第14話 本物の憎悪(2)
「……でも、お前の両親、いじめてた奴と、ミコト、別の人間。ボクも、人間にいじわるされたの。ひどいこと、言われたの。でも、ミコトは言わないの。ひどいこと、しないの。人間が、全員悪いわけじゃない。いい奴もいるの。ミコトは、いいやつなの。人間だからって、全員を恨むのは、少し、横暴」
「でも、だって……、人間は!」
「信じられないなら、事実だけを見るといいの。ミコトはお前に、ひどいこと、したの?お前に怯えて、イジワル、言ったの?……全部、ミコトはやってないの。……もしかしたら、ミコトがボクらを騙してるかもしれない。そういう可能性もある。でも、まだ、騙すとは決まってない。もし、騙されてたら……、そのときは、そのときで考えればいの。そのときは絶対、ボクがカッパの味方になる、から」
河童は口を閉ざした。河童の瞳が揺らぐ。重たい沈黙だ。
マビがミコトに向き直った。
「……妖怪と、人間の、確執はミコトには関係ないことなの。……でも、大抵の人間が妖怪に怯えてるのと同じで、大抵の妖怪は、人間に怯えてるの。あのね、ミコトは知らないかもしれないけど、多くの妖怪はついこないだまで、地獄にいたの。百五十年くらい前に人間と妖怪の共存は難しいからって、神様がほとんどの妖怪を地獄に連れていっちゃって、妖怪の住処は日本じゃなく、地獄になっちゃったの。地獄で妖怪たちは、地獄に堕ちた人間を見てきたの。その人間は、おぞましかったの。怨みつらみ、憤怒、嫉妬に、むき出しの欲望……。地獄にいる時は地獄の力に抗えず、人間は、おとなしく罰を受けているけれど、心が汚くて、真っ黒で、すごい怖い存在なの。……でも、天国に行く人間もいることを、妖怪たちは知ってるの。そういう人たちは、みんな心優しくていい人間だってことも知ってるの。そして、天国に行く人間は、地獄に行く人間よりも多いってことも知ってるの。だから、ボクは、ミコトを信じてるの。友達になってくれたミコトが大好きなの。……だけど、人間のことを嫌っている妖怪がいることは、変えられない事実なの。だから、これからもミコトは、妖怪に敵意を向けられるかもしれない。でも、妖怪を恨まないであげてほしいの……。みんながみんな、いっぱいいっぱいなの」
マビが妖怪のことも人間のことも、愛して大切にしていることがよく伝わる物腰柔らかい物言いだった。
マビの真剣な眼差しが、ミコトを射抜く。
あぁ、なんて安直だったのだろう。
何も不思議に思うことなく、『妖怪は怖いから』、『妖怪は地獄にいるべきだ』と人間側の視点で、勝手に決めつけて、何も考えず地獄へ戻そうとしていていた。妖怪側の気持ちなんてこれっぽっちも考えていなかった。
根本的なことを理解していなかったのだ。ミコトの預かり知らぬところで人間と妖怪の間には根深い何かがあって、それをしっかりと考えてから行動するべきだったのに。
ミコトは胸の辺りを手で押さえた。
マビや河童を騙しているような最低な俺が妖怪を恨むわけない。恨む権利すらない。
ミコトは小さく息を吐く。
「うん。恨まないよ。俺が知らないだけで、きっと人間は妖怪に酷いことをたくさんしてきたんだよね。人間の自業自得。恨むのも当然だ。だから、妖怪のこと、恨まないよ。……俺が謝罪したいくらいなんだから」
河童に向き合い、深々と頭を下げる。
「人間のご先祖様が、君たちに酷いことしました。本当にごめんなさい。きっと、こんなことで許してはもらえないと思うけど、でも、謝らせてください。ごめんなさい」
河童は無言だった。その間、ミコトは頭を下げ続ける。
「カッパ、お前は、人間が嫌いかもしれない。でも、自分の肌で、自分の心で、今生きている人間とはどんなやつか、感じてほしいの。お前はまだ子供なの。知らないこと、わからないこと、思い込みで判断していること、たくさんあるはずなの。両親や先祖がどう思ってるとか、一旦、端っこに置いて、お前はどう思うのかを、自分自身に問いかけてほしいの。もし、それでも人間が嫌いと思うなら、それはそれでいいの。だけど、他人の意見に左右されずに、自分の心で、人間という存在がどういう存在かを知ってほしいの」
また沈黙だ。一秒、一秒が、妙に長い。
河童は、許してくれるだろうか。いや、許してくれなくても、謝り続けたいと思う。
これはミコトのエゴだった。
こんなにマビは信じてくれているのに、マビと河童を騙しているという負い目があった。妖怪と仲良くなりたいという願いがあった。俺には関係ないのだから、俺のことは許してほしいという狡い打算的な気持ちがあった。マビやカッパには人間界にいてほしいけれど、他の危険な妖怪は全員地獄に戻ってほしいと願う利己的な気持ちがあった。妖怪が悪だと思い込んで日本から追い出そうと行動していた自分の安直さに腹が立った。
一つではない、いろんな感情が頭の中に渦巻く。
あぁ、俺もなんて醜く愚かな人間なのだろう。マビは俺のことを天国に行く人間と思ってそうだけれど、自己中で狡い俺は、このままじゃ地獄行きになってしまう。
だから、「ごめんなさい」と謝る。
醜い自分自身が許されたいから。
長靴に入っている足がじめっと蒸れて気持ち悪い。
「……おい、人間。顔を上げろ。あ、言っておくけど、お前のことを信じたわけでも、人間のことを許したわけでもない。山彦の話を聞いたって、オイラは人間という存在が嫌いだ。でも、山彦に免じて、顔を上げることは許してやる。早く顔を上げろ」
「……ありがとう」
「人間なんかに感謝なんてされたくないね。それにオイラの頭の皿がそろそろ乾きそうで、水辺に戻りたいんだよ」
「それは嘘なの。だって、カッパの頭、今すごくツヤツヤキラキラしてるの。これで乾いてるなんて、おかしいの。さっきみたいにひび割れてないの」
いつの間にか木の上の枝に登っていたマビが河童とミコトを見下ろしている。
「うるさい!本人が乾いてるって言ったら乾いてるんだよ!」
「本人が乾いてるって言ったら乾いてるのね。……そういえばカッパ、お前、迷子なの?行くあてはあるの?」
「……あるよ」
「それも嘘なの。変な間があったの。……もし、行くあてがないなら、ミコトのところに来ればいいの。そうすれば、人間のことも知れるし、宿も確保できるし、美味しいものも食べられるし、夜は涼しく快適に過ごせるし、一石でたくさんの鳥さんなの!ね、ミコトもそう思うよね?」
「え、あぁ、うん。もし、キミがいいなら俺の家……、と言っても正確にはおじいちゃん家なんだけど……、俺の家に来るといいよ」
「でも、オイラは……、とーとと、かーかを探さないと……」
河童が声音にも瞳にも、寂しさを浮かべ、うなだれる。そこにミコトに向けていた憎悪は一つもなかった。
「それは大丈夫なの!」
マビが、大きく息を吸うと、
「みんなーーー!しゅうごーーーう!」
唐突に、大声を出す。マビの声に合わせて、山々にマビの声が反響し、木々が、風が、空気が、ざわめく。
こだまだ。山々がこだましている。
「しゅうごう?」「しゅうごう!」「しゅうごう……」「しゅうご!」
四方八方から、「集合」という声が聞こえ、木や葉っぱの隙間から、マビと同じような顔がこちらを覗く。
たくさんの山彦たち。ミコトは山彦の数に圧倒される。
「す、すごい。マビが……たくさん」
マビはミコトを見て、にっこりと微笑む。
「ボクの仲間なの!……みんな!聞いてほしいの!ここにいる子ガッパは、迷子なの!お父さんとお母さんと離れて、寂しい思いをしてるの!もし、河童の夫婦を見かけたら、マビに教えてほしいの!みんなに、この子のお父さんとお母さんを探してほしいの!」
「探してほしいの!」「探すの!」「見つけるの!」「教えるの!」
山彦たちは各々言葉を反覆すると、合図をしたかのように一斉に散っていった。
辺りに静寂が戻る。一瞬の出来事だった。
「これで、きっとお前のお父さんとお母さんは見つかるの。一人で探すよりも効率がいいの。だから、安心してミコトの家に行くの」
「探してくれるのは助かる。山彦、ありがとう。……でも、オイラは人間の世話になるなんて嫌だ。その人間もさっきっからバツの悪そうな顔してるしな」
「……ミコトはどう思うの?カッパもミコトの家に来た方がいいって思うよね?」
「俺は……」
二人から目線を逸らしながら、考えてみる。
この河童がそばにいてくれたら、友達になれたら、すごく嬉しいと思う。賑やかで楽しいと思う。人間のことを好きになってほしいと思う。
本当にそう思う。
でも、それは騙していることにならないだろうか。
二人に何も言わずに、井戸に連れて行く?
うさぎに「二人は特別に人間の世界に残してくれ」と頼む?
二人に「俺は妖怪たちを地獄に戻す使命があるんだ」と打ち明ける?
自分がこの後、どう行動をすればいいかがわからない。何が最善なのかもわからない。
河童に会うまで、妖怪のことを軽く考えすぎていたのだ。いや、何も考えてないと言ってもいい。
ミコトは妖怪のことを何も知らなかった。人間が妖怪に何をされているかということも知らない。
知りたい。妖怪のこと、人間のこと。しっかりと知った上で、行動したい。
「俺は……、カッパさえよければ、俺の家に来てほしいって思う。カッパに人間のことを知ってほしいし、俺も妖怪のことを知りたい。俺は、妖怪のこと、人間が妖怪にしたこと、何も知らなかった。妖怪が見える人間として、キミたちのことを知らなければならない。知る義務があると思うんだ。それにはお互いがそばにいたほうがいいのかなって思うから、カッパさえよければ、俺のお家へ来てよ」
嘘偽りのない本心だった。ミコトは顔を上げてまっすぐに河童を見つめる。
「……フンッ。オイラは人間の世話になるつもりはない。……人間は信用ならない。人間は人間ってだけで罪な存在なんだから。そんな人間がこの心優しい山彦と一緒に暮らしている。つまり、お前が山彦を攻撃したり、いじめたりする可能性があるわけだ。山彦は俺の恩人だ。だから、お前が山彦に酷いことをしないように、このオイラが、お前の家でお前を見張ってやる」
「それってつまり、俺の家に来るってこと?」
「そう言ってるだろ!オイラはお前をしっかり監視しないといけないからな!決して、涼しい家に入りたいとか、美味しい食事を取りたいとか、そんな理由じゃないぞ!お前を監視してやるためだからな!」
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。後半の文言が捻くれ者の子供の言い訳みたいで可愛らしい。
ふっ、と張り詰めていた心の緊張が緩んだような気がする。
「おい、なんで笑うんだよ」
「ううん。なんでもない!そしたら、美味しいもの用意しとかないとね!河童といえば、キュウリとかなのかな?ちょうどキュウリは今が旬だし、家に新鮮なのがあると思うよ!」
「おい、待て。オイラはキュウリ好きじゃないぞ」
「えっ?そうなの?河童なのに?」
「とーとと、かーかも言ってたけど、なんで人間は河童はキュウリが好きだと思ってるんだ?考えてもみろ。河童は水辺に住んでるだろ?それはオイラたちの食べ物が水辺にあるからだよ。オイラたちは川魚を好んで食べる。キュウリは食べない」
「そうだったんだ……。知らなかった……。勉強になります」
「さっきから、お前は決めつけがすぎるぞ。オイラが低体温症だとか、河童といえばキュウリとか。型にハメすぎだ。妖怪を知りたいと思うなら、人間の基準で物事を考えるのはやめろ」
「あっ……。そう、だよね。ごめん……」
ミコトは自分の浅はかさに痛嘆する。
カッパの言う通りだと思った。
ミコト自身が男や女、子供や大人で決めつけられることが好きではなかったし、決めつけをする人たちを軽蔑していた。それなのに、自分が軽蔑する行為をカッパにしてしまった。
自分の情けなさにやりきれなくなる。
緩んだ心の緊張がまた張り詰めた。
「カッパ、それブーメランなの。カッパも人間は最低な生き物って決めつけてるの。カッパも河童や妖怪の価値観で物事を決めつけてるの。だから、カッパもミコト自身をちゃんと見るの。そうすれば、本当のお互いの姿が見えてきて、人間という存在のこともわかってくるの」
地上に降りてきたマビがカッパ諭す。
マビがミコトとカッパの仲を取り持ってくれている。そのおかげで、今こうして人間を心底恨んでいるカッパと話せるのだ。
カッパと出会ってから、マビにはお世話になりっぱなしだ。感謝しかない。
「お互い、お互いのことを知っていけたらいいね」
カッパに微笑んで、左手を差し出す。カッパはその手を見て、「フンッ」とそっぽをむいてしまった。
「ほら!カッパ!ちゃんとミコトと握手するの!」
「……カッパじゃない。タロジだ」
「タロジ……?」
ミコトが聞き返す。
「オイラの名前だよ!毎回カッパって呼ぶな。名前で呼べ」
「うん、わかった。俺はミコト。で、この山彦はマビ。これからよろしくね」
「……あぁ。オイラがしっかり監視してやるから、覚悟しとけよ」
タロジは顔を背けたまま、右手を差し出す。
手のひらが川の水のように冷たい。
生温かい風が吹いて、木々が揺れる。タロジの瞳にはもう憎悪は宿っていなかった。
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