返礼の宅飲み


 数日後の夜、美晴は返礼と称して幸奈を自分の新居に招いた。

 すぐに呼べなかったのは幸奈に夜勤が入ったりしていたからだ。美晴も早出や遅出はあるけれど、夜中の不規則勤務があるホテリエには頭が下がる。

 生活がやや落ち着いてきたので美晴も買ってきた物にひと手間加えたりしてみた。

 ローテーブルに並べたのは、お惣菜で作った柚子味噌軟骨丼、晒し玉ねぎと鯖缶のサラダ、小鉢に盛り直した惣菜の肉じゃが、ほうれん草ベーコンは炒めただけ。でもじゅうぶん豪勢に見える。そのラインナップで幸奈がとても迷う顔になった。


「これは……日本酒もいけるんじゃ?」

「ごめん、置いてないわ」


 美晴は何故か日本酒だと二日酔いしてしまうので買わないことにしている。隣の隣へ取りに帰るか悩んだ幸奈だったが、刺身がないならまあいいかと諦めてくれた。ビールを開けて、乾杯する。


「……んで、店はどうだったん?」

「エロい視線よこす男と、突っかかってくる女がいた。伝え聞いてるんだろうね」

「やっぱりか」

「箝口令しいたわけじゃないし、しゃーないって」


 とは言うものの、いい気分ではなかった。のどに流れ込む苦みが美味しいのは本当にストレスサインなのだろうか。


「くぅーッ!」

「どうどう」


 幸奈が笑ってなだめてくれた。


「くだらないこと言う奴がいても気にしなくていいんだよ」

「もちろん。それで折れるメンタルなら退職してる。いやこれから折れるかもしれないけどさ……でもなんで私が転職活動しなきゃなんないのよ。そんなの癪にさわるから異動で手を打ったんだわ」

「その意気だ! まあ食べよ、いただきまーす!」

 

 出したものを幸奈は幸せそうに食べてくれる。元が惣菜でも、アレンジし皿に盛るだけでちゃんと美味しそうに見えるから不思議だ。

 小ぶり丼の柚子味噌軟骨は、ふわりとした柑橘の香りと炭焼き風味。大ぶりの食べごたえもいい。味噌のおかげでご飯が進むし、上にかけた小ネギと刻み海苔で香りの宝石箱状態だった。かみしめた幸奈はしみじみ言った。


「いろどりとかにも気をつかってさ。はるるんのこういうとこ、仕事にもつながってんのかな」

「んー、そうかも」


 美晴は身の回りをととのえ、飾るのが好きだ。お気に入りの物が普段使いにあるだけで気持ちが前を向くのが楽しい。それでインテリアに興味を持った。

 誰かのそういう心を手助けできるから、今の仕事も好き――退職したくないのにはちゃんと理由がある。


「はるるんは生活のバランスのとり方、うまいと思う。頑張れない時には頑張らないし、でもちょっとだけ幸せをプラスする。昔からそんな感じ」

「そうだったっけ?」

「うん。だからあんまり心配してないよ」


 ホッとしたような笑顔の幸奈に、美晴は首をかしげた。自分のことって、他人からどう見えているかよくわからない。


「いき過ぎると〈細やかな暮らし〉とか〈意識高い〉とかなるやつなんだけど、はるるんはイイって思ったことをこっちに押しつけないし、本人も気分次第で力の抜きどころがわかってるから」

「力の抜きどころかぁ……」

「傷ついたんでしょ、そんな男にあたっちゃって。しばらくグダグダしてな。料理なんかテキトーでも死なないし、おしゃれだって自分のためだけにするの楽しいし」

「……ゆっきー大好き」


 本当に好き。美晴はちょっと泣きそうになった。

 裏切られて、噂されて、異動して、引っ越して。

 新しい街で暮らすことになったのはリセットという意味で救いだけど、つらくもある。こうして旧友に会えたのは天の助けだ。


「くだらない男にすり減らされるぐらいならフリーがいいよ。男なんていなくても生きてけるもん。今は休憩して、そのうち何かご縁があったら考えようね」

「そうする。ゆっきーは彼氏とかどうなの?」

「学生時代はいたけど……仕事が不規則ですれ違いが続いて駄目だった。こっちも歩み寄れなかったから悪かったとは思うよ。でも今は結婚とか出産とかのビジョン、見えなくなってるかな」

「ほお……」


 それも仕方ないかもしれない。でも自分が生きるぶんの稼ぎがあって、こうして友だちと美味しいものを食べる時間があれば幸せってそんなものかも。幸奈はさっさと手酌しながら小さく笑った。


「友だちってさ、大人になると仕事以外では作りづらいじゃない。はるるん来てくれてすごく嬉しいんだ」

「ふふん。私もお役に立てそうですな」


 そう言ってもらえると美晴も気が楽だ。そこまで考えての発言かもしれないが。

 ふと窓のほうを気にした幸奈が立ってカーテンを開けた。窓からベランダを横に透かし見て、肩をすくめる。


「帰ってないかな、明かりついてなさそう――私らの間の部屋の住人なんだけど」

「うん?」


 美晴と幸奈の真ん中に住む人に、美晴はまだ会っていなかった。


板谷いたや沙都子さとこっていうんだけど、そのさとちゃんがおもしろい子なんだ。こんど紹介するわ」

「おもしろい?」

「うん。えーとね、二十五ぐらいだったかな。ちょっと年下。で、写真屋の助手やってるの」

「カメラマン志望か」

「ううん、あくまで助手」


 大真面目に言われるが、よくわからない。


「まあ本人から聞いてよ。仲良くなれたら三人女子会やろ。どっか食べに行ってもいいし」

「わ、それだ。いいお店教えてね」

「まかせなさい。中華街でも関内、桜木町でも」

「あ――ってことは、平地だ?」

「あたりまえでしょ。丘の上に店なんて少ないし」

「じゃあお腹いっぱいで、ここまで登るのか」


 それはなあ、と美晴は天をあおいだ。今日も仕事帰りに買い物袋をぶらさげて帰るだけでヒイコラ言ったのに。だがもう慣れっこの幸奈は笑い飛ばしてくる。


「このへんで暮らすと健脚になれるよ。おばあちゃんになっても元気でいられそうでいいじゃない。トレーニングしな」

「無茶言うー。階段ほんとにキツいんだけど」

「鍛えろ鍛えろ」


 そして何故か乾杯する。トレーニングとは真逆なのでは――いや、肝臓の鍛錬か?

 まあ平地で食事してから帰るのも、腹ごなし、あるいは酔い覚ましの散歩ということで悪くはないかもしれなかった。


 さとちゃんというのはどんな人だろう。幸奈がおもしろいと言うのなら、きっといい子だと思う。

 ここでの知人友人が増えるのが、美晴はとても楽しみだった。


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