第十六章
翌日、ダンバー邸にジェシカを迎えに来たトニーが玄関に来るとマリアはジェシカが来るまでに経緯を話した。
「余計なお世話かもしれないけど…あなたの携帯が繋がらなくてジェシカが号泣していたのよ。今後、万が一また失くした時の為に彼女の電話番号だけでもどこかにメモしておいた方がいいと思うわ」
マリアは、まるで弟を諭すように話した。
「そうだったんですか。色々とお騒がせしてスミマセン。電話番号、そうします」
ほどなく、支度が終わったジェシカが現れた。
「可愛いわよジェシカ。いってらっしゃい」マリアはジェシカを抱きしめ頬にキスをして送り出した。
トニーとジェシカはダンバー家の敷地から出ると、どちらからともなく立ち止まり、お互いに見つめ合ったが先に口を開いたのはジェシカだった。
「トニー、会いたかったわ」
ジェシカは微笑明け方の爽やかな青い空の色を思わせる目を輝かせてトニーをじっと見つめている。
「先に言われちゃったな…俺も。ずっと会いたかった。携帯のこと、それから仕事することも言ってなくて、本当にごめん」トニーも微笑んでジェシカの額にキスした。
「嫌われちゃったのかと思ったわ…」トニーからキスを受けて少し頬を赤くして俯きジェシカが言った。
「そんなこと、あるワケないじゃないか」
トニーはギュッとジェシカを抱きしめてから彼女の手を、そっと取ると手を繋いで歩き始めた。
二人は街へ出て歩いた。喫茶店やら屋台やらがごった交ぜで並び、大きな街路樹が並んだ道にはベンチも所々に設置されている。
やっと会えた二人の心は晴れやかだったが空には厚い雲が広がって肌寒い日だった。
春が来るのは、まだ少し先だ。
「喉渇いてない?何か飲む?」
トニーはジェシカに訊いた。
「…トニーは?」
「うん、そこそこ何か飲みたいかな。あそこにある店、前にアップルパイ買ったんだけど旨かったよ」
トニーが指さした先にある店は店の敷地内が庭のようになっていて、テーブルと椅子が、いくつか設置されていた。
二人は店で温かいアップルティーを頼むとテーブルに着いた。
ジェシカは空腹感がなかったので、そそられたがアップルパイは頼まなかった。
紅茶を飲み終わって店を出て歩き始めた矢先、ジェシカは微かなめまいのようなものを感じて立ち止まった。
「どうかしたの?」
トニーが立ち止まったままのジェシカを心配して声をかけた。
ジェシカの視界は、何かキラキラしてきてトニーの顔が、よく見えないでいた。
それも左側の目だけだった。ジェシカは、こんなことは初めてでキラキラしたものが視界を塞いでいるのを確かめて右目を手で覆い、ついで左目も覆ってみた。やはりキラキラした視界は左側だけだった。(…これは、何かしら…)
「ジェシカ?」
トニーがジェシカの様子を心配している。キラキラした視界には、やがて白い小さな四角いものが現れた。
小さな点のようなそれは角砂糖のような大きさになってキラキラしながら縦に繋がり始めた。ジェシカは再び目を片方ずつ手で覆ってみたが角砂糖のような四角いキラキラしたものは左目だけに見えていた。
「トニー…これ、見える?角砂糖みたいで七色でキラキラして…」
ジェシカは指をさしたが、ジェシカは自分の視界にだけ見えているのが、なんとなく解ってはいたが、それでも、もしかしたらと訊かずにいられなかった。
「え?何?角砂糖?いや、俺には何も」トニーは真剣な眼差しでジェシカが指さした所を見つめた。
もちろん、トニーには何も見えなかった。四角いキラキラしたものは、ゆっくりと左右に揺れながら4つ、縦に繋がって現れてジェシカは見ていて吐き気を感じた。
(…本当に角砂糖みたい。だけど、いったい、いくつ出てくるの…キラキラしていて綺麗だけど、こんなに気持ち悪くなるなら迷惑だわ…)
「なんか…気持ち悪くて…」ジェシカが、やっと絞り出すように呟いた。
繋がった角砂糖のような物体は今や5つになっていた。
「あそこにベンチがあるから座ろう」
トニーはジェシカを支えながら、ゆっくり歩いてベンチに向かい、座らせた。少し息遣いも荒く顔色も良くない。
「ジェシカ、ミシェルさんの診療所が近いから行こう。…動ける?」そう話しかけるもジェシカはかぶりをふった。かぶりを振ることすら、かなりつらそうだ。この様子じゃ今は歩くのは無理だ。
トニーは、そう思って立ち上がるとジェシカに自分が着ていた上着をかけると、
「ちょっと待っていて」とどこかに歩いて行った。
数分後、トニーは冷たく冷えたミネラルウォーターを買って戻ってきた。冷たい水を一口でも飲めば気分が少しは良くなるかもしれない、と思ってのことだった。
「飲める?」
キャップを開けて差し出すもジェシカは、やはりかろうじて、という感じでかぶりを振った。
「ごめんなさい…」
視界に現れた角砂糖のようなものは、7つに増えていて吐き気も辛かった。
「ジェシカ、タクシー呼ぶからミシェルさんの診療所に行こうよ」
トニーはベンチに沈み込むようにして座っているジェシカを抱き起こした。
「ごめんなさい…診療所に行くのはイヤなの」顔色が良くないまま、ボソッとジェシカは言った。
──これは、たぶん…レイモンドに噛みつかれて血を吸われたからじゃないかしら…今までこんなことになったことないもの。
私、私…どうなってしまうの?
ジェシカは今まで、レイモンドの事など忘れかけていたくらい、何も起こらなかったけど今、その兆候が現れたのだろうと思った。
今まで体調に悪いことは何も起こらなかった。
怖い目に遭ったけどトニーが助けてくれた。優しいトニーと知り合えてジェシカは恋をしていた。
せっかく久しぶりにトニーに会えたのに神様は、なんて意地悪なの。
悲しくなってきてジェシカは涙を流した。
トニーはジェシカの隣に腰かけ肩を抱き寄せて涙をハンカチで拭いて髪を撫でた。
「じゃあ、ロバートの家に戻る?」
──泣くほど具合が悪いなんて俺としては病院に連れて行きたいけど…
「ごめんなさい、トニー。それも嫌なの」
──せっかくトニーに会えたのに…少し休んでいたら良くなるかもしれないし離れたくないわ。
「じゃあ病院に行こうよ」トニーは気が気でなかった。好きになった女の子が目の前で辛そうに泣いているのに自分に出来ることはないのだろうか…
ジェシカは、かぶりを振って、トニーの肩に頭を乗せた。
「お願い、しばらくの間、こうさせて…」
トニーは、すっかり困ってしまった。ジェシカは具合が良くないのに一番近くにあるミシェルの診療所に行きたくない、今、世話になっているロバートの家にも戻りたくない、
病院に行くのは一番嫌みたいだし…今日は、どんよりと雲っていて風が冷たい。こんなところで休んでいては…トニーは悩んでいたが、粉雪がチラついてきたのでタクシーを呼ぶとジェシカを自分の部屋に連れて行った。ソファにジェシカを横たわらせると毛布を掛けて暖房をつけた。
ジェシカはタクシーに乗った時から殆ど眠っていて意識が朦朧として、部屋に着いた今、ソファで完全に眠ってしまっている。
──目を覚ました時に、まだジェシカの具合が悪かったら嫌がるかもしれないけど説得して絶対に病院に連れて行こう。
トニーはキッチンに行き、さっきジェシカの為に買ったミネラルウォーターを取り出すと椅子に座って飲んだ。水は、すっかり温くなっていた。
ジェシカは暖かい暖房が効いたトニーの部屋で目を覚まして横になっていたソファから起き上がった。
視界に現れた奇妙なキラキラした角砂糖のような物は完全に消え去っていて吐き気も治まっていた。
ソファの前にはガラス張りのテーブルがあり、その向かい側にもソファがある。その部屋は照明は点いていないけどカーテンを閉めた窓から外の光が入って薄暗いけど落ち着ける雰囲気だった。
ここはどこだろう…さっきまで一緒にいたのに…トニーは何処にいるの?。
その時、ドアが静かに開いてトニーが現れた。
「起きたね。ああ、だいぶ顔色いいね」ホッとした様子で声をかけた。
「トニー、ここは?」
トニーはまたドアの向こうに去りながら笑顔を見せて優しく答えた。
「俺の家だよ」
トニーが再び現れた時には手に冷えたミネラルウォーターのペットボトルを持っていた。
「喉渇いていない?飲める?」と差し出した。
「ありがとう」
ジェシカは受け取ると一気に半分ほど飲み干した。
トニーはジェシカの様子を見守って口を開いた。
「心配したよ。ミシェルさんの診療所にも病院にも行きたくない、ロバートの家にも戻りたくないっていうから…外は寒いし。粉雪が降ってきたし、とりあえず俺の家に連れてきたけど…顔色は、だいぶいいけど。まださっき言っていたみたいに気持ち悪いとか具合が良くないなら病院に行こう。俺も一緒に行くから」
「ごめんなさい、心配かけてしまって…今は、もう大丈夫よ。あんなことになったのは初めてだったの。私自身も、よく解らなくて。少し休んだら良くなるかもって思ったの。本当にごめんなさい…それに…」
ジェシカは残っていたミネラルウォーターを全部飲み干した。
「それに?」
「せっかく久しぶりに、やっとトニーに会えたのに…会えたばかりなのに、すぐにダンバーさんの家に戻るとか病院に行くなんて嫌だったの。トニーと一緒に居たかったの…と、言っても私、眠ってしまったけど」
ジェシカは俯いて空になったペットボトルを見ながら言った。
トニーはジェシカの言葉を聞いてクラクラするのを覚えた。
──俺と一緒に居たいって言ってくれたよな、今…
俺だって、この2週間、ジェシカに会いたくてたまらなかったし携帯を失くして連絡が取れなくて本当は気も狂わんばかりだった。トニーは無言でジェシカの隣に座ると抱きしめて頬にキスした。ジェシカもトニーの頬にキスを返してから、じっとトニーを見つめた。二人は互いの唇を求めたことは、まだ一度もなかった。
本当は唇にもキスしたいのをトニーはかろうじて堪えていた。今この二人きりでいる状態で唇にキスしたら、ジェシカを欲しくなって押し倒してしまうだろう。
それはダメだ。ジェシカは、たった2週間前にアイツに怖い思いをさせられたばかりなのに。ジェシカが病院に行くのをロバートの家に戻るのを嫌がったからって俺の家に連れてきて、挙げ句にそんなことしたら…正直、抱きたいと思ってないワケじゃないし、むしろめちゃめちゃ抱きたいけど、この流れで今は絶対にダメだ。きっと怖がらせてしまう。いや、嫌われちゃうよな、絶対。
トニーはジェシカの髪を撫でながら言った。
「俺だってジェシカに久しぶりに会えて嬉しかった。体調が良くなくて即離れるのは、もちろん寂しいし嫌だけど、それでも体調が良くない時は自分最優先にして無理しないで欲しいよ」
「そうね、ごめんなさい」
飲み終わった空のペットボトルを手にジェシカは、しんみりと答えた。トニーは静かにジェシカを見つめながら髪を撫でた。
「でも元気になって良かった…腹空いてない?俺、何か作るよ」
トニーが立ち上がるとジェシカも立ち上がりかけた。
「手伝うわ」
トニーは微笑むと、そっとジェシカをソファに座らせた。
「ジェシカは座ってて。さっきまで顔色良くなかったんだから。無理しないで。横になっていて構わないから」
トニーはキッチンに向かった。
ジェシカは再びソファに横になった。視界に現れたキラキラした奇妙なもの…あれは一体なんだったのかしら…
目を閉じても見えていたわ。あれが現れる度に私は、だんだんとレイモンドみたいになってしまうのかしら…トニーに噛みついて彼の血を飲んでしまったりしたら…嫌!そんなことしたくないわ!それとも、エドワードみたいに歳をとったようには見えなくなってしまうの?…どうなるのかは解らないってエドワードは言っていたけど…どうして、こんなことになってしまうの?
あのキラキラが現れるのは私が吸血鬼になってしまう兆候なのかしら…トニーに話す?
こんなこと話したら頭がおかしいって思われちゃうかしら…だけど…
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