第20話 うさぎとの邂逅(1)

 

 お風呂を上がってから、ミコトとマビとタロジは三人でゲームに熱中した。

 お互いのプレイを見て、ああでもないこうでもない言い合ったり、健闘を讃えあったり、無謀にも難易度をマックスにしてコースを回ったり……。楽しいひとときであった。


 一人でゲームをするよりも、いつもの大分での生活よりも百億倍楽しいと感じる。


 マビもタロジも顔を緩めて笑っている。本気で楽しんでいる顔だ。二人との壁もゲームを通して少しずつ薄くなっていく。


 ミコトは胸の中で幸せを噛み締める。


 この二人を地獄に送り返したくない。できればずっとここに、……いや、東京にだってついてきてほしい。


 叶うかどうかわからない願望を胸に抱きつつ、ミコトは二人と笑い合う。


 夜二十三時、「いい加減に寝なさい」という母親の声に負けたミコトたちは、洗面所での歯磨きついでにタロジの甲羅の水分補給した後、三人で布団に潜りこんだ。


「狭い。狭すぎる」


 最初に不満を漏らしたのはタロジだった。


「狭すぎるの……。さすがに一人用のお布団に三人は厳しいの……」


「うん、俺もちょっと寝苦しいなと思ってたとこ」


「んー、なぁに?ミコト、寝苦しいの?もしかして暑い?クーラーの温度下げる?」


「あ、いや!独り言だから気にしないで!」


「そう……?」


 お母さんが怪訝そうに反応する。暗くて表情が見えないが、おそらく眉を寄せていることだろう。潰れるまで飲んだお父さんは、何も気にせず、盛大ないびきを立てて寝ている。


 三人でおしくらまんじゅう状態になってるミコトたち、ミコトを不思議がる母、いびきをかく父、このカオスな空間が面白い。


 ミコトは小さく笑った。


「笑ってる場合じゃないぞ。あまりに狭すぎる。他にベッドはないのか?」


「……あるけど、何もないのに布団なんて出したら怪しまれちゃうでしょ」


 今度はお母さんに怪しまれないように深々と布団を被り、小声で話す。


「こんなんじゃ寝れないぞ。布団代わりになるものないのか?」


「布団代わりになるものなの……。あ!ご飯食べてた時にミコトたちが座ってた座布団はどうなの?あれならマビの体にちょうど良さそうなの!」


「あー、アレなら確かにオイラも寝れそうだ。ミコト持って来れそうか?」


「座布団ね。えーっとね、たしかどの部屋にも座布団は置いてあったはずなんだよね……。ちょっと待ってて」


 ミコトは布団から這い出て、部屋の隅に積まれている紫色の座布団をミコトの布団の横へと広げる。

「ちょっと……、ミコト、なにしてるの……?寝ないの?」


「もう寝るよ。寝るけど、明日起きたらすぐゲームしたいからさ、準備しとこうと思って」


「……あっそう。……あっ、今からゲームはダメだからね。暗い中でゲームしたら目が悪くなるんだから。ちゃんと寝なさいよ」


「わかってるって」


 寝返りを打つ母を尻目に、フカフカの座布団を三つ並べ置いて、ミコトはポンポンと座布団をならす。三つ座布団を置いたのは、タロジの体には一つだと小さすぎると思ったからだ。


 布団に潜りこちらを見ているマビとタロジにこちらに来るよう手で指示をした。


「いい感じにフカフカだな。川縁なんかで寝るより全然いいな」


「いい感じにフカフカなの!木の上より全然いいの!」


「気に入ってくれたみたいでよかった。掛け布団みたいなのはないんだけど、大丈夫?」


「暑いから、いらない。普段も何もかけないで寝てるしこれくらいでちょうどいいんだ。もうミコトは喋らなくていいぞ。また母親に怪しまれるだろ。オイラたちの存在がバレても大変だからな」


「大変なの。喋らなくていいの」


 ミコトは黙って頷いて、二人に手を振り、布団の中へ潜る。マビは座布団の上で猫のように丸くなり、タロジは二枚の座布団を使って膝を抱えて寝る体制に入った。


 ミコトも瞼を閉じる。今日あった出来事が目まぐるしく瞼の裏に浮かぶ。


 涼しさを感じさせる清流、優雅に泳ぐ魚、焼け尽くすような陽射し、車窓からの鮮やかで美しい緑色の景色、茶色だらけの夕食、ゲームの中のカラフルなステージ……。


 ふと、今日の出来事の中にあの稲荷神社が浮かぶ。古びた禍々しい赤い鳥居をまっすぐ行って、階段を上がった先にある本殿前の広場。そこに、雪のように白くきめ細かい肌がミコトの前に現れる。

 あ、ヨウコちゃん……


 心の中で、たしかにつぶやく。


 ヨウコの存在を今の今まで忘れていた。どうして忘れていたのだろう。また会いに行くと指切りまでしたのに二日も経ってしまった。


 約束したのに会いに行かなかったことにショックを受けていないだろうか。呆れてないだろうか。嫌われてないだろうか。


 ……明日のお祭り前に行けば、会えるだろうか。


 不意に、風を感じた。風に乗って新緑の青々とした匂いが鼻の奥をくすぐる。風に揺られてヨウコの髪がしなやかになびいた。


 美しい。綺麗だ。そして、どこか色っぽい。


 穏やかに凪いでいたはずの心が早鐘を打つ。


 やっぱり俺は、ヨウコちゃんのこと……。


 瞼の裏のヨウコがミコトに気がつき、軽やかに駆け寄ってくる。


 ミコトも手を挙げてヨウコに挨拶をしようとした。だけど、動かない。空想の中なのに体が鉛のように重たいのだ。


 強い夏の日差しがヨウコの顔を隠す。ヨウコが華奢な手を伸ばし、ミコトの頬に触れる。


 温かくて、柔らかくて、ふわふわしている。心地がいい。


「ミコト、くん」


 可愛らしい声が、ヨウコの小さな唇から漏れる。


「ほら、目を開けて。キミに話したいことがあるんだ」


 目を開ける?……ああ、そうか。今、俺は目を瞑ってるんだった。


「ほら、早く起きて。でないと、みんなが起きちゃうよ」


 ヨウコの口から発せられるあどけない少年のような声が耳に心地いい。


 ……え?少年?


 ミコトはゆっくりと重い瞼を持ち上げた。


 毛玉だ。ふわふわの毛玉が目の前にある。


「うわっ!」


 ミコトは思わずその毛玉を払いのけた。


 デジャヴを感じる。この光景、数日前に経験した気がする。


「わわっ、ミコトくん危ないなぁ……。ボクだよ、ボク。神様である、うさぎだよ」


「うさぎ、うさぎ……。あぁ……、うさぎか……」


 ミコトは大きく息を吐いた。


「あぁ……、ってなにさ。ミコトくんって、ボクに対する反応が薄いというか、ひどいよね」


「ごめん。でも、安堵のため息だよ。目の前の毛玉が得体の知れないものじゃなくてうさぎでよかったっていうね」


「ミコト、どうしたの?何かあったの……?」


 うさぎとのやりとりで起こしてしまったのか、マビが瞼をこすりながら、眠たげに顔を上げる。隣のタロジは疲れてしまっているのか、爆睡していた。


 うさぎが音も立てず物陰に隠れ、顎をしゃくる。ミコトに自分のことを伝えるなと訴えているのだ。


「あ、ううん!なんでもないよ!ちょっと怖い夢見ちゃって……」


「怖い夢なの……?大丈夫なの……?」


「うん、平気。起こしちゃってごめんね」


「平気なの?ミコトがもう怖い夢見ないように、いい子いい子なの」


 マビの小さい手がミコトに伸びる。ミコトは屈んで頭を差し出した。


 小さな手がミコトの髪を撫でる。その仕草が可愛くてマビを抱っこしたくなってしまう。


 でも、今は、うさぎと話したい。聞きたいことが、聞かなければいけないことが、たくさんある。


「ありがとう。マビのおかげで落ち着いたよ。……ちょっとトイレに行ってくるね」


「トイレいってらっしゃいなの。一人で平気なの?」


「大丈夫。マビも今日は疲れてるだろうし、ゆっくり休んで」


「ゆっくり休ませてもらうの。おやすみなの」


 マビは大きく欠伸をして、座布団の上で再び丸くなる。ちょっとだけ、猫みたいだ。


 ミコトは音を立てずに、そっと障子戸を開け、縁側に出た。今日は満月なんだろうか。青白い月明かりと闇と静寂がミコトを迎え入れる。


「さて、ここで話してたら聞こえちゃうかもしれないから、もっと奥に行こうか」


 ミコトに続いて縁側に出てきたうさぎが、素早い動きで縁側の一番端っこ、居間の障子の前のところまで行ってしまった。


 ミコトもゆったりとした足取りでうさぎの元へ行く。


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