第7話 運命の日③

「岡山さん、鼻、大丈夫?」


鼻を押さえたままの私を、前より少し低くなった刈谷君の声が心配している。

私の心臓は、なぜか両手で絞られみたいに苦しい。

こんな気持ちになるなんて、想定外だ。


(とにかく、早くこの場から離れないと)


「あのさ。この袋、中見てもいい?」


そんな私の気持ちを知らない刈谷君は、私が返事をするのも待たず、ごそごそと水色の小さな袋を開けている。私の犯罪がこの場でつまびらかになるのは、あまりにも情けない。


(ちょっと待って!)


私が言いかけるのと、刈谷君が大きな声をあげたのは、ほぼ同時だった。


「トンダーマン!」


あまりの大声に、私が硬直していると、刈谷君は小学生男子のような無邪気な笑顔で消しゴムを私に見せて言った。


「まだ持っててくれたんだ?」


「あの、それ…」


私が謝罪と言い訳を試みるも、刈谷君は消しゴムとの再会に心を奪われていて、私の声はまったく届かないようだった。


「えーっ。これ、すごい大切にしてた消しゴムだったんだよ。」


刈谷君は、心なしか顔を赤くしながら、こっちをちらりと見て言った。


(これは謝ってほしいっていうサインかな?)


「あの…」


私が謝ろうとすると、刈谷君は消しゴムを見ながら続けた。


「今更これを返すっていうのは、どういう意味なんだろ?わざわざ返さなくても、捨ててくれていいのに。」


刈谷君は、何だかそわそわとお落ち着きがない。


(一体、これはどういう反応なんだろう。)


(何はともあれ、謝罪を。もう一度謝って、ここを立ち去ろう。)


私がそう心を決めた時、刈谷君はおもむろに、トンダーマンのアニメが描かれたカバーをスポンッとはずした。

そして、私の前に裸になった消しゴムを突き出した。


「ごめんなさいって、これの返事ってことでしょ?」


目の前に突き出された消しゴムには、


“すきでした 

ありがとう”


と黒の油性ペンで、ちょっとへたくそな字で書かれていた。


(なに、それ)


私がぽかーんとした顔で消しゴムを見つめていると、刈谷君は慌てて消しゴムを、ダッフルコートのポケットに押し込んだ。


「え、見てなかったの?知らなかったってこと?2年の間?

じゃ、ごめんなさいってどういう事?」


刈谷君は耳まで赤くして、あきらかに動揺している。


「だって、刈谷君の消しゴム、勝手に持って帰っちゃって、返さなかったから。」


「違うよ。これは、プレゼント。っていうか、僕なりの告白のつもりだったんだよ。もう、二度と会えないって思ってさ。」


私は、あまりの展開に目をぱちぱちさせて刈谷君の顔を見つめた。

刈谷君は困ったような顔で、でも嬉しそうに言った。


「でも、また会えたってことか。これのおかげで。」


黙ったままの私をよそに、刈谷君はつづけた。


「消しゴム勝手に持って帰っちゃったって…これ、岡山さんの机に置いてあったでしょ?」


私はかろうじて、頭をたてに1回振った。


「あー、でもプレゼントだって気が付かないか。リボンもついてないし。

小学生の僕、気がきかなかったよね。」


私はまた、頭を振った。


「でも、持っててくれたんだ。」


私は再びぶんと頭を強く振った。そんな私に、刈谷君は大股で一歩近づくと、私の頭の上にそっと手を載せて言った。


「そんなに何回も振ったら、頭痛くなるよ。」


刈谷君の大きなひんやりした手が私の頭の上に載っている。私の顔も刈谷君と同じように赤くなっていくのがわかる。


「消しゴムのせいで、私、は、犯罪者になっちゃったと思って悩んでたんだよ。」


このまま刈谷君に触れられていると、脳みそが沸騰しそうだったので、私はその手から逃れようと一歩下がった。刈谷君は慌てて手をひっこめて、そのまま自分の首の後ろあたりに手をおいて、少し笑いながら言った。


「犯罪者って…。岡山さんは、相変わらず…真面目でかわいいね。」


「か、かわいい?」


私がびっくりして刈谷君に問い返すと、


「うん。ただでさえかわいいのに、アイドルになりたいっていうから焦ったよ。」


刈谷君はそう言うと、恥ずかしそうに目をそらした。


「それって、どういう…」


(刈谷君は、私に「かわいくない」っていったはずなのに?)


「岡山さん、あの頃、友達とアイドルごっこして遊んでたでしょ?」


「うん。」


「岡山さんがアイドルになったら、友達でもいられなくなっちゃうって、本気で心配だったんだ。」


「もしかして、だから、私はアイドルになれないみたいなこと、言ったの?」


「うん。」


(つまり、本当は私がアイドルになれないなんて、かわいくないなんて思ってなかったて事なのね)


しばらく沈黙が続いた後、私はだいぶ低いトーンの声で刈谷君に言った。


「あの時、刈谷君、私になんて言ったか覚えてる?」


「えと、かわいくないとアイドルになれない、とか言った気が、する。」


私は、冷たい目で刈谷君の目を見据えて言った。


「そうだね。そう言ったよね。私ね、傷ついた。

あの時、刈谷君に言われて、アイドルの夢諦めたんだからね。

だって、私、刈谷君が好きだったから。」


刈谷君の目が、前髪の隙間から驚いたようにこっちを見てる。

でも、構うもんか。

これは言ってやらなきゃ気が済まない。


「かわいくないって好きな人に言われたから、すっごく傷ついだんだよ。」


私は一息に言って、はたと気が付いた。


(あれ?私、今告白した?2年も前の事とは言え、初めての告白しちゃったんじゃない?)


(え、どうしよう。今の発言って取り消せる?巻き戻し出来る?出来ないか。

出来ないよね。神様、バレンタイン様、どうか助けて下さい!!)


私は刈谷君の顔が見れなくて、お腹の前あたりで思わず両手を組み合わせ、見えない何かに祈りを捧げながら俯いていると、目の前に刈谷君の手がにゅっと突き出された。

その手の平には、トンダーマンの消しゴムが載っていた。


「やっぱりこれは、岡山さんが持ってて。」











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