第15話 釣りの成果


「いやぁ、まさかミコトに釣りの才能があるとはなぁ」


 満足げな声が運転席から聞こえる。

 後ろのトランクに積まれているクーラーボックスの中には、たくさんの川魚が詰められていた。


「たまたまだよ。運が良かっただけ」


「たまたまであんなに釣れないぞ?奈緒ちゃんから聞いたが、最初の方は全然釣りをしてなかったそうじゃないか。なのに後半でこれだけ釣れるなんて、釣りの名人だな」


「おじいちゃんも悔しがってたものね。トランクの魚、ほとんどミコトが釣ったんだもんね。ビギナーズラックだとしてもあんなに釣れるなんてすごいって、おじいちゃん、ベタ褒めだったじゃない」


 お母さんも嬉々として話す。


 木々の茂みからタロジを連れて川岸に戻った後、ミコトは釣りを始めた。


 釣り糸を垂らして、川魚が食いつくのをのんびり待っているミコトに、タロジが話しかける。


「なぁ、魚を捕まえたら、食べれるのか?」


「うん。きっとお母さんとお婆ちゃんが焼くなり煮るなりして、調理してくれると思う」


「本当か!よし、来たっ!オイラが華麗な手捌きでちょちょいと魚を捕まえてやるぜ!」


 タロジは意気揚々と川の中に入ったものの、魚を一匹も捕まえることができなかった。

 タロジは魚取りが壊滅的に下手だったのだ。バシャバシャと暴れるものだから、しまいには、魚たちが逃げてしまい、釣り場にいる人が誰も魚を釣り上げられないという事態にまで発展してしまった。


「もう!タロジ何やってるの!ボクがお手本見せてやるの!」


 マビが川の中に入る。小さな身体と小さな手で、魚を捕まえてはバケツに入れ、魚を捕まえてはバケツに入れ、という動作を数度繰り返した。

 キラキラと輝く水飛沫をあげ、不器用に水の中を泳ぎながら華麗に魚を取る小さな姿が不釣り合いで、少々滑稽だ。


 マビが瞬く間に魚を五匹ほど捕まえると、得意げな顔でタロジに向き合う。


「ね!こうすればたくさんお魚獲れるの!」


「す、すごい!お前、山彦だよな?オイラと違って山に住んでるのに、なんでそんなに魚獲りが上手いんだよ!」


「ふふーん、年の功なの」


「年って、マビって何歳なの?さっきも難しい話たくさんしてたけど……」


「そりゃ、五百十七年も生きてたら、いろんな言葉知ってるの。いろんなこと経験してきたの。だから魚もたくさん獲れるの。伊達に長生きしてないの」


「五百十七年……?ってことは、マビって五百十七歳ってこと?」


「五百十七歳ってことなの!」


 衝撃的な事実だった。


 その風貌、口調からてっきり子供だと思っていた。まさか五百十七歳だったなんて。


 ミコトはまじまじとマビを見つめる。その可愛らしいもふもふした小さな体、くりくりな目、小さく短い可愛い手足からはとても五百十七歳とは見えない。まだまだ妖怪について知らないことばかりだ。


「す、すごい。俺はてっきり、まだ十歳くらいの妖怪だと思ってたよ」


「十歳くらいじゃないの!山彦の中でも割と年長なの!失礼なの!」


「そうだったんだ……。ごめんね……」


「ごめんは別にいいの。年齢なんてただの数字なの。人より経験したものが多いってだけなの」


「なぁなぁ、年齢の話はもういいからさ、マビ、魚の捕まえ方、オイラに教えてくれよ。オイラ、生まれた時から地獄でさ、魚の獲り方知らないんだ……」


 タロジは目線を指先に落とした。


 これも新しい事実だった。地獄で生まれ、日本が初めての妖怪がいるのだ。タロジが泳ぎが下手なのも、魚獲りができないのも、納得だ。


 ミコトの胸の奥に影が落ちる。


 日本にいたら、普通にできるようなことをタロジは経験していないのだ。それは人間と妖怪が共存できないと神様に思われてしまったせいだ。もし、共存できていれば、人間が妖怪をいじめていなければ、そうはならなかったのかもしれない。


「そうだったの……。そしたら、年長者のボクが、タロジに魚の捕まえ方を伝授するの!さ、タロジ、川の中に入って!タロジは泳ぎも下手だから、それもボクが教えてやるの!」


「ありがとう!」


 タロジが顔を上げ、目を輝かせる。本当に嬉しそうだ。二人仲良く川の中へ入っていく。


「そうじゃないの!ここはこうするの!」


「上手なの!流石河童なの!タロジすごいの!」


 という声が時々聞こえてきて、微笑ましく思う。


 マビとタロジは、おじいちゃんや奈緒のいる方や、他の釣り人の方まで泳ぎに行くこともあり、二人とも楽しそうだ。


 遠くから見るとジタバタと足を激しく動かし泳いでいるマビの姿は不恰好で、溺れているように見える。だけど、泳ぎの練習で溺れそうになるタロジを助けたり、器用に魚逃さず捕まえているところを見ると、きっとあれが正解の泳ぎ方なのだろう。


 二人のそんな様子を眺めていたら、いつの間にか、ミコトのバケツの中が二人が捕まえた魚でパンパンになっていた。


「二人とも、すごいね」


「これがオイラの実力だぜ!」


「何言ってるの!ボクがほとんど捕まえたの!タロジは二、三匹しか捕まえてないの!」


「それでも、全然捕まえられないよりかはマシだろ?ていうか、あんなにバチャバチャ泳いでたのに、なんでマビの周りの魚は逃げないんだよ!」


「それは……、ちょっとしたコツがあるの。でも、そのコツはタロジには百年くらい早いの。百年経ったらボクに聞きに来るといいの」


「クソ〜!そのコツとやらを絶対自分で取得してやる!」


「二人、すごく仲良くなったんだね」


 マビとタロジを見る目を優しく細める。


 羨ましい。


 マビとタロジは種族は違えど、同じ妖怪だからか、すぐ打ち解けあった。


 だけど、ミコトとタロジの間にはまだ壁が隔たっている。焦ってその壁を取り除こうとすれば、タロジが拒否するだろう。


 同じ場所にいるのに、二人との距離が離れているようで、切ない。


 仲良くなりたい。二人と何の障害もなく笑い合いたい。友達になりたい。


 マビとタロジが顔を見合わせた。


「別に仲がいいわけじゃないの。師匠と弟子の関係ってとこなの」


「おい!勝手に師匠になるなよ!師匠を選ぶなら絶対河童の師匠だ!山彦の師匠なんてダサくて嫌だね」


「河童の師匠より山彦の師匠の方がかっこいいって思うの!教えてやったんだから、ボクがタロジの師匠なの!ね、ミコトもそう思うよね?」


「あ、……そうだね、うん」


 やっぱり二人は仲がいい。


 疎外感と羨望と嫉妬。いろんな感情が交わり、顔が歪みそうになる。ミコトは表情に出さないよう必死で堪えた。


「えっ、ミコト、何でそんなに魚釣れてるの?」


「急に何だよ、奈緒ねぇ!」


 突然現れた奈緒がミコトのバケツを不躾に覗き込む。


 いつだって奈緒は唐突に絡んでくる。ミコトはそれが鬱陶しくて嫌いだったが、今はそれがありがたいと思った。


 奈緒と馬鹿らしい話をしていたほうが、あさましい感情に飲み込まれずにすむ。


「みーんな全然釣れないからミコトの調子はどうかなって見に来たんだだよ。そしたらこの量の魚!すごすぎ!」


「……そんなことはないけど」


「釣りのやる気ないのかと思ってたら、ちゃっかり楽しんでたんだね。安心した」


 奈緒がぬくもりを感じさせる笑みをミコトに向けた。


 ミコトは先ほど奈緒に怒鳴りつけてしまったことを思い出す。思い返しても、奈緒にひどい態度をとってしまったと思う。


 謝らないといけないと思うのに、胸のあたりがむずむずして、「さっきはごめん」という言葉を紡ぐことができない。


「……ちゃんと、一人で楽しんでるよ」


「そっか。それならいいんだ」


 ミコトを包み込むように優しく微笑む奈緒はお姉さんっぽくて、奈緒が年上なんだと実感する。それを本人に伝えたら調子に乗るから絶対に伝えないけど。


 日差しが焼けつくように暑い。水の音が暑さを紛らわすが、それでも体の火照りは抑えられなかった。


「ていうか、みんな全然釣れてないの?おじいちゃんも?」


「そうなの。魚が食いつきそうになると変な水飛沫が上がって魚が逃げちゃうんだって」


「そうなんだ。なんでだろう」


 ちらりとマビとタロジを見やる。


 マビが気まずそうに頭をかき、タロジが得意げに腰に手を当てた。


「オイラが逃した魚を人間に釣られるのが癪に触るから、ちょっとイタズラしてやったんだ。魚が釣り餌に食いつきそうなタイミングで、わざと暴れてやったんだよ」


「タロジ、性格悪いの。治したほうがいいの。……ミコト、ごめんなの。タロジの悪行を止められなかったの」


 そういうわけで、周りがほとんど魚を釣れていない中、魚を数十匹も捕まえたミコトは英雄扱いされた。


 それもこれもすべてタロジの悪戯のせいなのをわかっていたので、皆に褒められてもいまいち喜べない。


「やっぱりおじいちゃんの子だなぁ……。才能ってのは遺伝するもんなんだな」


「お父さん褒めすぎ。本当にたまたまなんだから。ほら、俺みんなと少し離れてたところで釣りしてたでしょ?多分俺の方にたくさん魚がいたんじゃないかな」


「全部オイラたちのおかげなのにな」


 助手席の後ろの後部座席に座っているタロジがしたり顔でつぶやく。


 後ろの狭い座席には、左にタロジ、真ん中にマビ、右にミコトが座っていて、ぎゅうぎゅう詰めだ。タロジが座るところが若干湿っている。


「おかげ、じゃないの。せい、なの。イタズラはみんなが困るからやめるの」


「フンッ、まだ人間を信用したわけじゃないからな。これくらいのイタズラ、許して欲しいもんだ」


「まだそんなこと言ってるの?」


「当たり前だろ。人間はオイラのご先祖をいじめたんだ。そう簡単に信用できるわけないだろ。……まぁ、でも、決めつけないで、ちゃんとオイラの目で人間はどんなやつかを見極めたいとは思う。実際、河童だからキュウリって、コイツに決めつけられて腹立ったしな」


 まだ数時間しか関わっていないけれど、タロジは口が悪いが、素直でいい河童だということがわかる。


 人の話をよく聞き、自分の行動や考え方を見直し、実践する。それは簡単にはできないことだ。


「にしても、車っていうのはすごいな……。こんなに早く走れるなんて……。景色がビュンビュン変わるぞ!この車に河童のオイラが乗ってるなんて、外にいる妖怪が知ったら驚いて尻餅つくだろうな」


 タロジは窓にベッタリと両手をつけて、食い入るように外を見る。すごく楽しそうだ。


 つられるようにミコトも外を眺める。過ぎ去っていく景色の中に妖怪たちが多くいる。

 田んぼの中、道路の脇、木々の間。見たこともないような生物がたくさんだ。


 あの妖怪も、この妖怪も、人間を恨んでるんだろうか。それとも、なんとも思ってないんだろうか。うさぎの話ももっとちゃんと聞いておけばよかった。


 ミコトは後悔した。


 夢だと思っていたし、妖怪の事は気味の悪い存在としか思っていなかった。だから、うさぎの話なんてたいして聞いてなかった。


 だけど、マビもタロジも現実にいて、妖怪も見た目が違うだけで、人間と同じようにさまざまなことを感じ、生きているということを知った。今だって、見た目が気持ち悪い妖怪は怖いと思ってしまうけれど、それでも、寄り添いたいと思う。彼らのことを何も知らずに、気味が悪いからという理由だけで弾糾などしたくない。


 変わり映えのない風景が妖怪を乗せて、急足で駆けていく。


 家に着く頃には夕陽が翳り始めていた。空は眩い光を失い、紺色と赤色が混じり合っている。


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