんだ」


「どかない。ミコトくんを、傷つける人は、許さない」


「あぁ、そうかい。そしたらお前から始末してやるだけだ」


「フゥリちゃん!」


 勢いのある水飛沫が数発、河童の手から放たれる。フゥリは強い風でそれを凌ぐ。


 フゥリは手を前に出したまま、顔だけこちらに向け、


「ミコトくんは、ヤマト、くんを、連れて、逃げて。守りながら、戦うのは、難しい。奈緒、ちゃんも、私が、助ける。だから、逃げて」


 と痛みに耐える顔をしながら、叫んだ。


 喉の奥が鳴る。それが一番いい方法なのはなんとなくわかる。


 非力なミコトがここにいてもなんの戦力にもならない。ヤマトだってずっと泣いている。ここにいて、的になることはあれど役には立つことはないだろう。玉藻前の時みたいに人質に取られ、迷惑をかける可能性だってある。邪魔になるだけだ。


 頭では分かっているのに、身体が動かない。


 ……二人が巻き込まれたのは、俺のせいだ。


 奈緒がここにきたのは、ミコトを探しにきたから。フゥリが戦ってるのは、ミコトを守るため。


 ……全部、全部、俺のせいじゃないか。


 ミコトは歯を食いしばる。


 巻き込んだ上に、大切な二人を置いて逃げるなんて、そんな卑怯なことはしたくない。


 ミコトは自分の足を数度叩いた。


 力がないのが悔しい。

 役に立たないのが悔しい。

 助けたいと思っているのに足が震えて立てない自分の勇気のなさが悔しい。


 奈緒の悲鳴が、ヤマトの泣き声が、フゥリの呻き声が、ミコトの体を震わせる。


 でも、負けるわけにはいかないんだ。


 ミコトはさらに歯を食いしばり、拳を握り締め、体を無理やり起こした。


「ごめん、フゥリちゃん。俺は、逃げられない。逃げたくない。だから……」


「ミコトくん!」


 背後からの必死な叫びを無視し、ミコトは奈緒の首を絞め始めた小さい方の河童に、力一杯体当たりをした。


「うぐっ」


 河童が呻く。奈緒の首を絞める手が緩んだ。


 もう一度。


 ミコトは再び体当たりした。ぶつかった肩がジンジンと痛む。でも、怯んでる暇はない。ぶつかるたびに、奈緒を掴む手が緩んでいる。


 さぁ、もう一度だ。


 三度目の体当たりをしようとした時、河童が奈緒の首根っこを掴んだまま、こちらを向いた。


「テメェ、何しやがる!この女が死んでもいいのかよ?あん?」


 奈緒の首を持つ手に血管が浮かぶ。声もあげず、奈緒の顔が醜く歪んだ。


「やめろ!話せよ!」


 ミコトが掴みかかろうとした時、


「とーと、かーか、やめろ!」


 という叫び声が参道から響いた。


 この声を、ミコトは知っている。


「……タロジ?」


 河童とミコトがつぶやいたのは、同時だった。


 次の瞬間、険しい顔も、奈緒の首を掴んでいた手も、フゥリを傷つけていた術も、緩まる。緩まって、消えた。目には、大粒の涙を溜めている。


 河童の手から解放された奈緒は力無く地面に倒れ込み、拮抗していた力が急になくなったフゥリの風の術は、近くにあった屋台を破壊した。


 二人の河童は全てを投げ出し、一目散にタロジに駆け寄る。二人はタロジをぎゅっと抱きしめて、大泣きしている。


「タロジ、タロジ、どこにいたんだい。ずっとずっと、心配してたんだよ」


「そうだぞ。タロジ、オマエ、今までどこでなにをしていたんだ。オマエがいなくなって、とーととかーかは、とーとと、かーかは……」


「心配かけてごめん……。いなくなるつもりは、なかったんだ。オイラも、ずっとずっと、とーとと、かーかを、探してたよ」


「よかった……よかった……。本当に無事で良かった」


「どこか怪我してないかい?どこか痛いところはないかい?人間にいじめられてないかい?悲しい思いはしてないかい?」


「うん。大丈夫。怪我も、してない。人間にもいじめられてない。……むしろ、そこにいる人間のミコトに、オイラは助けられたんだ」


 二人の河童がタロジから身を離す。タロジはミコトを指差した。三人の視線がミコトに集中する。


「オイラ、川でとーととかーかとはぐれた後、必死になってとーととかーかを探してたんだ。そしたら、石に足を滑らせて、転んじゃって、それで足がもつれて、溺れちゃったんだ。必死にもがいたけどダメで、もう死んじゃうかもしれないって思った時、ミコトの友達の山彦のマビってやつが助けてくれたんだよ」


「助けたのはその山彦って奴じゃないか。この人間じゃないだろう?」


「うん……。溺れた時は、そうなんだけど……。でも、そのあと甲羅が乾いちゃった時は、ミコトが急いで川の水を汲んでかけてくれたし、とーととかーかが見つかるまでってことで、ミコトのお家にもお世話になって……」


「おい、タロジ!オマエ人間の家なんかに行ったのか!」


「アンタ、何してるの!人間なんて生き物はみんなロクでもないんだからね!アンタのこと捕まえて、見せ物小屋に引き渡すつもりだよ。いや、もしかしたら、アンタの腕を切って『神の使いの手』とかいって信仰の対象にしたり、見せ物小屋の集客のための道具にしたりしようとしてたのかもしれない。つまり、アンタはこの人間に騙されてんだよ!」


「いいから黙って、最後まで聞いて!」


 タロジが怒鳴った。辺りが静まりかえる。


 タロジの両親も、フゥリも、先ほどまで大泣きしていたヤマトも、じっとタロジを見据える。


 ミコトは気絶している奈緒を優しく膝で抱きしめ、タロジを見つめた。奈緒は静かに落ち着いた呼吸を繰り返している。


「オイラは一晩、ミコトの家でお世話になった。幸いなことに、オイラはミコトにしか見えていなくて、ミコトの家族はオイラに気が付かなかった。だから、のびのびと一日を過ごすことができたんだ。……そりゃ、オイラもミコトが騙してるんじゃないかって疑ってたよ。今の今だって疑ってる。でも、オイラが見てる限り、ミコトからはこれっぽっちも悪意なんて感じられなかったんだ。ミコトは、美味しいご飯、あったかいお風呂にフカフカのお布団、そしてなにより面白いゲームと楽しい時間を提供してくれた。『そんなもので人間に手懐けられるなんて、困った息子だ』ってとーともかーかも思うよな。オイラも単純だって思うよ。だけどさ、ミコトはあの忌々しい神からオイラを守ってくれたんだよ。自分の体を張って、守ってくれたんだ」


 そこから、ぽつりぽつりと、ミコトと離れてからのことをタロジは話し出した。

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