第28話 今度こそキミを(1)


 夏のじめっとした空気がミケツと玉藻前を包む。


 ミケツは石段を駆けていくフゥリとミコトを横目で見守った。


 無事、幼き二人がこの場から離れられて良かった。玉藻前の人間に対する憎悪は想像以上のものだった。感情や気持ちが大きければ大きいほど、人も人ならざる者も力を持つことができる。人の場合は、それが原動力だったり、運と呼ばれるものだったりするが、人ならざる者の場合、その力は妖の術だった。

 妖の術はさまざまな種類がある。たとえば、玉藻前やフゥリが持っている異性を魅惑させる力も妖の術の一つであった。先ほど玉藻前が投げた花札も妖の術の一つだ。


 大地を守るミケツは、守る力しか与えられなかった。障壁を貼ったり、妖の術を跳ね返したりすることはできても、攻撃はできない。


 力が強くなっている玉藻前を攻撃せず、幼き子二人を守りながら、戦うことは難しい。ミケツの力不足だ。だから、二人が逃げることができて、本当に良かったと思う。


「貴方が邪魔するせいで、傷しかつけられなかったじゃない。心の臓を狙っていたのに、全部弾かれちゃった。さすが『神様』ね」


「……玉藻前、お主、本気で殺すつもりだったのか」


「ええ。あの坊やも憎たらしいことこの上ないし、人間を味方する妖狐も妖狐の恥だわ」


「お主は本当にそれでいいと思っているのか。お主のやっていることは、かつてお主がやられたことと同じだぞ。人かそうじゃないかで区別して罪のない子達を傷つける。そんな人間の安直な行動でお主も苦しんだじゃないか」


「やられたから、苦しんだから、やるのよ。よく言うでしょ?やられたらやり返せって。だから、やり返すの。それに、そういう勧善懲悪の弱き者が強き者に復讐する物語、人間が好きじゃない。それと一緒。ほら、理にかなってると思わない?……ねぇ、ミケツガミは人間が私とあの男の物語をどう語り継いでいるか知ってる?私が悪者にされているの。私は、元々あの男を殺すつもりで近づいた化け狐で、彼に毒を盛っていた悪い妖怪なんですって。あはは、面白いわよね。私はただ、ただ純粋に、彼を愛しただけなのに……。ほんっと、面白いんだから」


 玉藻前は乾いた笑い声を上げた。笑んでいるが、笑んでいない。目が少しも笑っていないのだ。化けの皮を一枚被り、笑っている。彼女は、心と表情のバランスが崩れていた。腹の内側に宿るのは、隠しきれない絶望と憎しみだ。


 彼女の心は蝕まれている。何を言っても彼女の心には言葉は届かないだろう。それほどまでに心が傷ついてしまったのだ。


 なぜ、彼女の心に寄り添えなかったのか。なぜ、同じ妖狐として最善を尽くさなかったのか。


 心の中で自問する。


「玉藻前……、お前は……」


「ああ、もうやめてよ。そんな目で私を見ないで。同情、哀れみの視線を送らないで。ああ、どうしていつもミケツはそうなのよ。同じ妖狐なのに、なんで貴方は神として讃えられて、私は妖怪として化け物同然に扱われるの……?どうしてよ、どうしてよ、どうしてよ。ずるいじゃない貴方ばっかり。私が人間を愛してしまったから?私が知恵もなく、愚かだったから?」


「それは違う。元をただせば、お主は何も悪くな……」


「慰めようとしないでよ!……私はね、昔っから貴方の偉そうな理想論や正義感が大嫌いだったの。綺麗事ばかり並べて、人間の味方なんてして。そのくせ私たちには上っ面な言葉を取り繕って説教をする!私たちのことなんて簡単に手のひらで転がせると思っているのでしょう?……ああ、だから、神様と讃えられたのね?私たちを踏み台にして、神様になった小狡い奴なんだわ。……ねぇ、だったら、貴方も苦しんで死になさいよ……。私と他の子達が化け物とされて苦しんだ分だけ、苦しんで悶えて死になさいよ!」


 強い風が吹き荒れる。紫色のオーラを放った花札が玉藻前を囲うように漂っている。


 まずい。


 汗が蒸れる。感傷に浸っている場合ではなかった。


 ミケツは深い呼吸を二、三度、繰り返した。


 玉藻前は、本気だ。本気でワタシを倒そうとしている。ならばこちらも本気で戦うしかない。生半可な気持ちで挑めば、その先にあるのはワタシの死だろう。


 やるしかなかった。


 全ての神経を目の前の玉藻前に集中させる。肌がヒリヒリしてきた。玉藻前を包む妖の力が大きくなっている。


 あの強い力を全て跳ね返すことができれば、勝機はある。


 花札を無力化するだけではダメだ。玉藻前を戦闘不能な状態にしなければ、この状況は何一つ変わらないだろう。情に流されてはいけぬ。玉藻前を倒すつもりで、彼女の攻撃を跳ね返さなければ。


 チャンスは一度きり。


 玉藻前と呼吸を合わせる。


 三、二、一……。


「私の前から消えて!」


 叫ぶと同時に凄まじい力がミケツを覆った。何十枚もの花札が一斉にミケツに襲いかかる。


 ミカツは腹と足にグッと力を入れる。倒れてはいけない。この力に負けてはいけない。


 胸の奥に光を灯す。守ることだけを考える。


 ミケツ自身を、人間を、人ならざる者を、そして、玉藻前を。


 ワタシは、守るのだ。


 あたりに激しい光が散った。


 ミケツの体に花札が突き刺さる。痛みに一瞬、目の前がぼやけ、足が引きずられる。


「はぁぁあーっ」


 と、大きく息を吐く。


 気持ちで負けてはいけない。ワタシは、人と人ならざる者と共存を望む者として、責任を持たなければいけない。彼女の憎しみを受け止めきれないで、なにが共存だ。


 玉藻前。


 彼女の名を心の中で呼ぶ。


 玉藻前。今度こそ、お前をワタシに守らせてくれ。


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