第8話 網引き〈トロール〉

空には時刻が掲示されている。

試験時間は120分。

その間にどれだけ多くのモンスターを倒したかが競われる。

今、秒数が刻一刻と減っているが、アーダムにそれは関係なかった。

(どうせあの制限時間よりも限界リミットは早いのだろう。)

空を見上げたアーダムは悪態を吐いた。

「ハァ…。」

溜息が出る。

アーダムが着地した茂みの周りには木が鬱蒼と生い茂り、アーダムの視界を遮っていた。

(魔法を使えばこんな森ごと吹き飛ばせたのに…。)

一先ず森から出るしかない。

アーダムは、木の枝を掻き分けながら先へと進んだ。

一時的に空のタイマーが見えなくなる。

だが、問題はない。

空は晴れ渡っていたのに森の中は暗い為、アーダムは足元が見えなかった。

そこで、アーダムは胸元に付けているバッジを二回叩く。

すると、上空に描かれていたタイマーから更に数秒が減った制限時間が胸元に浮かび上がった。

その際、バッジが発光し、アーダムの足元を照らす。

(ここは当初と変わってないな。)

上空うえのタイマーを見た時から、アーダムは薄々気付いていた。

配置しているは多少異なるが、仕様にそこまでの変化はないだろうと。

これは勘だ。

(…にしても、変えていってもいいとは言ったのだがな。)

別にアーダムが携わった時のシステムが格段に良かった訳ではない。

80年以上も前のモノでもあるし。

それでも変えなかったのは、尊敬リスペクトではなく怠惰だろう。

(人が足りなかったのか面倒だったのか…。)

今のアーダムにとっては幸運だっツイていたが、何か靄のようなものが胸中に走るアーダム。

そうして考え事をしている内に、木々の隙間から光が差し込んできた。

(出口か。)

アーダムは(やっとか…。)という思いで最後の枝を振り払った。


―見渡す限りの広い空間。


どうやらアーダムは、崖の上に立っていた。

(正気か?)

この仕組み創りを考えた設計者を恨んだ。

大本を考えたアーダム人間ではなく。

その後の細かな設計物オブジェクトの配置を考案した魔法使い人間を。

(確かに“崖”も作った気はするが…。何も。)

遠くには地平線が見える。

恐らくその少し先が、仮想この世界の終わりだ。

仮想世界バーチャルワールドは意外と小さい。

崖の下は草木の生えていない地面となっており、とてもクッションになりそうな物は見つからなかった(仮に見つかったとしても、この高さだとほぼ100%死ぬだろうが)。

試しにアーダムは、崖の下に半身を降ろしてみた。

今更、辿のである。

崖は傾斜のある坂を反転したように反っていたので、雪ぞりのように下って行くのは到底無理だ。

片手が無いので、なるべく腕の力だけで自分の体重を支えられるようにと気を付ける。

「……っ!」

足のつま先が崖に引っかからないかと駄目元で挑戦してみたが、やはり無理そうだ。

(駄目か…。)

やっとのことで諦めたアーダムは、崖の上に降り立ち、仕方なく元来た道を戻ることにした。

無意識に上空そら制限時間タイマーを見ながら。


―――………。

――……。

―…。


この仮想世界バーチャルワールドで一番強いのは飛竜ドラゴンだ。

彼等は知能が高く、火を噴き、空も飛べる。

もちろん現実世界のように飛竜ドラゴンを模倣している訳ではないが、劣化コピーだとしても素人には到底倒せない魔物だ。

だから得点が最も高い。

次に高得点なのが愚鈍な妖精トロールだ。

彼等は飛べないが怪力を誇る。

棍棒を振り回してよく死人も出る。

何より、飛竜ドラゴンの様に知能が高くないのが恐ろしい。

何をするか分からないからだ。

ただ、その分飛竜ドラゴンよりもより正確にコピーがしやすい。

受験者用に腕力は弱めてあるが、知能指数なんかは対して変わらないだろう。

愚鈍な妖精トロールはよく森や洞窟なんかの薄暗い所を好む。


―…。

――……。

―――………。


アーダムが森の中を歩く。

どこから歩いてきたのかはもう忘れた。

(こんなことなら、目印でも付けておけば良かったな。)

と少し後悔するも、元いた場所に戻ったからといってそこから森を抜けられるかは分からないと思い直す。

何より、いちいち目印を付けていくのが面倒だった。

歩きながらアーダムは暇潰しにバッジを弄っていた。

ポチポチと、バッジを叩いたり、目の前に出てきた画面を叩いたりして遊んでいる。

バッジには、今の制限時間を見る機能の他に、この試験のルールの読み直しや仮想世界バーチャルワールド地図マップを見られる機能等があった。

アーダムは暫くバッジで遊んでみる。

―…と。

ここで、何か地鳴りのような音が聞こえてきた。

アーダムの勘が働く。

彼はすぐさまバッジの発光を消し、これまで無造作に歩いていたのだが、音を立てないように意識することにした。

そして、木の陰に隠れながら、音がする方を見やる。

そこには、人が思い切り見上げないと上まで見えないような大きさの愚鈍な妖精トロールが、大鼾をかきながら大の字になって寝ていた。

(―…危ないな。)

ここで目を覚まされたらすぐさま踏み潰されてしまうだろう。

アーダムは立ち去ろうとしたが、そこでふと気になる物を見かけた。

よく見ると、愚鈍な妖精トロールの頭の上に光る数字が見えるのである。

(あれは…。)

アーダムは、発光を手で覆い隠しながら先程見ていた地図マップを表示させた。

(…やっぱりな。)

そこには、地図マップの至る所にモンスターのマークが表示され、それぞれのマークの上にはP(ポイント)が示されている。

その数字の一つが、今トロールの頭上にある数字ものと一致していたのだ。

その近くには、恐らくアーダムと思われるアイコンまであり…、

(便利だな。)

と、アーダムは思う。

本当はアーダムが初期に設定していた物だが、彼自身この存在を忘れていた。

(最初からに頼れば良かったな。)

地図マップの存在さえ思い出していれば、わざわざ崖の上まで行かずに済んだ。

そうすれば、もっと早く森を抜けられただろう。

地図マップを一通り確認したアーダムは、愚鈍な妖精トロールが起きない内に画面を消し、なるべくゆっくり、その場を離れることにした。

幸い、この近くに他の魔物モンスターのアイコンはない。

愚鈍な妖精トロールさえ気にかけていれば、アーダムは無事に森を抜けられるだろう。

―…パキッ! ―…ポキッ!

たまに小枝を踏んでしまっていたが、それらは全て愚鈍な妖精トロールの鼾で掻き消されるお陰でなんにも気付かれずに済んだ。

アーダムの鼓膜は潰れそうだったが。


ある程度の距離を取ったアーダムは、一旦足を止め再び地図マップを開く。

(―…ふむ。こう行けば森は抜けられるんだな。)

顎に手をやり、思案するアーダム。

森を抜けた後どこへ行けばあの少年に会えるかと考えていた。

((会ったら)まず真っ先に魔力を吸って気絶させてやろう。)

ここまでの苦労を考える(アーダムが勝手に苦労しただけだが)と、アーダムはまだ話したこともない少年のことを思い出すだけでイライラするようになっていた。


―……ぁぁああ…っ!!


と、誰かの叫び声がした。

(どうせ誰かがトロールでも見たのだろう。)

アーダムは当然の如く無視をする。

今はそれどころではない。

彼には大方の予想がついていたので、気にせず森の出口へ向かって歩き始めた。

そして、全然違うことを考える。

(全く…。(仮想世界バーチャルワールドの組み立ては最低でも)3人でやれと言ったのに…。)

アーダムが仮想世界バーチャルワールドの設計に携わっていた頃、このことは口が酸っぱくなるまで言っていた。

それなのに、今こうしてアーダムが見ると、どう考えても既定の人数を満たしていないように見える。

というのも、この世界の造形物が時々ブレているのだ。

(これは、1人か2人だな。)

更に、今回の試験のセキュリティーのガバガバさから、アーダムは勝手に(1人だけで創っているのだろう。)と思っていた。

もし、これが実際は既定の人数で創られているのだとしたら、それはそれで問題だが(育っている筈の魔法使いが無能と言える)…。

そこまで考えて、ふとアーダムは足を止めた。

(……待てよ?)


―なぜ(少年が)森の外にいると思い込んでいた?


ふと頭の中でそんな声が聞こえる。

(…そういえば、さっきの悲鳴は何だったんだ…?)

あれは誰の声だったのだろう。

そこで何かに閃いたアーダムは、急いで後ろを振り返った。


―シー…ン…。


そこにはしんとした静寂しかない。

だが、アーダムの直感が叫んでいた。

(…不味い。)

愚鈍な妖精トロールは知能が低く、分別もない。

だからこの試験で最も多く受験者を殺したのは、実は愚鈍な妖精トロールである(死人が出る度に)。

だからある時から、受験前には受験者達全員にある誓約書を書かせるというルールができた。

他にもいくつか条項はあるが、その内の最も重要な条項ものの一つとして、


―…この試験で如何なる事由が起きようとも、受験者及びその関係者は一切の責を何人にも追及できないこととする。


というものがある。

勿論、不当に受験したアーダムは書いていない。

書いていないが、だけでこの試験がどれだけ無責任なものであるかが分かるだろう。

―…それはさておき。

アーダムは悲鳴のした方へと走った。

道程がやけに長く感じる。

走りながら、何故崖に辿り着いた時にその可能性に思い至らなかったのかと自分を責めた。

(これでは本当に二度手間三度手間じゃないか!)

アーダムは効率が悪いのが嫌いだった。

木の枝が顔を攻撃するので、途中から腕で顔を庇って走るようになる。

そうこうしている内に、アーダムはようやく元来た道へと帰って来られた。

ここで急に飛び出すアーダムではない。

は愚者の行いだな。)

まずは現状の確認が最優先である。

もしかすると、もう少年は死んでいるかもしれないが、そうしたらまたを探せばいい。

それよりも、アーダムにとっては彼自身アーダムが死んでしまうことの方が問題だったのである。

焦る気持ちはややあったものの、慎重に木陰から様子を伺うことにした。

ここでアーダムは、(なぜ過去に他の受験者の位置情報も(地図マップで)共有できるようにしなかったのだろう。)と後悔する。

その感情は、少年を見つけるのと同時に無くなってしまうが。

アーダムが木の陰から覗くと、そこにはへたり込む少年と、何故か少年の前で頭に?(クエスチョン)マークを浮かべているトロールの姿があった。

(……?…なぜ攻撃しないんだ?)

アーダムにとっては幸運ラッキーなことだったが、それとは別に、アーダムは愚鈍な妖精トロールがまだ少年を殺していないことを疑問に思った。

アーダムは純粋なのである。

と、ここで少年がこちらに気付いた。

縋るような目つきの少年に対して、アーダムは本能的に危険を感じる。

(やめろ。)

「助けて!!!!!」

先程聞いた悲鳴よりも遥かに大きいであろう(とアーダムは思った)大声が、辺りに響き渡る。

そこでトロールは、アーダムが覗き始めてから初めて身動きをした。

そこでアーダムは気付く。

(あぁ…。コイツトロールは目の前にいるのが人間だと気付かなかったのだろう…。)

と。

そして少年を呪った。

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