第3話 机の上の忘れ物
それから三ヶ月後。刈谷君は夏休み前にまた転校する事になった。
私は、『かわいくなきゃなれない』事件のせいで、すっかり自信をなくしてしまっていた。歌も踊りも一生懸命がんばれば、キャピタル5のカオルンみたいになれるって信じていたのに。
(私ってかわいくなかったんだ。)
そう思うと、涙がじんわり出てきて、元気がなくなってしまう。あこがれの男子に「かわいくない」って言われるなんて、本当、正直かなりきつい。
それ以来、昼休みにみんなとアイドルの真似をするのはやめてしまった。私は、ファンの役をする事にして、みんなの歌や踊りを見て拍手する係になった。
(あんな風に言う事ないのにな)
私は、だぶん刈谷君に少し怒ってもいたんだと思う。
(アイドルになりたいって、私、本気で思ってたのに)
刈谷君は、教室では相変わらず静かで、何事もなかったかのように席に座って本を読んでいる。私とも、まったく目を合わそうともしない。
「なんで、あんなひどい事言ったの?」
って本当は聞いてみたかった。でも、
「かわいくないと…」
って、また言われたら立ち直れない気がして、私の足は、やっぱり動かなくなってしまう。
うだるような夏の日。私は学級委員会で、放課後、学校に残っていた。
明日は終業式。
それは、刈谷君が転校する前の日だった。
自分の教室に戻ると、もう誰もいなくて、私の机には消しゴムが一つ置いてあった。その消しゴムは真新しくて、トンダーマンという、男子の間で爆発的に人気のあるアニメの絵が描かれたカバーがついている物だった。手に取って裏返してみると名前が書いてあった。
“かりやけいすけ”
どきん
心臓が一つなった。
そこに書かれていた文字は、あまり綺麗とは言えなくて、
「字は私の方がきれい、かも。」
私は小さくつぶやいて、わざと「ふん」と鼻で笑ってやった。
(ちょっとだけ、仕返し)
(本人には届かないけど、ね)
これで、刈谷君とはお別れ。もう、二度と会う事もない。
結局、あれ以来、刈谷君とは一度も口をきいていなかった。
(さみしいな)
心の中に、ぽつんと浮かんだ言葉。
(ひどい事言われたのに?怒ってるのに?)
私は、自分に聞いてみた。でも、
(でも、刈谷君は、本当の事を教えてくれただけだもんね)
私は、手のひらに載っている消しゴムをじっと見た。
(刈谷君の机の上に置いて、さっさと帰らなきゃ)
そう思っているのに、なんだか、その消しゴムが刈谷君との最後の思い出のような気がして離れがたかった。
その時、教室のドアががらりと開いた。
「岡山さん、まだ残ってたのか?もう遅いから帰りなさい。」
担任の三谷先生は、面倒そうな表情で言った。三谷先生は怒ると怖いので有名で、クラスで一番力の強い水田君だって、三谷先生の言う事は聞くくらいだ。
「はい、すみません…。」
私は慌てて消しゴムをポケットに突っ込むと、ランドセルを背負って足早に教室を出た。
どきん どきん どきん
心臓が大きな音で鳴っている。
(消しゴム、もってきちゃった)
どきん どきん どきん
(大丈夫。明日、返せばいい)
どきん どきん どきん
(明日、刈谷君は、いなくなっちゃうんだけどね)
そう思いついたとたん、気が付くと私の目から涙が出ていた。
(なんだろ、これ)
本当に、なぜだかわからないけど、あとからあとから涙が湧き出てきて、どうしても止められなくなってしまった。私は、止まらない涙をそのままに家に帰り、夕ご飯も食べずに自分の部屋のベッドに潜り込んだ。
「本当に夕ご飯食べないのー?」
お母さんが心配して、ドアの向こうから話しかけている。
「お腹すいて、ない。」
私はかろうじてそう答えると、嗚咽をこらえて、布団の中に丸まりながら、ひたすら泣き続けた。その涙は、刈谷君と会えなくなってしまうせいなのか、消しゴムを持ってきしまった罪悪感からなのか、自分でもわからなかった。
ただ、ただ私は泣きたかったのだ。
翌朝、体が痛くて目が覚めた。38度5分の熱が出ていた。
泣きすぎて体が壊れてしまったのか、消しゴムを持ってきたせいで罰が当たったのか、理由はわからない。
でも、当然学校には行けず、刈谷君に会うことはできなかった。
トンダーマンの消しゴムは、私の部屋の机の上に、ぽつんと置かれていた。
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