第27話 息をのむほどの魅力(2)
振り返ると相変わらずたくさんの妖怪がいた。けれど、よく見るとそこにはもう人間はいない。人間と妖怪ではなく、妖怪同士で争っているのだ。ある者は組み手を、また、ある者は睨み合いを、各々激しくぶつかりあっていた。
どういうことだろう。仲間割れでもしてしまったのだろうか。
ミコトは思考を巡らせる。答えを出したのはフゥリだった。
「神様が、人間の味方をしてるの。神様たちが人間を、守ってくれてる。だから、大丈夫」
ミコトの手を握る左手に力がこもる。
「まだ、間に合う。大丈夫」
フゥリが言い聞かせるように、強く、優しい口調で微笑む。フゥリがいうと本当に大丈夫な気がしてくる。ミコトの背後ではまだ戦いが続いている。けれども、ミコトの荒波を立てていた心が、ほんの少しだけ凪いだ。
今は目の前の玉藻前をなんとかしなければ。
ミコトはぐっと表情を引き締め、視線を玉藻前に移す。
「ふふ、仲良いこと。純愛と若さは美しくって眩しいわね」
玉藻前が自然に口を挟んだ。口元は上品に緩んでいたが、目は笑っていない。
「そこの娘も哀れね。人間なんて信じたって裏切られるだけなのに。……もう一度、私がその人間の子供を誘惑して、本性を曝け出してあげましょうか?」
「いい加減にしろ、玉藻前」
ミケツが低い声で唸った。
「お前の恨みは知っている。だが、なぜこんなことをする?お前に酷いことをしたのはここにいる人間ではないだろう」
「そうねぇ……。復讐、かしら。ここにいる子たちはみーんな、人間に復讐したいのよ」
玉藻前は少し考えるそぶりをした後、両手を広げ、神社を見渡した。
「地獄から脱獄した時、大抵の子たちは日本に戻ってこれたことに喜んだわ。そりゃそうよね。日本が故郷なんだもの。地獄の生活が悪いものじゃなかったとしても、故郷というのはやっぱり特別なのよ。だから、故郷に戻れただけでも嬉しい子が一定数いたの。……でもね、私は、私たちは、戻って来れただけで満足なんてそんな風には思えなかった」
淡々と述べる口調の裏に悲しみが孕んでいる。憂いがあった。
「だって、それって百五十年前の状況と変わらないってことでしょ?私たちはね、最初は人間に譲歩して生きていたの。人が嫌いな子は人から隠れて、人が好きな子は人に化けて暮らしていた。私はね、人間が好きだった。……というより、好いた男がいたのよ。恋愛にうつつを抜かすなんて、あの頃は私も若かったのね。それでも、あの時は、本当に彼を愛していたのよ。そして、彼も私のことを愛してくれた。私にたくさんの寵愛をくれたわ。……だけど、私が『人とは違うもの』とわかった瞬間に、彼は牙を剥けたの。あんなに愛を囁いた口で『化け物!』と叫び、あんなに愛をくれた手で私を殺めようとしたわ。ふふ、面白いわよね。人間だろうが、人間じゃなかろうが、私は私なのに。……そう、私は、心も体も居場所もあの男に、人間に、壊された。だから、私も壊すの。壊して壊して壊して、私たちの方が人間よりも強いってことをこの大地に見せつけてやるのよ。それで、人間たちが、地獄に行けばいい。私たちがしてきたように人ならざる者に媚を売って生きていけばいいのよ!」
玉藻前は声を荒げた。狐というより、鬼だった。美しい狐の妖艶さは消え、鬼が現れたのだ。顔に皺が寄り、幾分か老け込んだようにも見える。
彼女の悲痛の叫びがミコトの胸に響く。彼女もまた、人間に悲しみを背負わされた妖怪だった。きっとこの神社で暴れている妖怪たちも、人間たちに何かされた過去があり、腹に憎悪を抱えているのだろう。
ここにいる妖怪たちは、加害者でもあり、被害者でもあるのだ。だから、簡単に玉藻前を非難することはできなかった。
玉藻前はふっと息を吐くと、着物の襟もとを直し、天女のような美しい表情を作った。
「いやだ、私ったら自分語りをしちゃったわね。向こうで戦ってるあの子たち、押されちゃってる。そろそろ助太刀に行かなくちゃ」
「まて。ワタシがお主を行かせん。お主は地獄に帰るのだ」
「あら、やだ。ミケツガミは人間と人ならざる者の共存を目指しているんじゃなかったかしら?それなのに、私を地獄に返すなんて、そんな野蛮なことをするの?」
「ワタシは確かに、共存は目指している。だがな、罪を犯した者はそれ相応の罰を受けなければいけないとも思っているのだ。それは人間であろうが、人ならざる者であろうが同じこと。お主たちは人間を傷つけた。重大なことだ。だから、私たちはこの神社暴れている者たちを地獄に帰す義務がある」
「向こうの子たちは手を出してるかもしれないけれど、私はまだなにもしてないわ」
「ミコトに手を出しただろう」
「ただ、こっちにおいでって呼んだだけよ。それに、手は出してないでしょ?だって、あのかわいいお嬢さんに止められちゃったもの。ね?お二人さん?」
頬に手を当てながら、玉藻前が微笑みかける。その動きがあまりに優雅で見惚れてしまいそうになる。何か答えたいのに、口がまごついて言葉が出ない。
フゥリがそんなミコトを庇うように一歩だけ前に出た。手を握る力が強くなる。
「ミコトくんは、渡さない」
「ま、手強い護衛だこと。そんなに睨みつけないで?取って食ったりなんてしないわ。そんな人間の坊やになんて興味ないから」
「子供たちをからかうのもいい加減にしろ。なんにせよ、お主がしていることはクーデターであり、人間界へのテロ行為だ。到底許されるものではない。よって、ワタシはお主を地獄へ連れ戻す」
「相変わらず、正義感がお強いのね。ホンット、堅苦しくて嫌になっちゃう。……さてと、おしゃべりの時間はもう終わりね。ねぇ、お三方、そこ、どいてくれる?私はたくさんの人間をなぶり壊さなくてはいけないの」
空気が変わった。玉藻前の目つきが、頬が、口調が、吊り上がる。殺気と艶かしさが混じり合う。
数度、温度が上がったような気がする。身体中に妙な悪寒が走った。
「フゥリ、ミコトを連れて神社を出ろ」
答える代わりに、フゥリが大きく頷いた。
「ちょっと待ってください!ミケツさん、戦うんですよね?だったら、俺も、俺も何か……」
「ダメだ」
「どうして……!」
「人間は非力だ。力では人ならざる者に遠く及ばない。ましてや、ミコトはまだ子供だ。ワタシがミコトをここに連れてきたのは戦わせるためではない。家族に引き合わせてやるためだ。だから、フゥリと一緒に逃げなさい」
「で、でも……」
その時、シュッと風を切る音がした。それと同時に、頬に痛みが走る。頬に触れると指にぴたりと液体がついた。血だ。
「あら、ごめんなさい。あなたたちの雑談を待ってる暇はないの。井戸の方からどんどん神様が出てきているでしょ?わたしも応戦してあげたいのよ。早くどいてくれるかしら?」
玉藻前は両の手の指の間にに赤いかるたのようなものを挟み、冷たい目でコチラを見ている。張り付いたような笑顔が不気味だった。
予兆もなく、玉藻前は素早くなれた手つきで、カードを数枚投げる。その瞬間、フゥリがミコトから手を離し、ミコトの前に立つ。瞬く間もないほど、一瞬の出来事だった。
「フゥリちゃん!」
フゥリの頬を切ったかるたが無力に床にひらりと落ちる。フゥリは両手を広げたまま、ミコトの前に立っていた。
「あらあら、せっかくのかわいい顔が台無し。素敵なお顔に三つも切り傷ができちゃったわね。さぁ、これ以上傷つきたくなかったら、そこをどいて。私は女子供だろうが容赦はしないの」
「二人とも、逃げろ。早くしなさい。ここにいても足手纏いになるだけだ。あとはワタシがなんとかする」
「ほらほら、早くそこをどかないと、可愛いお嬢さんのお顔が傷だらけになっちゃうわよ」
「ほら、早く逃げるんだ!」
玉藻前はどこから出しているのか、かるたをフゥリに向かって投げ続けた。かるたがフゥリの体にあたるたびに、フゥリは小さな呻き声をあげる。
このままじゃ、ダメだ。フゥリがボロボロになってしまう。
ミコトは心の内で自分がミケツの力になれない非力さを嘆きながら、ミケツの言葉に大きく頷き、フゥリの左手を取る。
「走るよ!」
ミコトは叫ぶと、フゥリとしっかり手を握り合いながら、参道へ続く石段を駆け下りた。
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