第31話 今度こそキミを(4)


 今、目の前にいる玉藻前の攻撃が痛い。玉藻前の強い憎しみが、ミケツの体を焦がす。


 痛くて、熱くて、焼け死んでしまいそうだ。


 これは今まで玉藻前が受けてきた痛みなのだろう。


 ……それならば、ワタシは受け止めなければいけない。あの時、できなかったことをしなければ。受け止めて、そして、守る。ワタシだって、千年間、ずっと玉藻前のことを考えて生きてきた。彼女の美しい手を守りたい。


 それは生半可な思いじゃない。だから、決して、負けられないのだ。


 ミケツは目を見開き、グッと腹筋と足に力を入れる。


 辺りに眩い光が解き放たれた。


 勝負は一瞬だった。玉藻前が繰り出した花札がミケツの出した鎧に弾かれ、玉藻前のあらわになっている顔、腕、足を切りつける。


 ふっと、玉藻前が前にかざす腕がだらりと落ち、体が膝から崩れ落ちた。


 玉藻前の姿に心臓がどくりと音を立てる。


「玉藻前!」


 ミケツは脇目も降らず駆け寄る。彼女を守ることを原動力にした力は、彼女の命までは落とさないはず……。


 そう思っていたのに、今、彼女は目の前で倒れている。


「こないで!」


 鋭い声が、ミケツを射抜いた。ぴたりとミケツの動きが止まる。


「来ないで!見ないで!なんで、なんで、私を殺さないのよ!一思いに殺したらないいのに!なんで私だけこんなに苦しいの?なんで私はこんなに苦しんで生きているの?なんで人間は苦しまないで生きてるの?もう疲れちゃった、疲れちゃったよ……」


 玉藻前は寝返りを打ち、腕で目を覆いながら、空を見上げて泣いた。子供のように泣き声を上げ、泣いた。今まで堰き止めていた涙が溢れて止まらないとでもいうように声を荒げて泣いた。


 その声があまりに悲痛で、目の奥が熱くなる。


 受け止めたい。全身全霊で彼女を受け止める。


 ミケツはゆっくりと近づき、玉藻前の体を抱き上げた。重傷ではあるものの、命に別状はなさそうだ。ホッと胸を撫で下ろす。


 玉藻前が力無く、暴れた。


「やめて。触れないで。やめて」


「ごめんな。ごめんな……。あの時、お主の痛みを受け止められなくて、ごめんな」


「やめて……やめて……」


「人間を恨んでいい。ワタシのことだって恨んでいい。ワタシがその恨み、痛みを全部受け止める。ワタシが、受け止めるから」


「やめて……。やめて……」


「お主を苦しめたあの男は地獄に堕ちた。他にもたくさん悪いことをしていたのだという。千年前から未だに、地獄で地獄の苦しみを味わっているんだ。……ふっ。そんなこと言っても、お主の心の傷は何一つ癒えないのは、わかっている……。でも、アイツは地獄に堕ちたんだ……。堕ちたんだよ……」


 玉藻前は無言だった。ぐずぐずと鼻を鳴らしている。彼女が何を考えているのかは、わからない。でも、この事実が玉藻前の心を少しでも軽くしてくれればいい。そう思う。


「一緒に行こう、地獄に。そこでお勤めして、してしまった罪を償うんだ。ワタシも一緒に償うから。……それで、償い終わったら、二人で日本に戻ってこよう」


 ミケツはこの日のために、森に、山に、農村にたくさんの祝福をした。数百年ほど神がこの地に戻ってこなくても大丈夫なように、祈りを捧げ続けていたのだ。


 もともと、ミケツは玉藻前が脱獄しなくても、神の名前を返上して地獄に行くつもりだった。玉藻前に向き合うだけの力と、祈りを蓄積するのに百五十年もかかってしまった。


 彼女の痛みを全て引き受ける。今度は、逃げない。


 空が赤く燃え上がる。きっと、他の者たちが自分の信念に沿って戦っているのだろう。


 人間との共存。それだって目指したい。ミケツの最終目標だ。でも、今は。


 ただ玉藻前の幸せだけを願う一人の男だった。


「もう、やめて……。私に、優しくしないで……。誰の愛情ももういらないの。もう、痛いのは、嫌なの……。嫌だ……。嫌だ……。嫌だ……」


「ごめん、ごめんな……。今度は傷つけない。絶対傷つけないと誓おう。お主がどれだけ暴れようと、どれだけ泣こうと、どれだけ喚こうと、ワタシが全部受け止める。だから、大丈夫だ。何も心配することなんてない。」


「ああ、嫌だ。私は、本当に貴方が嫌い。憎い。嫌いよ。大嫌いよ」


「……ごめんな。ずっと、そばにいてやれなくて。受け入れてやれなくて、ごめんな」


「本当に嫌い……大嫌い……嫌い……嫌い……」


 虚な目をして、玉藻前は呪文のように「嫌い」を繰り返す。


 遠くで爆発音が聞こえる。生暖かい風が吹き付ける。


 フゥリとミコトは大丈夫だろうか。


 ふと、幼き子たちのことを思い出す。だが、その思いはすぐに立ち消えた。


 玉藻前の瞼がだんだんと落ちてくる。


 ミケツは彼女の艶を失った手を握った。


「ごめんな……。これからは、そばにいるから。ワタシが、お主を守るから……」


 玉藻前の瞼が完全に落ち、わずかに玉藻前の指が動く。ミケツはその手をしっかりと握り返した。


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