【コミカライズ記念SS】希《のぞみ》③


 影のように控えるべき侍女としては失格なのだが、目の前の光景に呆れ、私は思わずため息をこぼした。


「はぁ」


 それを耳に留めて、徳妃であり桃英様の護衛でもある劉涼様が声をひそめて私に問うた。


「夏泉、大黄帝国の皇帝陛下は、常にあのような振る舞いをなさっておいでなのか?」


 私たちの眼前で、皇帝陛下――熹李きり様が手ずからさじを握り、桃英様の口もとにあつものを運んでいる。


 桃英様の顔は真っ赤だ。


「ちょっと熹李、子どもじゃないんだから、自分で食べるわよ!」

「だって懐かしくて。小さい頃はこうやって一緒に食べたじゃない? 


 劉涼様がひそひそと言う。


「陛下は桃英様に対し過保護だとは聞いていたが、あれではまるで恋人同士では」

「うーん……」


 続いて星狼殿下も匙を持って甜点心デザート氷粉ビンフェンを桃英様に食べさせようとする。

 氷粉ビンフェン果凍ゼリー状の甜味で、もちろん桃英様が大好きなものだけど……。


「桃英様、そろそろ甘いものをお召し上がりになられては? 塩辛いものばかりでは飽きてしまうでしょう?」

「で、殿下まで!」


 一段と桃英様の顔が赤くなる。

 そのやりとりを薄目で見守りながら、私は解説した。


「熹李様の愛情はちょっとゆがんでいらっしゃるんですよねー」

「歪んで?」


「はい。お二人は熹李様即位のために手を取り合っていらっしゃいました。その目的のためには桃英様は自ら傷つくことをいといませんでしたし、熹李様もその犠牲を当然と受け止めていらっしゃったのです」

「それは……桃英様はずいぶんご苦労されたのでは?」


 私は頷く。

 桃英様の受けた傷は、劉涼様の想像ではとても及ばないだろう。


 桃英様は兄君の代わりとあれば毒で生死を彷徨さまようことも、矢傷や刀傷を受けることも躊躇ためらわなかった。


 それだけではない、やむを得ぬこととはいえ他者を傷つけることさえあったのだ。

 桃英様が幾晩も罪の意識にうなされたことを、侍女である私はよく知っている。お優しい桃英様にとっては、己の痛みより他者の傷こそが何よりの苦しみだった。


「熹李様にとってはそれほど己の登極とうきょくが最重大事でした。だからこそ、その己を支える桃英様は誰よりも幸せになるべきだとお考えです」

「はぁ。それは罪悪感、ということかだろうか? 妹を傷つけざるを得なかった自分への」


 劉涼様の疑問に私は首を振った。


「罪悪感などという感情はお持ちでないと思います。熹李様は唯一無二の『天子』でございますから」

「ますます分からないな」

「はい。私たちには皇帝などという特殊な方のお心などはかるべくないのだと思います」


 薄目で見つめる先で、熹李様は恥ずかしがる桃英様に頬をすり寄せている。劉涼様は目のやり場に困っていた。


「とはいえ、さすがにあれはどうかと思うが……」

「デスヨネ」


 私は先ほどよりもさらに大きなため息を漏らしていた。


「はぁぁぁ。桃英様に幸せになってほしい、という熹李様のお気持ちはよく分かるんですが」

「それは私にもよく分かる」


「問題は、熹李様がご桃英様を幸せにしたがっているということなんですよねー」

「兄である陛下御自身が?」

「はい。だから歪んでいるんです」 


 可能なら熹李様に説教して差し上げたい。

 あなたの妹御は、すでに別の男の妃になったのです。しかもその男と桃英様は相思相愛。桃英様はすでにこの上なく幸せなのですよ、と。


 もちろん皇帝となった熹李様に、私ごときがお説教などできるはずはないのだが。


 ま、誰が説教しても無駄でしょうね。事実を受け止められないからこそ、あんな調子で星狼殿下と競い合っているのでしょうから。


 * 


 叩きつける勢いで徳利とっくりを置き、星狼サマが凄むように荒ぶった。


「いったいなんなんだ、あのクソ皇帝は……っ」


 慌てて俺は星狼サマの口をふさぐ。


「ぐ……やめろ、漣伊れんい!」

「馬鹿っ、帝国の天子様をクソ呼ばわりはまずいだろ!」


 念のためあたりを見回すが、房内しつないには俺と星狼サマ、そしてぎょうしかいない。


 皇帝陛下との宴席が終わった後、俺たちは暁にあてがわれた寝所に集まっていた。そこは小さいながらも気の利いたへやで、窓のそばにちょっとした卓がある。俺たちは三人でその卓を囲み、酒肴しゅこうをつまんでいた。


 暁はさかずきを傾けながら俺を一瞥いちべつする。


「漣伊、星狼様よりお前の声の方が大きい。どこに間諜かんちょうが潜んでいるか分からん、気をつけろ」

「す、すまん」


 暁は徳利をとると、星狼サマと俺の盃に酒をいだ。


「まぁ殿下の怒りも分からんではない。兄とはいえ、己の妃にああもベタベタされてはな」

「分かってくれるか、暁」

「だが」


 暁は鋭いにらみをきかせる。


「だからといってあのていたらくはなんなのだ」

「む」


 少しばかりひるんだ星狼サマに、暁はたたみかける。


「あの腑抜けた皇帝と何を張り合っているのだ。公主様の夫君として、また翠山の王太子として堂々と構えておればいいものを」

「おい、『腑抜け』もだいぶ不敬だぞ」


 俺の突っ込みを意に介せず、暁の説教は続く。


「ふんっ翠山国の将兵たるものが、衆目の前で女を奪い合うなど。目も当てられぬ醜態しゅうたいだ」

「いや、星狼サマは将兵じゃないけどな」


「だが暁、どう考えてもあのクソ皇帝が悪いだろう」

「だからクソって言うなって!」


 話をいっこうに聞かない二人に俺は頭を抱えた。


 それにしても、酔ってもあまり顔に出ない星狼サマだが、この様子だと少々飲み過ぎている気がする。俺は盃を取り上げようとしたが、一足先に星狼サマはなみなみ注がれた酒を一気にみ干した。


「これ見よがしに桃英様との睦まじい様子を見せつけやがって……しかも『故郷が恋しくなったらいつでも大黄帝国に帰ってきてもいいんだよ』だのなんだのと! そもそも俺に桃英様の降嫁を打診したのはあいつ自身だぞ!」

「それはそうだな」


 さすがに同情して俺は頷く。


「しかも俺と桃英様の寝所も別にしやがって」

「許せんな」


 暁も負けじと盃をあおった。その目は完全にわっている。


 あ、やばい、と思った時には遅かった。空にした盃を卓上に転がして、暁がすくりと立ち上がる。


「……斬るか、あの腑抜けた皇帝を」

「待て待て待て待て!!」


 まずいぞ、暁が完全に酔っている。翠山で一、二を争う酒癖の悪さだっていうのに!!


 俺はでかい体を生かして暁を羽交締はがいじめにした。剣を持った暁には勝てずとも、単純な腕力なら俺のほうが上だ。


「漣伊離せ、俺があの皇帝を成敗してくれる!」

「この阿呆! 大黄帝国との間に戦を起こす気か!」


「だが俺は星狼様を侮辱ぶじょくする男を許すわけにはいかんのだ!」

「違う、侮辱してるわけじゃない! あれはただ妹を溺愛できあいし」


「や、やっぱり俺、侮辱されてたんだ……」


 暁とみあう俺の耳に、聞き慣れた声のあり得ない台詞せりふが飛び込んできた。


 まさかと思って星狼サマを見ると、いつの間にか背中を丸めて隅の暗がりに座り込んでいる。


 俺は絶叫した。


「しまった、こっちもか!!」


『翠山一酒癖の悪い男』の有力候補は、ウザがらみと大暴れを繰り返す暁――そしてもう一人が星狼サマなのだ。こちらは酔うと陰気になるので、暁とは違った厄介やっかいさがある。


「そうだよな……桃英様は俺と翠山にいるより、帝国で暮らした方が……美味しいものも食べれるし……」

「いやいやそんなことないだろ! ……って、痛っ! 暁、頼むから暴れるなっ!!」


「俺は斬る――あのふざけた皇帝を――!!」

「はは、そもそも俺なんて生きてる価値がないし……」


 星狼サマをなだめたいが、暁を解き放ったら何をしでかすか分からないので、手も目もはなせない。


「くそぉ! いったいなんだこの地獄は!?」


 星狼サマも暁も飲むだけ飲んで好き勝手に酔っ払いやがって! 俺だって気持ちよく酒を飲みたいっていうのに!


 収拾しゅうしゅうのつかない事態に半泣きになる俺に、救いの手が差し伸べられたのは、その時だった。

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