第13話 本物の憎悪(1)
奈緒は追いかけてこなかった。今まで、奈緒に対してだけではなく、誰に対しても、あんな風に声を荒げたことはない。
河童とマビが心配で気がせっていた。人が死にかけているというのに、のほほんとしている奈緒にイライラした。
でも、さすがに怒りすぎたかもしれない。
河童とマビを心配してたからといえど、事情の知らない奈緒に八つ当たりをしてしまった。大声を出したのは本意ではなかったし、後でしっかりと謝らないければ。
ミコトは心の内で反省する。
「ミコト!こっち、こっち!」
河童とマビを探して川に沿いながら歩いていると、木陰の方から可愛らしい声がした。
「マビ!よかった!どこに行ったのかと心配したよ!」
ミコトはマビの元へ駆け寄る。
「心配した……。ごめんなの……。カッパが勝手に起き上がって、歩き始めちゃったから慌てて追いかけてたの……」
「あぁ!怒ってるわけじゃないんだ。カッパを追いかけてくれてありがとう。……それで、カッパは?カッパはどこにいるの?」
「カッパは、カッパはここにいるの」
マビは岸の奥にある草木が多い茂った鬱蒼とした場所を指差した。よく見ると子供が通れるくらいの小さな道がある。ミコト小道の茂みから中を覗くと、太い幹にぐったりともたれかかっている河童が見えた。
「倒れてる……!」
ミコトはしゃがんで草木をかき分けながら前へ進み、河童との距離を縮める。細い木の枝が腕に突き刺さり、鈍痛が走る。でも、そんなこと気にしている場合ではない。
「大丈夫?」
河童がもたれかかっている木の周りは、河童とミコトが座れるくらいのスペースがあった。河童のいる場所に陽の光が差し込み、河童を神秘的に照らしている。
「ねぇ、キミ、大丈夫……?」
もう一度声をかけると、気だるそうに瞼を少し持ち上げる。瞳が光を浴びて朝露のようにキラリと輝いた。
「……誰だ?」
「えっと……、前原ミコト。小学六年生で、今は夏休みだからおじいちゃんのお家に遊びにきてるんだ」
「……人間?」
「うん、人間」
ミコトが答えると河童は血相を変えた。目を吊り上げ、眉間に皺を寄せる。これ以上下がれないというのに、河童は必死に後退りし、ミコトを指差し、声を荒げた。
「人間が何しに来た!オイラを、オイラを、イジメに来たのか?オイラを捕らえて、見せ物にでもする気だろう!でも、そうはいかない。オイラたち妖怪は、人間たちよりも強い。お前たち悪党の好きにはさせないからな!」
「俺はキミを助けようと……」
「嘘だ!そんな甘言に騙されないぞ!人間はいつだって卑怯で最低な悪党なんだから!」
体が衰弱しきっているはずなのに、河童の瞳には強い意思が宿っていた。それは憎悪であり、憤怒であり、敵意であった。瞳を鋭く尖らせ、ミコトを力強く睨んでいる。
その気迫にミコトは一歩、後退った。
「カッパ!ミコトはいいやつなの!いい人間なの!ボクと友達になってくれたの!ミコトはボクをいじめないし、ミコトはボクを可愛いって褒めてくれたの!」
後ろにいたマビが、ミコトを守るように一歩前へ踏み出る。今までは単語を繰り返しているだけだったのに、こんなに流暢に喋れたのかとこんな状況なのに感心してしまった。
「ふんっ。それだってお前が愚か者だから騙されてるだけだ」
「違う!ミコト、本当にいいやつなの!美味しいご飯くれたの!頭もなでてくれたの!それに、ミコトの家族もみんないいやつ!」
「人間にいい奴なんかいない。いい奴に見えてるとしたら、それは人間が『いい奴』の皮を被って騙しているだけだ!」
「騙してるだけ、なんてなんでそんな悲しいこと言うの!カッパ、お前、子どもに見えるの。カッパ、人間と会ったことないんじゃないの?なのに、なんで、人間が『悪い奴』ってわかるの?」
「それは……、だって……、とーとと、かーかがそう言ってた……。だから……、オイラは……」
鋭い瞳の光が翳る。河童の体がぐらりと傾いた。慌ててミコトは、その体を支える。間一髪、地面に体を打ち付けずに済んだ。
河童の体は服越しでも冷たさが伝わるほど、冷え切っていた。
異常なほど、冷たい。
「……カッパ?カッパ、大丈夫?すごく冷たいよ!マビ!一旦、俺の代わりにカッパの頭を支えて!俺のライフジャケットがあれば、少しは暖が取れると思うから!」
「わかったの!」
ミコトは着ていたライフジャケットを脱ぎ、河童の体にライフジャケットを巻きつける。河童をミコトの体温で温められるよう抱き寄せた。
河童が拒絶するかのように、弱々しい力でミコトの体を押す戻す。
「誰が……、人間なんかの服を借りる……か……」
「借りないと、カッパ、死んじゃうの!」
「人間……なんかに、世話になるくらいなら……、死んだほうがマシだ……」
「何言ってるの!キミ、このままじゃ本当に死んじゃうんだよ!低体温症って言って、体温が下がり切ると死んじゃうんだ!」
「だから、なんだっていうんだ……。人間のお前に、関係……、ない……だろ」
「関係あるよ!少なくとも、今、こうして関わってる時点で関係は、ある!」
「ないん……だよ。どうせ、オイラを助けたあと、オイラを利用する気なんだろ……?死んだ方がマシだ……と思うぐらい……、ひどいことを、するんだろ?」
呼吸を荒くしながら、虚な目で、声で、ハッキリとミコトを拒絶する。
この子は、どうしてこんな人間が嫌いなのだろう。彼の両親が一体人間に何をされたんだろう。マビも人間にいじめられたと言っていた。
一体、人間は、妖怪にどんなことをしてきたのだろう。
殴る蹴るなどの暴力に、言葉での脅しや罵倒……。
ミコトに思いつくのはこれくらいだが、人間は妖怪たちにこれ以上の想像を絶するようなひどいことをしてきたのかもしれない。
そう考えるとなんだかいたたまれない気持ちになる。
「しない。俺は絶対にそんなひどいことしない。……人間のこと嫌いでもいいし、俺のこと『悪い奴』だと思っててもいい。信じられなくてもいい。でも、まずは生きてほしい。助かってほしい。俺は人間の子供だ。スポーツや格闘技なんてやってない男だから、人間の中でもかなり弱い方。だから、俺がなんかひどいことをしそうになったら、俺のこと倒して逃げればいい。生きてから考えてよ。死んだら何もかも終わりなんだから!」
そうだ。生物は死んでしまったら、全てが終わりだ。楽しかったことも、苦しかったことも、全部なくなってしまう。
それに、残された人たちの気持ちはどうなる?
マビは先ほど河童の子供だと言っていた。つまり、お父さんやお母さんがいるんだ。自分の子供が死んだら絶対に悲しむ。一生癒えない傷を心に負う。
本当は助かった命なのに、人間を信じられないせいで死ぬなんて惨めすぎるじゃないか。
「生きること、それが一番重要なんだ」
言い聞かせるように、ミコトはじっと河童の虚な目を見つめる。
「……ハッ。そんなの、お前に言われなくても、わかってる。……このジャケットは、いらない。オイラは、河童だぞ。人間とは、違うんだ……。だから、ジャケットはいらない」
「でも、それじゃあ、キミが低体温で死んじゃうよ!」
「……河童は、もともと、お前ら人間より、体温が低い……。だが……、河童は、頭の甲羅が、乾くと死ぬんだ……」
「えっ?」
「だから、つまり、今、オイラの頭の甲羅が、乾いて、死にそうだってことだよ……!」
よく見ると河童の甲羅は、土が乾燥している時のように少しひび割れていた。木々の隙間から覗く光が、河童の甲羅を照らす。
「ご、ごめん!そうだったんだ!すぐ水を持ってくるよ!マビ、少しの間、カッパをお願い!」
「まかせるの!」
ミコトは走って岸辺に置いてあった捕まえた魚を保管するための青いバケツを手に取った。川の水を汲み、急いで河童の元へと戻る。道中、奈緒の視線を感じたが、今は一刻を争う事態だ。反応している暇はない。
ミコトは河童の甲羅に水をかける。すると驚いたことに、青いバケツいっぱいに入っていた水は、こぼれる事なくすべて河童の甲羅に吸収されてしまった。
「はぁ〜……生き返る……」
河童は立ち上がって、大きく伸びをした。立った河童は、小学1年生くらいの大きさだった。
「カッパ、もう、大丈夫なの?具合、悪くないの?」
「あぁ、平気だよ」
マビの問いに、河童はさらりと答える。
「平気、よかったの。これもそれも全部、ミコトのおかげなの。ちゃんと、感謝するの」
「……。違うね。もし人間がいなかったら、こんなに水辺から離れる事はなかったんだ。オイラはコイツから逃げようとして、ここに隠れたんだから」
「でも、ミコトが、来てくれなかったら、カッパ、お前は、死んでたの」
「溺れたのを助けてくれたのは山彦のお前だし、水が欲しいって言えば、お前が水を持ってきてくれただろ。つまり、この人間じゃなくてもよかったってことだ。感謝するつもりもない」
冷ややかな言葉だった。河童の黒目がこちらを向き、ミコトを捉える。
「おい、人間。お前は何を企んでる。山彦をこんなに懐柔させ、オイラに恩を売り、どうするつもりだ。捕まえて、見せ物にでもするか?オイラの指を引きちぎって、周りに自慢するのか?それとも、生捕りにしてミイラにして飾るのか?」
「そんなことしないよ!するわけがない!」
「どうだかな。何か目的や理由があってオイラたちに近づいたんだろう?でなきゃ、人間がオイラたちに優しくするわけがないんだ」
喉の奥が詰まる。
図星だったからだ。ミコトには『妖怪を地獄に戻す』という目的がある。人間が安穏に暮らすために、逃げ出すほど辛い地獄に妖怪たちを送り返す使命がある。
でも、マビと友達になりたいという思いは本当だし、河童の命を助けたいと思った気持ちも本当だった。決して、自分のエゴのために優しくしているわけではない。それに、マビのことは人間の世界に残してもらえるよう頼むつもりだ。
それでもやはり、目の前の二人を騙して仲良くしているということになるのだろうか。
……神のうさぎと結託しているなんて知られたら、二人は絶望するのは目に見えているのだから、きっと騙しているということになるのだろう。
「ほら、黙った。人間のガキだって、結局は小賢しくて、最低な生き物なんだよ」
「違う!俺は、そんなんじゃ……」
「カッパ!それ以上、ミコトに失礼なことを言ったら、ボクが許さないの!ミコトは、いいやつなの!ボクのこと、いじめないの!友達になろうって、言ってくれたの!最低な生き物、なんかじゃないの!」
マビが今まで聞いたことないくらい大きな声で、カッパを怒鳴る。
「ハッ、騙されてることにも気がつかないなんて、おめでたい奴」
「カッパ、お前はどうしてそんなに人間を恨むの?さっき、理由聞いた時、お父さんとお母さんって、言ってたの。お前の両親、人間に何かされたの?」
「それは……」
河童が言い淀む。わずかの間、河童は目を伏せた。先ほどまで宿っていた憎悪は消え、虚な目になる。しかし、それは一瞬で消え去った。
「そうだ!人間は、オイラの両親、いや、オイラのご先祖も虐待した。虐待なんて生易しいものじゃない。残虐で残酷で、言葉には言い表せないくらいむごいことを河童たちにやってきたのだ。ある者はカッパの指を切り、ある者はカッパを見世物にし、ある者はカッパを生きたまま喰らった。……オイラは子供だから、この程度のことしか聞かされないが、もっともっとひどいことをご先祖様たちはやられてきたんだ。オイラたちが何をした?オイラたちが人間にひどいことしたのか?ただ、オイラたちは川に住んでただけなのに!だから、オイラは人間が嫌いだ。絶対に人間を許さない」
激しい憎悪だった。
誰かにこんなに恨まれることも、誰かに面と向かって本気で嫌いと言われることも、ミコトにとって初めての経験だった。
嫌いだとか、顔も見たくないとか、腹が立つとかそんな甘い感情ではない。
胸の内から湧き出る、本気の憎悪。
本物の憎悪を持たせるほどに人間はひどいことをしてきたのだ。河童たちに痛くて、苦しくて、許されざる事をやってきてしまったのだ。人間を恨まないでくれ、なんて簡単には言えない。
どうして、そんなひどいことを人間はしたのだろう。
うさぎは妖怪は人間にとってよくない存在だと言ったけれど、本当に悪なのは人間の方な気がして胸のあたりがつっかえる。
ミコトは押し黙った。何を言葉にしていいのか、わからない。
そんなミコトのことを察してか、マビが静かに言葉を紡いだ。
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