第21話 うさぎとの邂逅(2)



「立ち話もアレだし、座って話そうか」


 マビよりもちょっと大きい手でうさぎがガラス戸を開け、縁に座り、ミコトも座るように促す。ミコトは指示通りに動くも、まるでこの家を自分の家のように振る舞ううさぎに思わず苦笑してしまう。


 青白く光輝く涼しげな月の光がミコトたちを包み込んだ。


「最近、ミコトくんに会いにきてやれなくてごめんね。地獄の神たちも妖怪を地獄に戻す作業で忙しくてね……。ミコトくんどう?手懐けは順調かい?」


「手懐けって……」


「パッと見た感じ、ミコトくんが捕まえたのは山彦と河童の二匹か。一日で一匹なんだね……。うーん、意外にも少ないなぁ……。まぁでも、山彦は数がいる妖怪だし、河童も見たところ子供っぽかったし、この二匹を囮にしたら、それなりの数の妖怪を捕まえられるか……」


 うさぎの言葉が鉛となって、ミコトの胃の奥に落ちる。キリキリと痛い。


 たしかに、最初は妖怪を捕まえて地獄へ送り返そうとしていた。乗り気ではなかったとはいえ、それは紛れもない事実だ。妖怪が日本に居付き、大切な友人たちを傷つけるのは嫌だと思ったのも事実だ。


 でも、マビもタロジもミコトの大切な友人になってしまった。マビとタロジは日本にいたいのだ。地獄に返す選択をすることで、マビとタロジにも傷ついてほしくない。ましてや、マビとタロジを囮になんてしたくない。


「違う。捕まえたんじゃない。彼らは俺の……、友達なんだ。捕まえたんじゃなくて、友達を家に招待してるだけだ」


 語尾が強くなる。


 うさぎは大きく目を見開いて、呆れたように片手で頭を抱えた。


「……えっ?友達?……もしかして、妖怪に情が移ったわけじゃないよね?……はぁ、ミコトくん、勘弁してくれよ……。前にミコトくんに伝えたよね?人と妖怪の共存は難しいって」


「そうだけどさ……。でも、マビもタロジもいい子達だよ。人間に害を及ぼすとは思えない」


「まったく、ミコトくんは甘々だなぁ。あのね、妖怪と人間は相容れないんだよ。どんなにいい妖怪がいたとしても、人間にとって妖怪は悪い存在なんだ。逆に、いい人間がどんなに妖怪を受け入れたとしても、妖怪にとって人間は悪い存在なんだ」


「どうして?どうしてそうやって言い切れるの?二人に聞いたよ。妖怪が人間を敵対しているのは人間が妖怪に酷いことをしたからだ。もし、人間が妖怪が互いを受け入れられたら、一緒に生活できるんじゃないの?」


 早口で捲し立てる。


 そうだ。お互いがお互いを理解し、認め合えれば、一緒に生活ができる。妖怪も無理に地獄に戻す必要がない。


 言葉にして、自分自身も納得する。


 だけど、うさぎから返ってきたのは、うんざりしたようなため息だった。


「そういえば、ミコトくんは妖怪と人間の歴史をよく知らないんだね。昔ね、ミコトくんと同じようなことを考えた妖怪と人間がいた。彼らはなんとかして妖怪と人間が共存できるように、お互いの種族を説得していた。……だけど、それは上手くいかなかった……。妖怪と人間は互いに互いを恐れ、見下していたんだ。人間は妖怪の見た目を不気味がり差別した。妖怪は人間が無能な種族だと見下していた。分かりあおうとすり寄っても、種族の違いにより齟齬が生まれる。……だから、ミコトくんのその提案が実現することは、不可能なんだ」


「で、でも、それは昔の話でしょ?今は時代が違うんだし、もしかしたら……」


「無理なんだよ」


 有無を言わせぬ強い否定だった。ミコトは続く言葉を強制的に飲み込む。


「絶対に分かり合えないんだ。キミにもどうしても嫌いな人がいるだろう?たとえば、そうだな……。キミのクラスの黒沼勇くんとか」


 黒沼勇。


 黒沼勇はミコトの通う小学校のいじめっ子だ。体つきも顔もまん丸で大きい。目は鋭く細く吊り上がっていて、いかにもお山の大将といった風体をしている。


 彼は一年生の頃から体格が良く、暴力的だった。自分とそりが合わない人間のことをすぐに殴る。彼曰く、「小突いてじゃれてるだけ」らしいけれど。


 それだけじゃない。勇は一年生の時から、自分のお兄ちゃんの権力を笠に着て、威張り倒していたのだ。


「オレには兄貴がいる。五つ離れた兄貴だ。オレが頼んだら、お前らなんてボコボコにしてくれるんだからな。いいか?オレに刃向かおうなんて思うなよ」


 と、頻繁に豪語していた。


 ミコトは学年の中でも体が小さい方だから、いじられる対象になっていた。


「お前って体が小さくて女みたいだよな」「おい、お前給食のじゃんけんで勝ってたよな?そのケーキ、寄越せよ。よこさないとどうなるかわかってるよな」「頭が少しいいからって調子に乗るなよ。オレには有能な兄貴がいるんだ。兄貴からしてみたらお前なんてクソみたいな存在なんだからな」


 …………。


 嫌いだった。


 大嫌いだった。


 話し合いなんてものはせず、人を暴力で押さえつける。兄貴という権力を振りかざして、人を支配する。


 卑怯で卑劣で最低な男。


 そんな黒沼勇が大嫌いだった。


 ミコトは軽く唇を噛んだ。


「なんで、アイツの名前知ってるの」


「そりゃ、ボクは神様ですから。……キミは黒沼勇くんを許せる?黒沼勇くんとベタベタ仲良くしろって言われてできる?……難しいよね。それと一緒だ。人間同士だって理解し合えないのに、種族が違うもの同士が理解し合うなんて、到底無理なんだよ」


「……たしかに、俺は黒沼勇が嫌いだ。仲良くなりたいとも、仲良くなれるとも思ってない。でも、それでも、同じクラスで『共存』してる。俺は黒沼勇が気に食わないからといって殺したりしないし、クラスから追い出したりもしない。なるべく関わらないようにしてるおかげで、そんなに関わることもない。ほら、共存できてるよ」


「でも、ミコトくんは、黒沼勇くんによって我慢を強いられてるだろ?黒沼勇くんがいなければ、もっと伸び伸びと学校生活を送れるはずだ。……それにね、以前の日本では、妖怪と人間、たまに交わることはあれど、互いに干渉せず生きていたんだ。それが、妖怪が地獄に送られる前の日本、百五十年前の日本だ。……でも、干渉しなくても、妖怪たちは人間に忌み嫌われ迫害され、人間たちは妖怪に騙されて悲惨な目に遭うことが多々あった。まぁ、当たり前だよね。同じ種族同士ですら、殺し合いをするんだから。人間が人間を殺し合ったり、妖怪が妖怪を殺し合ったり……ね。まぁ、その辺のことは、学校で戦争の歴史をきちんと勉強するといいよ。よくわかると思うから。…………結局、人間と妖怪の共存は無理だったって話さ。別に妖怪を殺すわけじゃない。地獄という場所に妖怪が引っ越すってだけなんだから、ミコトくんが妖怪に同情する必要ないんだよ。安心して一緒に地獄に送り返そう!」


 無邪気に笑ううさぎを見て、喉が詰まる。


 反論ができない。うさぎの言っていることは全て正論のように思えた。太刀打ちすることなんて、できない。


 突然現れた静けさが肩に重くのしかかる。ミコトはかろうじて小さく唸った。


「で、でも……」


「ねぇ、ミコトくん、よく考えて。これは噂なんだけど、脱獄した一部の妖怪たちがこの九州でクーデターを起こそうとしているらしい。それが成功したら、日本は終わりだ。九州から始まり、四国、中国、関西、そして、関東……、妖怪たちはどんどん侵略をしていくだろう。それを食い止めるには、妖怪を地獄に戻すしかない。キミは仲良くなった『たった二人』の妖怪のために、この日本を見捨てるの?……よく考えて。時間がないんだ。……ミコトくんはまだ二人の妖怪しか捕まえられてないんだよ。脱獄した数に比べてあまりに少なすぎる。彼らを囮にしてでも多くの妖怪を捕まえるのを手伝って欲しい」


 うさぎは体を向き直し、表情を引き締め、まっすぐにミコトを見つめる。


 ミコトは何も答えられなかった。無責任に頷くことも、否定することも、できなかったのだ。


 肩にのる空気がどんどん重くなっていく。


 二人は大切な友達だ。もし、タロジを囮になんてしたら、もう二度とタロジは人間を信じなくなるだろう。もう二度と分かりあうことができなくなってしまう。


 マビはきっと初めてできた人間の友達に裏切られたら、すごく凹むだろう。それに、マビは本気でミコトを信じているのだ。だから、タロジとミコトの間を取り持ってくれた。


 彼らの信頼を裏切りたくない。


 二人だけでも人間の世界に残してもらうように頼む?


 ……ダメだ。そんな中途半端をこのうさぎが許すわけがない。


 もし、許されて二人が人間の世界に留まったとしても、彼ら二人は仲間もおらず、人間に姿を見せることもできず、肩身の狭い思いをして生きることになるだろう。


 いい案が何一つ思い浮かばない。


「とにかく、さ、明日は稲荷神社でお祭りだろ?妖怪もお祭りが好きなんだ。だからきっと、お祭りにたくさんの妖怪が集まると思う。そいつらを地獄に戻す作業手伝ってよ。考えてる時間はそんなにないからね」


 言いたいことだけ言い残すと、うさぎは光を放ち、闇夜へ消える。


 胸の奥がズキリと痛んだ。


 美しい光の粒子がキラキラと瞬き、しばらくその場に留まったのだった。


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