第十七章
トニーは手際よく野菜を切り、バターで小麦粉を炒め、マカロニを茹でてテキパキとグラタンを作った。スープとサラダも完璧だった。
「ジェシカ、出来たよ」
トニーはジェシカがソファからゆっくりと立ち上がるのを手伝った。湯気が立ち上る熱々のグラタンや並べられた料理を見てジェシカは驚きの声をあげた。
「凄いわ…お店に来たみたい!トニーって料理上手なのね」
「ありがとう。口に合うといいんだけど…さぁ、どうぞ」
トニーが照れながら椅子を引いてジェシカを腰掛けさせた。二人は向かい合って食事をした。
「美味しい!ぜんぶ凄く美味しい!特にこのスープめちゃめちゃ美味しいわ。サラダも、野菜のカットが均等で凄く綺麗!職人技ね」ジェシカがグラタンを食べては誉め称え、スープを飲んでは感動して誉め称えた。
トニーは好きな女の子と一緒に食事をする為に腕を振るうのは初めてだったのでジェシカが喜んでくれて嬉しかった。
「良かった。お代わりもあるからね、沢山食べて」
食べ終わって、一緒に片付けをしてジェシカはトニーから手渡しされる皿を丁寧に拭いて棚に入れていた。体調は、すっかり良くなっていた。
早々とした夕食というより遅めの昼食だったので時間は、まだそれほど遅くなかった。トニーはベルガモットが香るハーブティーを淹れていた。キッチンのテーブルを挟んで向かい合いハーブティーを一緒に飲んだ。
…私、話せるかしら…頭がおかしいって思われて嫌われてしまうかもしれないのに。トニーの電話が通じなかった時だって、あんなに悲しかったのに。私のことを話して嫌われたら…私、この先生きていけるのかしら…だけど、もしも、このまま付き合っていってトニーと今以上に仲良くなってから言うよりも今、話した方がいいのかもしれないわ。
「どうしたの?もしかしてまた具合、良くない?それとも寒い?」ジェシカが黙ってテーブルを見つめているだけなので、トニーが心配している。
「ううん、もう大丈夫よ。心配してくれて、ありがとう。でも、ね…」
「うん?帰りたい?送っていくよ」
「違うの、そうじゃないの、あの…突然だけど…白い森の吸血鬼の伝説、トニー知ってる?」
トニーは無言で頷いた。自分が生まれ育った国の、あまりにも有名過ぎる伝説だ。
ジェシカはエドワードの屋敷に住んでいた頃のことから冬休みに帰省してレイモンドに襲われて血を吸われたことを話した。レイモンドがそうなってしまった経緯をエドワードから聞いたことも話した。それはジョージも知ってる、ということも。トニーは、黙ってじっと聞いていた。彼女の話が終わってから、トニーは口を開いた。
「実は…俺、その双子のお兄さんの話を少し聞いたことがあるんだ。百年に一度の天才と言われていたのに、学校を辞めて突然、姿を消したって聞いていた。ジェシカから今聞いた話で、点と点が繋がったと思う」
ジェシカから話を聞いたトニーは、今までなんとなく、そよ風に吹かれて揺れる白い花を思わせるジェシカの笑顔に交ざって時折、感じていた何か暗い翳りの理由が解ったような気がした。
テーブルの上に置かれたジェシカの手に、そっと自分の手を重ねた。ジェシカは身動ぎもしないでトニーの手を見つめたまま言葉を続けた。
「…だから、さっきの体調不良は、もしかしたら、その予兆かもしれないって思ったの。病院に行ったところで医者になんて言えばいいのか…私、吸血鬼になってしまうかもしれませんって?誰が、そんな話を信じてくれるの?精神科を紹介されてしまうわ。普通じゃないでしょう」ジェシカは俯いて声を震わせている。
確かに、あの国に伝わる伝説を知らなければ到底信じられない話だろう。医者が知っていて信じていたとしても…どうしようもないかもしれない。
ジェシカ、そうだったのか…
「解った。俺は信じるよ。じゃあ、また俺と一緒にいる時に、そういう兆候が起きたら、とりあえず休んだ方がいいね」
「トニー、こんな話、信じてくれるの?」ジェシカは顔を上げて青い目を見開いてトニーをまっすぐに見つめた。
「俺に作り話をしたって意味ないと思うし、行方不明と言われていた天才ピアニストの消息を聞いたんだ。白い森の吸血鬼の話は、子供の頃から聞いていて、よく知っているし。嘘だなんて思わないよ。それにジョージさんも知っているんなら尚更」
何より、ジェシカだって突然そんな目に遭って様子を見る為とはいえ通っていた学校を休んで外国に来て働いているんだ。ジョージさんが支えているとはいえ、不安だろうな…。
「ジェシカ、話してくれて嬉しいよ。俺と一緒にいる時に、またそうなったら必ず言ってくれる?その場で出来るだけのことはするから。イヤ、離れた場所にいても可能な限り駆けつけるよ。約束してくれる?」勇気を出して話してくれたんだ。俺は、これから時間が許す限りジェシカの傍に居よう。この先、何か今日みたいに兆候が現れたら俺に出来ることをしよう。それに俺も、近いうちにジェシカに聞いてもらおう。アイドル時代のことを。
ジェシカが頷き泣き出した。
「信じてもらえて嬉しいわ…私ね、危なかったところを助けてもらって、トニーにとても感謝しているの…何回もトニーと会って色々一緒に過ごしたりして凄く楽しくて、こんなこと初めてで。ずっと、トニーのことが好きなの。こんなこと話して頭がおかしいって思われて嫌われたら、どうしようって思ったけど…黙っていられなくて。だって、そうでしょう?私が…どうなってしまうのか解らないのだもの」
トニーはジェシカから好きだと先制されて、またクラクラした。好き?俺のこと好きって言ってくれたよな、今…。というより、俺…今まで何回もジェシカと逢っているのに自分の気持ちを言ったことなかった。俺だってジェシカと逢って一緒に過ごすのが楽しくて嬉しくて…
「また先に言われちゃったな…俺もだよ。ジェシカ、大好きだ」
まっすぐにジェシカを見つめて言った。
「本当に?」自分のハンカチで涙を拭きながらジェシカが訊いた。
「うん、俺のハンカチを持ってきてくれた時から。可愛いなって思ったけど、あの素晴らしい演奏にも心を奪われた。一緒にいると楽しくて。残念ながら…その、一番最初の助けたっていうことは、あんまり覚えていないけど…」
「私がシッカリ覚えているわ」
「ごめん、俺、、、でも、あれから酒は殆ど飲んでいないんだ」言いながらトニーは頬を赤らめた。
ジェシカは微笑んだ。
二人は見つめ合いテーブルの上で手を重ねた。
長い間、お互いを見つめ合い言葉を交わさなかったがトニーは時間がかなり遅くなってきたことに気付き、そっとジェシカの手を離した。
「そろそろ暗くなってきたし帰ろう。送っていくよ」トニーは立ち上がるとジェシカの手の甲にキスした。二人は手をつないでダンバー邸に向かって歩いていた。門の前に着くと、トニーはジェシカと向かい合った。
「さっき言うの忘れたんだけど明日も会えるかな?」
「明日も?」
ジェシカは嬉しさに目を輝かせた。
「決まりだね、また明日。今日と同じ時間に迎えにくるよ」
トニーは、そういうと素早くジェシカを抱き寄せて唇にキスをした。初めて交わす唇のキスだった。ジェシカは背伸びするとトニーの唇にキスを返した。
二人は何回もキスを交わした。ジェシカがダンバー邸の門をくぐったのは、それから約1時間経ってからだった。
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