【コミカライズ記念SS】希《のぞみ》④


 すでに夜着に着替えたあとだったので、扉の外から声をかけられ私は驚いてしまった。


「公主様、夜分に大変申し訳ございません。涼でございます。公主様の大切なものをお持ちしました」

「涼様?」


 声は私付きの護衛である涼様のものだった。

 それにしても、私の大切なものとはなんだろう? しとねは整っているし、寝支度も終わっている。今はこれ以上必要なものなんてないのに。


 思案しながら扉を開けると、そこに立っていたのは涼様ではなく星狼殿下だった。


「殿下!?」


 殿下はうつむき、見るからにどんよりとしている。その背後に涼様が立っていた。


「それでは桃英様、よろしくお願いいたしますね!」


 涼様が彼の背をどんっと突いた。それで殿下が私に抱きつくような格好になる。


「えっ!? どういうことですか涼様!?」


 事態を飲み込めない私を置き去りに、涼様は顔をしかめながら低い声でぶつぶつ言っている。


「……くそっ、なんで私が男の面倒を見なきゃいけないんだ。しかもうじうじして、うざったい! 大恩ある殿下でなければとっくに放り出してたぞ」

「りょ、涼様? 今なんと?」


「あぁいえ、なんでもございません。実は先ほど兄の寝所を訪ねましたら、兄も殿下も泥酔でいすいしておりまして」

「まぁ」


 私の肩にのしかかる殿下をちらりと見る。なるほど、酔ってらっしゃるのか。言われてみれば確かにお酒のにおいがする。


「それで、手の付けられなくなった殿下を桃英様のところにお連れするようにと漣伊に押し付けら――いや、任されたのです」

「私ですか?」


 なぜ私に、と問おうとしたが、先に涼様に切り出されてしまった。


「それでは私はこれで。明日の朝はこくにお迎えにあがります。皇帝陛下と日の出をご覧になるのですよね?」

「はい。熹李のたっての願いで」


 早朝から護衛を任せることを謝ると、涼様はくすりと笑って「だからそういうのはいりません」とまた私の鼻をつついた。


 こうして涼様が一礼して辞去すると、私は殿下と二人きりになってしまった。


(こんな夜半に、どうしよう……)


 私は殿下の妃なのだから、同じ褥で眠るのになんの問題もないのだが――。


(私たち、いまだに共寝をしたことがないのよね)


 降嫁してしばらくの間、私と殿下は心が通じ合っていなかった。その後も熊が出たり山が崩れたりと身の回りが落ち着かなかったし、ここ二月ほどは開国間際のため殿下はお忙しく、拝顔すらできないありさまだった。


 というわけで、私たちはまだ真の夫婦とは言えない状態なのだ。だから夜半に二人きりのこの状況に、どうしても戸惑ってしまう。


「あの、星狼殿下……」


 先ほどから何もおっしゃらないので、もしかしたら立ったまま寝ているかも? そう思って声をかけてみると、殿下がゆらりと顔を上げた。寝てはいないが、目の焦点が合ってない。


「……とーえいさま」

「はい、桃英です」


 一応私のことは認識できているようだ。それにしても、いったいどれだけお酒を召されたのだろう。目がとろりとして、声音もどこか甘く、幼くて……。


「とーえいさま」


 彼はまた私の名を呼ぶと、再び私の肩に顔をうずめた。首すじに彼の吐息が触れる。腰に回された手の熱が、薄い夜着を通して伝わってくる。


「あ、あ、あの、殿下……!」


 頬に熱が昇るのがわかる。こんな時どうしていいか分からずに、私は抱きしめられるがままになっていた。


 そんな私を、殿下はひどくいとけない声で――責めた。


「とーえい様は、ひどい」

「え?」

「おれのこと、ほんとうは愛していないんでしょう?」


 私は唖然とした。


「な、なぜそのようなことを? わたくしが殿下のことをどれほど慕っているか」


 ご存じでしょう? と続けようとしたのだが、殿下はそれをさえぎった。


「ほら、そうやって。俺とはぜんぜんなかよくしてくれない」


 いじけた声で言う言葉の意味がわからない。それで何も答えられずにいると、殿下が続きをぼやいた。


「とーえい様は、俺といる時だけかたくるしいんだ……夏泉とか、陛下の前ではもっと自然にしゃべるし、笑うのに」


 思わぬことを言われ、私は言葉に詰まった。

 殿下の手に力が入る。


「とーえいさま、俺のこときらいにならないで。また翠山から出てくなんて、言わないで……」

「星狼殿下っ」


 今度は私が彼の言葉を遮った。


「しっかりなさってください! 桃英は絶対に殿下のもとを離れたりいたしません。殿下は本当はそんなこと分かってらっしゃるでしょう? そもそもわたくしに翠山以外に行く場所なんてないのですから。それに――」


 続きはちゃんと顔を見て言おうと、もたれかかる彼を立たせようとした。

 ところが。

 

 すーーすーー


 聞こえてきたのは、静かな寝息だった。


「ね……寝てる?」


 殿下は私の肩にもたれたまま、すやすやと眠っていた。


「嘘でしょ?」


 信じられない、さっきまで私と話していたのに。それに、一方的に私のことを責めて、私の弁解は聞いてくださらないなんて!


 殿下を支えたまま、しばらく唖然あぜんと立ち尽くした。

 けれど、驚きと呆れが通り過ぎると、子どもみたいに寝息をたてる殿下に、なんだか笑えてきた。


「殿下ってあんなふうに酔うんだなぁ」


 ここ数ヶ月はお酒を召し上がる余裕などなかっただろう。無事に開国がって、ずいぶんほっとしたに違いない。

 そんな時に気の置けない温侍中や劉将軍と盃を交わせば、ひどく酔ってしまうのも仕方がないことなのだろう。


「でも、いくら酔ってるからって、さっきのはさすがに心外です――わたくしが殿下を愛していない、だなんて」


 苦情はいつか申し上げるとして、今は殿下を寝台に寝かせて差し上げねば。怪力の私だから、殿下をお運びするのだって簡単だ。


 私は片腕を殿下の膝の裏に回し、もう片腕で背を支えてひょいと抱え上げる――お姫様を抱っこするみたいに。


「こんなふうに扱われて不本意かもしれませんが、今日ばかりは許してくださいませ」


 これは殿下へのちょっとした仕返しだ。私の心を誤解したことの。


 抱き上げた彼をそっと褥に寝かせた。薄く口を空けて、穏やかに寝息をたてている。

 その姿が愛しくて、わたしはしばらく星狼殿下を見つめていた。

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